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1980年6月2日 曇り晴れ ブリンディジ→パトラス→アテネ

ブリンディジ発 22:30 フェリー

パトラス下船 電車

アテネ着 23:00

昨夜は甲板で寝袋に入っての睡眠。朝方体が痛くなって目を覚ましたら、すでに空は明るかったが、空はどんよりと曇っていて、なんとなく肌寒い。

これじゃエーゲ海の海水浴もダメかなと思いながら、もう一度寝袋に入り甲板に寝たところ、7時頃顔に冷たい物を感じたので、何かなと思ったら雨だった。

ブリンディジからパトラスBrindisi→Patras

この船は大きく揺れもなく快適、見知らぬ土地を目指して甲板で雨に打たれて目を覚ます。何とも印象的な船旅だ。

いや甲板での目覚めは何とも哀れな旅か。でもやはり船の旅というのはいい。

しかし思っていたより風が冷たく、寒さを感じる。腹も減った。

日が当たると暑いのだが、ちょっとこれでは寒すぎる。

朝食はブリンディジのスーパーで買い込んできた、グレープフルーツとパンとコーラ。

昼近くになって太陽が出てくると急に暖かくなり、気の早いアメリカ娘やフランス娘などが、ビキニ姿になって船のプールサイドにあるデッキチェアーで日光浴を始めた。

ビキニ姿の女の子を見ながら日光浴。

ブリンディジからパトラスのフェリー

ぼんやりとビキニと海と空を見ていると、見覚えのある顔が通り過ぎた。

「あっ、コック長」

ドイツで会ったコック長の新井さんだった。

新井さんと一緒の伊藤さんと3人で、再会を祝って船内のレストランへ行き、スパゲティーとワインで乾杯をした。

 

午後3時頃左右に島を見ながら真っ青な海の上を進んでいる。

海が本当に青い、こんな青い海を見たのは初めて、どうしてこんなにも青いのだろう。

 

パトラスからは電車に乗り換え、アテネに着いたのは夜の10時過ぎだった。

見知らぬ土地に夜着くというのは、パリで道がわからず失敗した経験から、どうも不安で仕方ない。

だが今日はコック長もいるし、何と言ってもアテネに住むソクラテス君がいるので心強い。

と思っていたのもつかの間で、ソクラテス君はアテネの駅に着くと

「じゃあ元気で、良い旅を」と言って日本人3人とアルゼンチン人を残して行ってしまった。

うまく行けば彼の家に泊めてもらおう、などと言う甘い考えは一瞬のうちに消えた。

パトラスからアテネPatras→Athens

ともかく今夜泊まるところを探そうと、伊藤さんの持っていたガイドブックに載っている安ホテルを目指して、地図を頼りに歩いて行くが、道路標識はエテルナ、シグマ、ラムダ、なんだかわからない文字の標識だらけ。

迷いながらもやっと着いたホテルは、満員であっさりと断られてしまった。

だがそのホテルのおじさんは親切に、英語とギリシャ語とジェスチャーで、知り合いがやっているらしいホテルを紹介してくれた。

紹介してくれたホテルはアテネ駅の近く。

1泊138DK約600円ほど。アルゼンチン人のエルメストと同室で泊まることにした。

すでに24時を過ぎていたが、皆昼から何も食べてなく、腹が減って眠ることもできそうもないので、ジェスチャーでホテルのおじさんに、腹の減っていることを告げると通じたらしく、近くのレストンを教えてくれた。

アテネの食堂こんな感じだった、ネットから

 

裏通りのごみごみしたところにあるレストランで、夜中1時近くになるのにやっているのか、心配しながら入ってみると店内は満員だった。

店内へ入っていくと、驚いたように一斉に注目された。

こっちも驚いたが、気前よく席まで空けてくれた。

こんな大衆食堂に外人客が来るのは珍しいらしく、みんなの注目の的だ。

すぐに禿頭のおじさんが、黒板に書いたメニューのような物を指さしてくれたが、何が書いてあるのかまったくわからない。

もじもじしていたら、禿頭のおじさんボーイがキッチンの中へ手招きするので行ってみると、いろんな料理が鍋の中に入っていて

「何が食べたいか指させ」と言っているようなので、スパゲティーのような物とトマトに御飯を詰めたのとサラダを指さした。

エルメストは肉団子の酢豚のような物を注文した。

皆てんでんに適当な物を注文して、席について待った。

無事到着の乾杯はウーゾ。

ウーゾネットから

ウーゾはそのまま飲むと松脂臭く、とても強くとてもじゃないが飲めた物でない。

水で薄めると白く濁り、何とも言えない味になるがけっして旨いとは思えない。

 

どうしても日本人同士で話すことが多くなってしまい、エルメストには申し訳なく、必死にスペイン語で通訳するが、どうも細かいところまで旨く言えず、はがゆい。

料理が運ばれてきた。

新井さんはさすが料理人らしく、よく味わって食べている。

余り旨くないと言うが、そんなことない、旨い。

イタリアやスペイン料理と同じように、オリーブオイルがたっぷりと使ってあって、なかなかの味でいける。

日本人にはオリーブオイルを使った料理は、あまりむかないのかもしれないが、オリーブオイルをふんだんに使った料理は好きだ。

スペインやイタリアではオリーブの実を買って、宿の部屋でワインの肴にしてよく食べたものだ。

食べ終わった後は料金の心配で、ふっかけられはしないか、いくらになるのか心配したが、1人500円ほどであがった。

これだけ食べて飲んで500円とは安い。

アテネの物価は最近ものすごく高くなったと言うが、まだまだ安いと感じる値段だ。

 

ホテルに帰ってエルメストと話をすると、彼はカメラマンで、ミラノで修行中らしい。

ギリシャへは気晴らしにやってきて、又ミラノに戻って勉強するという。

彼はコマーシャルの写真が中心で、彼の撮ったスライドを裸電球にかざして何枚か見てみると、波打ち際に大きなボールのある写真や、ガラスの上に乗った化粧品等の写真だった。

 

*ブリンディジからパトラスへの行き方

フェリーはユーレイルパス、ユースパスともに使えるが、出国税等で5,300リラ払わなければならない。

ユーレイルを使ってパトラスに行くにはAdriaticaのオフィスへ行き、パスポートとユーレイルパスを示し、チケットをもらう。

朝は9時30分から。午前中に出国の手続きを済ませてしまうため、チケットを受け取った後すぐにイミグレのオフィスへ行き、まだイタリアにいるのに出国のスタンプを押してもらう。

午後のあいた時間はBariの街へ散歩しに行くと良い。

船は20:30から乗船で22:30出航。

パルテノン神殿パルテノン神殿

 

1980年6月3日 曇り アテネ

窓のカーテン越しに入ってくる朝日で目を覚ました。

顔を洗って、トイレへ入り、そくさくとホテルを後にした。

途中でエルメストとも別れ、別のホテル探しをした。

日本人の溜まり場になっているという、プラカインという名のホテルへ行ってみたところ、値段は安くていいのだが、ちょっと感じが悪いので泊まるのをやめた。

街の中心からは少し離れているが、ジョニーズハウスという1泊125ドラクマ約550円のホテルに泊まることにした。

このホテルはパルテノン神殿の近くの小高い丘の中腹にあるので、パルテノン宮殿の後ろに沈む夕日が美しく見ることができる。

パルテノン近くのホテル

荷物を置いてホテルのお姉さんが出してくれたコーヒーを飲んで、市内見学へ出かけた。

年間500万人もの観光客がアテネを訪れ、そのほとんどの人がアクロポリスの丘に登るという。その丘にあるのが、2500年前のギリシャ黄金時代の遺物である、白亜のパルテノン神殿だ。

パルテノン神殿は柱と屋根の一部を残して、辺り一面に崩れて石ころのように転がっている。

パルテノン神殿パルテノン神殿

パルテノン神殿の切符パルテノン神殿の切符

パルテノン神殿1985年

3000年前のものとはどうしても信じられないほどで、大理石を使ってあるので形も変わらず良く残っている。

これなら500万人の人を感激の中に陥れることができる。

偶然出会った建築士の吉田さんの感激ぶりは、凡人の感激ぶりとは違い、冷静に設計士としての目で見て、又違った感慨深さがあるようだ。

彼の目によると柱1本1本の形など、聞けば聞くほど2500年前に作られたとは思えない建物である。

アクロポリスパルテノン神殿

アテネの物価は安く、ヨーロッパで一番安いのではないかと思う。

地元の人も皆、旅行者慣れしているのか人当たりが良く気持ちいい。

日本の焼き鳥に似たムサカ、スブラキがとても旨い。

日本でよく行った焼鳥屋の鳥万が思い出される。

それに何とも言えぬワインを飲み、ギリシャ料理もなかなか行ける。

アテネは陽が当たるとものすごい暑さ、しかし曇りだとまだちょっと寒い。

 

夕食にはちょっと寂しかったが、シシカバブーで腹ごしらえをした。

シシカバブーはどんどん焼きにサラダや肉を挟み込んだ様な物で、値段も安く味もいい。ひとつ食べるとけっこう腹一杯になる。

アメリカやイギリスで食べたシシカバブーとは又違った味で、やはり本場のは一段と旨い。

 

1980年6月4日 アテネ 晴れ曇り雨

久しぶりに晴れ渡り、日差しが強い。これなら泳げるだろうと、同宿のカナダの女の子達を誘ったが、みんなまだ寒いと言って嫌がるので、仕方なく一人でバスに乗り海水浴場へ行ってみた。

アテネのバス切符バス代は約65円

着いた海水浴場は、やはりまだ泳ぐにはちょっと寒すぎるのか、人もまばらで、海水浴と言うより日光浴をしていた。

この海水浴場に入るのに入場料を取られたが、設備が整っていて、更衣室も、シャワーもあり、ビーチチェアーもならべってあって、なかなか行き届いている。

アテネの海水浴場

さっそくGパンを切った海水パンツにはきかえ、コバルトブルーに透き通ったエーゲ海に足を入れてみた。

今年になり初めての海水浴、それもエーゲ海で。海は波もなく、こんなきれいな海で泳いだのは生まれて初めて。

アテネの海水浴場

 

アテネの海水浴場

まだ海水は冷たかったが、ギリシャへは泳ぎに来たのだから、冷たさも何のそのと泳ぎ出すと気分は最高。

岸からだいぶ離れて、足の着かないところまで行っても、まだ海の底が見える。江ノ島の芋を洗ったような海水浴場とは違う。

30分ほど泳ぎ、あとは海岸で日光浴、ちょっと残念なのは天気がもうひとつぱっとしないこと。

売店で昼食にビールとサンドウィッチを買いに行くと、ちょっとかわいい顔をした店員の女の子が2人いて、女の子も気さくで、英語でちょっとした会話。

こんな時期に日本人が泳ぎに来るのは珍しく、日本人はパルテノンだけを見て帰るのかと思っていたと言い、珍しい日本人だからハムを多めに入れておくと言った。

アテネに着いて初めてギリシャ人の女の子と話をした。なんとなく嬉しい。

イロド・アティコス音楽堂イロド・アティコス音楽堂

 

ホテルに帰ると、今夜はパーティーをやろうということになっていて、日本人がカナダ人を招待することになっていた。

このホテルジョニーズハウス近くの、日本人の溜り場ホテルアンドアインに泊まっている日本人の男2人が、ここに泊まっているカナダ人の女の子がかわいいという噂を聞いてやって来て、スパゲティーパーティーを開くことになったらしい。

気がつかないでいたが、カナダの女の子達はよく見ると、確かに美人だった。

日本人男5人で近くのスーパーで買ってきた材料でスパゲティを作り、カナダの女の子たちと話をしながらワインで乾杯。

なんだかんだと話も盛り上がり、ワインが切れてしまい途中で買い出しに行ったりして、けっこう楽しいパーティーができた。

このホテル、ジョニーズハウスは朝食付き3人部屋で1人125DR約540円とは安い。

ギリシャコーヒーは飲み放題だし、シャワーもまた使い放題。

アテネのバス

*アテネから1時間の海水浴場

アテネ市内のNational Garden のLeoforos Vas Olgas通りからバスNo89又は90番のバスに乗り約1時間乗車し、人が沢山降りるところで下車すると、すぐ海水浴場の入り口。Vouliagemen。

入場料25DR約108円でシャワー、更衣室、トイレ、ビーチチェアーの使用料を含んでいて、海水は青く澄んでいて、身長ほどの水深まで見えます。

バスは乗り込むと車掌がいてその人に15DR、アテネのバスは距離に関係なく15DR約65円。

 

1980年6月5日 Athens-Mikonos 晴れ

アテネ  地下鉄10DKS約44円

ピレウス発8:00 フェリー428DKS約1860円

ミコノス着14:00

ピレウスからミコノス島ATHENS→PIRAEUS→Mikonos

いよいよミコノス島へ。ミコノス島へ行くナイアスと言う名の船が出港するピレウス港へ、新井さんと伊藤さんの3人で地下鉄に乗って行った。

ミコノス島への乗船券

船は8時出港のため、早起きしたが、二日酔いだろうか頭が痛い。

ミコノス島へ着くのは14時頃らしい。

ドラの音と共に船は港を出ていき、カモメが船の後を追ってくる。

アテネからミコノス

 

ミコノス島への船

船はいい。何となく旅情が出てくる。

でもちょっと期待はずれ。

早朝のためかもしれないが青い空、青い海はダメ。

天気がいいので甲板のベンチに寝ころんで、二日酔いの頭を休めていたらいつのまにか寝込んでしまい、目を覚ますとすでにミコノス島が見えていた。

ミコノス

 

ミコノス島1985年

ピレウスの港を8時に出てミコノス着14:00。

荒れたごつごつとした岩肌の島にひとかたまりになって、真っ白な家が集まっている。丘には白い風車も見える。

ミコノス

映画で見たミコノスそのままのミコノス島が今目の前にある。

船はゆっくりと桟橋に着いた。

タラップを降りていくと、黒装束のおばちゃん達が、ホテル、ホテルと言いながら近寄ってくる。

どこに泊まるというあてもないので、英語で値段を聞くと英語で答えが返ってきた。

おばちゃん達の知っている英語は金額だけらしく、後は何をいっても通じない。

やはり日本語とジェスチャーが一番だ。

3人のおばちゃんに値段を聞いて、その中で一番安かったおばちゃんの後を着いていくと、船から見えた風車の真下にある家で、白い壁に窓やドアだけが緑に塗られた2階建ての家だった。

ミコノスの宿

宿の部屋の入り口は正面の階段(白色)を2階分ほど登った真正面。

白い壁、緑の窓、何とも言えない。

外階段から続く2階の部屋にはいると、中もやはり白い壁で、緑色の葉の観葉植物が置いてあった。

白色がまぶしいがそれ以上に緑がはえてまぶしく感じる。

ミコノスの民宿

おばちゃんは大サービスで、冷たい水をコップに入れて持ってきてくれた。

外国に来て水を出されたのはこれが初めてだった。

生水はなるべく飲まないようにしていたが、せっかくおばちゃんが2階の部屋まで運んできてくれたので、飲んでみると、冷たくて旨かった。

久しぶりの水は旨かった。

このところ、水代わりにワインかビールしか飲んでいなかったので、水がこんなにうまいとは!

ミコノス島のレストラン

 

白いミコノス島

とにかくミコノス島の街はまぶしい。

ミコノスの風車

町といっても数百戸の家だろうが、町中の家という家はすべて白く塗られ、窓とドアだけが青か緑色になっている。

船からは見えなかったが、木も少しは有り、真っ赤な花が咲いている。

ミコノス島

しかし土地全体は荒れ地で、畑らしきところへ行ったところ、岩がごつごつとしていて、耕したところには大きな石がごろごろとあり、栄養失調のようなネギが植えられていた。

畑自体が少なく、ほとんどただの荒れ地である。火山灰のような地肌をしていて、乾燥しているためか埃っぽい。

ミコノスのロバ

やはり野菜は少ないようで、ロバに野菜をいれた篭を乗せたおやじが売って歩いている。

ミコノスのロバ1985年

 

ミコノス島

 

ミコノス

土地はダメだが海は辺り一面にある。

しかしこの海のほうも余りぱっとしないようで、小舟で行った漁師はバケツ3杯ほどしか取れなかったようで、捕ってきた魚は港で買いに来たおばさん達が、秤にかけてすぐに買っていく。

魚屋もないようだ。

この島は過疎の島なのか、若者の姿は少なく、ほとんどが年寄りと子供だけだ。

我々旅行者にはすばらしく静かな、海の綺麗な美しいところに見え、観光客として綺麗な海を見るのはいいが、ここでの生活は苦しいに違いない。

でも驚いたことにディスコがあった。

ミコノス

ミコノス島は本当にきれいな海。

海水浴場でないところで泳いだが本当にいい気分。海がとてもきれい。

ミコノス島 

午後からスズキのレンターバイクを借りて、島めぐりをしたが、街を出るとあるのはでこぼこ道と荒れ地ばかりだった。

夜のミコノス島

夜は島の繁華街にあるバーで、アジの塩焼きにポン酢のような物をかけたのをつまみにしてビールを飲んだ。

宿に帰り、伊藤さんが持っていた米を炊いて、塩おにぎりにした。

塩だけだが久しぶりの白米は旨い。

ミコノス島の夜

 

ミコノスの船

*アテネからミコノス島へ

切符は港の近くでも購入できるが。朝が早いため(8:00出航)シンタグマ広場近くのエージェントで、前日にでも買っておいた方が便利です。

値段はどのエージェントもかわりない様で、とても親切で気持ちよい女の子のいるGalaxy Travel 35Voulis Street シンタグマから5分。

片道428DR。往復は2倍の金額。

アテネからピレウス港へは地下鉄で10DR、で終点下車。降りたら進行方向へ歩き、駅の外へ出たら左へ5分ほど歩いていくとミコノス行きの船、NAIASがある。

 

1980年6月6日 晴れ ミコノス島

ちょっと海水が冷たかったけど、バスに乗って15分ほど行った島の反対側へ行き海水浴。

海岸の砂は砂というより小石で、海水は透き通りすぎるほどきれい。

そして女性は皆トップレス、すぐ近くでだいたんに見せられると、こっちが恥ずかしくなってしまう。

どうにか写真を撮ったが果たして写っているか?

トップレス海岸

 

トップレス海岸ミコノス

 

ミコノスの海岸

青い空、青い海、白い家、ああきれいだと観光客は思うけど、島民にとって畑は石だらけで、少しばかりの野菜しかとれず、道は険しく、若い女の子も店の前でお土産用のセーターやテーブルクロスを編むだけ。

漁業の人にしても4人で出かけていって、捕れた魚はバケツ2杯ほど。

苦しい生活をしているのだ、農協や漁協はないようだ。

ミコノス

ミコノス島を出る今日は最高の天気。

船の出発が15:00だったのでそれまで港の近くの海岸でひと泳ぎ、やっぱりこの海岸もトップレスの女の子がほとんど。

ミコノス島

ミコノス

ミコノスで海水浴

海は岩が多く、陸から20mほどは膝ほどの深さで、その先はがくっと深くなっている海岸。

ものすごく気持ちいい。水は青く限りなく透き通っている。

ミコノスに再度来るのなら水中眼鏡と醤油と味の元を持参。

醤油はここミコノス島に限らず至る所で利用価値がある。

 

アテネ(ピレウス)へ向かう船上、今まで3人でずっといたが今日は久しぶりの1人旅、エーゲ海を1人船に揺られ夕日に赤く染まっている。

なんとロマンチックなんだろう。

伊藤さんと新井さんは後3.4日ミコノスにいるというので、俺はユーレイルユースパスの期限が、残念ながら後3日で切れてしまうので、それまでにグリンデルワルトへ行かなければならないから、彼らともここでお別れ。又1人旅。

今までで一番の国はギリシャかな。

スペインも良かったけどあれはスペイン語が話せたおかげ。

もしギリシャ語が話せたらさらに良かった。

日本にいると何気なく日本語を話し、意識せずに思ったことを話していたが、言葉の大切さをつくづくと感じさせられる。

でもちょっとギリシャは食べ物が高い、昨夜のアジの塩焼きも1匹10DK約45円ほどになる。

 ミコノスからピレウス

 

1980年6月8日 快晴 アテネ→パトラス→ブリンディジ

アテネ発 10:00

パトラス発17:00 

Castaliaと言う名のギリシャの船のデッキ。

船はパトラスからイタリアのブリンディシへ向かう途中で、真っ暗な中を静かに進んでいる。

船から見たエーゲ海の夕日は何とも言えなく美しく太陽が真っ赤に見えた。

それにしても夜の船とはなんとロマンチックなんだろう、もしとなりに彼女がいたらもっともっとすばらしい旅になるのに、ギリシャは2人で来るところだ。

この船はどうも日本人は1人だけのようだ。

今日まで何日か日本人と一緒だったので、今又一人になってしまうと少し心細くなる。

パトラスの海

寂しさを紛らわすのに、夕食は奮発して9$50¢約2400円のディナーを注文しておいた。

船のレストラン

船内放送で、ディナーの知らせがあり、ウェーターの案内で席に着くと、メキシコ人2人と同じテーブルになり、スペイン語と英語ごちゃ混ぜでの会話。

アメリカにいたときにメキシコ人と聞くと、悪党ばかりのように思っていたが、こうして同じテーブルで食事をするとそんなことなど全くない。

ギリシャでは二度豪華な食事。一度はミコノス、そして今。

二度もものすごい食事にありついたのに、それほど使っていない。

こんなに暗いのにカモメが船を追ってくる。

今夜もカモメと一緒に甲板で寝袋に入って寝よう。

パトラスからブリンディジの切符

*ギリシャからイタリアへ PateurasからBrindishi、切符はパトラスの駅を出て、駅を背にし左へ100m(船乗り場の方)程行った右側の建物(看板がEURELとでている)でポートタックスこみ240DRS約1050円でCasteliaの切符をくれる。

船乗り場はさらに200m程先へ行ったところに税関と一緒にある。

船は17:00と22:00の2便ある。

 

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