第8番札所 普明山 真光院 熊谷寺(ふみょうざん しんこういん くまだにじ)へ7番十楽寺から4.2km

遍路3日目、7番十楽寺の朝食を食べ7:20出発

8番熊谷寺へ途中の三木邸公園、遍路小屋土成55号

チョットわかりずらい看板

熊谷寺の鐘楼門が見えました。

山門をくぐり、長い坂や階段を上っていく と中門が見える。本堂は中門を上った正面、 山の中腹部にある。本堂から階段を36段上ったところに ある大師堂は、屋根に据えつけられた露盤 から、宝永4年(1707)の建立とわかる。安 置されている大師像も永享3年(1431)の 作と古いものである。(文化庁)

山門は、高さ13.2mの和様と唐 様(禅宗様)の折衷様式で、貞 享4年(1687)に建造された県 指定の有形文化財。四国霊場 の木造山門としては最大規模 であり、2層目の天井・柱等には 極彩色の天女像等が描かれて いる。(文化庁)

山門から少し上ると熊谷寺

多宝塔、色彩豊 かに彩られたこの塔は、多宝塔 としては四国地方最古にして 最大規模を誇っている。(文化庁)

中門

弘仁8年(817)、弘法大師が熊谷寺の閼 伽ヶ谷(あかがたに)で修行している時に熊野 権現が出現。「長く衆生済度の礎とせよ」と告 げ、一寸八分(5㎝余り)の金の観音像を授け た。そこで大師は等身大の千手観世音菩薩を 刻み、その胎内に熊野権現から授かった観音 像を納め、堂を建立して本尊として安置した。 これが、熊谷寺の始まりと伝えられている。(文化庁)

本堂

 

第9番札所 正覚山 菩提院 法輪寺(しょうかくざん ぼたいいん ほうりんじ)へ8番熊谷寺から2.4km

仁王門

本堂

大師堂

仁王門を抜けるとまっすぐに本堂へ続いている

高低差と距離

 

第10番札所 得度山 灌頂院 切幡寺(とくどざん かんじょういん きりはたじ)へ9番法輪寺から3.8km

寺は切幡山の中腹、標高155mの所にある。山麓の山門から境内までの距離はかなり遠く、坂道と333段の石段が待っている。境内には本堂、大師堂、その奥に、はたきり観音の銅像、鐘楼、大塔、不動堂がある。(文化庁)

山門

 

本堂

大師堂

はたきり観音像

、弘法大師が旅僧姿で四国巡 錫中に山麓に到った時、衣がかなり傷んでい た。近くの民家に繕いの布を求めると、家の中 で機を織っていた娘が、織りかけていた布を惜 しげもなく断ち切って差し出した。この娘の行為 に感動した大師は、「亡き父母のために観音像 を」という娘の願いを聞き、一夜で千手観音像 を刻むと、娘を得度させ、更に秘密灌頂を授け た。すると娘の身から七色の光明が放たれ、た ちまち千手観音の姿に変わった。そこで弘法大 師は嵯峨天皇に奉請して一寺を建立したの が、この切幡寺の始まりである。(文化庁)

大塔から見た切幡寺

切幡寺大塔 国の重要文化財に指定されて いる大塔。豊臣秀吉の子である 秀頼が大阪の住吉神宮寺に寄 進したもので、明治維新の時、 神宮寺が廃寺となったため、第 45世住職天佑上人が東西両 塔あったうち、当時残っていた 西塔を買い取った。それを明治 6年(1873)から10年かけてこ の地に移築した。(文化庁)

大塔

 

第11番札所 金剛山 一乗院 藤井寺(こんごうざん いちじょういん ふじいでら)10番切幡寺から9.3km

遍路小屋空海庵

途中で昼食

遍路の間で結構話の出るうどん屋へ

うどん亭 八幡 でなべ焼き味噌うどん

雨も降ってきて寒かったので温まった。

阿波中央橋を渡り鴨島町へ

今宵の宿はビジネスホテルのアクセス鴨島

ホテルに荷物を置いて藤井寺を往復することに。

室内はこじんまりと

11番藤井寺へは荷物がないので速足で到着。

仁王門

本堂

弘仁年間、この地に立ち寄った弘法大師は、 三方を山に囲まれた渓流の水清き仙境に心を ひかれた。現在境内のあるところから、さらに山 中にある八畳岩の上に護摩壇を築き、金剛不壊の道場として、17日間修行したといわれてい る。(文化庁)

声をかけてきた人は80歳、4度目のお遍路とのこと。すごい。

この後、ちょくちょく出会うことになりました。

大師堂

足の筋肉がそこらじゅう痛く、出歩くのが面倒なので、今夜の夕食は近くのスーパーで明日の昼食分を含めて購入。

ワインを飲んで寝ます。

本日は26.44km 36,583歩