島津義久には後継者となる男子がなく、2歳下の弟義弘を『名代』としました。

義久は義弘を副大将として後継者として、肥前八代に派遣していましたが、九州全域に統帥権が委ねられるようにしました。

義弘は後に関ヶ原の戦いで西軍に味方し、敗戦濃厚となった側には有名な『島津の退き口』で戦場から撤退します。

この際、家臣達が身代わりになりますが、副将豊久も身代わりのひとりになりす。

豊久は島津4兄弟の末弟家久の息子になります。



鹿児島薩摩から、九州制覇を成し遂げた島津四兄弟。

長男義久、次男義弘、三男歳久、四男家久の四人の結束はかたいものでした。

しかし、天下を制覇した豊臣秀吉に抵抗するもののついなや下ります。

四男家久は謎の死を遂げます。

秀長との酒宴の席で毒を盛られたとも。病気をおして、従軍したために悪化したとも。

三男歳久は、自害します。秀吉に対して一揆を裏で扇動したとの疑惑でした。

生き残った長男義久と次男義弘は晩年、関係が悪化します。

薩摩の大名として、維持を通そうとする義久と上方の情勢を見聞し、豊臣により定まった天下に付き従おうとする義弘。



元大原学園、社会保険労務士講座の齋藤先生は京都宇治市で社会保険労務士として、独立されているようです。

現在資格学校講師としては、宅建講座講師として指導されています。

以前、同じ大原の司法書士講座で、弁護士の先生が指導されていました。ちなみに、大原の司法書士講座は現在開講ありません。


四国制覇したのの本拠土佐一国に押し込められて、覇気をなくしていく元親。

土佐を維持し、天下人秀吉の機嫌を損なわないように大名として生き長らえようとする長宗我部元親の心の機微を描いています。

それを妻の奈々や嫡男信親は葛藤を理解しながら老いを感じさせていく元親に歯がゆさを感じていきます。


余談ですが、甲斐の武田勝頼が滅ぶ際に天目山から千葉の房総半島から船で土佐に脱出し、大崎玄蕃と改名して生き延びたという伝承が土佐に残っています。

明智光秀の本能寺の変までの心情を描いています。


下巻は、四国征伐から始まります。


土佐から起こった長宗我部元親が、四国制覇を達成します。

織田信長と同盟した長宗我部は四国は切り取り次第のお墨付きをもらいます。


元親は四国制覇を成し遂げましたが、信長からは約束は保反古にされ、本領土佐のみ安堵、他は没収と言われ、抗戦を決意します。


この長宗我部との交渉を担当していたのが、明智光秀でした。


長宗我部を滅ぼすのなら我が手で。


明智光秀はそう考えます。北陸司令官柴田勝家や毛利氏担当司令官羽柴秀吉が織田家中で活躍しており、武人としてのあせりもありました。