はいほ~
40代、めっさ昭和、母子家庭歴19年、パート社員から開始…現在はぼっろぼろの家で猫との2人暮らししながら
の社長ってのしてる、BOSSっす
今日は朝から…
地元と「おーさか」を3回半往復~
ちょいちょいあれど…
さすがに3回半はねぇっちゃよー
これも…青春??←違います
2回使ったこちらにゃ
2回ともうきうきしたし~
7回中3回目んときゃー
お京阪特急地下バージョン座れて
うきうきしたけど~
さすがにしばしよろし
ま、これも思い出になる~~??←教訓にしてください
・・・・・
結婚8年足らず…で再び来た夫婦の危機を、どの形で越えるとしても家族の危機にしない様に早速求職活動をしたあたしは、2件目の面接先で採用の連絡をもらう。(…離婚へ~運命はこちらに~…)
「採用です。」
パート勤務とはいえ、結婚して母になり「働く」という立ち位置から随分遠ざかっていたあたしに取っては刺激的な言葉だった。
どういう思いで出て行ったのかわからないままとは言え
旦那様が出て行った以上あたし達は別居状態の夫婦。
別居生活に入り勿論離婚も視野に仕事探しを始め、
奇しくも旦那様の実家すぐ近くと
あたしの実家すぐ近くに希望勤務先がみつかった…
その結果に…あたしはある意味運命をかけていた。
実の家族とは折り合い良かったとは言えない。
そもそも厳格な家庭に馴染めず、追いやられている様な気持ちで育ったあたしだったが、そんなあたしはあたしで、それゆえに家族を悩ませていたらしく…
そして縁さえも無くなってしまっていた実の家族との関係修復の機会をくれたのが、旦那様と旦那様両親だったのだ。
実両親より、旦那様のおとーさんおかーさんに心を許しやすい状態ではいたが、
結婚を機に両実家とも、勿論大切なそれぞれの両親としての関係性を保ってきていた。
1度目の夫婦危機当初は実家にソレを隠し続け、いよいよという段階で相談をした。
あの時に母親が言った
「本当に離婚を決意する迄は良きも悪きもこれまで通り向こうの両親に相談し甘えなさい」の言葉。
その深さに共感もし、尊敬もし、そして感謝もしたあたしは
その言葉が理由の全てでは無いが結果的にそれを貫いた。
そしてまさか、の2度目を迎えた今。
自分が勤める事にいずれかの実家に甘える事を前提に考えているつもりでは無い。
さすがにそれは断じて無い。
ただ、数多の求人票の中で悲しいかないくつかしか無い自分の対象。
更にここは、と残った先がその所在地住所さえ見慣れたものである程それぞれの実家付近。
あたしは勝手に運命を感じていた。
自分が選択せずとも、正しく言うならばしきらずとも、
運命の方から寄ってきてくれるのだ。
2つの対象のうち、先ず選んだものが旦那様実家付近にあたる会計士事務所さんの方であったのは
旦那様への何かしらの想い、というよりは自分が親しく感じている方の実家を意識無く選んでいたからであった気がする。
そんな中、寄ってきてた運命が…こちら。
風はこちらに吹いたのだ。
人はどう思うかわからないが、これはあたしに取って大きな事だった。
旦那様実家は車で10分、
あたしの実家は車で3~40分、
旦那様の実家にしろあたしの実家にしろ、所詮同じ市内にあるのだ。
そんな大層な違いは無いのかもしれない。
それでも、風がこちら側に吹いた、
その事実があたしには大きかったのだ。
あたしは自分に取って、家族に取って選ぶべき道が
この夫婦のやり直しでは無く、
この夫婦の消滅である事に又自信をつけた。
息子どんの人生丸ごと影響させる事なのだ、安易に考えてはいけない。
それは誰より自分が理解していたつもりだ。
だからこそ、感覚的にはとうに気づいていた自分の気持ちを積み上げる条件が必要だと思っていた。
更には…
あたしの中には自分を支えてくれる「ジョーカー」のお守りがあった。
3年前のあの時に旦那様があたしに言った言葉。息子どんについて親である事は勿論人である事も疑わしく思う程の卑劣な言葉。
絶対許せないと思っていた言葉、事実許せてはいなかったあたし。
あたし自身、息子どん、旦那様…の幸せの為に自分の中の奥底に押し込めて取り出す事避けていたあの言葉を思い出せば良い。
あたしの気持ちは決まった。
驚く事に面接日当日にもらった採用の通知を持って、あたしは勇んで実家に向かった。