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◆フランス銃撃事件 キリスト教圏から「私はシャルリーではない」の声
http://the-liberty.com/article.php?item_id=9052

ムハンマドの風刺画を掲載したフランスの週刊紙「シャルリー・エブド」の銃撃事件の背景には、「宗教 対 表現の自由」「イスラム教 対 ユダヤ教・キリスト教」などの対立軸があるといわれている。

だが、「表現の自由」を強調する側に回ると思われたキリスト教圏のマスコミでさえ、シャルリー側と距離を置く媒体も多い。

事件を受け、フランス全土で「私はシャルリー」と書かれたプラカードを掲げたデモが行われ、各国首脳を含め約370万人が参加した。

しかし、米ニューヨーク・タイムズ紙(NYT)は9日付の紙面で、「私はシャルリーではない」と題するコラムを掲載。事件で命を落としたシャルリーの関係者について、言論の自由の殉教者であるかのように扱う国際社会の雰囲気に疑問を呈した。

また、言論の自由は尊重されるべきだが、アメリカでは、そもそもシャルリー紙のような過激な風刺を掲載する新聞は、「子供」の議論としてまともに取り合われないとした。

他にも、アメリカのAP通信は、「故意に挑発する画像は掲載しない」方針で、ニュースの画像としてムハンマドを題材にしたシャルリー紙の風刺画は配信しない。
「一貫して人種差別的な表現や、宗教的、性的な中傷表現は避けている」(15日付読売新聞)という。

他にも、フランスの保守系の「フィガロ」紙が、事件発生直後はそれまでのシャルリーの風刺画を転載したものの、特別号の画像の転載を見送るなどしている。

事件発生当初は、被害者への同情が集まり、メディアも「反イスラム」の機運を盛り上げたが、次第にバランスを取り始めていることが分かる。

ただ今後、国際社会が考えるべきは、「シャルリー」の風刺画を扱うか否かなどの瑣末な問題ではなく、「神とはいかなるものか」「イスラム教とユダヤ・キリスト教はなぜ対立するのか」などの根源的な問題であろう。

だが同時に、その問いに対する「答え」は、すでに説かれていることにも気づいてほしい。(居)


「涙のムハンマド」は載せるべきか否か――。 仏週刊新聞「シャルリー・エブド」が14日、銃 撃事件後初めて発売した特別号。その風刺画の掲 載をめぐって、日本の新聞では判断が分かれた。 各紙に取材した。

風刺画は、イスラム教の預言者ムハンマドが目 から涙をこぼし、連続テロに抗議する合言葉「私 はシャルリー」と書いたプラカードを胸に掲げて いる。特別号の表紙は、この絵に「すべては許さ れる」の見出しがついている。

朝日新聞は15日朝刊で風刺画の掲載を見送っ た。14日朝刊で長典俊ゼネラルエディターが風 刺画掲載の考え方を表明。同日、東京本社で開か れた紙面会議でも15日朝刊に「特別号発売」の 記事を掲載するにあたり、風刺画の扱いが議論に なった。販売されている場面の写真に絵柄が写り 込むのは許容という意見もあった。沢村亙編集長 は中東に詳しい記者らと協議し、最終的に見送り を決めた。「紙面に載れば大きさとは関係なく、 イスラム教徒が深く傷つく描写だと判断した。た とえ少数者であっても、公の媒体としてやめるべ きだと考えた」。記事では絵柄を具体的に説明。 イスラム教徒の受け止めも紹介した。

毎日新聞は、現段階で掲載は考えていないとい う。小川一(はじめ)編集編成局長は15日朝刊 で「表現行為に対するテロは決して許されず、言 論、表現の自由は最大限尊重されるべきだ。しか し、言論や表現は他者への敬意を忘れてはならな い。絵画による預言者の描写を『冒とく』ととら えるイスラム教徒が世界に多数いる以上、掲載に は慎重な判断が求められる」と述べた。

読売新聞グループ本社広報部は、風刺画を掲載 していない理由について、「表現の自由は最大限 尊重すべきものだと考えています。ただし、今回 の風刺画を掲載するかどうかについては、社会通 念や状況を考慮しながら判断していきます」とコ メントした。

東京新聞は13、14両日の紙面に風刺画を掲 載した。「イスラム教を侮辱する意図はない。 『表現の自由か、宗教の冒とくか』と提起されて いる問題の判断材料を読者に提供した」と説明す る。14日朝刊では、フランスの風刺文化とイス ラム社会の原則との溝の深さを指摘する記事を掲 載し、「他者の尊重や文化の違いから生じるトラ ブルを防ぐ努力を各国が行わなければならない」 と報じた。

共同通信は風刺画を配信。「表現の自由をめぐ る事件に関連した動きであり、読者の知る権利に 応える責務があると判断した」という。産経新聞 も14日朝刊で掲載し、「読者に判断してもらう 材料として掲載した」。やはり同日朝刊に掲載し た日本経済新聞は取材に「記事・写真掲載の経緯 や判断は公表していない」と回答した。

一方、ニュースサイト「ザ・ハフィントン・ポ スト」は13カ国でトップページへの掲載の対応 が分かれた。日本版の高橋浩祐編集長によると、 米国本社が世界同時掲載を提案。米、仏、韓国な ど9カ国が同調したが、日本はトップページでの 掲載は見合わせた。高橋編集長は「トップ掲載 は、その国の編集方針として支持していることを 意味する。表現の自由へのテロに屈しないという 趣旨には賛成だが、イスラム教徒にとってムハン マドの肖像画は冒とくにあたり、風刺画は違うと 感じた」と話す。(斉藤佑介、吉浜織恵)



〈大石泰彦・青山学院大教授(メディア倫理)の 話〉

日本のメディアでは「風刺」が軽んじられ、そ の評価に一貫性がない。風刺画は市民が社会で感 じる漠然とした違和感や疑問を表現するもので、 抑圧の体験や歴史から生み出されてきた文化であ り知恵だ。ヘイトスピーチとは違う。

欧州では、多様な表現の自由が守られることで 社会秩序が保たれると考えられる。日本では表現 の自由は尊重するとしながら、社会秩序を乱して まではどうかと考えるメディアがあり対応が割れ ている。改めて表現の自由や風刺に対する考え方 を明確にしてほしい。

〈内藤正典・同志社大教授〈イスラム地域研究〉 の話〉

特別号の表紙掲載は見送るのが賢明だ。ただ、 あの絵を掲載すべきかどうかは、あくまで非イス ラム世界の議論だ。

シャルリー・エブド紙は過去に執拗(しつよ う)に預言者ムハンマドをからかう絵を載せてき た。挑発であろうがなかろうが、イスラム教徒は 一連の事件と経緯を知っている以上、風刺画は教 徒の誰もが見たくない。テレビ局の中には都内の 教徒に特別号の表紙を見せて取材する局もあった が、無神経だ。イスラムに対するリテラシーがな いのであれば、報道は慎重であって欲しい。




ローマ法王「表現の自由に限度」

ローマ・カトリック教会の指導者である ローマ法王のフランシスコ法王は15日、 訪問先のスリランカからフィリピンに向か う機中で記者団から事件について尋ねられ たのに対し、「神の名のもとに人を殺すの は、常軌を逸しており、正当化できない」 と述べました。 そのうえで、フランシスコ法王は、

の母親が侮辱されたら反応したくなるもの だ」とたとえ話を示しながら、「人の信仰 を挑発したり、侮辱したり、笑いものにす るべきでもない」と述べ、信仰に関わる場 合、表現の自由には限度があるという考え を示しました。

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150116/k10014723061000.html