2015年10月24日に『人質ではなかった竹千代』を書いています。

2020年大河ドラマ『麒麟がくる』では竹千代は今川に酷使され、不遇を囲ったよう描かれています。今川の代官に反抗していました。

タイトルの記事に書いているように、松平竹千代は人質ではなく、今川に厚遇されていたと考えます。

三河は尾張の織田と土地が隣接していました。

義元からすると将来の織田との戦いに備え、竹千代を今川の前線基地三河を守る武将になるように教育を施しました。

義元が、姪とされる姫を竹千代に与えたり、名前の『元』を与えたことは期待の証拠でした。

松平が常に先鋒で戦を命じられたのも単に酷使されたというより、勝てば領地が増える可能性がありました。

決して松平家がこき使われたとは言えないと思います。







2015年7月13日の記事『丸橋忠弥は長曽我部の子孫❔』を加筆修正をしています。今日も4件アクセスありました。今まで何度かアクセス頂いています。

長曽我部氏も、秦の始皇帝の子孫を称しています。跡継ぎ候補でないものが、急遽後継者になり、その代で滅亡するのは甲斐の武田氏とよく似ています💠

関ヶ原の戦いで傍観し、土佐へ逃亡。
一戦も交えることなく逃げ帰りますが浦戸で徳川軍を迎撃する準備は整えていました。

盛親は本領安堵の予定が兄津野親忠を暗殺したことで、暗転します💠。領地を取り上げられ、京都で寺子屋を経営します。



『南龍公と呼ばれた男。徳川頼宣』は、アクセス2件ありました。

この記事は時々読まれていました💠。

先日、『丸橋忠弥は長曽我部の子孫?』にアクセスありましたので、関連してアクセスがあったのかもしれません。

頼宣は覇気のある息子で戦国時代に生まれていれば、名を上げていたでしょう🍀

期待されていたことから、「大阪城がほしい。
と言ってしまい、紀州に左遷されます。

兄の義直が、3代将軍家光と確執があり、一触即発の事態のときに、「兄上が将軍家と事を構えるなら、自分は大阪で軍を募る。」と言います🍀