苦しいという言葉はなんとも軽々しい響きだった。私の中で踊り続ける感情は、そんな簡単なものではない。一言では済まされないのもわかっていたが、私の口からつむがれる言葉自体、どうしても足りない気がした。悲しい寂しい苦しい辛い。あらゆる負の感情はどれも当てはまらない。じわじわぐるぐるどろどろと胸を内側から溶かされるような、痛み。きっと誰もわかってはくれないのだろう。

「サンジさん」

「ん?なんだい?」

「何つくってるの?」

片膝をついて後ろから彼に伺う。手にもった透明なボールには生クリームになるであろう白い物体。鼻歌交じりでその中を混ぜる彼はくるりと振り返って微笑んだ。

「今日のおやつはパフェにしようと思ってね」

「本当?丁度食べたかったのよね」

「そりゃよかった!超一品をお待ちくださいませ」

歯が浮くようなセリフをいいこなす彼に「はーい」とクスクス笑って答える。だけど、私は気付いていた。彼が私に微笑みかけながら、窓の外をちらちらとうかがっているということ。キッチンで待っていたのは、私なんかではなかったということ。彼は元のように背中を向けてお菓子作りを再開した。その背中を見続けているのは私で、彼の待ち人ではない事を知っていながら、わたしは。

「サンジさん、ごめんね」

「へ?なんで?」

「ごめんね」

首だけをひねって振り返ってくれた彼は困った顔をしていた。パフェはいよいよ完成するらしい。トレイに移されたソレはとても美しくて、でもとっても残酷な気がした。

「私食べられそうにないわ」

「え?だって、さっき・・・」

「いいから」

「ナミなら女部屋で海図描いてるわよ」とクスクス笑って言うと、顔をゆがませながら苦笑いで「あぁ、すまねぇな」と彼はトレイを持ち上げた。「本当にいらないのかい?」「ごめんね、明日は絶対食べるから」「ああ、無理はしなくていいからね」当たり障りのない会話を済ませると、彼はキッチンを飛び出た。遠くでナミを呼ぶ声がこだまする。静かなキッチンのテーブルにうつぶせて頬を当てると、なんだか冷たくて気持ちよかった。その代わり、そこから2人の話し声が小さく振動して、生ぬるい何かが頬を伝った。

好きになってごめんなさい


(2008.12.5)




泣きながら走り去る少年があたしの隣を過ぎ去った。なんでか気になって、少し横に首をよじれば、よそ見するなとばかりに首を前に戻される。再び舞い戻ってきた景色は真っ赤で、美しい。どんどんと足元から、びりびりと耳元から伝わる振動と、目の前の赤以外は今のあたしにとって背景にすぎない。逃げ惑う人々も流れる血液も。あたしがそうなのだから、あたしと左手右手一本で繋がる隣の男もそうなのだろう。

「退、退」
「ん、」
「みんな、どこにいくのかなあ」
「さあ・・・どこだろうね」
「どこに向かってるの?」
「んー わかんないや」

考えるそぶりすら見せない彼がいつも通りすぎてふいに笑いがこぼれた。くす、と笑えば「なに笑ってんだよ」と彼も頬をゆるませた。その背景には、叫び声が見えた。

「こわい、」

ぼそりと彼が囁いた。ぎぎ、ゆっくり、本当にゆっくりと退があたしを見る。揺れる目が揺れるあたしを捉えた。

「怖いよ」

どこかで響いた銃声と重なって、退の声がかき消えてしまったが、彼と繋がっていたあたしにだけは届いていた。震える声で「あたしも」と答える。一瞬彼はきょとん、としてから、あたしの大好きな笑顔を見せた。

「なら、大丈夫だね」

その言葉にまたくすりと笑うと、あ、俺その顔好きだなあと彼は照れたように笑った。あたしも同じだよその笑顔も大好きなのよ、言い終えると 満足したように彼は前を向いた。最後にみる景色に彼が映ってないことは惜しかったけど、あたしも慌てて前を向く。いつしか背景は無音に変わり、真っ赤な太陽は目の前。

「なあ、」

向こう側のビルが消えた。その次の家が溶けてく。地面が太陽に削られて、真っ赤な光でいっぱいになって、ああ、神様、これが世界の終わりなのですか。だとすれば、世界はどのようにして、始まったのです、か。ああ、かみ、さ、ま




「愛してる」

ここが世界の果てですか、





:/ミスチルのアイラブユーというアルバムに入ってる曲がモデルです。
一応山崎退夢ですが・・・わかりましたかね?(笑)

一人、食パンを食べる。コーヒーを淹れて飲んで、顔を洗って着替えて出て行く。




「暫く旅行に行ってきます。詳しくは数日後に来る同居人に聞いて」と書かれた、母の丁寧な文字を最初に見てから、もう二日が経った。




 同居人はまだ来ないまま、私は今日から始めての高校に足を向ける。




あやかしの子

                                    


01.遅刻



「いってきまーす!!」


 中に人は誰もいないものの、こうやって家を出て行くのが習慣になっている。これは昔からのくせ。もう家には誰もいないよ、人は一人もいないという合図をするのだそうだ。何のためにか、は今にわかる。


 二つ目の家を通り過ぎて腕時計を見ると、すでに8時10分をすぎている。歩いていくには・・・あまり時間がない。ここは走るしかないな、と地面を強くけりだした。がんばれば10分でつくかもしれない。転入早々遅刻だなんて笑えない。第一印象は大事にしないと。

 まっすぐの住宅街をぬけてから、人がちらちらいる商店街。八百屋、魚屋、本屋、建築中のカフェテラスが、走りながの私の目にうつる。何回か散歩しながら通った道だが、まだ慣れはしない。前いた学校へ行くのに、こんな道を通る必要はなかったからだ。一番端の、一番派手なカフェを曲がれば、まるで金八先生にでてくるような川岸が姿を現す。


 もう一度、ちら、と腕時計を見る。しゃれたそれの短針が示すのは20分。もう学校が見えてきた。大きな川を越えた先にある、私の転校先、高校。中学のとき陸上部に入っていたから、足の速さにはぼちぼち自信がある。この調子なら間に合うはずだ。いつもは生徒であふれてるであろう通学路には、私ひとりしかいなかったけれど。


 橋を渡れば、門にむけての道は一直線である。その橋から向こう側へたどり着き、足を離そうとして、何かが足にからまる感じがした。右足と左足をがっしりと固定されて動かない。ゆっくりと地面が近づく。頭から落ちるのをなんとか腕で防いだが、かなりスピードを出して走っていた私の体は、止まることなくコンクリートにたたきつけられた。



「いったー・・・」



よろよろと立ち上がって、腕についた砂をはらう。そして未だ足にからまるそれをキっとにらみ、持ち上げ、暴れるそいつをかばんのなかに乱暴につっこんだ。きーきーうるさいそいつを無視しながら、足とスカートについた砂をぱんぱん、とはらう。こいつは本当に厄介なやつだ。黙っていれば可愛いリスみたいなやつなのに。


 腕時計を見ようと腕をあげた瞬間、キーンコーンカーンコーン、とチャイムの音が鳴り響いた。ばっ、と門についた時計を見ると8時30分。決まった・・・転校早々遅刻だ。



 深いため息を吐いた私の状況を判断したのか、かばんの中身がしてやったり、と少しおとなしくなった。

「失礼します」


 遅刻した私が向かったのは職員室だった。よく考えてみれば遅刻した瞬間を見られてるわけでもないし、逆に転校生だということを原因にしてしまえばいいのだ。さっさと校長か教頭あたりに案内してもらおう。


 見慣れない私が入ってきたことでか、なかにいた人たちの視線がばっと私に注がれた。とはいっても、なかにいた教員はほんの数人。地味な相貌の事務員が一人、赤ジャージの女の先生が一人、スーツ姿の先生方が2、3人。きっと、もうSHRが始まってるんだろう。


「君が、今日から転校してきた大島さん?」


そういっておずおずと近づいてきたのは事務員だった。おいおい、教員たち何やってんだよ。事務員来ちゃったじゃねーか。とちら、と赤ジャージをにらむも、見向きもしない。他の教員だって、自分の作業に夢中のようだ。担任はどれなんだ?



 まぁ、とりあえず、話しかけてきた地味色事務員を無視することはできず、「はい、そうです」と控えめに答える。すると、事務員はあぁ、とにっこり微笑んだ。







「初めまして、大島さん。僕が君の担任の吉川です」


うっそん。


 差し出された手を握りながら、私はいきなり失礼なことを思ってしまった。






:あとがき

まだ続きますよ

まぁ、主人公が途中で転んでしまった原因・・・あとになってわかってきますが

知る人ぞ知る妖怪ですね^^