天智天皇陵です。
山科にあります。御陵(みささぎ)に行きました。歩いて5分程の距離にあります。






中臣鎌足と大化改新を成し遂げた人物として有名な天智天皇(中大兄皇子)の古墳。古墳時代終末期のもので、正八角形の形をしています。一説によれば、天智天皇は山科の森へ狩猟に出かけてから消息不明になり、沓が発見された場所に墓が築かれたという伝承があります。

山々の緑に覆われた一帯は静かで神聖な雰囲気があり、参拝所までは、一本道が整備されています。



第8話『一向一揆』では、松平元康が家康と改名します。

改名にあたり、家康のセリフ 「三河をひとつの『家』としたい。」
は、完全なフィクションです。

家康は源氏のカリスマ八幡太郎義家にあやかったと思われます。

実母於大の方が再嫁した久松長家から、『家』を取ったとも言われています。
継父から、偏諱を受けたとしたのかもしれません。後に家康の異父弟は久松松平と呼ばれます。

一方で、この時代、柴田勝家、前田利家、吉川広家など、『家』は、流行りの一字だと言う人もいます。

家康の名前に関するテーマで2018年に記事を書いています。

有名な事件です。


福岡の地名は黒田長政から来てます。


黒田氏の領地は備前福岡に領地がありました。

関ヶ原の戦いで、徳川氏についた黒田長政は功績から筑前に52万石の土地をもらいます。

『福崎』と呼ばれていましたが、黒田長政は先祖代々の土地から、福岡に変えます。

明治に入り、福岡市になりますが、博多市に改称する意見が議会に上がります。

同票でしたが、議長が投じた一票で、福岡になります。

小田原の地名の由来は広大な原野、『大田原』もしくは、『小由留木』の草書体の間違いとも言われています。

大森の城であったころから現在の場所なや移されています。
小田原城を手に入れます。

伊勢新九郎長氏が小田原城を松明を牛の角につけさせたとも、仕掛をしていたら、鹿が城内に入ったので鹿を追いかけさせる勢子を入れさせてほしいと言って大森城に、勢子を入れます。

ところが、勢子に化けた新九郎の部下に城を取られたという説があります。