多発性骨髄腫を患っていた母の事をずっと書いて参りました
今までの記事はこちらです
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そして
まだまだ遺された者の悲しみは癒えてはおりませんが
忘れてしまわないうちに、最期を迎えるまで母がどう過ごしていたのか、記憶として残したいと思いました
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肺炎は恐ろしい
母が亡くなった時、弟とそんな話をしました
母は6月10日に熱を出したので、慌てて掛かり付けの病院の救急外来へ連れていきました
多発性骨髄腫とは違う直接の原因は
誤嚥性肺炎です
肺炎には特に気を付けていたつもりです
勿論、母は肺炎ワクチンも接種済みでした
ただし
高齢になると嚥下機能も衰えます
父が誤嚥性肺炎で亡くなっていますので、
母が同じ誤嚥性肺炎にならないように、ずいぶんうるさくくれぐれも気を付けて、と話していたんですよね・・・
しかしやっかいなことに
母は年を重ねると同時に咽頭から食道にかけて極端に細くなり
一回の食事に2時間の時間を要するようになっていました(嚥下しやすいように咀嚼に時間がかかるためです)
少しでも油断をすると気管に食べ物が入ってしまいます
母がまだ元気で自宅で普通に生活していた時も
食事をしている時、咀嚼中によく喉をキュルキュルと鳴らしてしていることがありました(食べ物が咽頭に挟まっている状態です。これがうまく食道に流れないと気道に入り込んで、咳き込むことになります)
そういうことがしばしばありました
『入院していただきます・・・』
救急救命医の先生からそう言われた時の母の顔
がっかりというか、憔悴というか
母は何も語りませんでしたが、入院は嫌だという表情であったことには変わりません
その日は日曜日でしたが、たまたま母の血液内科の主治医の先生がいらっしゃいました
そこで更に辛い宣告を聞くことになります