スズキ自動車の鈴木修前会長が、インドに進出したのは1981年頃だが、当時のインドは、厳格なカースト制度の差別があって、階級の下の人々、とりわけ最下層の被差別階級であるダリッドの人々は、街を安心して歩くこともできなかった。

 ダリッドの女性たちは、上位階級の若者から強姦され、ときに殺害されても、司法当局は事件化せず、動かなかった。彼らは人権のある人間と見なされていなかったからだ。 これは1900年前後、日本が朝鮮に進出したときの朝鮮社会の差別制度、奴隷制度とほぼ同じ状況だった。

 日本でも、江戸時代に家康が序列主義の儒教(朱子学)を各藩に強要するようになって、士農工商の身分差別が定着したのだが、「市場原理」が、実際の階級を商士工農に変え、さらに、その下の身分にも入らない、インドのダリッドと同じ穢多非人階級が成立していたものの、穢多の総差配である浅草・弾左衛門は、5万石大名に匹敵する経済力があったとされる。
 穢多階級は「人外の民」として課税されなかったので実際には豊かだったのだ。

 

 

中略

 

 

 スズキ自動車インド工場は、パキスタンとの国境に近いグジャラード州に建設された。
 当初は、工場内にカースト制度が直接反映されて、工場内に上位カーストは自分用の個室を建設し、下層カーストは、工場の中でそれぞれのセクションに分別されていた。
 ところが、視察に来た鈴木修が、これを見て激しく怒り一喝した。

 「スズキ自動車工場は日本であり、日本には差別が存在しない。」
 鈴木修は、カースト上位者で占められた管理者の個室をすべて取り壊させ、差別的な扱いを一掃させた。

 工場の食堂に、CEOである鈴木修が、自らみんなと同じように順番を並んで食事を受け取った。
 これを見て、インドの労働者は、はじめて差別のない労働を理解した。
 鈴木修がスズキ自動車会長として使用している車は、スズキソリオであり、価格は160万円だ。彼は、社長・会長としての日常でも、自分が特権階級として君臨することを嫌っていた。

 

 

そう、前にどこかで読んだことがある。

 

でも、今は?

何か問題があったようでしたよね、たしか。

 

 

 

最後に書かれていました↓

今後、インドが世界の主役になるとするなら、カースト制度の克服を避けて通ることはできない。厳密にいえば、15世紀ポルトガルの帝国主義によって作られたカースト制度を、インド人自身がどのように克服するかの課題である。

 日本の場合は、士農工商、穢多非人の差別を破壊したのは、明治新政府による「四民平等」政策で、これは、納税と徴兵の義務を平等にするという意味だった。
 これにより、被差別階級の非課税も廃止され、山窩や木地屋のような非定住自由民も定住と徴兵納税義務を強要されるようになった。

 しかし、この制度が、皇族制度を除く、社会全体の身分差別を破壊したのは間違いのない事実だろう。
 インドの場合も、社会義務の平等という観点から、ダリッド階級の人間的解放が進むのかもしれない。

 

 

どうなんでしょうかねぇ。

 

人間、生きている限り「差別」ってのはなくならないのかも知れませんね。

 

日本にも差別はありますよね。

目に見えない差別ちゅうもんが。

 

根底には「優越感」は誰でも持っていて、ひそかに人と差別して生きていたりして・・・わからんけど爆  笑