前回⑬は↑

 

1980年5月14日 晴れ ハンブルグ→フランクフルト→マインツ

フランクフルト着 7:28

フランクフルト発 12:08

マインツ泊

ハンブルグからマインツHamburg-Frankfrut-Mintz

ハンブルグからの夜行列車でフランクフルトへ到着。結構歩き回り探したが、ユースホステルが見つからず、あきらめて近くのマインツへ行くことにした。

今ちょっと体調が優れない。夜行列車の連続で無理して北欧を廻ったからかな。

予定はどんどん変わり、マインツ泊。

マインツはフランクフルトの街よりは田舎だからか、落ち着いていて良い。

マインツMintz

ユースへはマインツHbfの駅で下車し、駅から見て斜め右のインフォメーションで、ユースへの行き方と、街の地図とライン下りのガイドブックをもらった。

1番のバス乗り場でバスに乗り込むと、何処を走っているのか全く分からず緊張の連続。20分ほどで、ユースの登り口の道に着いた。降りたところにドイツ語のユースホステルの案内板があったので、案内通り登って到着。

バスは無料?ただ乗り、してしまったのか?払い方がわからなかった。

ユースの窓からはライン川が流れているのが見える。ユースはシーツ代込みで6DM60。

マインツ

夕食は久々に旨いものを食べた。ビールとシチューのようなものに、マカロニそしてサラダ。北欧ではろくなものを食べていなかったので、旨かった。

 

1980年5月15日 晴れ マインツ→コブレンツ→デュッセルドルフ

              (ライン川)

コブレンツ ライン川下り100km

ミュンヘンへ 667km

マインツからデュッセルドルフMainz-Koblenz-Dusseldorf

今日はライン川下り。川上りの予定でいたのになぜか下り。

天気は良かったが風があり、寒くて甲板にいるのがつらかった。

ユーレイルパス2CLは2等だけが乗れるので、船は1等のため、差額16DM払わなければならないのを知らなかった。しかしここまで来たのだからと16DMを払い乗船。

ライン川下りライン川下り

船には日本人の団体さんが乗っていた。

ライン川下りライン川下り

いやな日本人と良い印象の日本人二組にあった。

一組は新婚旅行のようで、ライン川の船の中で、もう一組はコブレンツのチャイニーズの店で会った。

船で会った夫婦は感じが良かった、ああいう夫婦にどうせならなりたい。

コブレンツの駅のレストランで会ったもう一組は、横柄で気に入らなかった。

 

そして大失敗。昼食のつもりでオーダーしたところフルーツ、アイスクリームがでてきた。アイスクリームを食べながらビールだった。ドイツ語はチンプンカンプン。

 

1980年5月16日 晴れ デュッセルドルフ→ミュンヘン

667km

デュッセルドルフからミュンヘンDusseldorf-Munich

デュッセルドルフ駅Dusseldorf HBF

夕食は駅の売店で、ソーセージとポテト、キャベツの炒めたようなもの。(ザワークラウトだった)

ミュンヘン到着

バイエルン地方を代表するドイツ人の心の故郷でもあるビールの街がミュンヘンである。

ヨーロッパの主要都市のどの駅もそうだが、ここミュンヘン中央駅にはインフォメーションから銀行、郵便局、シャワー、レストラン等何でもそろっている。

ミュンヘン中央駅のロッカーに荷物を置いて、まずは市内見学をしてからユースへ。

駅のインフォメーションで市内地図をもらう。日本語の市内地図もあるようだ。

ネオゴシック建築の1800年代に建てられたという、市庁舎前の広場に行ってみると、大勢の人が上を見上げていた。何があるのかと人々の視線のほうを見てみると、市庁舎の鐘楼を見ていた。

Marienplatz

アメリカ人らしい旅行者風の、カメラを首からさげたおばちゃんに、英語で聞いてみると人形が出てくると言う。

午前11時、鐘の音と共に人形がくるくると回り、動き出した。

あの人形が動くのは1800年代から今日まで続いているのだろうか、と不思議な気持ちで首の痛くなるほど見上げていたら、なんとなく日本の除夜の鐘が思い出された。

もし日本でこんな人形仕掛けの時計を作るとしたら、鐘を突く度、袴姿の刀を差した武士や、鎧を着た武士などが、釣鐘の中から釣り下がるのはどうだろうか、それも国会議事堂で。

ミュンヘンのユースホステルYH München

町中をぶらぶらと歩き、植物園で昼食を食べ、夕方ユースへ行こうと路面電車の駅まで行くと、フィンランドで仕事をしているという日本人に出会った。

2人でユースへ行き、その後あの有名なばかでかいビアホールへ行くことにした。

ユースで荷物を預け、ミュンヘンの目的であるホーフブロイハウスへ向かった。パスポートを首から下げて、手ぶらで出かけていった。

インフォメーションでもらった地図を頼りに歩いていくと、ちょっと路地を入ったところにホーフブロイハウスがあった。

ホフブロイハウスHofbräuhaus München

店内は長テーブルに長椅子になっていて、まだ明るいというのに8割方埋まっていた。

すでにできあがっている席もあり、所々から歌声も聞こえてくる。

フィンランドに住む日本人の彼とで、店の中央の空いていた席に座わると、民族衣装を着た中年のウェートレスがやって来て、ドイツ語でなんとか言った。

なんて言ったのかわからないが、たぶん「ご注文は」と言ったのだろう、日本語で

「ビールとあれ」

と向かいに座っていた夫婦が食べている、フランクフルトと野菜炒めのような皿を指さした。

ウェートレスもすぐに解ったらしく、注文を書き込んで奥へ行ったと思ったらすぐに、1リットル程は入りそうな大ジョッキを持ってきた。

1Lのジョッキで2杯ビールを飲み、つまみには、さらにポテトフライとヌードルというのを注文した。

日本と違って、注文毎にお金を払い、ビールは1杯4DM20である。

2杯飲むと気分は最高。

 

バンドも入っているが、そんなに大騒ぎと言うほどでもないが、みんなで肩を組み歌いだした。

いつかテレビで見たことのあるビアホールそのままの風景の中にいる。

向かいに座っていたオーストリアから来たという夫婦と話をし、まあ楽しい雰囲気。

みんな酔いが回ってくると、国の違いや言葉の違いなどなくなり、ただ酔っぱらうだけ。

4杯飲むとユースへ帰れる自信がなくなってしまうので、3杯で止めて店を出たが、まだ外は明るかった。

明るいうちにこんなに酔ったのは、スペイン以来のことで足下がふらふらするが、来た道を路面電車の駅の方へ2人して、竹田の子守歌を歌いながら歩いていった。

ミュンヘン市庁舎Marienplatz

少し歩いたところで黒い服の牧師がやってきて

「日本人ですか」と英語で話しかけてきた。

「ヤー」とドイツ人のまねをして返事をすると、いろいろと話しかけてくる。

こっちは2人とも気分がいいものだから話が盛り上がり、牧師が

「私の家に泊めてあげるから来なさい」と言う。

酔ったいきおいと、牧師といういでだちにすっかり信用してついて行った。

 

牧師さんの家は地下鉄で、いくつか行ったところの駅で降り、どう行ったか酔っぱらっていたため覚えていないが、一軒家の外階段を上った2階が牧師さんの家になっているらしく、ベットルームとリビングとバス、キッチンの、さほど広くないアパート風である。

壁にはパパと呼ばれるローマ法王と、握手をしている写真が飾ってあり、しきりにその写真を見ろと言う。

まあちょっとは名の売れた牧師のようで、ローマ法王にも会ったことを自慢したいようだ。

1人暮らしらしのようだ。

俺達をソファーに座らせてステレオをつけると、台所へ行って冷蔵庫からカンズメを取り出し、フライパンで炒めた。

ほろ酔い気分でモーツアルトやシューベルトなどを聞いていると、カンズメのフランクフルトを炒めたのを持ってきて、今度はしきりに食べろという。

ネットから

何故かやけに親切で、気味が悪いほどである。

俺の手を取って頬にくっつけたり。気持ち悪い。

しばらくすると今度は風呂へは入れという。

風呂と行ってもシャワーだが、汚れた体で人の家に泊まるのも失礼だと思い、進められるままにシャワーを浴びていると、用もないのに何度ものぞきに来る。

どうも先程から変だと思っていたが、もしかしたらホモではないかと、酔っぱらった頭の中に浮かんでくるが、平気な顔をして風呂を出た。

コーヒーを飲みながらレコードをしばらく聴いた後、ベッドに連れて行かれた。

大きなダブルベット以上の、幅の広いベッドに3人で眠ることになり、牧師さんを真ん中にして俺達は両脇に寝た。

パンツとTシャツで布団の中にもぐりこんだ。電気を消してしばらくすると牧師は「寒い、寒い」

と言って俺の肩や腕に触ってきた。

「あ~気持ち悪い」

これはまさしくホモだ!

酔いも完全に吹っ飛んでしまったような気持ち悪さだ。

加藤さんに声をかけて、2人して飛び出すように牧師の家を抜け出した。

酔っぱらって牧師の後をついてきたものだから帰りの道が解らず、四苦八苦しながらやっとユースに帰ってこれた。

 

1980年5月17日 晴れ ミュンヘン-ガルミッシュ=パルテンキルヘン

ミュンヘン発 10:48

ガルミッシュへ 101km

昨夜の不気味さで、ミュンヘンから逃げるように山へ向かうことにし、加藤さんはフランクフルトへ。

ミュンヘンからの電車はのどかな牧草地帯や、森の中を抜けて、ミュンヘンから101km離れたガルミッシュへ着いた。

ミュンヘンからガルミッシュMunchen-Garmisch,Partenkirchen

ガルミッシュは三方を山に囲まれた小さな街。駅からは雪を頂いた日本では見ることのできないような形をした山が連なっている。

こんな小さな街なのにインフォメーションもあり、英語も通じる。

地元の人達ばかりで、外人旅行者など少ないものと思っていたのに、意外に多くがこの地を、外人旅行者は訪れているようだ。

ガルミッシュGarmisch,Partenkirchen

やはり田舎へ来ると何故か落ち着く。今までにロンドン、パリ、ニューヨーク、パリ、ミュンヘンと大きな街ばかり歩いてきたが、やはり小さな街がいい。

どことなく落ち着いていて静かで、心までゆったりする。特に山の見える街がいい。

ガルミッシュGarmisch,Partenkirchen

とにかく腹が減ったので駅のレストランへ入り、やっとの事覚えたドイツ語でステーキとビールとパンを注文し、腹ごしらえをしてインフォメーションへ。

ドイツに入ってからレストランに何故か入り過ぎである。その分お金もどんどん消えていく。

バスに乗ってユースへ行ってみると、泊まっていたのはほとんどがドイツ人で、やはり外人客は少ないようだ。

ガルミッシュのホテル

まだ日も高いので荷物を置いて、街まで30分ほど歩いていくと、途中牧草畑があって一面に黄色いたんぽぽの花が咲いている。

広いたんぽぽ畑の所で、干し草をいれておくような小屋が建っていて、その向こうに教会の尖塔が頭を出していて、そのずっと向こうには真っ白な山がある。

まるでミュージカルのアルプスの舞台のようだ。

ガルミッシュGarmisch,Partenkirchen

 

ガルミッシュGarmisch,Partenkirchen

街の家々の白壁にはイエスキリストの絵などフレスコ画みたいなのが書いてあり、窓には花が飾ってある。そして玄関にはトナカイの角。美しい家並みが続く。

この街はすごく綺麗、山もいいが牧草の所など、至る所に小さな花が咲いていて、靴で踏みつぶして歩くのが申し訳ないほど綺麗。

建物も独特で壁には絵が書いてあり、花があり美しい街。やっぱり都会よりも田舎の方がずっといい、そして山の街はもっといい。

ガルミッシュGarmisch,Partenkirchen

久しぶりに自分を見つめ直す時間をもてたような、なんとなく落ち着いた気分になれる。

この街には日本人はいないと思っていたら1人出会った。

一人旅の寂しさはこんなユースに泊まった時などしみじみと感じる。

夜の更けるのが遅い。

ユースホステルも安くていいが、どうも好きになれない。やはりプライベートタイムがほしい。

どうも人とのつきあいが苦手だからか、ユースのような雑魚寝のところでは、一段といやになってしまう。

 

1980年5月18日 曇り ガルミッシュ=パルテンキルヘン

朝9時発の登山電車とロープウェーを乗り継いで雪のある山の中腹まで登ってみた。

登れそうなら頂上まで行ってみようと、ロープウェーの終着駅から歩きだしたが、雪が深く、無理なようなので仕方なく歩いて下山。

ガルミッシュ絵葉書

のんびりと歌いながら、静まりかえった登山道を下ると気分は最高。

ロープウェーで登ってロープウェーで下るなんて味がない。金がない為もあるが、やはり自然の中を歩かなくては。

途中まで降りてくると湖があった。湖の向こう岸にちょっとしゃれた、豪華そうなレストランがあるのが見えたので、遅いが昼食にしようと歩いて行ってみた。

Risberseeと言う名の湖のレストラン。

ネットから

ここの肉は柔らい。日本の松坂牛は軟らかくて旨いと言うが、それよりも軟らかく、焼き具合もちょうど良く、ナイフをいれると赤みがかった肉が実に旨い。アメリカのステーキなど、これに比べたら目も当てられない。今までで食べたステーキのなかで一番旨い。

このレストランの窓からは湖と山が見え、ビールとステーキとパン、サラダを注文し、広い窓から湖を見ながらの食事である。

何となく金持ち旅行の気分。しかしオーダーは最低料金のものばかり。

 

ちょっとしたレストランへ入るときためらってしまうのは、その店の値段の高さもあるが、それよりもヨーロッパ、アメリカとも共通して言えるが、1人ではとても入りづらいのが一番の原因である。

と言うのもほとんどの人は女性同伴、又は数人のグループでテーブルを囲む。

日本の喫茶店や大衆の食堂なら一人で入っても、新聞や雑誌を見て気を紛らわすことができるが、ヨーロッパでは、食事をしながら本を読むのはもってのほからしく、漫画本など一冊たりとも、どんな安食堂へ入っても置いてない。

現にこのレストランを見回しても一人客は俺一人だ。

ガルミッシュの家絵葉書

食後にデザートにアイスクリームまで注文して28.8DM約4000円ほど。一日2600円予算の貧乏旅行者なのに、昼食だけで4000円とは、明日はパンと牛乳だけだ。

一日2600円でやっていけるのはスペイン、イタリア、ギリシャぐらいのもので、あとは厳しい。

パリにいるときは学食のおかげでどうにかいったが。

しかし食事は切り詰めたくない。旅の楽しみのひとつに、やはり食べ物の楽しみは大きなウェイトをしめるのだから。

最低一回はその国の代表する料理を豪華に味わいたいものだ。

スペインならパエリャ、ドイツならフランクフルト、イギリスならフィッシュアンドチップス、北欧ならサーモンステーキ、イタリアならピザにスパゲティ。

どうも安物ばかりだが、パリでは何度かフルコースを食べたので、この先スイスではフォンデュを食べてみたい。

食べ物は下手物以外なら何でも食べられる。

日本では鳥肉とじゃがいもが、どうも苦手だったが、今では平気に食べることができる。

ガルミッシュGarmisch,Partenkirchen

明日はミッテンワルドへ寄ってからインスブルックへ行く。日本をでて早258日。

お金がないのに使ってしまうので悪いことだ。

登山電車が3DM、ロープウェーが9DM、食事が28.8DM,痛い!間違いじゃないか。節約しなければ日本に帰れない。

ガルミッシュGarmisch,Partenkirchen

夕方になってユースへ戻るとライン川下りの船中で会った新井さんがいた。

まさか又合うとは思わなかった。

結局、彼とはオスロ、ライン川、ガルミッシュ、ギリシャ、と4回も偶然出会うことになった。日本は狭いと言うがヨーロッパも狭いものだ。

 

夕食後、又会えた記念にとユース近くの酒場へ飲みに出かけた。

Barへ入るとドイツ人ばかりで、みんな人の良さそうな人ばかり。

さすがに日本人は珍しいのか、店員もお客も集まってきて、ドイツ語でなんて言っているのか解らないが、話しかけてくる。

一人の老人はなんとなく戦争の話をしているようだ。

アメリカとかイタリアとか言っている。

年寄りのドイツ人が日本人に会うと「今度はイタリア抜きでやろうな」と話しかけてくると言うが、このおじさんもそんなことを言っているのだろうか。

とにかくドイツ人は日本人に対してとても好意的で、ユースの食事係のおばちゃんの中にも、とても日本人びいきがいて、トレーを持っていくと、多めに盛ってくれて、なんだかんだと話しかけてくれる。

ビール2杯とピザを食べ、22時頃帰ってきた。

ドイツは全般的に親切でなかなか良い。そしてフランス娘にも会ったが、どうもいけない。

 

明日はオーストリアへ向かう

 

つづき