○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●
実力テストの最終科目の数学。
全部埋めた答案用紙にもう一回目を通す。
うん、85はいけるな。
余裕で窓の外に目をやれば、相変わらずの雨空。
梅雨の真ん中に僕は生まれた。
去年の誕生日は確か火曜日で、特に親しい友人もいなかった僕は、誰に祝ってもらうでもなく、ごく普通
に一日を過ごした。
夕飯の時に母さんと二人、小さなケーキを食べたくらい。
でも欲しかったゲームソフトをプレゼントしてもらって、それなりに満足していた。
だけど、受験勉強の合間に進めてたそのゲームは、二人が離婚を決めたあの夜のシーンと重なっちゃってなんとなく攻略できないまま、放置してある。
ちょっと複雑な想い出。
あれから一年。
今年の誕生日は、さとしが祝ってくれる。
誕生日をこんなに待ったなんて、多分、初めて。
ふふって、思わずにやけてしまって、慌てて口元を隠した。
2カ月前、さとしと出逢って2日目にはあんなコトになっちゃって。
僕なんて、キスの先なんてシたことなかった。なのに、いきなり意識を飛ばしちゃうほどのキモチイイことを経験してしまった。
覚えたてのナントカじゃないけどあれからさとしのことが頭から離れなくて、勉強が手に着かなかったんだ。
しとしと降り続く雨。
さとし、今頃何してるかな。
早く逢いたい。
なのに、邪魔するように頭に浮かんだのはジュンの顔。
もう! 勉強、頑張ったからいいでしょ?
フワフワして過ごしてた5月、思った以上に定期テストの順位がグンと落ちてしまった。
さすがにこれはちょっとマズイかなって思ったけど、深く考えることなくいつも通り、学校帰りに『宇宙堂』に寄った。
でも、さとしは留守で、入口のドアノブに下げられた小さなボードに、『配達中です。5時には戻ります』と書いてあった。
…あと20分、裏で待っとこ。
軽い足取りで桜の木の横を通ってテラスに向かった。
「あ…」
思わず足が止まる。
ジュンがいた。
テーブルでパソコンを開いている。
僕に気づいたのか、ジュンが顔を上げた。
相変わらずカッコいい。
なんてことない古ぼけた椅子と机が、ジュンが座ってるってだけでアンティークでオシャレな家具に見えてくる。
「よぉ」
木漏れ日の下、ジュンはまるで映画のワンシーンのように、かけていたメガネを外して片頬だけで笑った。
「なに、怯えてんだよ」
面白そうに僕を見る。
「べっ、別に怯えてなんか…」
取って食われるワケじゃないんだ。
僕は思い切って近づいて、並んでくっついてた椅子を引っ張り、鋭い視線から逃れるようにテーブルをはさんで斜めの位置に座った。
共通の話題といえばさとしだけど、色々聞かれるのもいやだったから、鞄からゲームを取り出してスイッチをオンにする。
一応気を遣って音声はオフで。
「お前、もうここに来るな」
そして、ようやく隣の濃いオーラが薄れてきて、仮想世界の冒険に没頭し始めたころ、ジュンがいきなり言った。
「…え?」
言葉の意味がよく分からなくて、怪訝な顔をする僕を、ジュンの鋭い目が射貫く。
「だから、もうさとしに会うなってことだよ」
「…なんで?」
「前に、やんなきゃなんないことをやらないヤツは、キライだって言ったよな」
「…やってるし」
「ウソだね」
僕は言葉を返せなかった。
あれからも櫻井先生と相葉先生もここに来るようになって、当然、ジュンとも顔なじみになった。自然と、僕のことに話題は及び、この頃授業中に僕が上の空になってることがあるという情報がジュンに伝わってしまってた。
「おまえ、入試の成績、ベスト10に入ってたらしいな」
「…それが、なに?」
「こないだのテスト、大分悪かったって相葉先生が零してたぞ」
もぉっ! それって個人情報じゃない?
「俺は、お前のイトコのお兄ちゃんってことになってんだよ」
僕の不満そうな顔をふふんって顔で見下ろしてる。
「このまま成績が下がるようなら、もうお前とさとしを会わせるワケにはいかない」
「なんでジュンがそんなこと言うの?」
思わずにらんだ目を、軽くひと睨みで跳ね返された。
「俺は、さとしが好きだ」
ずいっと5センチの距離に鋭い目が迫る。
「さとしのせいでお前の成績がどーのこーのとか言われたくねーんだよ」
ふと、ことわざが浮かんだ。
『蛇に睨まれた蛙…』
「分かってんのか?」
「わ、分かってるし」
たっぷり5秒睨まれてから、ふっと視線が逸れた。
「認めたくねーけど、お前がさとしの心を救ってくれたって思ってる」
こんなガキがよーって、椅子にふんぞり返って木漏れ日の空を仰ぐ。
「…大して変わんないくせに」
ボソリと呟く。
「あー? なんか言ったか?」
「なんでもない」
「とにかく、成績落とすな」
「…分かったよ」
「これ以上さとしとのコトに現を抜かしてるようだったら…」
言いながら右手の親指を立てて自分の首に向け、左から右へスーッと真横に滑らせた。
極上の微笑みを添えて。
こ、怖い…
背中がゾクリとした。
映画で見たような流れるようなキザな仕草。超絶に怖くてカッコいい。
氷のような笑顔に圧倒されつつコクコク頷く僕の頭を、クシャっと掴んで弾いてジュンは立ち上がった。
「留守番頼まれてただけだから、俺、もう行くから」
パタンとパソコンを閉じてバッグを持つと、スッと僕の耳に唇を寄せた。
そして、
「お前まだ成長期だし、あんまヤりすぎると、腰、悪くするぜ?」
と、とんでもないことを囁いた。
「まっ、まだ、ヤってないしっ!」
「ま、時間の問題だしな」
じゃあなって歩いてく後姿さえ、カッコいい。
…たった3歳しか変わらないのに。
やっぱりジュンはオトナだ。
いくら母親の実家があるとはいえ、さとしを追っかけて日本に来て、さとしのために医者になろうとしている。でも、それほどの想いを抑えて、さとしの気持ちを一番に優先して僕にさとしを預けてくれた。
ずっとそばにいてさとしを見てきたジュン。
心を救ったのは僕なのかもしれない。
でも、長い年月、ジュンはさとしを支えてあげてたんだ。
今以上、これ以上、地の底に深く沈んでいってしまわないようにと。
せめて、地上にいて欲しいと。
僕はさとしに何をしてあげられる?
悩んでも答えは出なくて、とりあえずあれから勉強だけは頑張った。
僕とさとしの関係に薄々気づいてる相葉先生たちが、困ったような視線をさとしに向けるようになったとしたら、ジュンは激怒して本気で僕からさとしを取り上げそうだ。
だって、誰よりも何よりもさとしのことを大切に思ってるから。
頑張って支えてきたさとしを傷つけるようなヤツは、絶対排除される。
それだけはいやだ。
チャイムの音がして、拘束されていた1週間がようやく終わった。
これで逢いに行ける。
ジュンの言ってたことは正解だ。
やるべきことをやったからこそ、晴れやかなキモチでさとしに逢える。
こんな暗い梅雨空でも、きっと最高の誕生日を過ごせそうだ。
ジュンには全てにおいて敵わないことばっかだけど、僕にしか出来ないことが一つだけある。
ちっぽけな僕がさとしにしてあげられること。
それは…
つづく…。