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1980年6月9日 雨 ブリンディジ→ミラノ
ブリンディジ ARR9:00
レチェ発 13:57 40km
ミラにまで1013km
いよいよ2ヶ月間の鉄道の旅も終わりになり、山生活となる。
ブリンディジ午後1時57分出発の電車は明日の朝6時14分にミラノへ着く予定だ。1013kmを16時間17分かけて、のんびりと走る夜行列車でイタリア縦断。
電車の中でイタリア人の男2人と女2人の4人と一緒になり話が弾んだ。
話が弾んだと言っても、この4人のなかで英語は1人が少し話せるだけで、英語とスペイン語風イタリア語ごちゃ混ぜでどうにか会話になった。
話と言っても日本語にしたら2歳の子供の会話のようなものだろうが、心は通じたらしく、リタという女の子が大事そうに持っていた箱を紐解いて広げたところ、中から大きなサクランボがどっさり出てきた。
自分の実家で取れたものらしく、食べろと言う。
彼らは田舎が同じで、同じ大学に行っているらしく、休みを取って田舎へ帰って来たとこらしい。
イタリア人にしてはインテリぽい感じがする。
これでイタリアの印象も少しは良くなった。
お礼に紙風船と鶴と船を折ってあげたら驚いていた。鶴をリタにあげたら喜んでくれた。
こういう、人との接触の時が一番楽しい。
彼らも途中で降りてしまい、変わりにデブおばさん2人とおじさん2人、それに子供が1人乗ってきた。
おじさん達はフランス語とスペイン語を少し話せるらしく、単語を並べてなんとか話をすると、俺のことをモロッコ人だと思っていたらしい。
モロッコ人に間違えられたのはこれで二度目である。アテネではギリシャ人にインド人。その前は日本人にベトナム人に間違えられた。
久しぶりに鏡で自分の顔を見直すと、なんとなく我ながら日本人に見えないような気がする。
髪の毛は短く、顔は日に焼けて日本人離れした黒色で、着ているものも金持ち日本人には見かけないような、みすぼらしさだった。
1980年6月10日 雨、曇り ミラノ→チューリッヒ
ミラノ着6:45 チューリッヒ着12:55 293km
朝8時、ミラノ駅、これからスイスへ。
昨夜はコンパートメント6人で満席だった。
おじさん達はフランス語とスペイン語を少し話すのだがほとんどわからず。
それでもデブおばさんの一人は「お金を持っているか?」
「私は持っていないがおまえは旅行者だからいっぱい持っているだろう」
などと聞くので警戒し、夜もおちおち寝て入られず、ショルダーバックをずっと抱えていたところ、朝になって中に入っていたバナナがつぶれていた。
しかし朝ミラノ駅に着いて別れるとき、自分たちの朝食用に持っていたチョコレートと、アルミ箔に包んだメンチかつサンドをくれた。
朝食にも困った貧乏人に見えたのだろうか、こそ泥天国のイタリアにも優しい人がいた。
メンチカツサンドを食べたら旨かった。うたぐったデブおばさんに申し訳ない。
ミラノからチューリッヒまでは293km。ミラノ駅で乗り換えの時間つぶしに、街のドーモまで行くには時間が少ないので、一見の価値があるという駅舎を外から眺め、構内のカフェでカプチーノを飲んだりで時間つぶし。
チューリッヒへ向かう電車ではドイツへ行くイタリア人の親子ずれと一緒のコンパートメント。
親父さんはドイツで出稼ぎをしているらしく、子供にドイツを見せに出かけるところらしい。
彼はスペイン語が話せるのでどうにか会話はできそう。
このイタリア人親子もいい人で、自家製のワインをご馳走してくれた。
どうも物に弱く、何かくれる人はみんなすぐにいい人になってしまう。
それにしても最初のイタリアと今のイタリアでは印象が全く違って、イタリアもなかなかいいところだ。
チューリッヒは曇っていた。しかしイタリアから来たせいか、街に緑が多く綺麗に感じる。市電に乗りユースへ。
ジュネーブに比べ、同じスイスなのに物価は安いようだ。なんとなく同じスイスでもジュネーブよりチューリッヒのほうが感じかいい。
ユースに荷物を置いて、これから山旅の準備のため、テントを買いに街に出た。
だがどうも目指すテントは日本と比べるとべらぼーに高く、とてもじゃないが手が出せず、しかたなく安物の三角テントで我慢することにした。
テントは69FSで約44$。ちょっと高く、買おうと思っていたものより悪かったけど、貧乏人はしかたない。
ユースへ戻ると日本人がいて、18歳の安藤君という奴が一緒にグリンデルワルトへ行きたいという。
1980年6月11日 Zurich→Interlaken 快晴
チューリッヒ発10:10
インターラーケン着13:05 188km
ユーレルユースパスも今日が最終日、インターラケンまでの移動だ。
インターラーケンOST駅着、四方を山に囲まれた、思っていたより静かな山の街。
グリンデルワルトを上高地としたら、松本に当たる街なのでもっと大きな街かと思っていたが、以外にも小さく、山の街で、なかなかいい雰囲気なので気に入ってしまった。
インターラケンに泊まらず、グリンデルワルトまで行ってしまおうかと思っていたが、いい街なので1泊する事にした。
フランスのシャモニよりも、やはりスイスは雰囲気がいい。
着いてから湖の遊覧船に乗り一周。
湖も青く静かでここは別天地のようだ。
船を降りてから町外れにあるキャンプ場へ行って、テントを張り、夜の準備。
午後になると雲が全くなくなり、グリンデルワルトの方に雪をいただいた真っ白な山が見える。
そして夜は初のテント泊り。
夕食は暗くならないうちにと、コーポという名のスーパーで買ってきたスパゲティーラーメンにした。
芝生の上で山を見ながらの特性ラーメンは格別だ、味具合も良く、申し分ない。
さらに何カ月ぶりかに、安藤君の持っていた梅干しと日本茶をも味わらせてもらい、久しぶりの満足感。
そして食後は、これも安藤君が持っていた、久しぶりのセブンスター。旨い。
パリで日本人の団体さんに、スペイン製のデュカドスと交換してもらって以来のセブンスターだった。
今は又手巻きタバコを始めた。
スイスのタバコは高く、とてもじゃないが買えないので、刻みタバコにしている。
なんだか今日は日本の夢を見そうな気分。
しかし夜は寒くちょっと眠れず。
スイスはインターラーケンだけでもなかなかいい感じである。
ユーレイルパスも終わり。
ユーレイルパスでの総移動距離は2か月間で18,885kmだった。
1980年6月12日 インターラーケン-グリンデルワルト 快晴 日本出国284日目
インターラーケンからグリンデルワルトへは電車で1時間
快適な朝を迎えるはずだったのに、昨夜は寒さと、薄いマットで尻と背中の痛さと、窮屈さで、快適な朝は迎えられなかった。
日中は半袖で良かった温度だったのに、夜になると急に冷え込み、セーターを引っぱり出して着てもまだ寒かった。
気分半減の不快な朝だが、天気は抜群のすばらしさである。
登山電車でグリンデルワルトへ。
登山電車はどんどん高度を増し、くねくねと曲がりくねりながら登っていく。と、突然目の前にアイガーの北壁が飛び込んできた。
そして進行方向には緑のカーペットを敷き詰めた様な、グリンデルワルトの街が広がっている。
初めて見る本物のアイガーは圧倒的な高さだった。
高度差2500mの大岸壁が、目の前に、頭の上をおおうようにそそり立っている。
そしてとにかくばかでかい、けた違いのスケールである。
グリンデルワルトの街は予想に反して、都会だった。
駅から西に続くメイン通りの両側には、豪華なホテルが建ち並び、道行く人もほとんどが観光客で、登山者の姿はごくわずかのようだ。
まるで、軽井沢に来たようだ。
しかし四方に目を向けると、浅間山とはけた違いのスケールで山が覆い被さっている。やはりグリンデルワルドだ。
今日からの宿になるテント場は、街の中心からを川の方へ下ったところにあった。
目の前にはアイガーそしてヴェターホルンそして氷河。
キャンプ場の設備は良く、トイレは綺麗だし、シャワーのお湯もちゃんとでる。そして手を拭く温風も出る。申し分ない。
管理人のおばさんも感じのいい人で、愛想がいい。
川の近くの木の下にテントを張った。
テントを張って荷物を置いてから、夕刻近く、グリンデルワルトの全景を見ようと、もう一人の日本人と共に、テント場から川を渡り、牧草に囲まれた舗装された道を登っていく。
何軒かの民家を通り過ぎ、さらに登っていくと道は細くでこぼこになり、登山道になった。足下には絨毯をひきつめた様な牧草が広がり、黒く転々と夕日を浴びた家が建っている。
駅に降りたときに感じた軽井沢のイメージとは全く違って、やはりグリンデルワルトは小さな街だ。
ホテルが建っているのは駅周辺だけで、後は牧草と山小屋風の民家だけ。
登ってくる途中の牧草には牛や羊がのんびりと、カウベルの音を鳴らしながら牧草を食べていた。
なんとなく空気が旨く感じる。
うっそうとした木立の中の急坂をくねくねと汗をかきながら1時間ほど登ると、ロープウェー駅に出た。
この辺りが森林の限界らしく、ここから先に木はなく、岩と草だけになっていて、さらに上は雪が覆っていた。
Unterer Grindelwaldgletscherへの道を登って行くと、体がだるく全く登れず。
フィンシュテック1391m迄登っていくと、安藤君にかなわない、体力はメチャがた落ち。
Grindelwald→Pfingstegg→Unterer Grindelwaldgletscher
PfingsteggからのGrindelwaldの街並みと緑のカーペットの上から突然と急角度でそそり立つごつい岩肌のWetterhornの山はなんともいいがたい迫力。
アイガーとフィッシャーホルンの間の谷には氷河が張り出していた。
生まれて初めて見る氷河は、薄い水色をしていて、美しいような、神秘的な色をしている。
登ってきた道を振り返ると、足下に牧草地が広がり、グリンデルワルトの街がひとかたまりになっていた。
そこからさらに氷河の奥へと進んでいくと、通行止めの立て札。
しかしその奥にある氷河の魅力にかなわず、無視して進んでいくと数百メートルの断崖絶壁、遠くには鹿もいる。
そしてその更に奥にフィッシャーホルンが見える。
しかし立入禁止の所へ入り氷河の奥へ行くとすばらしい眺め。
名前の分からぬ山だが真っ白に輝きすばらしい眺め。
足下にはグリンデルワルトの街が見えものすごい。
名前の分からぬ山はGrosses Fieschrhorn 4048mと Kleines Fieschrhorn 3900m
夕日がアイガーを赤く染め始めると、急に温度が下がり始め、帰りの道を急いだ。
途中で夕食に駅前のスーパーの隣にあるセルフの店で食べ、テントに着いたのはすでに真っ暗になっていた。
寝袋に入り安藤君の日本の話を聞いていたら、いつのまにか眠ってしまった。
つづき⇓