頭がいいというのは、どういう状態のことなのか?

こう質問された時に、皆さんはどのような回答をするでしょうか。

「頭がいい状態」には、「記憶力がいい」とか「思考力がある」とか「頭の回転が速い」とか、いろんなものがあると思います。


おそらく100人いれば100通りの答えがあるでしょう。

そのどれもが正しいわけですが、しかし基本的には「頭のいい人みんなに共通する要素」があるわけではありません。

記憶力はないけど当意即妙な返しをする頭の回転の速さを持っている人、テストでいい点は取れて本を読むのは得意だけどその知識を活用する思考力はない人……。


「東大に合格するほどの学力を持った人たちはこれが優れている」と1つに決められるものはほとんどありません。

「頭がいいというのはどういうことか」という質問の回答は、なかなか1つには決められないのです。



「頭がいい」とは「目的意識がはっきりしている」こと


「でも、勉強してなかったからその成績だったんでしょ?」

と言われるのですが、そんなことはありません。ちゃんと、まじめに、毎日机に向かって一生懸命勉強していたのですが、全然成績が上がらなかったのです。

じゃあ、そんなバカだった時の自分と、東大に受かる勉強をしていた自分と、どういう違いがあるのか?

その答えは非常にシンプルで、「目的意識の差」です。








「頭がいい」状態というのは、「目的意識がしっかりしている状態」のことだと思います。


記憶力とか思考力とか判断力とか、そういう能力以前の問題で、「自分は何をするべきなのか」をはっきりさせることができる人間というのは、結果を出し、目的を達成でき、当意即妙な返しのできる「頭のいい」人なのです。


東大生は、これが優れているのです。

アイデア出しでも目的をはっきりとさせる

もちろん、雑談をベースとした会議をしたほうが進捗が出る場合もあると思いますが、それは「目的」をはっきりさせた上での話。


目的を達成させるために、雑談をベースにした会議をしたほうがいいのであればそちらを選ぶべきだというだけの話です。


目的(ゴール)があって初めて成り立っているのです。

これは、アイデアを出すときにも同じことが言えます。

「何か新しいアイデアを出さないと!」と考えている時に、多くの人は「なんとなく」でアイデアを出そうとします。


一体どういうアイデアが求められているのかがわからない状態でアイデアを出そうとしているのです。

これでは、「なんとなく数学やろう」「とりあえず雑談しよう」と同じです。


「消費者に対してどんな価値を提供したいのか?」「買った人がどういうメリットを得られる商品のアイデアが必要なのか?」そういう問いを自分にした後でないと、アイデアなんて出てくるわけがないのです。

目的を定めると努力する方向が見える

目的というのは、いわば全ての「ゴール」です。カーナビでいうのならば「目的地」。目的地がしっかりしていない状態で車を運転していても、近所はぐるぐる回れるのですがいつまでたってもどこにも行けません。

そして目的がしっかりすれば、自分に足りないものを補えます。もし目的達成のために暗記が必要なのであれば暗記をすればいい、思考力を鍛えたほうがいいのであれば思考が鍛えられるような問題を解けばいい、表現力を磨いたほうがいいのであれば作文をやればいい。

「頭がいい」というふうに見えている人というのは全て、先天的に全部を才能として得ていたということではなく、目的を定め、そのために努力して必要なことを身につけているだけの話なのです。

どんなに記憶力が優れている人でも、目的を達成するのと全然違うあさっての方向の行動をしていたら「頭がいい」なんて誰からも思われないはずです。目的の設定の仕方こそが、その人の頭のよさを決定するファクターなのです。

正しく目的設定する力は「慣れ」によって磨かれる

それでは、どうすれば「正しい目的設定のできる頭のいい人間」になれるかと言えば、これは「慣れ」ではないかと僕は考えています。目的設定というのは、何度も設定することで自然と磨かれていくものなのではないか、と。

例えば勉強について、初めはどんな目的を定めればいいかわかりませんよね? でもその中に「とりあえずわかりやすくて具体的にするために、目的の設計に数字を入れてみよう」と考えると一歩前に進めます。

豊かさを感じられない若者たち


今、自分が豊かだと感じられているでしょうか?


日本の若い世代では、

「今の自分が豊かだと感じることができない」

人が多いといわれています。

今の豊かさはここがピークで、むしろ未来はピークアウトしてしまうのではないかという感覚を抱いている人も多いようです。

海外と日本を比較してみまよう


例えば、海外旅行に行ったら、普通のスーパーマーケットを覗いてみると日本の豊かさが再認識されたりします。

道路にはトヨタの車がたくさん走り、電気屋さんにはソニーや任天堂のゲーム機が憧れの商品として販売されています。よくみるとレジのプリンターにエプソンのロゴがあったりしてびっくりします。

日用品売り場に行くと、別の驚きがあります。

商品のバリエーションがあまりにも少ないのです。

日本でシャンプーを買おうとすれば男性向け、女性向けだけでなく、20~30くらいの銘柄が並んでいて、好みの商品を探す自由があります。

しかし観光だけが主産業の国に行くと、「洗濯洗剤が1~2種」「シャンプーが1~2種」のようにブランドを選ぶ自由は皆無で、棚に同じ商品が10列並んでいるシーンに出くわします。

それはなかなか衝撃的です。

海外に出てみるとつくづく日本の豊かさを再認識することができます。

置かれた環境に感謝する


「歴史に学べ」とよくいいますが、戦争の愚かさを学ぶだけが歴史ではありません。

むしろ自分の置かれている環境を評価するために、歴史が役立つことのほうが多いのです。



豊かさや幸福感は基本的に「相対的」で「感覚的」なものなので、「自分が生きている同時代のセレブの豊かさ」と比較しないほうがいいでしょう。

むしろ、過去を振り返ったりしながら、自分が今得られている豊かさや恵まれている環境をかみしめつつ、そこからどうステップアップしていけるか考えてみる方がいいのです。

誤解してほしくないのは、自分の現状に満足しろといっているわけではないということです。

20代や30代の頃のがんばりは、その後のキャリアアップが実現したときさらなる豊かさの獲得にきちんとつながっていくはずです。

強要されて絞り出すモチベーションは長続きしない


 「自分の仕事にやる気が持てなくて、心配です」

 インターネットの悩み相談でよく見かける文句だが、よく考えてみてほしい。


この悩みはちょっとおかしい。


これはつまり、好きでもない人を目の前にして「私、どうしてあなたのことを愛せないのかしら?」と悩むようなものだ。

 どんなに努力したって、愛せない時点でその人は恋愛対象じゃない。

 仕事だって同じだと思う。

やる気の根底には愛情がある。


やりたくないなら当然やる気も起きない。

やる気コンテンツに触れて、瞬間的に意欲が湧いても長続きはしない。

それに、ムリにやる気を作り出すときは、たいてい自分以外の誰かが望む仕事であるケースがほとんどだ。

 やる気とは自ら作り出すものであり、誰かに強要されて作り出すものでは絶対にない。


やる気は愛だ。


その仕事を愛することからやる気は始まる。


もちろん愛そうと努力した結果、好きになることもまれにあるが、あまりおすすめしたくはない。

 そもそも、やる気がなくたってかまわないだろう。

やる気がなくても十分働ける。


好きでやる仕事もある一方、ほとんどはお金を稼ぐためにある。

労働の対価としてお金を受け取っているのだ。

それなのに、やる気まで要求されるなんて、会社はちょっとほしがりすぎじゃないか。

 湧き出しもしないやる気をムリに作り出すこと自体がストレスだ。

ないならないなりに、目の前の仕事をこなせばいい。

そのうち好きになってくるかもしれないし、ほかにやる気を出せる仕事が見つかるかもしれない。そのときに、やる気を注ぎ込めばいい。


やる気はすり減る

とはいえ、やる気とはいいものだ。
自分のために使うならば。

だから自分が何かに熱中しているときは、その気持ちは自分のためなのか、それとも他人のためなのかをよく考えてみる必要がある。


 知る限りでは、やる気とはそれほど頻繁に生まれるものでも、持続可能なものでもない。


やる気はすり減る。

だから、むやみに使うと本当に必要なときに使えなくなる。やる気を絞り出し、むやみに使ってはいけない理由はそこにある。

 いつかはやる気を注ぎたくなる仕事に出合えるはずだし、そのときのために自分のやる気を大切にしよう。


やる気がないだの、あるだのという言葉には決して踊らされないように。


自分のやる気は自分がコントロールしよう