島津義久には後継者となる男子がなく、2歳下の弟義弘を『名代』としました。
義久は義弘を副大将として後継者として、肥前八代に派遣していましたが、九州全域に統帥権が委ねられるようにしました。
義弘は後に関ヶ原の戦いで西軍に味方し、敗戦濃厚となった側には有名な『島津の退き口』で戦場から撤退します。
この際、家臣達が身代わりになりますが、副将豊久も身代わりのひとりになりす 。
豊久は島津4兄弟の末弟家久の息子になります。
明智光秀の本能寺の変までの心情を描いています。
下巻は、四国征伐から始まります。
織田信長と同盟した長宗我部は四国は切り取り次第のお墨付きをもらいます。
元親は四国制覇を成し遂げましたが、信長からは約束は保反古にされ、本領土佐のみ安堵、他は没収と言われ、抗戦を決意します。
この長宗我部との交渉を担当していたのが、明智光秀でした。
長宗我部を滅ぼすのなら我が手で。
明智光秀はそう考えます。北陸司令官柴田勝家や毛利氏担当司令官羽柴秀吉が織田家中で活躍しており、武人としてのあせりもありました。