大吉、大吉、中吉  

       

ここ数年、地元の神社によくお詣りに行っでいる。たまに気が向いた時におみくじを引いている。今年は3度、おみくじを購入した。結果は大吉、大吉、中吉だった。おみくじの最初に和歌が書いてあり、なかなか興味深かったので紹介したい。 


①かき曇る 空さえ晴れて 

さしのぼる 日かげのどけき

我ころかな

意味は、

黒雲が湧き立ち、辺り一面真っ暗な天気でも、やがて陽が昇り眩しい光が広がり穏やかで、ゆったりと安心した心境になるのは我が心のようだ。

こんな意味だと解釈した。確かに大吉でめでたい気分だ。


もう一つの大吉は、

②朝日かげ たださす庭の

松が枝に 千代よぶ 鶴の

こえののどけさ 

とあった。

朝日の陽光が真っ直ぐに差し込んでいる庭で、千代の長寿を象徴すり縁起の良い鶴が、これまためでたい松の枝で鳴いている。なんとめでたく、長閑なことか。

誠にめでたく、これぞ大吉。


大吉が2度続き、今年の運気は上昇気流だとウキウキ気分っあったが、3度目は中吉。3度続けて大吉と言うわけにはいかなかったが、中吉ならまあまあだな、と思いながらおみくじを読んでみた。始めに書いていた和歌がこれだ。


中吉

③桜花 盛りは過ぎて

降り注ぐ 雨に散りゆく 

夕暮の庭


桜の花の盛りが過ぎ雨と共に花びらが散っていく。夕暮の庭のような光景が広がっている。


なんとも、物悲しく寂しい光景が広がり、これで中吉か?と首を傾げたくなった。末吉より悪く凶なのでは?とさえ感じた。


しかし、寂しさの中に何処かしら安堵感を覚える自分がいた。多忙を極めた現役企業戦士から離脱した自分に重ねて考えてみると桜は満開の時だけでなく、花吹雪を経て葉桜になる頃もまた趣があると感じるからだ。

確かに桜が散るのは寂しいことだけど来年もまた変わらず花を付ける為に、花が散った後には青葉が繁り、来年の為に滋養を蓄える段階だとも言える。

ビジネスの第一線から身を引いた今、若い頃のように常に華々しく栄華を求める段階とは違い、衰えゆく身体と相談しながら、ぼちぼち歩んでいく時期に差し掛かっている。そう考えてみると、桜花が舞い散る姿も愛おしく思え、中吉もなかなか悪くないと思えてくる。


生涯現役を実践している友人を眩しく思う一方、伊能忠敬のように隠居してから自分のやりたかったことに方向を変える生き方にも魅力を感じる。

そんな過渡期にいる自分にとっては、まさに「中吉」が今の自分を表しており、寂しさの中にも愛おしさも感じられるような気がして来た。


自分を大切にするということは、自分を中心に考える必要はない。

家族の為、地域の為、友人の為に何某か貢献することに喜びを見出すのもまた幸せなことだ。人の役に立つ喜びは深く大きい。


ピークを過ぎて少し下降気味の体力ではあるけれど、このまま自分を信じて、様々な人との出会いに感謝し、一日一日を大切にしながら淡々と過ごしていく。

いつも通り変わらね日々を過ごしながらも、心の中にはしっかり息づく願望をある。心に秘めた思いを忘れること無く過ごしていれば

心の中で夢に描いていることは、きっといつか現実となる日が来る。


DREAMS COME TRUE


焦らず、弛まず、諦めず。


程々で良しとする。

頑張り過ぎない。

元気に日常生活をおくることができ、不安無く生きていることが出来ていればそれ以上の幸せは無い。

足るを知る。


中吉は同世代を生きる方々へのエールと言えるのではないか。


頑張り過ぎないで、ぼちぼち頑張ってまいりましよう。