かつての学生講師が会いに来てくれました。
6人も。

みんな学校の先生や公務員、大学の研究者になりえらくなって。
 
塾生の卒業生が、来ても過去のスタッフが来ることはないからと同僚に驚かれました。

数年前に、わたしが言っていたことをまだ覚えてくれていました。

人を遺すを上とす。

わたしの信条です。


平安時代,藤原定家は個人和歌集である、『拾遺愚草』以外に様々な著作を残しています。


有名なのは歴代の様々な歌を集めた百人一首。

新古今和歌集から、30年から9番目の勅撰和歌集『新勅撰和歌集』を単独で選んでいます。


歌学書の研究もやり、『古今和歌集』や『源氏物語』も定家ぎ書写したものです。


『明月記』という日記では当時の貴族社会の記録になっています。


鎌倉時代以降は、卜部氏(後の吉田家)が神職を相伝するようになりました。

室町時代末期の文明年間(1469年 - 1487年)には吉田兼倶吉田神道(唯一神道)を創始し、その拠点として文明16年(1484年)、境内に末社斎場所大元宮を建立しました。  

近世初めには吉田兼見が、かつて律令制時代の神祇官に祀られていた八神殿(明治5年に宮中に遷座した)を境内の斎場に移し、これを神祇官代とします。