難聴者の集いを開催していました。
参加資格は特に決めておらず、難聴当事者・そのご家族・要約筆記者と聞こえる方とか聞こえにくい方とか聞こえない方など様々な方が集っていました。
初めは手話サークルで知り合った難聴者3名からで、無料ということもあり聴覚障害者センター小会議室をお借りしました。(参加費無料)
また、意思疎通はPC要約筆記者の方3名の支援を受けました。
決まった開催日は特に決めず、集いの最後に参加者の都合の良い日をすり合わせ次回の開催日を決めており、大凡月一回をめどの開催でした。この集いを発展させたく知人の新聞記者やTV局記者などに情報を提供し何度か取材を受け、記事やニュースを見たという方が県内各地から参加されていました。
話題は、主にご自分の状況と難聴者特有の問題などを愚痴を交えた雑談でした。
上記すべて過去形での報告なのですが、
難聴当事者の集いが立ち消えたのは主に僕の対応のまずさゆえで、
所謂「傾聴」の意味を知らず、参加者の問題や愚痴に対して「批判的」なことや「アドバイス気味た」ことを言ったためでした。
参加者はアドバイスを聞きたくでお話しされているのではなく、日頃なかなか筆談とか要約筆記通訳を介し制約のない自由な話がしたいというのがその真意でした。
僕の反省から言えることは、参加者の発言に対して絶対に批判的なことを言わず、迎合もせず、ただ聴くという姿勢が重要だと気がついた次第です。
今、難聴友3人(僕を含める3人)で四方山話を年に数回ですが喫茶店でしています。
意思疎通方法は、口話・筆談・手話のごちゃ混ぜコミ方法です。
難聴当事者の集いというより友人のお茶会といった感じで、難聴者差別に立ち向かうとか難聴者の立場を社会に伝えるとかという大上段に構えたものではなく本当にざっくばらんな四方山話をしているだけです。私生活に介入することなく付かず離れずとでも言えばいいのかな。そんな感じです。
当事者同士の話し合いですから暗黙の了解事項があり、一人が話している間(文字書きしている間)は他の者は口を挟まない。書き終わるまで話さないなどは自然に行われています。
この友人との交流の場は大事にしてゆきたいと思っています。