「あきたこまちR」について | toのブログ

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 知人から「あきたこまちR」の安全性が話題になっていると聞いた。カドミウムを吸収しにくい品種なので、この品種から高カドミウムでも検出されて騒ぎになったのかな?と思ってネットで調べてみたところ、放射線育種で育成したから危険であるとは驚きであった。ネット上では「放射線米」や「放射線育種米」という怪しげな造語(新語として認知されかけている?)が飛び交っている。賛否両論でカオス状態である。どうやら、放射線育種で育成した品種は安全か?が核心のようである。この議論について整理するとともに僭越ながら私見を述べようと思う。

 放射線育種を批判している複数のサイトを確認してみた。まとめると、放射線は危険である、だから放射線を照射して遺伝子に突然変異を誘発させて作った品種は危険である、さらに今回はイオンビームを人間の致死線量を超える線量を照射している、ガンマ線でも危ないのに実績の無いイオンビームで作られた品種は安全とは言えない、安全性を裏付けるデータは存在しない、とのことである。

 擁護しているサイトも確認してみた。こちらもまとめると、放射線育種で育成された品種を長年摂食しているが事故は起こっていない、放射線照射した物を直接食べるのではない、致死線量を照射したのは植物と動物とは放射線感受性が違うからだ、と安全を主張している。残念ながら安全であると主張すればする程、それに比例するかのように批判サイトの活動が盛り上がっているようである。かつては安全神話らしきものが存在していて、例えば原発は絶対安全と信じ込まされていたというのがあった。原発事故で安全神話が崩壊した今は「安全だ」と主張すればするほど「疑惑」が大きくなっていくのが現在の世情である。

 放射線の取り扱いは法律により管理区域内で厳重に規制されている。物理学的、生物学的にも重イオンビームに限らずガンマ線も含めて放射線は危険である。そのため照射施設は厚い防護壁に囲まれており、危険な放射線が管理区域外に漏れ出さないようになっている。一方でイオンビームの照射を受けた物体は一時的に放射化する。しかしその放射能は時間と共に減衰する。照射直後は管理区域から持ち出せないが、規制値以下になるまで待ってからは持ち出し可となる。このような厳重な管理が安全性の根拠となる。人間の致死線量を遙かに超える線量を照射する理由は、生物種によって放射線の感受性(抵抗性)は異なるからである。一般に動物<植物<微生物の順に放射線に強い。そのため人間にとって致死となる線量が植物にとって効率的に変異を誘発させるのにちょうど良い線量になる。また変異の頻度は多く照射するにしたがい増加するので、効率的に変異体を得るためには致死にならないギリギリの高い線量を狙って照射する。そして誘発された変異は植物にとって有利か不利か関係無く、さらに人間にとって役立つか否かも関係無く、ランダムに様々な変異は出現する。

 放射線育種は作物に放射線を当てて突然変異を誘発させて品種の育成を行う事である。似たようなことは自然環境でも低頻度で起きている(自然突然変異)。その原動力は自然放射線(バックグラウンド放射線)によるとされている。初期の育種はそのような自然突然変異を選んで品種育成につなげている。さかのぼると近代的な育種が始まる前、人類は数千年かけて野生植物から役に立つ変異を選び続けた結果、食用可能な植物を現在にもたらしている。もし遺伝子(DNA)がとても安定な物質で変異(変化)が極めて起こりにくいモノだとすると、野生植物の食用化は不可能であったであろうし、遺伝子の変異と淘汰がもたらした進化も起こりようが無いか超低速であったであろう。地球誕生から数十億年経っても人類は誕生せず、原始的な微生物のまま今も海に浮かんでいたであろう。

 遺伝子は変化するものであり、自然突然変異では数百年あるいは数千年待たないと得られないような変異でも、人為的に放射線を当ることで数年という短期間での獲得が可能となる。自然現象を早送りにしているようなものである。また人間にとって都合の良い変異が誘発されるわけではない。大半が役に立たない変異である。そのため多くの照射した材料から役に立つモノを多くの手間暇をかけて選ぶのである(選抜と固定)。さらに摂食試験で味に異常は無いか、身体に悪い影響は無いかの確認を経てようやく品種になる。

 ガンマ線による放射線育種が開始されて約70年になる。これまで放射線育種によって育成された品種を摂取して健康を害したという報告は今のところ聞かない。これを食経験に基づく安全性の根拠とされてはいるが、科学的に証明されたものではないこともまた事実である。70年間何事も無かったからといって明日事故が起きる確率はゼロでは無いが、その長年の実績も事実である。

科学が未発達の時代の人々は身体を張って、時には命がけで食べられるもの、食べられないものを識別してきたに違いない。これは食経験で得られた財産であり、その価値は科学的なエビデンスに劣らない。そして現在の人々はその恩恵に預かっている。食べることはリスクを伴う行為である。世の中に100%安全であると言える食品は存在しない。一方、食べることは生きるためのエネルギーを獲得するという大きな利益がある。「安全ではないかもしれない」と言ってことごとく排除していたら何も食べられなくなる。

 不確かな科学知識をもとに揚げ足を取るように安全でないと騒ぎ立てることは問題である。新しいモノを警戒したい気持ち、これまで何もなかったのだから変化の無い方が安心かもしれない。しかしやたらと不安をあおり立てるような情報に振り回されずに、受入れるか拒否するか利害を基に判断することが理性ある行動と思う。何をするにしてもリスクゼロはあり得ないのだから。

 

おまけ

 面白い主張をするサイトを見つけた。そこでは某科学者が「あきたこまち」と「あきたこまちR」の間には遺伝的に0.4%の違いが存在し、その0.4%が安全上のリスクである、さらには変異した遺伝子そのものが安全上問題であるとしている。少し詳しく述べると「あきたこまちR」は「あきたこまち」を種子親、「コシヒカリ環1号」を花粉親として交配して、さらに続く子孫に「あきたこまち」を7回戻し交配することで理論的に99.6%の遺伝子は「あきたこまち」由来となる。残り0.4%の遺伝子は「コシヒカリ環1号」由来であり、その0.4%の部分が安全でないと某科学者は主張している。このような理論を展開するのなら前提条件として把握しておくべき事がある。最近のイネ品種の遺伝的多様性は減少してコシヒカリ化が進んでいる。言い換えると日本の最近のイネ品種は「コシヒカリ」に近い親戚ということである。「あきたこまち」も例外で無く、「あきたこまち」の片親は「コシヒカリ」であり、両品種は遺伝的に非常に近い。さらに「コシヒカリ環1号」は名前の通りカドミウム低吸収性以外はほぼ「コシヒカリ」である。確かにカドミウム低吸収性は0.4%の方に含まれるが、もともとこの0.4%は似たもの同士の親品種由来であり、「コシヒカリ」と共通部分が多い。これをどう解釈するか。