東京都知事選2024雑感 | 1971年からの地図

1971年からの地図

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地獄の釜の蓋が開いた。


言葉としては間違った使い方なのだが、その間違った使い方の方がしっくり来る。

今回の都知事選結果を見ての率直な反応だ。


当初石丸氏が立候補すると聞いて興味が湧いたのだが、その後蓮舫が立候補したと聞いて一気に白けてしまった。


これでは蓮舫を落とすための選挙に成り下がってしまうではないか、と。

その後大本命小池百合子が出馬表明した後は消化試合的な感じとなり興味も薄れた頃、終盤近くなり石丸・蓮舫が2位を競っていると聞き俄然興味が戻ってきた。


これは2位石丸来るかも、いや、絶対に来て欲しい!と。


今回の選挙で2位に石丸が来たのは歴史的に非常に大きなターニングポイントになったと私は考えている。まあまあの組織票を持つ左派候補を特に母体を持たないネット票が初めて上回ったのだから。かの辻本清美が「もう私らのやり方は通用せえへんのかな。」と嘆いたそうだが、これこそが無党派層が長年望んだ結果でありこれが旧態依然の高齢者優先の政治に風穴を開ける第一歩となるのでは、いやそうなって欲しいと思うわけだが、両手を挙げて喜ぶのはまだ早計だ。


あれから一週間、石丸氏の評判は選挙後のTVインタビューの受け答えの印象からかなり下がって来ている。と、同時に主戦場であるネットですらある事無い事言われているような状況だ。


ネットの評判で評価が上がりネットの評判で評価が下がる。そしてその結果は選挙の結果も左右するほどの影響力を持ち始めている、というのをまさに今目の当たりにしている訳である。


ネットでは最早今のマスコミは信用できないと言われている。確かに私もそう思う。だが代わりにネットが信用できるかといえば決してそうではない、というのが私の感覚だ。


嘘は嘘であると見抜ける人でないと(掲示板を)使うのは難しい」とはひろゆきの言葉だが、正に今がその状態なのでは無いだろうか。石丸氏の情報にしても真贋疑わしい情報がネット上に溢れている。石丸氏を応援する情報も非難する情報もどれもこれもが切り抜きだらけだ。


何のことは無い、今までマスコミがやっていた事をネット民が誰でも真似できるようになっただけの話だ。


地獄の釜の蓋が開いた、というのはそういう事だ。言葉の使い方は間違っているけれど。


例えばだ、石丸叩きの絶好のネタとなっているポスター代未払い問題。上っ面だけ見ると石丸氏が70万の支払いをゴネている、という印象になっているが、叩いている人達の果たして何割があの構造を理解できているのか。


正確には73万の支払いではなく、35万と思っていた発注に108万の請求が来たという話だ。多分批判者の多くはそれすら理解していないのだろう。普通なら思ってた3倍の請求ならボッタクリのレベルだ。


そこまで思い至れる人ならば次はこう思うはずだ「請求内訳はどうなってるの?」と。


ちなみに自分の持つ薄い経験と世に転がっている情報を総合してみるとこれは確かに35万円相当の案件である事がわかった。唯一不透明だったのがこの案件が納期の関係で「特急料金」だったということだ。そうなるともうその筋の人しか分からない話なのだが、特急料金即ち休日対応用の人件費が通常プラス70万円だった、という事だ。


なので価格の正当性については素人判断という条件がついた上で、さすがにコレは高かろうというのが私の感想だ。


この案件で見積もりを取らなかった石丸氏に非が無いとは言わないが、逆に見積もりも出さずに通常3倍の料金を請求する方もどうかしている。


ちなみに広島市辺りではこういった補助金は100万程度出るそうなので、印刷会社側も「補助金の範囲内で?」じゃあ100万請求案件だな、皆んな地元ではそれでやってるしって思ったのかもしれない。これは完全に推測なのだけれど。


・・・とまあ疑惑一つとってもそれが本当に本当なのかってのは、かなり周辺情報まで調べないとそれが批判に値するかどうか判断できないってことだ。今までのように朝日が反対しているから、これはGOでいいんだなって事にはならない。


反対だろうが賛成だろうがその根拠となったそのソースに切り抜きは無いか、恣意的な誘導は無いか、ってのをこれからは一々見分ける必要があるのだ。



もう一つ最近の例をあげようか。


例の安芸高田市議会の居眠り議員の話だ。


最近のSNSでは例の居眠り議員は脳溢血でいびきをかいていた事になっているらしい。それでその議員は診断書を提出したが石丸氏はこれは個人情報だからと読まずにシュレッダー、議員はその後死亡。


これについてはリアルタイムで追っかけていたのである程度覚えているのだが、確かこういう時系列↓の流れだったと思う。



↑この話と比べると今SNSで流れている情報は少し改変されていることになる。ただ↑の話もどこまで正しいのか本当のところはわからない。まあ後発の方がかなり恣意的な感じはするけれど。


どうだろう、地獄の釜の蓋が開くとした表現、何となくは伝わってくれはしないだろうか。


ちなみに本当の意味を知らないよって人がいれば今すぐ手元にあるその端末で調べてもらいたい。切り抜きの多い世の中、違和感を感じたら直ぐ調べることが必要だ。そしてそれを積み上げて俯瞰した先に初めて正しい判断ができるのだと私は思う。面倒臭い話だが。


さて、そういった様々な情報を含めた上で、今の石丸氏に対する私の評価は「とりあえず静観」としている。本当に彼がどのような人物というのかは今の状況では正直良くわからないし、また今の段階でそれをする必要も無いからだ。


ただ今の段階でひとつだけ言っておくとすれば、今回の知事選、確かに結果だけを見れば石丸氏は落選なのだが、あの選挙で20年後のビジョンを提示していたのは彼だけである。あれは本当上手い事やったなと思うのだ。


何故なら20年後に彼が言っていた問題がやってくるのは確定事項だからだ。それは誰もが分かっている事。それをしないのはただ問題を先送りにしているだけに過ぎない。


彼からすれば分かりきった20年後の問題を今提示しておいて、それが本当に現実になった20年後に「ほら私が20年前に言った通りになったでしょう。」と言って都知事選に出れば当選確実なのだからこれ程イージーな話も無いだろう。若さを武器に時間を味方につけたやり方というのはちょっと凄く無いですか、これ。


20年後が本命だとすれば、20年後の票田となる層をキープすればいいだけなので、そう考えると選挙後のあのTV局への攻撃的な応対もそれほどネガティブな影響も無いのかもしれない。アレにムっとするのは大体が中高年であって、それらは20年後には確実に数を減らしているのだから。


当選者より落選者の将来に注目するという選挙というのはなかなか無い事だと思った。


蓮舫はどうでもいい。


だがシールは剥がせよ、楽天もそうだが立命館も怒っているぞ。(多分)