榊原康政は徳川四天王のひとりてす。同じ年の本多忠勝や井伊直政に比べて、地味な存在です。

 

康政は軍事と文才、政治的なことにも関与した武将でした。まさに、何でも出来て家康の信頼も厚く、

2代将軍秀忠にも、『戦のことは康政に聞け。』と言った程厚く信頼されていました。

 

榊原氏の祖先をたどると足利の庶流で仁木氏となり、三河に来て、榊原氏となります。

康政の父親は酒井忠尚(四天王の一人忠次の叔父)の家臣でした。 

 

家康から見ると、榊原康政は、『家臣の家臣』でした。

 

陪臣と言います。

 

榊原康政は次男でしたので、松平家の大樹木寺にで僧侶になっていました。

家康に家臣になるよう見込まれます。

 


 

藤原定価の子孫 古今和歌集の注釈書が見つかりました。多数の写本が残る一方で原本は現存しないようです。

上巻は定家の子孫で、南北朝の冷泉家の当主ため秀の書写です。

定価が継ぎ足して丹念に自説を書き連ねました。
定価による細部の修正などが分かる原本ら国宝級の資料になります。

 

信濃豪族諏訪氏は神職にありました。

上原城にあり、大祝職でした。

 
2代頼重は、鎌倉幕府14代高時の遺児を擁立し、『中先代の乱』を起こし
ますが敗死します。
 
9代政満の頃から、戦国大名化します。

政満は一族の大祝継満に殺害されますがその息子の頼満が総領職を奪還します。

 

諏訪氏一族の争いに乗じて隣国武田信虎・信玄に攻められ、降伏します。

 

頼重は甲斐に変更され、処刑されます。

 

頼重の娘は、諏訪御寮人と呼ばれて武田信玄の側室になります。

生れた男児が運命の子 武田勝頼でした。

 

20代目武田総領となり、武田を滅ぼす原因をつくってしまう、悲運の将と

なります。

 




 



山岡荘八著『伊達政宗』文体が格調高く、文体も上品で好きでし。

息遣いも感じられます。

登場人物で、妙な現代語の話し言葉でもなく。  

 

伊達政宗