2月14日の夕刊フジの連載で良い記事があったので紹介します。
以下夕刊フジの連載より
2/14連載記事 「はぐれ団塊作文集」
足摺石大(あしずり・いしだい)高知県生まれ。著書に「はぐれ団塊作文集」「小田急線梅ヶ丘」等がある
政治家は、保守であれ、革新であれ、何であれ、自らの考えを有権者に示す必要があります。憲法で思想の自由が保障されているのですから、主義主張は多様であっても構いません。
ただし、どのような思想を持つ政治家でも絶対に持たないといけないものがあります。
「愛国心」です。
一般人なら、生きてきた環境等、何らかの理由で愛国心を持てない人達は当然いるでしょう。その人達に無理やり、国を愛する事を強要することはできません。
しかし、政治家は別です。国民の負託を受けて国の運営に関わる訳ですから、国家・国民を愛し、守る心が無ければ、政治家である資格はありません。
ところが、戦後愛国心を口にすれば、軍国主義、右翼だとレッテルを貼られ、政治家は勿論、一般人もなかなか口に出せない風潮が続き、与野党大半の政治家の頭から「愛国心」というコトバが消え、その心情も失われました。
この様な事態に至った一番の要因は、戦後のGHQ(米国)の占領政策によって「戦前、戦中の日本は、侵略国家で、悪である」という歴史認識が義務教育やメディアを通して「常識」「良識」として日本社会に植え付けられてきたことです。
これは戦勝国である米国の一方的な押し付けでしかありません。
この理不尽な戦後教育を是正し、自国に誇りを持たせる役割を担う立場にいたのが、長年、国家の運営を担ってきた保守政権、自民党でした。
しかし、自民党はその役割を果たしてきませんでした。過去の歴史の解釈を有耶無耶なままにし、米国の傘の下にだけ安住して、自国を自らの手で守ることを後回しにしました。この分、経済成長を遂げましたが、同時に、政治家も国民も「平和ボケ体質」「ぬるま湯のぼせ体質」となり、愛国心も忘れました。
戦前の日本の置かれた、難しい立場を考えれば、単純に、一方的に、野蛮な侵略国などと決めつける事は出来ません。
近年になり、多くの研究や情報、映像などで戦後世代が受けてきた「自虐歴史観」の教育の誤りが指摘されている今こそ、先人の名誉を取り戻す機会なのですが、今の政治家にその気概はありません。
さらに、愛国心を遠ざけたのが1994年の「自社さ連立政権」です。
保守であることを忘れた自民党政権の堕落がここから始まり、国民の、特に保守層の政治離れをもたらしました。当時、野党にいた自民党が「政権復帰をする」ただ、それだけのために、イデオロギーが180度違う「社会党」と連立政権を組むという暴挙には、放蕩三昧に生きてきた、私のような人間でさえ呆れ果てました。
その上、政教分離を叫び、公明党を恫喝同様に糾弾していたにも関わらず、社会党と連立を解消した代わりに、今度はその公明党と連立する始末。
その後、野党も一時は政権を奪いましたが、すぐに馬脚を現し、以後、自公連立の長期政権が今日まで続きました。
その間
与野党の堕落
政治家の劣化
は進み、周辺国がキナ臭くなっているにも関わらず、国会はスキャンダル週刊誌ネタによる不毛な攻防に明け暮れ、時間と国民の興味を費やし(これぞスピン報道ですね)
政治家たちは自己保身に明け暮れてきました。
国の安全保障なんか二の次、国家・国民を愛し守るという政治家として最低レベルの欠かせない「志」をはじめから持たないか、どこかへ置き忘れたかした「能天気」な政治家が大半になってしまいました。
自国への誇りや愛国心を無くしてどうして、国家や国民のための政治が行えるのか?
政治のあり方、政治の国民のためにあるべき姿を見直し、一から国民のために出直す事が、日本国民の為の政治の課題のように思われます。
2/20日の連載に続く
※原文の内容を損なわない程度の加筆と修正をしました。
優れた内容ですね
内容全てに共感出来ませんが大筋
「愛国心無きものに権力を握らせては絶対にいけない」
事には共感出来ます。
「愛国心の有る政治家」
「愛国心の無い政治家」
で国民のための、日本のための指導者は選べます。
自分の独断
「愛国心の有る政治家」
戦後では
石井紘基
中川昭一
田中角栄
最近では
山本太郎
神谷宗幣
直ぐ浮かんだのはこの面々ですが、まだまだいますね。
一見、売国奴みたいな印象有りますけど、アメリカとの調整役で地味に間で働いてきた人もいますね。
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