青木の2週間一人旅5日目 長崎編 | 中央大学理工ボート部のブログ

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日々の活動やイベントについて更新します。

   2週間旅は無事遂行したが、毎日ブログ更新するのが億劫になって4日目で止まっていたのでまた少しずつ書いていく。


2024年3月6日


熊本県熊本市 熊本駅付近の快活CLUB

   熊本駅を出発するのは8時45分だったが、8時52分だと勘違いしていた。泊まっていた熊本の快活クラブを少し遅く出たので、熊本駅までダッシュで向かって汗だくで電車に乗った。今日はこの旅の最西端、長崎を目指す。


   15時過ぎに長崎駅に到着し、まずは路面電車で出島に向かった。


   出島は陸地から切り離されたいわゆる「島」をイメージしていたが、本来の役割を終えて150年以上経ち、すっかり周りが埋め立てられて街の一角になっていた。


↑一応完全に埋め立てられてるわけではない。この辺りの町名は「出島」となっており、その存在感は現代にも残る。


↑島内の建物はしっかり保存されており、入場料を払えば橋を渡って入れる。お金がないので断念。


   続いてグラバー園、大浦天主堂に向けてまた路面電車に乗った。


↑関東に住んでいるとあまり馴染みがないが、西日本の大きい都市だと路面電車に乗る機会が圧倒的に多かった。


   大浦天主堂とグラバー園は隣同士だが、大浦天主堂の方に修学旅行生がいっぱいいて賑やかなので、まずはグラバー園に入った。


   グラバー園は、明治時代に日本に来たイギリス人商人グラバーの邸宅をはじめ、明治時代の貴重な洋風建築が幾つもあり、敷地全体が庭園のように整備されていた。




↑グラバー園は高台にあり、長崎が一望できる。




↑昔のお金持ちの家にありがちな凝ったガラス。こういう綺麗なのうちにも欲しい。


↑江戸時代(慶応2年)に長崎で行われたボートの大会の優勝カップ。よく見ると”NAGASAKI REGATTA”の文字が。こんなところでボートに会うとは。




↑グラバー邸




↑夕方になると、夕陽色に染まった長崎市が毎日観れるという。


   夕陽まで観たかったが、他にも観光する場所があるのでここでグラバー園を後にした。


   次に入ったのはグラバー園の隣にある大浦天主堂。



   ここは「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」として世界遺産に登録されている建物の一つで、江戸幕府によるキリスト教禁教が解かれた後初めて建てられた教会とされる。


   キリスト教が禁じられていた250年間、神父も教会も無しに密かにキリスト教を信仰し続けていた隠れキリシタンたちが、大浦天主堂ができた直後に信仰を告白しに来たらしい。この信徒発見のニュースは当時のローマ教皇にも伝わり、「東洋の奇蹟」と呼ばれた。世界的に観ても非常に稀な宗教史上の奇跡だという。


   当時弾圧された隠れキリシタンの中には14歳の少年もおり、彼は改宗を迫られた時、「この世での短い人生と天国での永遠の命を引き換えるわけにはいきません」と言って改宗を拒み、磔刑になったらしい。人生の意味や価値観を考えさせられた。


   出島とグラバー園と大浦天主堂でかなりボリュームの大きい観光をしたが、まだまだ長崎はそんなもんじゃない。


   次に向かったのは中華街。横浜中華街に比べるとずいぶん規模は小さめだが、日没後で人があまりいなかったため雰囲気はあった。


   ここでちゃんぽんを食べ、中国の謎のジュースやお菓子を買った。




↑有名なランタンフェスティバルは少し前に終わってしまっていた。また点灯してる時期に行きたい。



   宿は市街地を隔てる川を渡った反対側で、稲佐山という長崎の夜景を見られる山の中腹にあった。


   今日泊まったのはちゃんとしたホテルだが、今は使われていないスペースが多かったりエレベーターが古かったりして、「もうピークが過ぎたホテル」感が凄かった。温泉と洗濯機と寝る場所がかなり離れており、館内での移動が多くて大変だった。


   ホテルの中のキャビンルームに泊まったのだが、快活クラブのブースの下位互換といった感じだった。安いので仕方がないけど。


↑日本三大夜景の一つ、長崎市。稲佐山の頂上から見るのが一番綺麗らしいが、時間がないからこれも断念。今回はホテルの前から見た。いつか九州にはもう一度来たい。


   東京を出て5日経ち、ついに旅の最西端まで辿り着いた。明日からは九州を出て日本海側を回って徐々に北上する。


   明日は電車を乗り継いで岡山。


五日目終了