最近暇な時はNHKのBS放送やEテレを観ることが多いが、何気無く眺めていても心に響く番組に出逢うことがある。高い視聴料を払うのも致し方ないと納得してしまうことも一度や二度では無い。
先日も往年の名俳優の近藤正臣さんのドキュメンタリーがあると知り、郡上八幡に移住という文言に心惹かれて視聴してみた。
あまり期待せずに眺めていたが、視聴後にはいろいろ考えさせられる素晴らしい番組だったと感じることが出来た。再放送もしっかり視聴するほど印象深かった。
ドキュメンタリーなのでストーリー仕立てのあらすじなどは無いが簡単に概要を紹介しよう。
タイトル、「妻亡きあとに~近藤正臣郡上八幡ひとり暮らし~」
晩年俳優業を引退し東京の御自宅で悠々自適の生活をされていた近藤ご夫妻だが、旅行で何度も訪問しご夫妻で気に入った郡上八幡に移住を決断、2017年に移住。移住後、保護猫を一匹引き取り、奴チャンと名付け夫婦二人と猫一匹で穏やかな晩年を過ごし始めた。奥様は小学校の同級生で幼馴染なので知り合っで70年以上もなるおしどり夫婦だ。移住後数年が過ぎた頃、奥さんが認知症を発症し近藤さんは5年ほどお一人で介護生活をされていた。しかし近藤さんが腰骨の骨折で車椅子生活になり、やむ無く介護施設に奥様をお預けになったようだ。介護施設の方のお話では、奥様は既に重度の認知症でお一人で介護し続けるのは困難な状況だったと振り返って語っていた。入所して間もない2023年に奥さんが亡くなり、その後は現在まで一人暮らしをされている。
近藤さんは奥様の介護を一所懸命続けることで気を張り詰めて過ごして来たが、奥さんが亡くなってからは生きる目的や意義が見出せず茫然と時間が流れていったという。介護生活とはいえ、相思相愛の奥様との生活は充実していたようだ。長年連れ添った伴侶を失った絶望感は想像するだけで恐ろしい。
茫然自失な状況でも荒れた生活になっていないのが凄い。食欲が湧かないと言ってソーメンを茹でる場面があったが薬味に茗荷と分葱を刻み、ちゃんとした器で食べていた。私だったら洗い物を減らす為に器に盛らず鍋から直接食べていただろうと思う。
正月の朝は数日かけて塩抜きした数の子を昆布出汁につける姿が映されいた。出汁を取り、お餅を焼いてお雑煮と数の子のお節をチャチャと作る姿に、介護生活の時に料理や家事を一手に引き受けて毎日されていたのだなぁと想像することが出来た。荒んだ生活に陥いることなくきちんとした日常生活を続けることはなかなか出来ることではない。亡くなった奥様に日常生活の乱れに関して心配をかけ続けないように努めていたのかも知れない。
また地域の方々との温かい交流に心が癒された。地元の釣り仲間が時折釣りに誘って気分転換させてくれる。奥様の介護時に知り合った介護師の方々が、猪鍋を持参して労いに来てくれる。保護猫の奴チャンが適度な距離感で近藤さんに寄り添ってくれている場面が随所に映し出されていた。近藤さんは奥様のことだけが心配だったが奥様を見送った今、不安は何一つなくなったと呟いていた。死への恐怖も無ければ長く生きたいとも思わない。しかし地域の方々との交流や奴チャンとの穏やか生活は温もりがあり、『もう少し生きているのも悪くないかも…。』と遠くを眺めながら呟くように微笑んでいた。
老いていくことは何とも残酷なことではあるが、一日一日を後悔なく丁寧に過ごしていけたら、それが一番なのではないかと感じた。あと数年妻が長生きして一緒に暮らせたら…、認知症にならず元気でいてくれたら…、などタラレバの呪縛から逃れられなければ溜息と後悔に支配されてしまう。たとえ何が起こっても、仕方ないことは受け入れるしか無いと諦める覚悟が必要なのかも知れない。
頭では分かっていてもいざとなったらどうなるかは自信は無い。
かけがえのない伴侶としっかり向き合って誠心誠意全力で介護出来たことは男の鏡だと感じた。
先日、奥様を突然亡くされた友人と一杯飲む機会があった。家にばかり閉じこもっているのは良くないかなぁと、思い切って皆んなと飲みに出て来た、と話していた。慰める言葉も見つからず、ただ友の話を聞きながら寄り添っていることしか出来なかった。7年前に奥さんを亡くした友人に『いつになったらこの苦しみから抜け出せるのかな…。』と問いかけると、じっと聞いていた別の友人は涙を浮かべながら振り絞るようにこう答えた。『7年経っても苦しみからは逃れられていない。…。ただ少しだけ苦しみに慣れてくるようになってきただけだ…。』
『苦しみは無くならない。しかし苦しみには少し慣れてくる。』
皆、元気に頑張っているがそれぞれが人知れず懸命に闘いながら自分の人生に向き合っているのだと感じた。
友がポツポツと呟いた話によると、最近、妻が何かある度に『今が一番幸せだ。』としきりに言ってばかりいたので天に呼ばれたのかな、と溜息をついていた。
お互いに不器用な男同士で言葉数は少なかったが、じっと話を聞くだけだった私は、一言だけ言葉を添えた。『お悔やみの言葉にもならないが、…。最愛の伴侶である妻の最期の言葉が[今が最高に幸せ]というのは男として最高の勲章なのではないか。もう少し一緒に老後の時間を共有したかったという後悔は無くならないかも知れないが、妻から最高に幸せだったという言葉をもらえる男はなかなか居ない。男にとっての幸せは人それぞれだが、妻子、とりわけ妻を笑顔にさせ、最高に幸せだと思ってもらえることは[男子の本懐]そのものなんじゃないかな。慰めになっていないかも知れないが、お二人で長い人生を頑張って来て夫婦だけの勲章をもらえたようにも思えるじゃないか。君たちは素晴らしい人生を歩んで来たんだな。』
歴史に名を残したり大きな業績を上げたりすることだけが男子の本懐ではない。
金や地位や名誉などより、すぐ側にいる身近な妻が笑顔で気持ち良く過ごしてくれることこそ、『男子の本懐』だと言い切って良いのでは無いか。
近藤正臣さんも、友人も妻に寄り添って懸命に生きてきた。
後悔が一つもない人など居ないだろうが、後悔は少なければ少ないに越したことはない。後悔は無くせなくても、一つでも誇れることを増やしていきたい。
清水の舞台から飛び降りるような大きな決心をする機会は今後無いかも知れないが、何気ない日常生活の中に小さな改善やチャレンジはたくさん転がっている。楽しみの種は身の回りにいっぱいあることに感謝したい。
残された人生、私も私なりに自分に出来るベストを尽くしながら過ごしていこうと思う。
人を羨まず、無理せず、しかし諦めず。