明智勢に二条城を囲まれた信忠に脱出できる可能性はありましたが、信忠は籠城を選びます。
城内には、籠城戦に強い団忠正がいたのが結果的に災いになります。
籠城戦を選んだ信忠は、「これだけの作戦を結構する明智光秀が抜かるはずはない。脱出しても逃亡中に、雑兵の手にかかれば、武門の恥である。」と言い、自害します。
結果的に明智勢には、信忠まで積極的に討つ準備はありませんでした。
信忠は二条城を脱出して、無傷の織田本隊や各地の司令官である柴田勝家、丹羽長秀、滝川一益を集結させ、父の弔い合戦をし、天下統一を成し遂げる可能性はありました。
武田が滅び、毛利征伐も進み、小田原北条も織田家に臣下の礼を取りつつありました。
信長の次の狙いは東北制覇でしょう🍀
信長は秀吉に筑前守、明智光秀に惟任日向守を与えていました。征服地を意図する官職名です。
信忠の官職は、『秋田城介』でした。
この官職は平安時代には東北を管轄する朝廷の役職でしたが、戦国期にはすでに形骸化していました。
信長の東北を制覇する意識が表れています。その時には、信忠自身が司令官になっていたでしょう。
織田信忠は貴公子のイメージがありますが、武勇に劣っていたわけではありません。
(つづき)
【この記事は2020年6月7日にアクセスありました。加筆修正をしています。】