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―そっか、よかった。社を出る時、なんかフラフラしてて危なっかしくて。
―朝ごはん用のパン、持たせて帰らせる。
―サンキュ。俺も、あと少しで終わるから、なんか食べさせて。
―わかった。用意しとく。
―あー、早く帰りてー!!
―待ってるからね。気を付けて。
翔ちゃんにラインで報告して顔を上げれば、ニノがふくれっ面でこっちを見てる。
「お、全部食べたね、っていっても、小学生並みの量だったけどね」
「何、にやにやしてんすか。どーせ、翔さんでしょっ!」
ツンツンしながら空になったパスタ皿をずいっと俺に押しやった。
「ニノのこと心配してくれてんだよ。いい先輩じゃん」
「あの人、おせっかいなんだよ」
「まぁそう言わないの。独りぼっちになった親友の恋人をさ、ほっとけないんだよ」
お皿と交代に、いつも智さんが使ってたマグにコーヒーを淹れてニノの前に置く。
「ほら、飲めよ。二人の好きなヤツ」
「……相葉さんてさ、優しんだか、意地悪なんだかわかんないね」
と、ゆらゆら上る湯気を見ながらニノが尖がったままの口でボソリと呟いた。
「何でだよ」
「何かっていうと、その話題に持ってくし…」
「智さんのこと?」
「ほら、また…」
「しょうがないでしょ、智さんが亡くなったのは事実だし、避けて通るわけにはいかないじゃん」
ニノは眉間にシワを寄せて椅子から降りた。
「も、いい。帰る」
「ほら、パン持ってけ。朝くらいちゃんと食べな」
「食べてるし! それにオレらは朝は和食なの!」
と、パンの袋を受け取らないまま、スタスタ出口に向かう。
「じゃ、夜食え」
「いらないっ!」
「持ってけって!」
「……」
追っかけて、顔の前に袋を差し出して行く手を阻んでやった。
めんどくさくなったのか、ニノは最後に俺を一睨みして袋を引っ掴んでドアを出てった。
溜息をついて、プリプリした背中を見送る。
ふふ、〈 オレら 〉って、独りぼっちなのにさ。
ばあちゃんの言う通りだ。
相変わらず二人分用意してんだな。
カウンターに戻って、手つかずのマグを両手で包む。
作った智さんそのものの、温もりを感じる陶器の手触り。
そっと唇を寄せて湯気ごとコーヒーを啜れば…
ニノのこと、言えない。
俺もまだ、泣いちゃう。
智さん、ニノ、まだ宙ぶらりんなんだよ。
いまだに、独りになったことを受け入れられないんだ。
頭じゃ分かってるんだよね。
たださ、キモチがさ…。
カウンターの棚に並べられた食器。そのほとんどは陶芸家だった智さんの作品だ。
ちょっと作風が違う素朴な感じのは、3年前に亡くなったじいちゃんの形見。
智さんは、じいちゃんのたった一人の弟子だったんだ。
俺が小学生の頃、八百屋のとなりに建てた工房で閑があればひたすら土を弧ねてたじいちゃん。
無口で愛想がなくて商売には向いてないからと、お店の方はずっとばあちゃんに任せっきりだった。
でも俺は、そんなじいちゃんが大好きで、クルクル回るろくろが面白くて、外遊び出来ない雨の日とか、いつもじいちゃんの工房で過ごしていた。
じいちゃんは、親父たちが店を継いだ時、工房に住居スペースを建て増しして、生活の全てをその小さな家で過ごすようになった。
「それじゃ、わたしもご隠居さんになろうかね」
って、ばあちゃんも一緒に離れで暮らすことを決めた時、めったに笑わないじいちゃんが嬉しそうに微笑んだのをよく覚えてる。
智さんが初めてじいちゃんのとこに来たとき、智さんは俺より4歳上でまだ美大生だった。
ある日、突然やってきて弟子入りを志願したんだって。
じいちゃんもまだ全然有名じゃなくて、近所の店の食器とかを地味に作ってた頃だった。
智さんは、中学生の俺にも優しくしてくれて、どっかじいちゃんと雰囲気が似ていた。
じいちゃんも若い頃の自分見てるみたいで、可愛かったんだと思う。
それからずっと、二人で色んな作品を作ってた。
じいちゃんとばあちゃんと智さんの3人はまるでホントの家族みたいで、俺はその3人が大好きだった。
俺が調理師の専門学校に通ってたころに、じいちゃんの器がなんかの賞をもらって、注目されて結構人気の陶芸家になった。
その頃智さんは大学を卒業して陶芸家の卵として活動する一方で、通うのが面倒だからって口実でじいちゃん家に住み込んで、忙しくなった二人をさり気なく助けてくれてた。
一人っ子だった俺は、ホントの兄ちゃんみたいに智さんに懐いてて色んな相談とかにも乗ってもらった。
明確な答なんてくれるわけじゃないんだけど、聞いてもらえるだけでよかったんだ。
「ね、智さん、笑わないで聞いてくれる?」
ある雨の日、工房に遊びに来てた俺は、智さんに話しかけた。
智さんは自分の焼いたカップとじいちゃんのとを見比べて、まだまだだな…って、首をかしげながら、
「なんだよ、恋の悩みか?」
って、いたずらっぽい目で俺の顔を覗き込んだ。
「ちげーよ。女は苦手だし」
ふふって俺の好きな柔らかい笑い声。
それだけで悩みなんて半分くらい吹き飛んでしまいそう。
「何だよ、言えよ」
「俺さ、将来、カフェやりたいんだ」
「おお、すげぇな。いいんじゃね」
「でさ、じいちゃんの焼いた器、俺の店で使いたいんだよね」
智さんのキレイな手からじいちゃんのカップを取る。
「お前、いい子だな。じいちゃん喜ぶぞ」
「内緒だよ、まだ誰にも言ってないんだから」
「んー、おれ、口軽いからな」
「えー、秘密だってば!」
「じゃぁさ…」
と、俺の空いてる方の手に自分のカップを持たせて、
「その店で、おれンのも使ってよ。そしたら黙っててやるよ」
って、にんまりと笑った。
「ダメじゃん。この世界は実力主義なんでしょ? そんなんでムリヤリ自分の使わせようなんてさー」
「そっか、わかった。じいちゃんに、雅紀にはぜってー使わせるなって言っといてやる」
「もぉー、言うんじゃなかったー」
「ふははは…」
土で汚れてたって、とってもきれいだった智さんの大きな手。ほっぺに泥をくっつけてた優しい笑顔。
今も忘れられない。
…だから俺は、子どもの頃からずっと、外で遊べない雨の日だって大好きだった。
じいちゃんが死んだのは、俺が他所の店での修行を終えて、この店を開店した次の年。
最後に俺のコーヒーを美味しそうに飲んでくれた。丁度、この椅子で。
とても悲しかったけど、智さんがずっとそばにいてくれて、あの手で頭をクシャってしてくれて…。
お葬式には翔ちゃんもニノも来てくれた。
幼馴染の翔ちゃんはとても頭が良くて、いい大学を出て今の会社に就職した。
中学まで一緒だったけど、高校入学と同時に引っ越しちゃってずっと逢ってなかった。
智さんは、翔ちゃんと高校の同級生で、じいちゃんの工房のことも翔ちゃんから聞いたんだって。
だから、二人の間で翔ちゃんの名前は、時々出てたんだ。
店がオープンした時、翔ちゃんは花束を持って来てくれた。
もう俺は嬉しくて嬉しくて、思わず抱き付いて大泣きした。
「ほら、雅紀、花が散っちゃうってば!」
って翔ちゃんが大慌てしながら、それでもぎゅって抱きしめてくれて、
「おめでとう、良かったな」
なんて耳元で言うから、俺は涙が止まんなかった。
いつまでもグスグスやってる俺に、後輩だって紹介してくれたのがニノだった。
俺の涙に若干引き気味に、
「二宮和也っていいます。オープンおめでとうございます」
って小さな声でぺこりと頭を下げて、丸い茶色い目で俺を見上げた。
俺はニノを一目で気に入った。
だって、昔飼ってた豆しばにそっくりだったんだ。
でも、ニノを気に入ったのは、俺だけじゃなくて、カウンター席に座ってた智さんもそうだったみたい。、
「二宮くん? ここ座んなよ」
って、いつになく積極的な言葉に、俺はびっくりした。
「智くん、可愛いからってニノに手を出すんじゃないよ」
翔ちゃんは苦笑いしながらニノを間に挟んで椅子に座った。
「えー、いいじゃん。おれ、こいつ好きだな」
「あ、あの…」
戸惑った顔でオドオドするニノをヤバい目で見てる智さん。
ダメだよね、その顔…。
「この人はね、大野智っていって、将来有望な陶芸家だよ。こんなぼんやりしてるように見えるけど、やるときにはやるオトコだからね、色々気を付けて」
「…なにをですか?」
「翔くん、ヘンなコト、言うなや。本気にするだろが」
「はは、ま、いいやつだから仲良くしてやって」
「…はい」
ちんまりと智さんのとなりに座ってるニノが可愛いくて俺もついからかっちゃって、それで真っ赤になったり、膨れたりするのが、またさ…。
智さんは、となりで見たことないような蕩けた顔でニノのこと見てて、
あ、智さん、ニノに惚れたなって、意外と勘のイイ俺はすぐにわかった。
オトコ同士だってコト、なんとも思わなかった。
だって俺も、ずっと、ずっと、翔ちゃんが好きだったから。
口にしてはいけないことだって思ってたけど、そんなことない、好きなら素直に言えばいいんだって教えてくれたのは、智さんとニノ。
まるで、引き寄せられるように自然に、キレイな絵の具が混ざり合うようにしっとりと、二人はあの小さな家で寄り添うように一緒に暮らし始めた。
多分、生まれる前からずっと繋がってたんだと思う。
…あ、だから、別れが早くなっちゃったのかな…。
ふふ、まさかね。
つづく。