赤貧のわが家にも年の瀬はやってくる。
江戸時代末期の頃など、
年の瀬は大家は店子にヤイノヤイノト
店賃支払いの催促をかけに来る。
店子の皆さんは
無い袖は振れないと居直る。
そこにさらに掛け売りしている
酒屋、味噌屋、米屋などが押し寄せる。
もうこれは姿をくらますしかやりようがない。
夫婦そろって姿をくらますが、
子供は置き去りという家庭も多くあったらしい。
なぜって、子供に罪はないし支払い能力はもとよりない。
そういう子供にどこに姿をくらましたかを聞くくらいしか手はない。
しかし、姿をくらますときに子供に行き先を
詳しく教えるほど馬鹿な親はいない。
それなりに店子は賢いし、酒味噌代の支払いもしない訳ではない。
でも店賃はなし、酒味噌代の類もない。
あるのは今後支払うという意思だけ。
これが落語に出てくる赤貧の店子の長屋の住民だ。
翻ってやはり赤貧のわが家にも年の瀬はやってきた。
うちのようなUR(旧住宅公団)は大家とは違う。
半年も1年も家賃を溜めようものなら、
さっさと店子に退去を促す。
せいぜい1-2か月がいいところだろう。
年の瀬に逃げようものなら、さすがにヤクザは来ないだろうが、
やくざより怖い代執行業社がやってくるーーのではないだろうか。
だから、うちのような赤貧店子でもヤクザよりも怖い
殺し屋みたいなものが致し方なく来るのだから、
家賃は支払わざるを得ない。
しかも、味噌酒のたぐいは貸し掛けはしない。
いつもニコニコ現金払いだけだ。
掛け売りは1か月のクレジット払いか、最低限リボ払いに限られる。
古き良き大家と店子の信頼関係は今やない。
貸し売りはあっても限定的。
そもそも信頼関係自体が消えてなくなってしまった。
だから、同じ赤貧でも家賃(店賃)と生活費は
あらかじめ固定費として確保しておかなければ、
生活はおぼつかない。
こういう構図だから、信頼感のなくなった現代では、
最低限の賃労働によって得た家賃・生活費がないと、
とてもじゃないが、生きていけることができない。
だから簡単に言うと、それが確保されて初めて赤貧と名乗れる・・・。
やくざより怖いと言われる代行業者の影におびえる市民は、
警察よりほかに逃げ場はない。江戸時代末期にはなかった、
とてもおぞましい世界がここにはある。
こうして赤貧のわが家にも年の瀬が忍び寄る。。。・・・。