先日、高校時代の友人とやりとりをしている時に最近話題になっている本の話になり、一冊の本を紹介された。2025年本屋大賞を受賞した長編小説でタイトルは『カフネ』。

小説は本のタイトルで大体のイメージがわくものだが、カフネという言葉は初めて見る言葉で皆目見当がつかない。

早速ネットで調べてみると、ポルトガル語の「カフネ

cafune 」とは、「愛する人の髪にそっと指を通すし

ぐさ」をあらわす一字の単語だそうで、日本語にはドンピシャの単語は見当たらないようた。

本の内容よりもポルトガル語の豊かな感性に心惹かれて嬉しくなってしまった。

ポルトガル語には他にも『サウダージ』という言葉がある。人気バンド、ポルノグラフティの名曲のタイトルなのでご存知の方も多いと思う。


「カフネ(cafune 」とは、「愛する人の髪にそっと指を通すしぐさ」意味する単語。

サウダージ(Saudade=失われた物や人への強いノスタルジア)を意味している。


カフネは、愛しい相手を無条件に安心させたいという文化的な思いやりが形になった言葉であり、ゆったりと包み込むような優しい気持ちが溢れている。

カフネという言葉に出会った感動が記憶の底のスイッチを入れたのか、大学生の頃に出会った万葉集の言葉を思い出した。『衣衣』、『後朝』である。共に「きぬぎぬ」と読み、共寝をした男女が翌朝に離れ離れになる切ない思いがこもった言葉た。掛布団がわりのお互いの衣がいつしか交じり合い、互いの残り香に包まれながら朝を迎える喜び。

しかし、朝になれば入れ替わっていた互いの衣装を身につけて部屋を後にする切ない男女の気持ちが濃縮している。残り香という言葉も、鼻腔をくすぐる甘い言葉だか、衣衣も切ない気持ちかこもった言葉だ。


心の機微を揺さぶるような言葉に出会うと、走馬灯のように記憶が蘇り、経験したことがない古人の気持ちを追体験することが出来る。学生時代に何気なく選択した万葉集から思いの外多くのことを学んでいたことに驚きを禁じ得ない。

懐かしい友人達と足繁く会い、無駄話してみることは決して無駄ではない。効率や成果とは無縁だが、かけがえのない『無用の用』が確かに存在している。

そんなことに思いを寄せる今日この頃た。

先日、高校時代の友人とやりとりをしている時に最近話題になっている本の話になり、一冊の本を紹介された。2025年本屋大賞を受賞した長編小説でタイトルは『カフネ』。

小説は本のタイトルで大体のイメージがわくものだが、カフネという言葉は初めて見る言葉で皆目見当がつかない。

早速ネットで調べてみると、ポルトガル語の「カフネ

cafune 」とは、「愛する人の髪にそっと指を通すし

ぐさ」をあらわす一字の単語だそうで、日本語にはドンピシャの単語は見当たらないようた。

本の内容よりもポルトガル語の豊かな感性に心惹かれて嬉しくなってしまった。

ポルトガル語には他にも『サウダージ』という言葉がある。人気バンド、ポルノグラフティの名曲のタイトルなのでご存知の方も多いと思う。


「カフネ(cafune 」とは、「愛する人の髪にそっと指を通すしぐさ」意味する単語。

サウダージ(Saudade=失われた物や人への強いノスタルジア)を意味している。


カフネは、愛しい相手を無条件に安心させたいという文化的な思いやりが形になった言葉であり、ゆったりと包み込むような優しい気持ちが溢れている。

カフネという言葉に出会った感動が記憶の底のスイッチを入れたのか、大学生の頃に出会った万葉集の言葉を思い出した。『衣衣』、『後朝』である。共に「きぬぎぬ」と読み、共寝をした男女が翌朝に離れ離れになる切ない思いがこもった言葉た。掛布団がわりのお互いの衣がいつしか交じり合い、互いの残り香に包まれながら朝を迎える喜び。

しかし、朝になれば入れ替わっていた互いの衣装を身につけて部屋を後にする切ない男女の気持ちが濃縮している。残り香という言葉も、鼻腔をくすぐる甘い言葉だか、衣衣も切ない気持ちかこもった言葉だ。


心の機微を揺さぶるような言葉に出会うと、走馬灯のように記憶が蘇り、経験したことがない古人の気持ちを追体験することが出来る。学生時代に何気なく選択した万葉集から思いの外多くのことを学んでいたことに驚きを禁じ得ない。

懐かしい友人達と足繁く会い、無駄話してみることは決して無駄ではない。効率や成果とは無縁だが、かけがえのない『無用の用』が確かに存在している。

そんなことに思いを寄せる今日この頃た。

人間に限らず全ての生物はいつか老いる時期がくる。

中には老いても尚若々しい人もいるが、永遠に若さを維持し続けることは出来ない。

生物としての宿命は百も承知しているが、それでも尚、少しでも永く若々しく過ごしていたいと悪戦苦闘するのは人間の性なのかも知れない。

毎日欠かさず6kmのウォーキングを行い、週に2回の筋力ジム通いを続けているので、他の人よりは若さと健康はキープ出来ていると思い込んでいたが、現実はそう甘くは無いことに気付かされてしまった。

違和感に気づいたのは些細なことからだった。

それは朝の散歩中に通勤途上の若い女性に後ろから追い越されることが何度かあってびっくりしたことだ。

現役の頃は無意識に歩いていると早歩きになってしまい、連れを小走りにさせてしまっていたので、普通に歩いていて後ろから追い越される経験がなかったのだ。

異変は他にもある。散歩の歩数だ。いつもなら毎日8,700歩から9,200歩くらいの歩数だが、最近では9,000歩から9,500歩くらいの歩数になっていたのだ。あれこれ原因探ってみると、いつの間にか歩幅が小さくなり、畳を歩くような摺り足気味に歩いてしまっていたことに気がついた。散歩の前半は大股歩きを心掛けているので踵から着地しているが、後半は疲れてき摺り足気味になり、歩幅が小さくなってしまっていたのだ。また入念なウォーミングアップ体操などすることなく歩き続けていたので股関節周りがガチガチに硬くなっていたのだろうと思い至った。

充分な運動量だと慢心し行動がマンネリになっていたことをおおいに反省したしだいだ。

年老いていくことへの覚悟は出る出来ていたつもりでいたが、いとも簡単にオロオロしてしまう自分にため息が出てしまった。

いつのまにかフラットな散歩コースばかり選んでしまっていたが、20m程の丘越えコース、60段階段コースも復活することにした。


しかし毎日の散歩は健康のためでもあるが、四季の移り変わりを楽しむための楽しみ時間でもあるので、アスリートのような必死さはいらない。あくまで笑顔で楽しくをモットーに続けていきたい。

また体力の衰えが気力の衰えに繋がるという話を聞いたことがある。気力の衰えは出来る限り無くしていきたい。

週二回の筋力トレーニングも始めの頃はキツく必死だったが一年が経過し、最近では楽しくなってきたので筋力トレーニングを週3回に増やし始めたところだ。

大胸筋と僧帽筋、腹筋を鍛えることが目標だ。カッターシャツやポロシャツを着た時にシャキッとした姿のイケ爺になることがささやかな願いだ。

つまらない年寄りの願望ではあるが生きる喜びや頑張るエネルギーになるのであれば、大切にしていきたい。


老いることの驚きや恐怖はあるものの、同時に老いることに抗ったり時には受け入れたりしながら過ごせることは幸せなことだと感じている。若い頃に戻りたいと嘆くのではなく、老いていく現実を受け入れ、無駄な抵抗と諦めず、ささやかな抵抗にチャレンジしながら小さな成功体験を楽しんでいこうと思っている。