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1979年10月24日~

ニューヨークの空は都会なのに青かった。早速仕事探し。東京書店の2階にアルバイト情報があると聞いていたので、行ってみた。

まずホテルキタノへ電話したところB-2ビザではだめと断られた。

レストラン中川へ行ってみると、キッチンヘルパーで週に140$。少なすぎる。

翌日も東京書店で見つけた、レストランケゴンへ行くと、キッチンヘルパーで週に200$とのこと。

10月28日から働くことに決めた。

仕事も決まったので、イギリスで失くしてしまった眼鏡を購入。

眼鏡の領収書

アルバイト情報 

     日本クラブ1階 57St7and 6Ave

     東京書店    57St7and6Ave 2階「禅」

 

1979年10月28日

冬時間になり時計を1時間半遅らせて、16:30から初仕事、23時までが仕事時間。

ちょっと不安だが就職するわけでもないので気楽なものである。

いよいよニューヨークでの本格的な生活の始まりだ。仕事の内容は日本食レストランのBus Boy。

調理人が作った料理をウェイトレスの所まで運ぶ仕事。

給料は週200$で昼食と夕食付きである。毎週小切手で受取。良い条件でしょう?

朝11時までに出勤し、15時まで働き、休憩に入り17時から22時までが仕事時間です。

 

ここのレストランは調理師が全員日本人で、ウェイトレスが中国、北朝鮮、日本人。皿洗いがペルー人である。

いつだったか日本へ帰ってから、ラジオで山城新伍が言うのを聞いていたら、「外国に渡っている日本人は、口の聞き方を知らない」という。

「外国に長く済んでいる日本人はとかく、選ばれた人間というエリート意識が強く、旅行者などと話す言葉がなってない」と言ってたが確かにその通りで、外国に長く住んでいる人が全員そうだとは言わないが、本当に自意識が強く、気取ったところがある。嫌な人間が多い。

又、旅行者にしても長いこと放浪の旅を続けていると、心が狭い人間になってしまい、自分本位の考え方になって、せこく小さな人間になってしまうようだ。

人のことをとやかくいうほどの人間ではないが、このような仲間入りはしたくない。

 

1979年10月31日~

不満ばかりです。

仕事は板前さんが作った料理をウェイトレスへ運んだり、Stone steak(焼いた原石の上に肉を乗せてお客へ)用の石をガスコンロで焼いたり、炊飯の準備などで苦にならないのだが、若い時に南米をヒッチハイクしてきたというチーフが気に入らない。

ストーンステーキこんな石

昔ながらの徒弟制度なのか、えばりくさっていて、仕事中にビールを飲んだり、私用のために平気で人を使う。

腕が良いから首にならないのか?わからないが、反面教師とし良い勉強になる。

宿はマークウェルホテルからワシントンホテルへ、東京書店で知り合いになった佐藤さんと一緒の、ツインルームに10月26日に引っ越した。

マークウェルホテルの汚さには耐えられなかった。

ワシントンホテルの領収書Mark Well HotelからWashington Hotelへ

部屋代も安くなり良いのだが、佐藤さんはけちくさい男(しっかりしている)。

人のことを言えるほどではないが、つまみのポテトチップもコーヒー用の砂糖も、水もすべてを半分ずつに分け、支払いもきっかりと半分。

一人旅を長く続けていると、自分本位の考え方になってしまうようで、何よりも自分が中心になり、相手のことなどどうでもいいようになってしまうようだ。せこく小さな人間になってしまう。

よく言えば自分のことは自分で、何事も無駄にせず浪費はしない。

 

1979年11月17日~

宿はワシントンホテルから隣のルームズへ再度引っ越し、一人暮らしを始めた。

Room'sは安いだけあって暖房の効きが弱く寒い。

Manhattanの安宿は

・Andoa In:3~4人部屋で月115$

・Mark Well:ダブルで月235$

・Washington Hotel:シングルで週55$

・Room's:シングルで週30$   W51st,8thAve and 9thAve

ルームズの領収書Room's

皿洗いのペルー人のアミーゴとも、片言の英語とスペイン語、日本語ごちゃまぜ会話だが、気が合うようでクリスマスプレゼントの下見に行ったり、飲みに行ったりだった。

ケゴンでの仕事もだいぶ慣れてきた。

仕事の内容は

①床掃除

②ご飯のスイッチ入れ

③野菜類を冷蔵庫から取り出して料理人の手助け

④鍋類の準備

⑤ご飯を炊飯器からジャーに移して、炊飯器洗い

⑥ストーンステーキ用の石の掃除

⑦幕の内弁当の入れ物準備

等々。

 

1979年11月26日

今日は平穏無事な一日。仕事も22時頃閉店し、帰ってきたのは23時半頃。

ルームズはこのところ室内はとても暖かく、長袖シャツ1枚でちょうど良いくらい。なので喉が乾き、夜中12時頃ビールを買いにいつものDelicatessenヘ。

 

クリーニングは9Aveの52Stにあるクリーニング店なのだが、スペイン語が飛び交っているので、まるでプエルトリコかメキシコに行ったような錯覚に陥ってしまう。

と言うのもこの店の周りの住民はほとんど南米人で、果物屋もデリカテッセンもすべて、スペイン語で会話。

どこの国の人間だか解らないが、たぶんプエルトリコあたりの人間だろう。

 

最近は皿洗いのペルー人のロドリゲスへ、昼休みに英語を教え、彼がスペイン語を教えると言った休み時間なので、けっこうスペイン語も理解できるようになってきた。

ロドリゲスはアメリカにやってきて1年ほどになるというのに、ほとんど英語が話せなく、2人で座敷に寝ころびながら英語とスペイン語ごちゃ混ぜの勉強。

アミーゴと休憩

日本人は義務教育で英語を3年間勉強し、さらに高校、大学と英語を勉強するがほとんどの人がテストはできても、会話はできないと言うのも、本を見て暗記するだけだから話せないのだろう。

スペイン語をアミーゴとの会話で覚える。スペルは全く解らないが、赤ん坊が母親のまねをするようなもので、机上で習うのよりずっと早く覚えることができる気がする。

英語を何年も勉強したのに、いざ話すとなると全くダメで、今まで悔しい思いをしてきたが、スペイン語は本も辞書もなく、文法も全く無視で本当の生の会話で覚える。

 

ホテルのRoom'sの女将ジェニーと話をするときなど、スペイン語を使ったほうが英語で話すよりもよく解ってもらえる。

しかし考えてみると悲しいことだ、毎日と言うように英語を習ったのに、スペイン語はたったの1ヶ月で、すでに英語の半分近くまで話せるとは。

 

何度か洗濯に行くうちに、コインランドリーのデブおばちゃんも顔を覚えてくれたらしく、スペイン語を理解できると解ると、今まで嫌な顔で英語で話していたのに、いつのまにかニコニコ顔でスペイン語で話しています。

 

ルームズからこのコインランドリーまで歩いて10分ほどかかるのだが、途中9Aveは南米系の人種が多く、この辺りは建物も古く、5Aveや6Ave、7Aveの建物とは全く違い、薄汚れた8階ほどの建物が建ち並んでいる。

道にはゴミがあふれ、実に汚らしいところです。

昼間から酔っぱらって道にひっくり返っている人もいる。

Central Parkが黒人のHaremなら、此処は南米のハーレムと言ったところだ。

そんなぐあいなので泊まっているルームズも、ほとんどがスペイン語を話す人間で、英語など滅多に聞いたことがない。

ルームズRoom's番地は同じだが記憶に無い

Room's

日本のコインランドリーというと、一人暮らしの学生や若者が大部分の利用者だけど、此処にやってくる人はほとんどが年輩の中年おばさん連中で、キャスター付きのワゴンで袋に入れ持ってくる。

一人で大型ドラム式のを2台から3台も使うのです。日本だとあの奥さんは怠け者となってしまうが、やっぱり国の違いか。

乾燥させた後も日本とは大違いで、黒髪でちょっと色黒の若い女の子でさえ、店の真ん中にあるアイロン台の様なところに、乾燥させた洗濯物をどっと広げ、カラフルな下着を俺の目の前で堂々と一枚一枚丁寧にたたむのである。

イギリスにいたとき変に思ったが、スペイン系の人間はポルトガル人もそうであったがGパンにまでアイロンをかけ、折り目をいれないと気が済まないらしい。

目の前の彼女など下着にまでアイロンをかけている。

7Aveから北側、特に42St付近は環境の悪いところで、ネオンぎらぎらのポルノショップやポルノ映画館がある。

9Aveをちょっと北へ歩くと、ネオンのぎらぎらは消えるが一段と卑わいさを増す薄汚いポルノ映画館がある。

その辺を歩くと必ず何人かに「Smoke、Smoke」と声をかけられる。SmokeとはMarijuanaのことである。

夜、繁華街からちょっとはずれた道を歩くと、ビルの谷間の暗いところの壁により掛かった黒人が、突然「Smoke」と言ってくるので驚いてしまう。

 

New Yorkはよく知られているように殺人などの犯罪が多く、毎日のように警官殺しだとかの殺人記事が、新聞に載っているので、暗闇の中から突然声をかけられると、脳裏に自分の写真の載った新聞記事が浮かび上がってきてしまう。

又、聞いた話だと、お金を20$くらい持っているのが一番安全だそうで、もし20$以上の大金を持っていると、有り金全部を殺してでも取ろうと思われてしまうし、20$以下だと、少なすぎて、頭にきて殺されてしまう。

20$だと、「ちぇ、しけてるな、まあいいや早くきえやがれ」で、命は助かるそうだ。

今は20$だが3,4年前は10$だったそうで、これも物価高のためらしい。

又、夜歩いているとCall girlによく出会い、ルームズの近くでは、前住んでいたワシントンホテルの前でよく見かけます。

証明写真を撮ってもらおうと、タイムズスクエア近くにあるビルの2階いにある「Photo studio」とかかれたドアを開けたところ、ずらりと女の子がソファーに腰掛けていた。

驚いて出てきてしまったが、後で聞いたところ、売春の行われているところだった。

 

1979年11月30日~

夜中、仕事帰りにいつも寄るデリカテッセンでBudweiserを買って、東京書店で買った伊丹十三の「ヨーロッパ退屈日記」を読んで、眠りにつきます。

仕事が休みの日には歩いていろいろまわっていた。

ニューヨーク散歩

 

1979年12月13日

仕事帰りに。49Stの5Aveに有るロックフェラーセンターの広場で、世界一のクリスマスツリーを観てきた。

照明がとても綺麗で、ロンドンで言うならピカデリーサーカスのようなところ、日本だと・・・・日本には無いなあ。

なんとなく街は早、クリスマス気分。

Statue of Liberty

 

最近ちょっと欲張ってフランス語の勉強も始めた。

ウェーターをしながら3年ほどパリに居たという前林さんがケゴンに入ったので、彼に教えてもらいながら自分でも本を買って始めた。

今の計画では、南米へ渡り、その後ヨーロッパへ行こうかと考えているので、スペイン語とフランス語を話せれば心ずよい。

 

朝、仕事に行く途中の屋台の新聞屋で、New York Postを買い、夜に辞書を引きながら読むようにしている。

仕事の休憩時間にはスペイン語をアミーゴに教えてもらい、仕事帰りには、前林さんとホテルが近いので、歩きながらフランス語を教えてもらい、ずいぶん欲張って頑張っている。

スペイン語とフランス語はよく似ていて、覚えやすいが、フランス語の発音にはまいってしまう。

 

1979年12月24日

昨日は雪が降っていたのに今は雨。生まれて初めてのホワイトクリスマスを期待していたのに冷たい雨になってしまった。

仕事が速く終わったので一人でクリスチャンになった気分で教会へ行ってみようと、雨の中傘もささずに5Aveにある、パトリック教会へ行こうと歩いていたが、手前のセントトーマスチャーチから金の音が聞こえたので、中に入ってみると、すでに大勢の人が集まっていて、牧師さんが燭台に灯をともしているところだった。

絵葉書 St. Patrick's Cathedral St Tomas Charchは近所

パンフレットを渡され、後ろの方の席へ付くとミサの始まり。

牧師のお話し、そして全員起立して、パイプオルガンの伴奏で、賛美歌を歌い最後にSilent Nightの合唱。

蝋燭の光のなかで歌うクリスマス、やはりクリスチャンの国へきた気分。

日本の商業主義のクリスマスと違い、本当のクリスマス。

ホワイトクリスマスではなく雨のクリスマスだったが気分の良いクリスマス。

デパートのなかはクリスマスの装飾でいっぱいだし、ロックフェラーセンターの大ツリーの下では人々が肩を組み、雨に濡れながらもクリスマスソングを歌い続けている、楽しいクリスマスである。

ロックフェラーセンターRockefeller Center

ただ一方的に見るだけだが楽しい。教会へ行くのも良いものだ、一度は教会へ入り、ミサを上げてみたいと思っていたのがクリスマスの夜に実現して嬉しい、そして、パイプオルガン。

ただ正直なところ、英語の歌は歌えない、賛美歌を5曲ほど歌ったが、知ってたのはSilent nightだけ、それもSilent night Hoily nightの部分だけ。でも参加したと言う気分があり嬉しい、そして見せかけでない本当のクリスマスにであった。

 

クリスマスが近づくと、みんなプレゼントに楽しそうに頭を痛めている。

2,3日前、アミーゴとデパートへクリスマスプレゼントを買いに行ったところ、俺から見るとつまらなそうなものを、ニコニコしながら、「これは姉に」「これは妹に」これは誰々にと、何個も買っているのには驚かされた。

 

1979年12月30日~

ニューヨークへ来て、初めての観光客らしい見学。12時頃目を覚まし、コーヒーを飲みニューヨークのガイドブックを読み、14時頃、国連へ向けて出発。

Broadwayを歩き42St迄下り、そこで左に曲がり42StをGrand Central Terminalまで歩き、世界一大きいという時計を見る。

そしてさらに42Stを行きChrysler Buildingを抜けちょと休憩兼、昼食。

コーヒーとケーキ、サラダを食べ1$23¢。

国連ビルUnited Nations Headquarters

国連ビルへ。

国連のなかに入り、East Riberを眺めながら一服。

その後北へ歩き59Stの黒色の建物のPlay boy culbの前で、ガラス越しに恨めしそうにバニーガールを眺め、7Aveを下り、42Stで映画Star trekを見た。

マンハッタン散歩

その後49Stのブロードウェイで25セントムービーを見て、48StのBroad wayの角にあるステーキハウスで2$50¢のステーキで遅い夕食。

 

1979年12月31日

自由の女神

The Batteryから見たStatue of Liberty

 

自由の女神の真後ろに真っ赤になった夕日が沈んでいく。

 

行く年の日没を自由の女神の後ろに沈んでいく夕日を見て今日の一日は終わり。

今年も今日で終わりだ。

思い出すといろんな事があった。会社も辞めてしまった。

しかし外国に出て、会社にいたときの縛りつけられて、若さの無くなっていた体に若さが戻ってきたような、生気を取り戻すことができた。

しかし、一人、The Batteryのベンチに座り、寒さに震えながら夕日を見ていると、旅に出て良かったものか不安になってくる。

世界貿易センタービルThe warld trade center

世界貿易センタービルよく写真で見るあの建物も今日初めてこの目で確かめてきた。

旅行をしているという気分の一日。

ニューヨークで一番気に行った場所は今日のバッテリー。

ミッドタウンを歩いているといつも不安なのだが、不安な気持ちもなくベンチに座れたし写真も撮れた。

昼食はお湯でゆでた餅に醤油をつけた正月気分。

そして夜はアメリカらしくとうもろこしを1本半とラーメン一杯。

明日からは新年なのだがそんなの関係無い。

 

今いるこのroom's建物は古く何処も良いところは見つからないが、とてもジェニーのおばさんが親切で気にいる人だ。

今度の日曜日に部屋の移動だ。

今度の部屋は陽も入り、とても気持ちが良さそう。

 

ケゴンではチーフを除いてみんないい人で、なんだかんだ居心地も良く、アミーゴとクリスマスプレゼントを買いに行ったり、クリスマスにはRockefeller CenterやSt. Thomas Churchへ行って讃美歌を歌ったりして、年を越してしまった。

 

つづき⇓