桜がおいしい季節になりましたー | ホプキンさんのブログ

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「松村さんがフジロックで木陰でお酒を飲みながら音楽を聴きながら本を読んでたらピールアウトの近藤さんが、贅沢なこと、してますね、そういうこともありました」「松村さんがいなくなったことがすごく変な感じがするんです、石原良純さんがお世話になったマネージャーさんについて死んだと思ってないと言ってたんですけど、松村さんは亡くなったと思ってる、でもとても変な感じで、けっこうピールアウトとかも聴いてるんですけど、続いては、の前に、森永のだったと思いますがミルクキャラメルをよく食べてたんですけどそれも食べてみたいですね、1番歯にわるそうですが、続いては、の前に、けっこう打つの大変だなと思うんですけど、更新できるでしょうか」「どう思います?」「更新できる可能性は2割くらいと思ってます」「笑、当日にならないとわからないけど、3万字は打つだろうから1回目更新できたら2回目はきっとるんるんでしょう」「るんちゃん?」「そう、るんちゃん、私は100%大丈夫と思ってますよ」「そうですか、こればかりはちょっとわかりませんが、続いては、Kyo『異邦人 ALIEN』、今年を象徴する感じです、まずこれはkyoさんに損ねることには決してならないことなんですけど、広末さんの記憶と近いというのがあって」「そういうものでしょう、それも音楽に与えられたことです」「スリープ・マイ・ディアーも思い入れがあるんですけどそうなってなくて、閉じてるというかバンドとリスナーの世界関係性という、それで、『異邦人』は93年リリースですが自分にとっては97年、MajiでKoiする5秒前、大スキ!、風のプリズム、ARIGATO!、『zoo』が98年で summer sunset、ジーンズ、明日へ、private、ただそれと離れてkyoさんの音楽はとても強いもので今回たくさん邦楽を聴いて思ったんですけどkyoさんの音楽が1番よかったのとアルバムをしっかり制作してるという感じを持ちました、『異邦人』は DIE IN CRIES 解散前のアルバムで『Classique Ave. の飛べない鳩』にサウンドは近いですがkyoさんの世界、アルバムとして統一した雰囲気があって、レコーディングはロンドン、隣のスタジオでスウェードがレコーディングをしてたそうで、そういう、音としても統一した雰囲気も含め洋楽という作りになってると思います、穏やかな、優しい、閉じた、ロマンチックな、そういう感じです、今年を象徴するアルバム、98年の『zoo』は傑作で、前衛さかっこよさ、びびるくらいです、このアルバムも閉じてると思うんですけど強いエネルギーがあって、反逆の音楽かな、運命みたいなものに対しての、98年にリリースされたおおかたの洋楽のアルバムを上回るすばらしさかっこよさ」「それで聴いて広末さんを思い出すんですか」「思い出さない、今年の音楽になって、いつか今とチーム8を思い出すんじゃないかなと思います、それとkyoさんの声を聴いて1番自分に近い声で、それを思いました、DIE IN CRIES の『NODE』もいいアルバムだと思ったんですけど、近さというのも思いました、あとやっぱ自分は日本人だなと思いました、その頃、音楽誌もよく読んでたんですけど、音楽誌で読めることは貴重で、いくつかのバンドと出演したコンサートについての文章で、2ギター1DJという変則的な編成で登場というのを読んだときやっぱりかっこいいなと思いました、DIE IN CRIES は高校のとき聴いてて今思えばかなりの影響、精神のくせや方向も、音楽としてはヴィジュアル系を聴くようになって、のちにピロウズのアルバムを買おうと思ったもののジャケットの裏のメンバーの写真のジーンズにスニーカーという姿に躊躇したり、そののち洋楽にはスウェードから入りましたが、それはやっぱり入りやすかった、それから洋楽の影響もあり、それで今ブログを、何でしたっけ」「くそ素人のくそブログ」「高校のときは今みたいに携帯もないしおどろくべき狭さでしたが、その狭さを、というか、今もとんとんくらいか、むしろ今のほうが、そんなことあります?」「今年はそうだったかもしれないけど、あんたが広いのも変だよ、成長っていうのも、あんたはねえ、間違ってたとしてどこでどうっていう、わからないよ、狭いあんただから私を知覚できた、けど成長ってどうやってするんだって感じでしょあんたは、誰かが人ができることができない人は人にできないことができるって言ってたけど違うんだよね、できるようになりたいのは人ができないことじゃなくて人ができること、あんたみたいな人もいるだろうと、思うくらいにしときましょうか、それで、夢シリーズ?」「夢シリーズです、語らせていただきます、今年は3回、最初のは小田さんで、持つところのある紙袋をさげて営業の仕事で歩いてまわってて昔住んでた街の大きな本屋さんに入って、カウンターに2人いて左にいたのが小田さんで、小田さんだと思って、紙袋を渡そうとカウンターの上に持ち上げようとして気づきましたが大きな単行本がたくさん入ってて、カウンターの上に置いて、1ターン話したというか自分は本を探しててその場所を聞いて終わり、小田さんは白色の服で水色のリボンを付けて髪が肩くらいで背が僕より高く見えた、実際は僕のほうが高いですよ、小田さんは170ないでしょう、あとの2つはなるちゃんになりますが最初のは出てきてなくて、駅の改札を通ろうとして通れなくて切符をもってないと思って、戻って上にあるマップを見て運賃がわからなくてカウンターがあってそこのおじさんに聞いて、230円ということでしたが大きな額お皿に置いて小さなベルトコンベアーみたいなのから小銭がたくさんお皿に出てきて、1枚か2枚くらいずつ財布に入れるのをカウンターのほかの2人の人が見てて、改札を通ったら昔住んでた街の駅で段の小さい広い階段を降りながらそうだ倉野尾さんのグッズを買いに行こうと思って終わり、補足すると駅に入るために改札を通ったら駅から出たことになってる、もう1つは長尺ですが自分はこっち側の部屋にいて廊下をはさんで向こう側の部屋の、入口の引き戸があいてて部屋や廊下の辺をなるちゃんが掃きそうじをしてて、部屋のなかをもう1人の人がそうじしてて見当がつかないけどその人もAKBの人らしい感じで、小栗さんが左側から来て自分は離れるかたちで左側に移動して、聞こえないけど小栗さんとなるちゃんが話しててそれも小栗さんが言ったことは聞こえなかったけどなるちゃんが足が痛い、歩けないと言って、自分は別の部屋に行って窓から外を見ながら今日はなるちゃんたちは1日そうじをしてたのかなと思って、そのあとちょっと怖いことが起こって、戻ってきたら右手に知ってる人が表情が見えない感じに向こうを向いて俯いて立っててその左手になるちゃんがこっちを向いて立ってて目が合って、8月14日のCDTVの最初のメドレーのときの衣装と髪型で、僕は自分をなるちゃんのファンと思っててなるちゃんも僕をそう思ってて、なるちゃんは困ったように笑ってどうしてこの人がここにいるんだろうと思ったことが自分にわかって、ちがうちがうというふうに手を振ってなるちゃんを見ずに知ってる人にさっきあった怖かったことの話をしてて終わり、あと言うとするともう1つあって、1場面だけですが坂口さんが本を出したということで色のない厚めの本があって表紙に横書きでタイトルが3行くらいあってタイトルが長いなと認識して終わり、これも入れれば4回ですが坂口さんが出した本の夢です」「まあ1つ言うとチーム8しか出てこないのはさすがだね、1枚か2枚ずつ財布に入れながら、おかしなことをしてしまったと思いながらおじさんのほかにカウンターにいた2人があんたの手もとを見てるのを意識してていかにもあんたの夢だけど、そんな夢を見たのもその時期昔住んでた街のことをよく思ってたからかなと思う、そのアイドルグッズのお店には広末さんのグッズを買いに行ってた、それでまた行ってみたいなとか思ってて、今行ったらきっとAKBのグッズがあってそれこそ私のグッズもあると思ってぎょっとして」「笑、そのときなるちゃんは生まれてもなかった、自分とか自分の人生を肯定できないし言い訳もできない、本当におかしいんですよね、その時期思い返すことが多くて、そのお店については、店員さんは自分と同じくらいの年の男の人が2人で交代でやってて、いるのは1人で特に1人の人はオタクっぽかった、自分の同族に初めて会った、前髪で目が隠れる感じで色白でやせ気味で、お客さんが来ても何も言わずいつもカウンターで俯いて写真の仕分けとかしてて、自分はその人にいい印象があって、あるとき広末さんの小さめのパネルがちょっと高いところにあって、その人とちょっと話してみたかったというか何か1言言ってみたかったんだと思うんですけど、カウンターにいるときは言えないからグッズとか見てたらその人が商品をもって近くに来て、僕はあの広末さんのを取ってもらえませんかと言ったらその人があ、広末のですねと言ってさんはいらなかったかと思って、その人まだいるだろうかとか、今行ったら、その街のことを思い返すことは多かったけどその最初の記憶で、お店に入るときいつもどきどきしたんですね、店員さんはいつも俯いてカウンターで何かしてて、店内は静かで、写真が多かった、いつも広末さんのグッズしか買わないけどばれたくないというかほかの人のグッズのところも行ったりして、夢でそのお店に行こうと階段を降りながらそのときと同じように胸が高鳴ってて、今も行ったらあるのかなと思うんですけど、まあ最初にそのお店に行った時から26年になります、なるちゃんはこの世にいませんでしたが何歳になりましたか」「23歳です」「そうですか」「西軍軍師のなるちゃんとしてある日登場して、2年か、パネルまだ持ってますか」「持ってます」「飾ってみませんか、あんたの人生については、平日半額のハンバーガーってあったでしょう、CD屋さん、中古のCD屋さん、本屋さん、中古の本屋さん、いつも自転車で同じ道を通って、CDウォークマンをもって、よく変な人が目に入って、駅どうなったでしょうね、しばらくベンチに座って、静かというか無音で、無量空処みたいに、タクシーが1台くらい停まってて、売店があって商店があって、無音というのは人音で夏だったからセミが鳴いてましたか、沿線はとんでもない田舎で、車両は1両か2両で、窓に当たるくらい樹木がずっとあって、売店でコアラのマーチとライターを買って、薄緑色でTOKAIか東海って字があって、今も持ってる」「山口ですね、下関、宇部新川、小郡、あと福岡、奈良に桜井というところがあって、山梨の甲府と清里、これも山梨かわからないけど小淵沢というところとそこから先、東京は数回しか行ったことがないけど新宿のいつも同じところに泊まって、もう古かったからないかもしれない、煙草を吸うから窓を開けてて、5メートルないくらいに隣の建物があって、古くて窓の外に錆びた針金が渡してあって洗濯物が干してあって、暗澹たる景色だった、新宿は重苦しくて暗くて、好きな感じでした、その辺ですね、行ってみたいのは、祖父がもう亡くなりましたが亡くなるちょっと前に訓練をしてたところか出征の前に集まったところかに行ってたそうで、死ぬ前に行きたいところが戦争にまつわるところというのは、でも年を取ってから行ったことのない知らないところなんか行きたくない、だからいろんなところに行っておいたほうがいい、なるちゃんは47都道府県に行ってますよね、とてもいいことだと思います」「熊本にも行ってますよね」「数年の差ですが何もわからない子どもで郷愁は少ない、お弁当を買って泊まってたところに帰って食べてなんか豆腐料理のでしたがすごくおいしくて、思っただけですがそのお弁当屋さんの電話番号を調べてお弁当おいしかったですって言いたいと思った、応対してくれたのがしゅっとしたかっこいい人で、都会の人って感じだった、自分は馬鹿な感じで、カーテンをあけて明かりを見て都会だなあと思った、そのときに広末さんが出てる雑誌を初めて買って、地元だと恥ずかしかったから、それを読んでて、小さい地味めの写真とあとは言葉で、僕は広末さんをすごく頭のいい人だと思ってた」「その雑誌今もありますか」「25年開いてませんが、それとkyoさんの本もそのときに買ったんです、熊本から帰るとき駅かその近くのあまり大きくない本屋さんで見つけて、自分はいつも熟考するんですけどぱっと買って、それを都会っぽくて気に入ってた、でも手に取ったときの感じから買わないっていうことはなかったと思う」「こうしてみるとkyoさん異常にかっこいいね」「そう、すごくかっこよくて、それを1番思った、ライヴに行ったことがあるんですけど、『strip』が1番好きで思い入れもあるけど1曲もやらなかったような気がする、明るくポップな作品だから合わなかったのかもしれませんがそれくらいラウドなライヴで」「ラウドなライヴ」「Dear のアルバムにも携わった辻剛さんがギターでメンバー紹介のときお客さんがたけしーって言ってkyoさんがだめだよ呼び捨てにしちゃと言って、ふだんは、ラジオ番組もよく聴いてて、よくkyoさん界隈のミュージシャンも出てた、渡辺善太郎さんにハーベストの佐野くんって言うと嫌がるって言ってたその佐野さんは、出演したときステレオフォニックスの2枚目のアルバムの2曲目をかけてお互いブリティッシュ好きで共通しててと言って、佐野さんの話をkyoさんがしたら善太郎さんは、さ、佐野な、と言ってた、Gallaの響也さんにはくせを取れとかうるさいことを言って申し訳なかったということを言って、いい声なんだよね、おれは下手だからと言って、ディーパーズはナラサキさんだけの時もあったしベースのカワナカさんと出ることもあって、アルバムのミキシングについてナラサキさんが1人でアメリカに行ってやったそうでkyoさんが1人だけおいしいとこ持ってきやがってみたいなとこないですかって言ったらカワナカさんが最終的にナラサキが主導権を握らないと散漫なものになるからと言って、kyoさんはディーパーズのアルバムの話をしながらちゃんと聴いてるでしょと言って感じよく笑って、ディーパーズの曲をかけるときナラサキさんがラビアンローズと言ってkyoさんがおれの曲だっちゅうにと言って、kyoさんはロック社会について縦社会ということを言ってて後輩の人のkyoさんへの接し方もそういう感じだったしkyoさんもバクチクの酒は長いんですよって言ってたり、ナラサキさんは後輩になると思うんですけどちょっと違ってたというか、べらさんというギタリストの人がいて自分はでらさんと思っててべらさん当てのお便りにでらさんってあったことがあってkyoさんがでらさんではなくべらさんだと、1度べらべらに酔っ払ってたことがあってそれ以来べらさんと呼ばれてるそうで、それでkyoさんの曲のレコーディングにべらさんとナラサキさんがギターとして参加してて、べらさんがスタジオに行ったらちょうどナラサキさんが出てきて先に入れときましたんでって言って、べらさんがスタジオに入ってナラサキさんの演奏を聴いたらもう入れるとこがないって思ったそうで、自分の印象ではちょっと申し訳ないんですけどべらさんはシャイなおっちゃんでナラサキさんはやんちゃ小僧という感じ、自分はその人たちになんとなく親しさを感じてて、あとkyoさんはレコーディング中がじゃりこにはまったって言って何回か言った後じゃがりこかって言って、あとやっぱりライヴに行ったとき、並んでるときkyoさんが写真で着てた服やかぶってた帽子をかぶってたり着てたりしてる人がいて、自分はずっと1人で聴いてきてkyoさんのファンやリスナーがいることは知ってたけど初めて目の当たりにしてうれしいなと思って並んでて、会場に入ってとなりにおとなしそうな人がいて、並んでたとき派手めの人が多かったから自分と同じような人がいてよかったと思ってたらkyoさんが出てきたときkyoちゃーん! と言って、ライヴは人生で初めてで音が大きくて、DIE IN CRIES の LAST LIVE のアルバムはすごく聴いてたけど全然違った音の大きさにびっくりして、『異邦人』の曲をけっこうやってくれて何年も聴いてたから胸がいっぱいになって、最後の最後kyoさんが着てたTシャツを脱いでお客さんのほうに投げて深くおじぎをして、それを覚えてます」「ロック・ジャーナリストの人で、その人は観たいライヴは全部観る、無理だろうが外国だろうが槍が降ろうが全部観る、たぶんそれは正しいことなんですよね、その人はいつかと思わない、瞬殺というか観る選択肢があるなら迷わない、五木寛之さんが記憶の財産性について言ってたと思うけど、ただその場合の記憶は体験にとどまらないとも思う、その人はウィーザーのライヴを観に行って、書いてた言葉を覚えてる、かく在るべし、あんたも会場に早く着いて入口のところに小さな台があってチラシとかのっててそこにお兄さんがいてお兄さんにkyoのライヴ今日ですかって言って、それも記憶に残ってる、AKBはないんですよね、広末さんのときはアイドルグッズショップもですが広末さんが着てたのみたいな服はないかなと古着屋さんに行って広末さんが着てた服にあったアルファベットと、それはもう探してたんだけど、同じアルファベットが書いてあるパーカーを見つけて、心臓が1回強く打って、AKBはないから、それとオアシスは残念でした、毎年のように日本に来てたからいつでも観れると思ってて、ただ今リアム・ギャラガーはすごい人になったと、インタビュー記事を読むたびに、あんたは思ってるんですよね? それでそう、ソングスオブ有菜を決めときません?」「 THE PASTELS『ILLUMINATION』Mercury Rev『All Is Dream』Elliott Smith『either/or』BELLE & SEBASTIAN『わたしのなかの悪魔』Spiritualized『Let it come down』」「あんたにとって大事なアルバムですが服部にあげていいんですか」