母の多発性骨髄腫【母が山を迎える】 | Yoっち☆楽しくグテを綴る♡

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テテとグクの Me Myself写真集にインスピレーションを得て【群青と真紅】をブログ内で執筆中です️

79歳の母の多発性骨髄腫について書いております

去年の1月にこの病が発覚し
すでにステージⅢに進行しております

初めて来て下さった方、ありがとうございます
前回までの関連記事はこちらです



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息子たちがお見舞いに来てくれました
二人とも入院した母(おばあちゃん)を見るのは初めて

会わせる前に母に孫がお見舞いに来てくれたことを伝えます

しかし母は酸素吸入が
鼻カニュラからリザーバー付き酸素マスクに変わっていて
酸素流量も10L/分に上げられていました

またトイレもカテーテルでの処理になっていて下着は紙おむつになっていました


この日は血液内科の主治医との面談の予定でしたが母の様子を見て、さすがに退院は無理だなと思いました

私は息子たちを促して祖母である母に対面させました

母は嬉しそうに一人一人に握手を求め
長男の彼女を紹介しました
息子たちは明るく『おばあちゃん❗️来たよ❗️』
と話しかけてくれて、しばらく笑いが起きる歓談時間がもてました

母も孫に負けじと冗談を言ってみたり、長男の彼女の名前を何度も呼んでみたりして、楽しそうでした

あまり長く話をさせると呼吸が辛くなるだろうと思っていたら、母が『お茶でも飲んでおいで』と母の右腕にある貴重品棚のブレスレットの鍵を私に取らせようとしたので、お金は大丈夫だよと言って、息子たちと病室を離れました(ちょうどお小水を取りに看護師の方が病室に見えたのでタイミングよく出られました)

息子たちと院内にあるカフェの席につきしばらくお茶の時間になりました
おばあちゃんが去年会った時より変わっちゃったね、と病状の深刻さを知ったようでした


弟が合流し、息子たちを母の病室の近くの談話室に残し
約束の面談に臨むと、主治医から母はもう山にさしかかっているのだと聞かされました
呼吸が更に苦しくなったらモルヒネの投与をしたいと言われました
しかし私たちは精神安定剤と同様の薬の投与を望みました(モルヒネだとそのまま眠ってしまい、意識が戻らない状態で逝ってしまう可能性が高いと聞いた為てす)
また、今は4人部屋にいるが、意識が遠退いた時点で個室に移すということになりました
(急に個室に移すことで、母に精神的不安を与えないようにしたいという、医療側の配慮です)

なるべく家族と長くいられる時間を・・という
主治医の言葉に覚悟が迫られました

面談を終えて病室に戻りかけると、
息子たちはあのまま談話室で待っていてくれました

明日は仕事があるために帰らなければならない息子たちを再度病室に連れて行きました

母にお茶をしてきたよ~と報告し
しばらく話をしたあと、次の日が仕事だと聞いた母が『暗くならないうちに帰りなさい・・追い出すわけじゃないんだけど』と言いました

母らしい孫思いの言い方です(笑)
続けて母は長男に『○○ちゃん(彼女の名前)、離しちゃダメだよ』と言いました
長男は『大丈夫❗️がっちりつかまえとくから』と応えて笑わせました
反対にまだ彼女がいない次男に『○○(次男の名前)は早くつかまえないとね』と(笑)
次男は恥ずかしそうにうんうんと頷きました
また笑いが起きました

再度母が遅くならないうちに・・と促したので
『おばあちゃん、またくるからね❗️』と握手をそれぞれして病室を出ました

弟がエレベーターまで見送りに来て
私は玄関まで息子たちを見送りに行きました

何かあったらすぐに連絡してよ、会社には事情を言ってあるからと息子に言われ、了解をして見送りました
長男の彼女には、面識もない入院中のおばあちゃんの為にわざわざ来てもらっちゃってと恐縮しました
しかし来れて良かったと言ってもらえたので私も母にも良かったと思いました



この日の夕食
母は随分食欲が出て、飽き飽きしていた食事にだいぶ手をつけました(自身でスプーンで食べていました)

いつまでこの姿を見ることが出来るのか
先々襲ってくるであろう喪失感に不安がよぎります