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1980年5月19日 曇り ガルミッシュ・パルテンキルヘン→インスブルック

ガルミッシュ=パルテンキルヘン発 

インスブルック着 11:05 59km

ガルミッシュからインスブルックGarmidch Prtenkirchen→Innsbruck

ガルミッシュを出た電車は緑の牧草地帯を走り抜ける。

今までに乗った電車の車窓から見えた風景では、一番美しい風景が続く。

電車は途中何度も小さな駅に止まりながら牧草地帯を抜けると、今度は右手が絶壁になったトンネルの多い風景に変わった。

遥か足下には家並みと川が小さく見える。

たぶんあれがインスブルックの街だろう。

インスブルックの山

インスブルックの駅から30分ほど歩いた、イン川の畔にあるユースに宿を取った。

山が全く見えない、空は雲が低くたれ込めていて、山々が隠れてしまっているが、四方を山に囲まれた街だ。

街の中心を氷河の解けた乳白色の冷たさそうな水の流れるイン川があり、美しい街だ。

インスブルックのイン川Innsbruck

公園では老人達が白と黒の大理石のような石が並べられた10m四方もありそうな盤上で、大きなチェスを楽しんでいる。

インスブルックのチェスInnsbruck

ユースで同じ部屋に日本人がもう一人いるので、まあ心強いと言うか落ちつく。

インスブルックの街は思っていたよりずっと良く、都会だがなかなかいい街だ。

市内にある公園も美しく落ち着く。

ユースのベッドから窓越しに山が見える。

ガルミッシュから来る途中、インスブルックに着く、30分ほど手前の駅の風景がものすごく良かった。

もし明日晴れたら再度行ってから、その後ザルツブルグへ行こう。

インスブルックHofburg Innsbruck

ミュンヘンのBarで会ったオーストラリア人が言っていた、インスブルックは見るところがないというのは嘘だ。

もしそうだとしたらザルツブルグ、ウィーンはもっとすごいのか。

確かに名所旧跡は少ないかもしれないが、自然と街が一体となっていて、居心地がいい。

天気があまり良くなく山に雲がかかっている。

もし晴れていたらものすごい景色だろうに、ちょっと残念。

観光の最大の見物は街の雰囲気と人々にある。

ゴシック風の建物や有名な博物館があったとしても、二の次で、街の印象が良ければそれでいいのだ。

インスブルックの公園Innsbruck

 

 

1980年5月20日 晴れ、雲が多い インスブルック→ザルツブルグ

インスブルック発 9:00

Landeck 乗換

ザルツブルグ着 16:00 407km

晴れていることは晴れているが、雲が多いので山はあまりよく見えない。

ユース泊りと車中泊りの連続で、落ちついた時間がもてない。

昨夜のユースは朝食込みで66S。

9時発の電車で、ランデックに寄りながら、昨日車窓から見たあの景色の街へ行こうとしたが、途中で電車がなく行けずじまい、インスブルックに戻って来た。

インスブルックからザルツブルグInnsbruck→Salzburg

ザルツブルグのユースに到着。

モーツアルトとそれを指揮するカラヤンの生まれた地。

丘の上に建つ城と雪山をバッグにしたまあまあの街。

ヨーロッパの街どこへ行っても、川が街の中心を流れていてお城があると言った風景。

駅から路面電車に乗ってユースへ行こうとしたが、どこで降りたらいいのか解らず、路面電車の運転手さんにユースのガイドブックを見せて、このユースへ行きたいとジェスチャーで言ったら、運転手は運転席の隣に座っていたお客をどけて、そこへ座らせてくれた。

「着いたら教える」とでも言ったのだろう、何と言ったか解らないが、運転手の言うとおり、空けてくれた席に座った。

すると隣に座っていたおばちゃんが、ドイツ語で一生懸命市内案内をしてくれるのだが、解ったのはモーツアルトの家とかなんとか言って指さした建物だけだった。

とにかくインスブルックにしても、ここザルツにしてもオーストリア人は皆とても親切で、オーストリアに対する印象はとてもよくなった。

ザルツブルグの郊外は本家本元のサウンドオブミュージックの舞台になったところ。市内の至る所でサウンドオブミュージックツアーが出発していたが、このところ使いすぎていて、軍資金がこれからの生活に不安になってくるので、山見学はスイスに着くまで我慢し、とにかく歩き回ることに決めた。

バスの運転手はちゃんとユースの前でおろしてくれた。

ザルツブルグSalzburg

ユースの近くの陸上競技場に行ってみると、高校生風の何人かが練習をしていた。

昔を思い出し、ハードルを飛びたかったが、けがをしたのでは大変と思い、見るだけにした。

ユースに戻りベッドに横になっていると、ふくらはぎが痛みだした。

筋肉痛か。酒とタバコにおかされて、だいぶ体力も筋力もなくなってしまった。

 

1980年5月21日 晴れ ザルツブルグ→ウィーン

ザルツブルグ発 8:40

ウィーン着 11:50 317km

朝8時40分に出発した電車は3時間10分かけて、音楽の都ウィーンに11時50分に到着した。

ザルツブルグからウィーンSalzburg→Wien

ウィーンでの宿は奮発して1泊130ASで、久々のプライベートタイムがもてるシングルベットのあるペンション泊まりにした。

ちょっと高いが、部屋は綺麗だし、おばさんは日本的なとても礼儀正しそうな人。

こんな良い気分でホテルに泊まるなんて、旅に出てから初めてのようだ。

じつに17日目にやっと1人部屋に寝られる。

モーツァルトWien

ニューヨークにいたときに覚えたシャワーを浴びるときの洗濯法の、着たままシャワーでさっぱりとした。

着たままシャワーは、まず下着を着たままでシャワーを浴びて、次に石鹸をシャツにつけて泡立てて、体を洗う、靴下は履いたままで、頭などを洗ったときの石鹸が流れてきたところで、足をごしごしさせるのである。

久しぶりに綺麗さっぱりだ。だが体調は悪い。

体調が悪いのは昨夜のユースのオーストリア人のガキどものため。

くそがきのくせして酒を飲んで酔っぱらい、一晩中騒ぎやがって!

ウィーンの街は大きすぎる。

想像していたウィーンは、森に囲まれた静かな街を思っていたのに、全く違った街だった。

どこの大都市とも余り変わらなく、車が走り、ビルが建ち並ぶ都会である。

都会と言っても新宿や丸の内のビルとは違い、古い建物が整然と並んでいるのでそのへんは新宿より落ちつきがある。

旧市街はリンクという名の環状道路の中にあって、その道路の中にはいると、さすがは音楽の都と感じさせられる面がある。

だがちょっと広すぎて歩くのが大変。

それに物価も高い、なんと市電が12S、約240円もとられるのである。

せっかく3泊するのだから、せいぜい充分に見てやらなくては。 

夜になって本場のオペラを見てやろうとオペラハウスへ出かけていった。

だが俺の服装ではどう見ても場違いというのがはっきりし過ぎていた。

やってくる人々は皆正装をしていて、Gパンを履いているのは俺とアメリカ人らしき奴等だけである。

ウィーンに住んでいるような日本人も何人か見かけたが、女性は着物を着ていて、同伴の男性はタキシード姿である。

オペラ座Wiener Staatsoper

ちょっと気後れしながらも15Sの立ち見席券を買い求めた。

背中に背負っていたザックをクロークに預け、赤い絨毯の階段を上り、ホールにはいると照明のためかもしれないが、中全体が黄金色に見える。

2階は個室になっていて、テーブルがありローソクが置かれている。

ネットから

ずっと見ていると、そこに入ってくる人々はどことなく貴婦人と言った感じの人ばかりだ。

立ち見席にやってくる若者も皆正装している。

この場にはますますGパン姿が似合わない。

Wiener Staatsoper

オペラは初めて、気後れから見に来なければ良かったと後悔したが、中に入れたからには十分に楽しまなければもったいない。

重厚な雰囲気の中でオペラが始まり、ストーリーが解らなかったがなんとなくいい。

生の迫力で、オペラに関心のない俺でもすばらしいと感じる。

こういうのもたまにはいいものだ。

結局ウィーンにいた3日間、毎夜オペラを見に来てしまった。

ウィーンWien

 

ウィーンWien

 

1980年5月22日 曇り ウィーン

フィルム1本ダメにしてしまった。巻きとれていなく36枚全部ダメ。インスブルックとザルツブルグで撮った写真がほとんどパーになってしまった。それにガルミッシュの一部もパー。

あのチロル衣装をしたチェスもダメ、城もダメ、全部パー、ちくしょう!

ザルツブルグはよしとしてもインスブルックが残念。

ウィーンは宮殿がいい。

 

ウィーンのホテルはWien Vienna

南駅の近くで、すごく対応の仕方が丁寧で、部屋はぴかぴかで、1泊130S。3泊以上泊まることが条件。英語がOK、

Pension Esperanto 53Argentinierstrasse ウィーン

 

1980年523日 晴れ ウィーン

昨夜は又オペラ座へ。バレエだった。

初めて見たバレエ、なかなか良いものだ、きれいだ。

昼食を何度か行った、セルフの店で食べた後、ウィーンの森へ行ってきたが、「ウィーンの森」ではなくウィーンのガサ薮と言った感じで、ちょっとイメージダウン。

ウィーンの森

予想していたウィーンの森は、美しく整備された散歩道が続き、所々に彫刻が建っているのを想像していたのに、まるで田舎の裏山のようであった。

ウィーンの森

でも森の中にある展望台からは、遥か彼方にあの美しき青きドナウがかすんで見えた。又、展望喫茶から眺めると聖シュテファン大寺院が突き出ているのがよく見える。

この大寺院は13世紀の後半から300年かけて建築されたらしく、高さ137mもある。日本でいえば鎌倉時代、日本の大仏など背の高いものを見ると、よくあの時代にクレーンもなかったのにこんなにも高いものを作れたものだと感心するが、この聖堂は高さよりも屋根に驚いた。

金と黒の格子模様の屋根に光が反射して美しい。

⇓ヴォティーフ教会 

ヴォティーフ教会Votivkirche

シェーンブル宮殿はとにかく広い。

ベルヴェーレ宮の噴水の美しさに驚いたが、市電に乗ってちょっと行ったところにある、シェーンブル宮殿の庭園の広さにはさらに驚いてしまう。

ロンドンのハイドパークより広いらしい。

昔はこの庭園の中を馬で遊んだのだろうか、歩いて庭園の一番高いところへ行ってみたが、ゆうに30分はかかった。

シェーンブル宮殿Schloss Schönbrunn

オーストリア・ギャラリー

オーストリア・ギャラリーÖsterreichische Galerie Belvedere

 

オーストリア・ギャラリーÖsterreichische Galerie Belvedere

 

昼食にセルフサービスの学食のメンサで、ウィンナーマッシュポテト、サラダ、スープを食べ、24シリングだった。

その後、17世紀からパン屋をやっていて、今もその当時のまま残っているという、喫茶店へウィンナーコーヒーでも飲もうと行ってみた。

シェーンブル宮殿Schloss Schönbrunn

入り口はなんだかわからない普通の民家といった風で、ドアを開けて中へ入ってみると4坪ほどの所に、テーブルがいくつか置かれていた。

その奥に、昔パンをこねた道具やパンを焼いたか窓などが古めかしくあった。壁には昔のパンを作っていた様子が写真に写っていた。

とにかく中は古い、17世紀のままといった感じで、壁には所々ロウソクを置いたあとの穴が空いていて、すすけている。

カフェのテーブルもなんとなく時代物といった感じで、腰掛けるとぎしぎし鳴った。

おばさんが表紙が革製の古そうなメニューを持ってやってきた。

ウィンナーコーヒーと思われる単語の書いてあるところを指さして「これ」と言った。

隣の席で食べていたケーキが旨そうなので、指さしながら日本語で「あれと同じもの」と言ったところ通じたらしい。

スペインで買っておいたデュカドスに火をつけ、一本吸い終わった頃にケーキとウィンナーコーヒーが運ばれてきた。

本場のこれがウィンナーコーヒーなのだろうか、ウィンナーコーヒーにココアとブランデーを入れたような味のするコーヒーだった。

ケーキは卵酒を固めてケーキにしたような味がし、うまい。

ウィンナーコーヒー

 

1980年5月24日 曇り ウィーン→インスブルック→ミュンヘン→ベニス

ウィーン発 11:00

インスブルック乗換 572km

ミュンヘンn乗換 158km

ベニスへ 566km

ウィーンからベニスWien→Insbruk→Munich→Venezia

インスブルックの写真をダメにしてしまったので、サンモリッツ行をあきらめ、インスブルックまで戻ることにした。

どうしてもインスブルックでチェスをやってた、民族衣装を着たおじさん達と、途中の景色を写真に撮っておきたく逆戻りしたが、天気が悪く逆戻りの意味がなくなってしまった。

インスブルックからベニスへの予定だったが、インスブルックから直接ヴェニスへ行く適当な電車が、トーマスクックの時刻表で見る限りないようなので、ガルミッシュへ戻り、さらにミュンヘンまで戻って、ミュンヘンからベニスへ夜行列車で行くことにした。

ベニスまで遠回りをしてウィーンから1296kmの旅になる。

インスブルック

 

つづき⇓