昭和7年に全館オープンの、南海ビルです🏢

今回は長くなりますが、最後までお付き合い願えたら幸いです💕

 

全館オープン時の空撮です。

難波駅の貨物扱い所と、難波新川が健在ですね。

 

昭和10年には、南海鉄道が創業50周年です。

(画像はヤフオクから無断転載)

 

同じく昭和10年には、高島屋南海店で全館冷房です。

 

昭和13年には、難波駅が新装オープンです。

戦前の南海黄金時代ですが、昭和19年には関西急行と共に会社が解散となり、近畿日本鉄道となりました。

 

南海会館が建設中の、昭和30年代です。

 

旧ユリでは4年前に、高島屋史料館を取材しましたね。

コロナ禍の真っ只中とあれば、アルコール消毒は勿論、検温もありましたよ。

 

展示物は一部を除き、撮影可能が嬉しいです✨

 

高島屋史料館は、昭和12年に建築の松坂屋を再用しています。

戦前のエレベーターが健在ですよ。

 

昭和7年に完成した当時の、南海ビルの模型が展示されています。

 

大阪では、昭和12年に建築の大鉄百貨店と、戦時中の名建築だった大阪神ビルなど、尽く建て替えられました。

天六京阪ビルも、今やタワマンに化けています。

大丸心斎橋店は、辛うじて昭和8年の外観を保っています。

 

ミナミのランドマーク、南海ビルは最近に耐震工事と外壁リニューアルが完了して、威風堂々と存在を示しています。

 

さて、今回は、高島屋史料館の模型を見ながら、「定点観測」をすることに致します。

 

まずは正面です。

 

現在の姿です。

8階以上が増築されていますね。

ただの張りぼてだと思っていました😁

 

アーチ状の窓と、ローマ宮殿の柱を思わせる装飾が、豪華な近代建築です。

これは「新古典主義建築」と呼ばれるそうです🏢

 

屋上広場です。

 

コーナー部分は、正面よりもインパクトがあります。

 

屋上広場の出入り口です。

 

今は機械室が鎮座していますね。

向かいのOIOIから俯瞰すれば、現況が分かるかも知れないです。

 

リニューアル前は、戦前からの外付け配管が健在でした。

(画像は無断転載)

 

その東館には、開業当時から変わらない避難階段がある模様です。

床面タイルの市松模様は、天六京阪ビルでも見た記憶がありますよ。

(画像は無断転載)

 

西館です。

 

東側と違って、アーチ窓ではありません。

 

中之島の住友銀行ビルに似ています。

 

屋上の楼閣です。

 

生まれて初めて屋上へ行き、楼閣を見ました。

 

以前は入れたようですが、今は檻に囲まれています。

 

この彫刻が、戦前からの近代建築を主張です。

 

南海稲荷神社があります⛩

 

西館の奥行きが狭いのは、当時は難波駅の貨物扱い所が居座っていたためと考察します。

 

百貨店の屋上と言えば、遊園地ですね。

子供の頃は、阪神百貨店の屋上遊園地へ行ったことがあります。

また、あべのハルカスに化ける前の大鉄百貨店でも見たことがありますよ。

 

高島屋では、リニューアル前まで健在だったそうです。

 

テラス席は、真夏ならビアガーデンになりそうですね。

 

「張りぼて」の中は食堂街でした。

 

夜はLEDライトが灯り、カップルがその気になるのでしょうね💕

 

8階の食堂街です。

ランチタイムは過ぎていたので、閑散としています。

夕刻に向けての仕込みが目立っていました。

 

9階に上がりました。

ヨソ行きのオベベを着ていないと、入店を躊躇いそうな雰囲気です。

Tシャツにジーンズ姿でウロつく、ユリ新報記者。

 

トイレに隣接する喫煙室です🚬

この下に、屋上広場が埋没ですね。

 

屋上から西階段を下ります。

顧客の通行が少ないためか、リニューアル前で残っています。

但し、枚方駅前の雑居ビルや桜橋の関電興業ビルのように、1960年代のビルに目立つ造りですね。

 

真四角にしない凝り方です。

 

中央階段に移動です。

こちらは、さらに古い様式ですよ。

壁面には高島屋南海店の写真が掲示です。

 

今や貴重な手すりですね。

人件費の高騰なら、曲線を描く木工は厳しいです。

 

鉄枠にパテ止めしたすりガラスが、原形を保っています。

窓の開閉は上下のつるべ式に見えました。

兵庫駅は斜めに開きますね。

 

階段の基礎は戦前に見えます。

床面はPタイルに変えられ、当時なら木製でワックス掛けですね。

 

地階に来ると、リニューアルされながらも、戦前の木レンガの床面が再現されています。

 

売り場の撮影は🆖ですが、柱の彫刻などに、昭和7年を伝えていました。

Webコラムでは「内部は戦災を受けて、当時の意匠は無くなっている」

推測で文章を起こすのが多いので、実際に自分の目で確認することにしていますよ😜

 

取材を終えて、外に吐き出されました。

正面には、南海鉄道の「羽車」の装飾があります。

一階部分に、高島屋直営食堂と難波駅の改札口があったと紹介でした。

 

昭和20年3月、近畿日本鉄道時代の難波駅は戦災を受け、ガラス張りの上屋は復旧の際に、無粋なトタン葺きになったとあります。

南海ビルは、一階部分が焼失です。

 

(画像は毎日新聞Webから無断転載)

 

南海ビルに合うのは、旧難波駅です。

三階に移設されたのが、実に惜しいです。

 

『朝は南の 陽をうけて

あまい あかるい あったかい

若い人魚の うたごえ乗せて

走る電車は 緑の電車〜』

 

旧難波駅なら、昭和42年の「たそがれの御堂筋」ですね💿

『送りましょうか 

送られましょうか

せめて難波の 駅までも〜』

 

梅雨入りの、どんより蒸し暑い気候での取材でしたが、ロングブーツ姿を散見しましたよ。

小娘だけでは無く、私と同じアラフォーも。

 

「古潭」の時間には早いので、別の場所へ向かいます。

手元には、いつものように地下鉄の1日券。

第5号線の改札口には、コマルが健在です😁

 

長々とした内容にお付き合い、ありがとうございます💕