はいほ~

40代、めっさ昭和、母子家庭歴19年、パート社員から開始…現在はぼっろぼろの家で猫との2人暮らししながら

株式会社 いいねいいねドットコム 

の社長ってのしてる、BOSSっすニヒヒ 


28日からやって来たインド…
今宵はラストの晩ざます~笑い泣き

日中はなーんとなく
この地を巡る「ヒト」達を
じーっと…


じーっと…


勿論歴史的建物と共に…


あぁ6日も滞在したインド。
ラスト~笑い泣き←聴きましたけどもぐもぐ

全く名残惜しくないってのが真顔
さすがインド!!!

明日は不二子…上海へ
とびますっ、とびますっ飛行機

・・・・・

約束した連絡こそ無い旦那様だったが、又も玄関に置かれた現金について尋ねる機会を得たあたしは、旦那様の発言に不愉快になった気持ちのまま離婚話について詰め寄った。(…離婚へ~「離婚…いつするんよ~」…)

不機嫌になったまま電話を切った旦那様の事だ。
しばらくは又あたしの連絡は受け付けないであろう、そう簡単に憶測できたがその憶測は当然現実のものとなる。

ホンマ…
もうどんだけ勝手やねん

何がどうとか以前に何故こんなに自由に生きる事ができるのか、
思ったまま生きしたいまま動き、
不愉快な事から逃げ、ほとぼりがさめれば又登場する…

所謂…
さいてい。

あたしが知ってる旦那様は男らしい人だった。
実は優しいのに、わかりやすくそらぞらしくその優しさをひけらかす事は無く、又その潔さも気持ち良いとにかく「スカッとした」と言う表現がぴったりとくる人だった。

これだけ情けない様子は3年前にも見かけはしたが、それは一時の混乱と収めてきたあたしとしては

これ以上旦那様のイメージをかえたく無い想いと、
変わり果てきってしまう事で
これからの道を選択する事への迷いが更に無くなると喜ばしく想おうと図る気持ちとが入り交じるが、

後者は現在の不快感や苛立ちに叶うわけもない。

苛立ちの感情を抑え切れず、旦那様への発信を続ける日や、
とにかく相手の気持ちがおさまる迄辛抱しようとひたすら待つ事に徹する日を繰り返しながら

あの3年前と同じ事を繰り返している現実に唖然とする。

とは言え気持ちのあり方が全く違う。
いや、それ以前に向かおうとしている方向が全く違う。

それが生み出す心情の差に、
あの時を越えたからこそ今この選択ができるのだという確信が湧き、
又自分達の未来を期待する気持ちが現れる。

もう我慢できないと感じている今の苛立ちさえも、
それを強いられてるこの時を乗り越える事が自信に繋がるのだと本能的に感じていた。

とにもかくにも、
あたしがどう感じ様が離婚は1人ではできないのだ。

結婚も1人でできへんのやけど
離婚も1人でできへんなんて…。

あたしは又しばらくの静止期間を経て旦那様に繋がる日迄ただ待つしかできなかった。

ただその不自由さ、その不愉快さは確かに…確かに
「離婚を選択したあたし」の良き味方となり、3年程前の辛かった思い出と共に、
息子どん迄も巻き込んだ人生の選択に自信をつけてくれる最大のお守りとして長く存在してくれるものとなるのだった。