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Project Excelsior


1960年8月16日 - プロジェクト・エクセルシオ: アメリカ空軍のジョゼフ・キッティンジャーが気球による最高高度31,300mからパラシュート降下し、乗物によらない人間の最高速度988km/hを記録。



【プロジェクト・エクセルシオ】
Project Excelsior
アメリカ空軍のジョゼフ・キッティンジャー大尉によって1959年・1960年に行われた成層圏からのパラシュート降下実験である。


やっとる事が無茶苦茶やぁ!


この実験により最高気球高度・最高パラシュート降下開始高度102,800フィート(31,330 m、レーダー測定)、最長ドローグシュート降下時間4.5分間、乗り物を使わない最大大気中速度614 mph(988 km/h、該当高度での遷音速)が樹立された(米空軍記録でありFAIへの航空宇宙世界記録申請は行われていない)。このうち降下開始高度・最大大気中速度の2つは、2012年にレッドブル・ストラトスでフェリックス・バウムガルトナーに破られるまで世界記録であったほか、最長ドローグシュート降下時間については現在も世界記録である。

《実験の概要》
1950年代に航空宇宙技術が飛躍的に進展し、航空機がより高々度に到達できるようになった。アメリカ空軍は航空機乗組員が高空から機外脱出を行う際の安全性を問題視し、人体模型を用いたフリーフォール実験を行った。この実験からは降下中には200回転/分ものスピンが発生し、極めて危険であるとの結果が得られた。

《実験の背景》
1955年から1958年にかけて行われた成層圏への気球による到達を目的とする実験、プロジェクト・マンハイ(Project Manhigh)においては、高度29,500-30,900 mに到達することに成功した。浮上には61 m高・85,000 m・の容量をもつヘリウム気球と、とりつけた非気密構造のゴンドラを用いた。(このため、搭乗者は高空の環境に対応するため完全与圧服の着用が必要であり、極寒に対応するためのウェアリングも必要であった)

プロジェクト・エクセルシオはこの成果を踏まえて行われた。
オハイオ州ライト・パターソン空軍基地の技師 フランシス・ビュープレ(Francis Beaupre)らによって開発された多段パラシュート降下システムが用意された。これは高空でのスピン対策用の直径2 m級パラシュートと、低空で使用する減速用8.5 m級パラシュートを組み合わせたもので、高度センサーによる自動開傘を行えるように設計された。
このプロジェクトにおいては、プロジェクトディレクターであったジョゼフ・キッティンジャーが搭乗者を務めた。

《降下実験》
最初の実験(エクセルシオI)は1959年11月16日に行われ、キッティンジャーは高度23,300 mからの降下を行った。この実験ではスピン対策用のパラシュートが早く開きすぎたため、120回/分のスピンが発生した。このためキッティンジャーは意識を失ったものの、自動的に高度3,000 mで減速パラシュートが展開したため命に別状は無かった。
この事故にもかかわらず、キッティンジャーは2度目の実験を3週間後の12月11日に行った。この実験(エクセルシオII)においては高度22,800 mからの降下を行い、高度16,800 mからパラシュートを用いないフリーフォールに移行した。
3度目となる最後の実験(エクセルシオIII)では右手グローブの不良による気密漏れが発生し、キッティンジャーが右手に激痛を訴えた。しかし彼は実験が中断されることを恐れてこの事故を地上クルーに報告せずに実験を強行した。気密漏れによって右手の温度が低下し右手が使えないにもかかわらず1960年8月16日、1時間31分で31,300 mに達し、デイビッド・シモンズ(David Simmons)空軍大尉による気球の浮上高度記録(30,942 m、1957年)を塗り替えた。 この高度でキッティンジャーは12分間、気球が降下予定地点に移動するまで待機した。降下開始後、スピン対策用のパラシュートを展開させた後4分36秒降下し、高度5,300 mで減速パラシュートを展開させニューメキシコ州の砂漠に着地した。降下時間の総計は13分45秒であった。

これはパラシュート降下開始高度の当時の最高値となり、2012年10月まで破られなかった。但し高々度での姿勢安定にパラシュートを使用したためフリーフォールとしての高度記録は樹立できなかった。パラシュート高度に関する国際航空連盟公認世界記録は現在フリーフォール距離24,500 m(1962年エフゲニー・アンドレーエフ、ソビエト連邦)のみである。
実験中の気温は最低で-70℃に達し、フリーフォール中の速度は988 km/hに達した。(尚、のちにキッティンジャーはインタビューに答え、最高速度は1,149 km/hに達したと発言している)しかし、キッティンジャーは「雲圏に突入するまでスピードを感じなかった」と述べた。高空における音速は低温のため(気圧は直接には関与しない)地上よりも遅くなるが、このフリーフォール中の速度については614 mphを714 mphとした誤記から超音速という伝承が生じたもので、米空軍の記録614 mphに基づくマッハ数は0.9となり本人も手記で音速の9割と述べている。

この実験が高空における航空機からの安全な脱出法の研究に与えた功績により、キッティンジャーはアイゼンハワー大統領からハーモン・トロフィーを授与された。また同様に、殊勲飛行十字章、J・J・ジェフェリーズ賞(J.J. Jeffries Award)、A・レオ・スティーヴンス・パラシュートメダル(A. Leo Stevens Parachute Medal)、ウイングフット・ライター・ザン・エア・ソーシェイティー記念賞(Wingfoot Lighter-Than-Air Society Achievement Award)などを受賞した。

ジョゼフ・キッティンジャー(Joseph William Kittinger II)は1928年7月27日フロリダ州タンパ生まれのアメリカ空軍パイロット。本項の高々度気球到達以外にも初の単独大西洋気球横断を成功させた。
フロリダ大学で学び、スピードボート競技経験から航空志向となり1950年にアメリカ空軍入隊。気球による高々度実験に参加した後、ベトナム戦争に出征しA-26およびF-4の搭乗員となる。1972年、撃墜され捕虜となり、ハノイ・ヒルトンに収監される。
1978年に大佐で退役後、マーティン・マリエッタに入社。以後気球競技に携わり、1984年に気球を用いて単独での大西洋横断飛行に成功する。
2007年現在フロリダ州オーランド居住。航空関連のコミュニティ運営・コンサルティングを行っている。
2008年、レッドブル・ストラトスのプロジェクトアドバイザーに就任。2012年10月14日、同プロジェクトによって自身の持つ高度、最高落下速度が更新される。

《実験の反響と生かされなかった教訓》
プロジェクト・マンハイとプロジェクト・エクセルシオの成功は、当時のアメリカ国内に大きな反響を巻き起こし、キッティンジャーを始めとするパイロットたちは「(広義の意味での)宇宙へ初めて到達した人類」として大きな賞賛を集めた。しかし、この出来事の僅か1年後にソビエト連邦はボストーク1号でユーリイ・ガガーリンを宇宙へ送り出す事に成功、キッティンジャーたちの挑戦は過去の出来事として忘れ去られていった。
キッティンジャーはこの2つの実験のデータを元に、宇宙船の安全な運行のための下記の二つの提言をNASAに対して行ったが、いずれも当時のNASAの宇宙開発計画で真摯に受け入れられる事がなかった事を、後にドイツの放送局が制作したドキュメンタリー番組で語っている。
その提言とはこのような内容であったという。
宇宙船内を純粋な酸素で満たす事は、出火対策上極めて困難な技術的課題が多く、万一の事故の際には飛行士を生命に関わる危険な事態に晒す事になるため厳に慎む事。
宇宙船が打ち上げ中に故障を起こした際に、飛行士がパラシュートを用いて個人単位で安全に脱出できるような緊急脱出装置(例えば射出座席など)を備え付ける事。
しかし、当時のNASAはこの提言を受け入れる事はなかった。 番組内でキッティンジャーは「あの時この二つの提言を受け入れてもらえていれば、後のアポロ1号の火災やチャレンジャー号爆発事故で死亡した飛行士たちの命が救えていたかもしれない」と述懐している。


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夏だから下着には拘りたい・・・。



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「大胆に開放的気分だそうですニャ~♪」

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8月16日はグレゴリオ暦で年始から228日目(閏年では229日目)にあたり、年末まであと137日ある。

====8月16日の記念日===
【月遅れ盆送り火】
本来は旧暦7月16日であるが、明治の改暦後は、多くの地域で月遅れの8月16日に行われる。
お盆に帰ってきた先祖の霊を送り出す行事で、京都の五山送り火や長崎の精霊流しなどが有名である。
盆送り火 7月16日

【女子大生の日】
1913年のこの日、東北帝国大学(現在の東北大学)が女子受験生3人の合格を発表し、日本初の女子大生が誕生した。

【共和国再興記念日 [ドミニカ共和国]】
1865年のこの日、カリブ海のドミニカ共和国がスペインから独立した。
1821年12月にスペインから独立したが、内戦のその隙を突かれて1822年1月に隣国ハイチに占領された。1844年にハイチから独立したものの、ハイチとの戦争に耐え切れず、スペインに併合を申し入れた。1865年に3度目の独立を果たした。

====毎月16日の記念日===
エコの日 [京都市]
閻魔の縁日

====8月10日~8月16日===
健康ハート週間

====7月21日~8月20日===
「自然に親しむ運動」月間
雑誌愛読月間

====7月23日~8月23日===
ドッグ・デイズ(Dog days)

====8月1日~8月31日===
道路ふれあい月間
電気使用安全月間
食品衛生月間
北方領土返還要求運動強調月間
地球市民月間
パイン消費拡大月間

====8月16日の出来事===
1777年
アメリカ独立戦争: ベニントンの戦い

1780年
アメリカ独立戦争: キャムデンの戦い

1819年
ピータールーの虐殺。イギリス・マンチェスター郊外で集会に参加した群衆を警官隊が弾圧し、11人が死亡、600人以上が負傷。

1858年
ヴィクトリア英女王とブキャナン米大統領が大西洋横断電信ケーブルの完成を祝うメッセージを交換する。

1913年
東北帝国大学の入学試験合格発表で3名の女性が合格。帝国大学初の女子学生となる。

1920年
メジャーリーグベースボールでクリーブランド・インディアンズのレイ・チャップマンが頭部に死球を受け、翌17日に死亡。

1924年
ロンドン賠償会議でドイツの第一次世界大戦の賠償金仕払いを緩和するドーズ案が採択。

1943年
第二次世界大戦: 連合軍の爆撃でイタリア・ミラノのサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会が崩潰。レオナルド・ダ・ヴィンチの壁画『最後の晩餐』は奇跡的に残る。

1943年
東京都が戦争時において動物園の猛獣が逃亡して被害を及ぼすのを未然に防止する目的で、上野動物園に猛獣の処分を指令。翌日から薬殺を開始。(飼料不足で衰弱死する動物もいたが、第二次世界大戦時のイギリス、ドイツでも行われた例がある。)

1945年
第二次世界大戦: スターリンが北海道北部のソ連による占領を提案するが、トルーマン米大統領が拒否し、「日本は分割統治せず」と声明。

1945年
第二次世界大戦: 満州国皇帝溥儀がソ連軍により拘束される。

1946年
元満州国皇帝・溥儀が極東国際軍事裁判にソ連の証人として出廷。ソ連に有利な証言をするが、後に自著でソ連に強要されたものだったと述べる。

1960年
プロジェクト・エクセルシオ: アメリカ空軍のジョゼフ・キッティンジャーが気球による最高高度31,300mからパラシュート降下し、乗物によらない人間の最高速度988km/hを記録。

1962年
ビートルズのドラムスがピート・ベストからリンゴ・スターに交代。

1965年
ユナイテッド航空389便墜落事故。

1980年
静岡駅前地下街爆発事故。静岡駅前地下街でガス爆発が起き、死者15名、重軽傷233名を出す惨事。

1992年
第74回全国高等学校野球選手権大会で松井秀喜5打席連続敬遠。

2005年
宮城県牡鹿半島沖を震源とするマグニチュード7.2の地震(宮城県南部地震)発生。

2005年
ウエスト・カリビアン航空708便墜落事故

2006年
北方領土貝殻島付近で根室の漁船がロシア国境警備隊の銃撃を受け、1人死亡、4人が拿捕。(第31吉進丸事件)

2007年
埼玉県熊谷市・岐阜県多治見市で最高気温40.9℃を観測し、74年ぶりに日本最高記録を更新。

2013年
東北楽天ゴールデンイーグルス投手の田中将大が、2012年8月から続く21連勝で日本プロ野球記録を更新。

2017年
水銀に関する水俣条約が発効する。


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ゲスト様、おいでやすぅ~♪


   おこしやすぅ









いつも、お忙しい中ご訪問して頂きまして
有難うございます。笑い泣き






誤字・脱字・空気を読まない不適切発言・下ネタばかりで不快に思われましたら申し訳ございません。

そんな中、貴方様(貴女様)貴重なお時間を無駄
に過ごさせてしまい申し訳ございませんでした。きっと後悔されていることでしょう。ガーン


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