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1.13 Project

私たち「1.13 Project」では、2013.1.13「起源節」について一つの結論を導きだしています。そして、その結論を「1.13憲章」として掲げています。ここでは、そんな「1.13憲章」に関連するテーマをいくつか取り上げ、様々な観点から考察した内容を投稿致します。

 権進様の手紙そして1.13プロジェクトについて様々な御意見を頂いていますが・・・今日はそんな折、敢えて以下のみ言を考察させて頂きたいと思います。

 それは『患難のなか忠節の心情を持った真の息子と娘』というみ言です。

 これは昨年末にかけて、あるいは本年の初頭あたりまで、『3男 VS 4男・7男』という状況が表面化し世界レベルで大動揺が起きた当時、教会内部のローカルでも、あるいはネット上のオンラインでも流布されていました。御承知の方も多いのではないかと存じます。

 『なんと!・・・文先生は、既に1961年に今日に起こる事象を予言されていたのだ!』というような論調でこのみ言を引用し、今の時に相応しい、UC信徒皆様の信仰姿勢の是非について喚起されていたのではないかと思います。

 今日は、私達1.13Project がこのみ言をどのように捉えているのかということについて述べてみたいと思います。勿論、この考察は権進様の解いておられる観点であります。ただし、文責はあくまでも私くし神山にあります。そこのところ、宜しくお願い致します。

 まず、肝心のみ言をもう一度確認してみましょう。途中途中『・・・コメント始まり・・・』『・・・コメント終わり・・・』で囲んで私くし神山のコメントを挟ませていただきながらになります。

 み言の始まりの部分は ≪み言はじめ≫ となっています。み言の続きの部分は ≪み言続き≫ となっています。

 また、コメントの中にもそれぞれ適時み言の引用があります。少々見づらいと思いますが何卒御了承下さいませ。それでは宜しくお願い致します。

● 患難のなか忠節の心情を持った真の息子と娘
▼ 1961年2月12日『文鮮明先生み言選集第十一巻』

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 ≪み言はじめ≫

 神様は終わりの日になれば、人類の前に7年の大患難があるだろうと予告されました。この患難時期は6000年の歴史路程において、天の悲しい曲折が聖徒にぶつかる時です。人間の絆がみな壊れていき、信じられない環境にぶつかる時です。自分がどんなに良心的に正しく生きたとしても、その良心で自らの生涯を主張できない時です。御旨を抱き、考えのある者であればあるほど、眺めるあちこちに苦痛を感じる時です。

 そのような時が、終わりの日の7年大患難の時です。その時は、希望が揺れる時であり、私たちが信じている信仰の中心が揺れる時であり、信じて従った指導者が揺れる時です。主義はもちろん、宗教、良心、父母の心情までもすべて揺れる時です。

・・・・コメント始まり・・・・

 「人類の前に7年の大患難があるだろうと予告・・・」「そのような時が、終わりの日の7年大患難の時です。」というこの「7年」とはいつか?これは、厳密には1994年から2000年までの7年だと思います。ここで云う「終わりの日」とは西暦2000年だと思います。

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◆ ファミリー2001 2月号 2001年1月1日 第34回「真の神の日」午前零時の祈祷とみ言

 <P6> 愛する天のお父様。たった今、キリスト教歴史2000年を終え、3000年に向かって出発する2001年の新しい時代を迎えました。・・・<P12> み旨を成就しなければならないということです。分かりますか?それで創造理想として願われた、一つの信条であると同時に主流思想であったということを、この一千年間にきれいに解決するのです。昨日までの2000年間は、第2イスラエル圏を中心として、世界的な蕩減路程を歩んできた時なのです。今からはそのような時代が過ぎて、黎明が訪れ、新しい朝の成約時代を迎えて、祝福の理想が天宙化される時代となったのです。

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 2000年までは、1945年までに準備されていたキリスト教をもう一度造り直す期間だったので、その終わりの日という観点を前提に致しますと、1994年から2000年までがここで云う「終わりの日」だと思います。

 何度も強調して本当に恐縮ですが、UCはもう一度再現した世界的なキリスト教なのです。以下のみ言、そして「権進様の第二の手紙」にてご確認下さい。

(第1回7.8節)

 世界基督教統一神霊協会は、天使長宗教圏です。結婚できませんでした。イエス様も結婚することができなかったのです。天使長の使命しかできないというのです。息子の使命が果たせないというのです。分かりましたか?

(ファミリー95/1 P10 第35回 真の万物の日)

 キリスト教の歴史は新婦圏復帰の歴史です。連合国とはキリスト教文化圏を中心とした世界です。新婦圏の世界が先生に反対したので、ヤコブ家庭から始まった4000年歴史を400年に蕩減しなければなりません。しかし、先生は400年は生きられないので、40年の一代期間にしなければなりません。4000年歴史を40年に蕩減復帰するのです。

(牧会者の道 P1095. 第6章 霊的役事と摂理的主要行事 2 先生の聖婚式)

 1960年度から40年間、2000年までそうであろうに、なぜ大動揺が起こるのかというのです。それは清算をする期間です。P1096 こうしてお母様を選んだ後、統一教会に女性の時代が来たのです。女性時代は艱難時代です。

(権進様の第二の手紙より抜粋)

 ・・・ところでもう一つ。これは、難解な喩えの一つでして皆様にとっては今直ぐには御理解いただけない部分かも知れません。それでも、あえて今回の手紙で取り扱っておきたいと思います。

 『こうしてお母様を選んだ後、統一教会に女性の時代が来たのです。女性時代は艱難時代です。』とみ言が続いている部分に注目して下さい。

 これは、神様とお父様の事情と目的に呼応すべく新婦圏として設定してこられた我々統一教会について喩えて語られたものです。統一教会はユダヤ教とキリスト教の失敗を再現清算するために神様とお父様がつくられた新婦圏宗教圏なのであります。新婦圏宗教圏(天使長圏)を女性(エバ)と喩えて語られているのです。それで、その女性時代と喩えられている統一教会史40年を、つまり1960年から2000年までの期間を『艱難時代』だと説明されているのです。

 何故、新婦圏宗教圏を女性(エバ)と喩えられるのでしょうか?

 ゆくゆく説明させて頂きますが、お父様がみ言で語られる「女性・エバ」といえばいわゆる女子の事だけを指して語られているのではありません。実のところ殆どがアダム(地上)の相対圏であるところの天使長(霊界)を「女性・エバ」に喩えて暗示的に語られているのです。

・・・・コメント終わり・・・・

 ≪み言続き≫

 では、神様はなぜそのような世の中をつくっておかなければならないのでしょうか。それは真の神様、歴史的に苦労した神様と同参したという価値を与えるためです。神様は6000年間数多くの惨状を見てきましたし、数多くの曲折を受けられたので、終わりの日においては、主義とか、信仰ということをもって中心を立てることのできない環境にぶつかるようにするのです。

・・・・コメント始まり・・・・

 「神様はなぜそのような世の中をつくっておかなければならないのでしょうか」とあることに注目して下さい。私達が主張しているのは「敢えてされている!」という観点です。そして「終わりの日においては、主義とか、信仰ということをもって中心を立てることのできない環境にぶつかるようにするのです。」とある所が肝心なところです。

 主義や信仰では駄目だという観点が重要です。「主義や信仰」と「創造原理に立つ事」は違います。信仰(宗教)を卒業し原理圏に立つということは本質的に違うということを仰っているのです。

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 統一教会  P9 1963・5・22  ソウル・前本部教会

 一番収集するのが難しい人は宗教者です。摂理やその道を信じる宗教者たちです。・・・

 KNSネットニュース 2008・1 第25回 「愛勝日」

 今日、統一協会の信徒たちが、宗教圏の垣根を抜け出られず、それに覆われながら生きてきた習慣的なすべてのことを、どのように清算するのかという、重要な起点に今、来ています。私たちの語っていることは、事実か、そうでなければ謎のような言葉です。事実だというならば、皆さんは、アダムとエバが堕落する前に見ることができ、推し量り得る自分自身となっていますか。

 アダムとエバの堕落以来、これまでの蕩減復帰歴史において、自分の責任がどれほど大切であったかを考えてみましたか。現在、自分が処している場所が、神様の創造の花のような本然の世界ではありません。想像もできない、自由と平和の理想圏内からは永遠に離別した、そのような場所に立っているのです。天の前に自らを何者としても誇り得ないのです。堕落の血統によって縛り付けられた世界版図を前に、どのようにこれを取り消すことができるかということを考えれば、考える余地がないほどに悲惨だというのです。

 ファミリー 2003・3 P14 「神様の真の愛と天地人の関係の回復」

 長い歴史の中で、人間は、宗教生活を卒業しなければならないという、この尊い真理を明らかにした人は、いませんでした。早くから神様のみ旨を知った私は、教派や宗教を創設しようとはしませんでした。神様の摂理の中心宗教であるキリスト教が、私の教えである天道を受け入れなかったことによって、私が初めてつくった組織が、「世界基督教統一神霊協会」 でした。

 ・・世の中が、私たちの長い公式名称に代わって 「統一教会」と呼ぶことによって、「統一教会」 になってしまったのです。しかし、私は数十年前から、私たちの教会の看板を下ろす日を望みながら、その事実を予告してきました。1996年に教会の看板を下ろし「世界平和統一家庭連合」として出しました。これは、人類史における重大事件です。

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 現在、「統一教」として宗教の看板に逆戻りしていますがこれは本当に「人類史における重大事件」をさらにひっくり返す「重大事件」だと私たちは考えています。

・・・・コメント終わり・・・・

 ≪み言続き≫

 そのような患難の中でも「神様を愛する」と言う、そのような難しい場でも「神様と共に生きる」と言い得る真の息子、娘を探すために、そのような時が来るというのです。 それゆえ皆さんは、教会が揺れるのを見て悲しむことなく、ある主義が動揺するのを見て悲しむことなく、ある主権者が倒れるのを見て悲しむことなく、自らの父母が変わったと悲しむことなく、自らの兄弟が変わり果てたと悲しまないでください。頼り、信じていた世の中の全てが動揺しても、皆さんの心は平然としていなければなりません。

 神様は動揺せず、この時間も私を訪ねてこられるということを知らなければなりません。神様が私たちに苦痛を与えるのは、神様との貴い一日、神様が経てきた苦痛の因縁を私たちに結んでくださるための、大きな約束であることを知らなければなりません。

 そのような場で天を抱き締め、「一緒に行きましょう。共に闘いましょう。共に行動しましょう」と叫んで立つ人を探すために、そのような世の中が必要だというのです。 ですから皆さん、進む道がふさがったと落胆しないでください。この国が乱れると気落ちしないでください。

 神様は死んではいません。この世界がどんなに乱れても、気落ちしないでください。神様は死んではいません。神様は必ず訪ねてこられます。すべてが動揺しても、天に対する一片丹心だけは動揺させないでください。

 天を頼って仰ぐ希望の心だけは変わらないでください。その心を変えようとするために、神様が皆さんをいかなる苦痛の場に追い込んだとしても、その場で天の父を呼ぶことができる心をもたなければなりません。いかなる場に落ちても、その場で天の心情のひもをつかんで上がろうと努力しなければなりません。

 地獄に落ちる苦痛を感じる恨があったとしても、天の父と共に参与する立場に立って天の父の苦痛を私が思いやって、その天の父は私の苦痛を察してくれることを信じて、そのような場でも行くという責任と義務を感じていくならば、皆さんは滅びないでしょう。

・・・・コメント始まり・・・・

 「神様は動揺せず、この時間も私を訪ねてこられるということを知らなければなりません。」

 「神様は死んではいません。この世界がどんなに乱れても、気落ちしないでください。神様は死んではいません。神様は必ず訪ねてこられます。すべてが動揺しても、天に対する一片丹心だけは動揺させないでください。」と仰っておられます。

 これは、何を仰っているのかというと「創造原理に立ちなさい!」ということです。神は創造原理の主人です。神様がサタンに対し動揺するでしょうか?お父様がサタンに動揺するでしょうか?

 本当の真の神様は創造原理の基準に適合した人や基台にしか訪ねられません。私達が宗教圏に留まっているのなら私達に訪ねてくる方々は宗教圏に留まっておられる天使達であります。

 天使は創造原理の基準に立てないので天使なのです。どこまでも霊的なのです。霊的基準はどこまでも比喩や喩えや暗示的に地上に関わる以外にありません。明らさまに伝えるということは明確な原理違反ですので、比喩や喩えや暗示的に地上にメッセージを降ろすしか道理がないのです。

 私達はこれを原理で解き実用的なものへと変換しなければなりません。霊的なのもは、どこまでも地上の人間が自らの責任で宗教圏を乗り越えて完全なる真の創造原理の基準からこれを分別しなければなりません。

 もう一度重ねて申し上げます。

 主義や信仰では駄目だという観点です。「主義や信仰」と「創造原理に立つ」は違います。これは、信仰(宗教)を卒業し原理圏に立つということは本質的に違うということを仰っているのです。

 聖書史には、天使長宗教圏・新婦圏宗教圏(キリスト教の再現である統一教会圏)を越えて行くために大動揺が設定されているのです。統一教会のご子女様以下我々信徒が宗教圏を越えていかない限り、つまり、本当の真理である創造の原則に立ちあがって行かない限り大動揺は終わらないのです。

・・・・コメント終わり・・・・

 ≪み言続き≫

 今日、数多くのキリスト教徒がいますが、そういう信者が果たして何名になるでしょうか。私たちは天の父に侍るのに、天上の宝座に座っていらっしゃる父に侍るのではなく、死亡の波打つ中で真の息子、娘を探すために御苦労される天の父に侍らなければなりません。

・・・・コメント始まり・・・・

 このみ言は1961年のものです。

 当時のUC草創期の先輩方に語られたものですから、これは「既成キリスト教」の事を引き合いに出して「今日、数多くのキリスト教徒がいますが、そういう信者が果たして何名になるでしょうか。」と投げかけておられるみ言に聞こえます。

 しかしながら、2000年までを厳密厳格に一寸の余地なく「敢えてキリスト教を再現する為に統一教会をコントロールしてきた」という観点からすればこれは違います。

 今、2000年を越え、再現されたキリスト教は「統一教会」です。「今日、数多くのキリスト教徒がいますが、そういう信者が果たして何名になるでしょうか。」これは、今日の再現されたキリスト教である皆様の「統一教会」を指しておられると考えてみなければなりません。

 つまり、統一教会の信徒にそういう信者が果たして何名になるでしょうか。と、問われているという様に捉えなくてはなりませせん。

・・・・コメント終わり・・・・

 ≪み言続き≫

 その天の父を私の天の父と知り、その天の父の事情を私の事情として、その天の父の心情を私の心情として、その天の父の願いを私の願いとして訪ねてこられる天の父の前に雄々しく立って、「あなたの息子を探すことがあなたの願いであることを知って、その息子を探し、あなたの歴史的な曲折を解くことが、あなたの事情であることを知って、失った息子を抱き締めて愛したいのがあなたの心情であることを知りました。どのような塗炭の苦しみと艱難と難しさの中にあったとしても、私があなたの願いの実体であり、事情の実体であり、心情の実体です」と自信をもって立たなければなりません。このような者であってこそ天の父の息子であり、またその天の父に侍ることができる者になるということを皆さんは知らなければなりません。

・・・・コメント始まり・・・・

 神様とお父様にとりまして、「あなたの息子を探すことがあなたの願いであることを知って、その息子を探し、あなたの歴史的な曲折を解くことが、あなたの事情であることを知って、失った息子を抱き締めて愛したいのがあなたの心情であることを知りました。どのような塗炭の苦しみと艱難と難しさの中にあったとしても、私があなたの願いの実体であり、事情の実体であり、心情の実体です」と自信をもって立たなければなりません。

 と、あります。この様に立ちあがったのが他でもない権進様であろうと私達は考えています。

・・・・コメント終わり・・・・

 以上でした。

 いつも長文にお付き合いくださいましてありがとうございます。

 『権進様の第三の手紙』リリースまで今しばらくお待ちくださいませ。


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 皆様、こんにちは!神山です。今日はまず事務局としての ≪速報≫ を提供致します。

 『権進様の第三の手紙』に関する情報です。

 今、初期的に訳された原稿がぽつぽつと上がって来ていますが、最終的な翻訳が完了出来次第、順次UPして参りたいと思います。量としては相当なものになるとの事です。ということで『第三の手紙シリーズ』として数回~10回程度にわたるかと存じます。

 ところで、第三のお手紙は文字通り第三です。

 第三の『3』といえば一面的には完成数とのことを指していう原理的な数理だと思います。UCの皆様にとっては大変馴染み深い原理的な数理であります。

 つまり、『蘇生、長成、完成の三段階原則』の完成としての『3』な訳ですね。

 何を言いたいのかと申しますと、次の手紙は第三ですので、これまでの第一の手紙を蘇生、第二の手紙を長成としますと、当然、第三の手紙は完成ということになりますので『一定の完成(完結)を意味する手紙』という事になろうかと思う訳です。

 当然の事ですが、権進様が手紙を通してお伝えしたい事の全てが完結するという事ではありません。今この時点で、急遽、皆様と分かち合っておかなくてはならないという概念について一通りの完結を観るという事であります。

 お手紙UPの時期は、3月の後半から4月18日までにUP完了を予定しています。少なくともその期間中に数回~10回までに分けてUP完了をしたいというスケジュールを組んでいます。なんでも、権進様は4月18日をとても重要視しておられるようです。中身につきましては、乞う!ご期待というところです。

 とりあえず『権進様の第三の手紙』に関する速報でした。

 ここから、今日のテーマ『なんで「紀元節」ではなくて「起源節」なのか?』について述べて参りたいと思います。

 さて、皆様! 権進様が手紙を通してお伝えしたい核心は何でしょうか?

 権進様は『起源節』を前提に第一、第二、第三の手紙を綴っておられます。

 権進様の云う『2013.1.13 起源節』とは『真のご家庭三代圏統一の日』であります。

 真のご家庭こそが統一運動の中心であり核でありその本体であります。『真の家庭に分裂と闘争と憎しみの火種を残す訳にはいかない!』という訴えであります。

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● 蕩減復帰の峠を越えましょう (摂理的総決算) 1993・12・20 済州島

(P118) ・・一つにならなかったから、これが段々と民族的になって、北朝十支派を中心にして、南朝の二支派に分かれて争ったのです。家庭で統一できなければ、民族的に戦うのです。

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 特筆すべきは、『これは神様とお父様が歴史的なアダムエバ・アベルカイン・万物主管の全ての問題を再現清算する為に敢えて計画し設定してこられた分立と統一の役事である。』という観点であります。

 これは、現世に天宙統一、宗教統一、思想統一という『統一』という言葉の歴史的な意味を知らされてその心意気に立ちあがって人類の為に心身を捧げて来られたUC信徒の皆様だからこそ、親身になって協調し合える課題だということが言えます。

 第二の手紙に次の様に記してあります。

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『1.13憲章』では「歴史を現代に、そして現代をUC内に、さらにはUCを真の家庭に再現展開している」と説明しています。第一の手紙で説明しました様に、真の家庭に分立現象を起こしている主人公は神様とお父様だと説明している訳です。

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 この世の一般的な方々に言ってもなかなか理解頂けない概念です。

 なんで、歴史の課題を統一運動に?統一運動の課題を何故真のご家庭に?一宗教団体である統一教会内部のお家騒動が解決すれば世の中、良くなるだって???

 一カルトの統一教会のお家騒動が解決したら『テロ』が無くなるとでもいうのかい?

 というレベルでしか物事を考えられません。それほど外的です。

 内外が厳密に関連しているという創造の原理を知らないからです。見えない世界と見える世界が厳格に関連し合っているという原理を知らないのです。

 ならば、なおの事、知っている私どもがこの原理に沿って責任を果たす以外にはないではありませんか?

 皆様はよくよく御承知の事と思います。

 『蕩減復帰』という概念は『再現』と『清算』を一定の時間軸の中で完結するプロセスを説明するものです。プロセスですので、時間や空間を飛び越えたり順序を逆にする事は不可能です。これは原理です。地上の時空という厳密で厳格な創造の原理を辿って成されます。時空という制約を差し置いて成す事は不可能です。時空について深い理解が必要なのです。

 神様と文先生の真の親としての苦痛は何故もたらされるのでしょうか?それは地上の時空という厳密で厳格な創造の原理を満たさなければならないが故です。復帰したいという気持ちや衝動が強ければ強い程、高ければ高い程、深ければ深い程、辛く悲しくやるせないのです。

 何故なら、原理を満たさなければ成せないからです。神様と文先生は原理が満たせないが故に悩み苦しまれているという事が言えるのです。

 一方で、サタンとて原理的条件を満たさない限り奪えないということであります。サタンもその目的を如何に計画し如何に設定したとしても、つまり、成したいという気持ちや衝動が強ければ強い程、高ければ高い程、深ければ深い程、辛く悲しくやるせないのです。

 何故なら、原理を満たさなければ成せないからです。サタンも原理を満たす存在に悩み苦しみ恐れるのです。

 では、我々人間はどうでしょう?

 これは議論の余地はありません。我々人間も、結局のところ原理を満たせないが故に解放されず本当の自由を享受できないのです。

 神とメシヤ。そしてサタン。さらに我々人間。この三者とも本当の意味で闘っているのは原理であるという事を知って頂きたいと思うのです。この原理故に神と文先生の紆余曲折も生まれるのであり、サタンの紆余曲折も生まれるのでり、我々地上の人間の紆余曲折が生まれているのです。

 神と文先生が厳密なまでに歴史を再現し清算しなければならないのは他でもありません。

 創造原理で宇宙や人類を創造したからに他ありません。創造原理で創造したので全て創造原理を満たせるかどうかで決着を付けるのです。

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★ 原理大修練会、堕落論講義途中における御言 1967年6月18日

 だから本部の方で、行って原理講義をしてやらないといけない。そう考えて今、劉協会長も連れてきた。それをはっきりとしておかないと困るんだね。だから蕩減できない。わかる?(「はい」)。

 だから、今まで創造原理と、ま、「創造原理といえば適当に先生が考えた」、そうじゃないよ。これがわからないとね、堕落論とか、復帰路程すべてがこの創造原理を適用して解いていくんだよ。だから創造原理が、堕落論にも復帰路程にもみんなあてはまる。だから、創造原理が真理であるという確認ができるわけなんだ。

それによって歴史が、歴史の背後に動いた神が、神の歴史を通過してきたあらゆる事件がみんなあてはまる。みんなそれが創造原理がなければ解決できない。だから、復帰の路程は再創造の路程であるという、その結論になっちゃうわけなんだ。だから、創造原理を中心としてみんなそれを解いて、そして戻って来るような作用をさせるから、創造原理は絶対的に必要であるというんだね。わかる?(「はい」)。

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 話を戻します。

 まず『聖書史を再現』させなければならなかったという神様と文先生の悲痛な御事情を察しなければならないということです。そして、その『再現』だけでも途方もない犠牲と凄惨な結果を引き起こして来た訳ですし、ようやく再現が完了したとしても、今度はそれを『清算』させなければならないという事でして、これはまた別次元の事態・事象を信徒の皆様に経験させる事になる訳でして、この双方の苦痛苦慮を一手に引き受けて、真の親の立場に立ち身悶えされておられる神様と文先生の心痛は我々の推測をはるかに超えたものだと思います。

 一昨日の私の記事でも申し上げた通りです。ちょっと引用させて頂きます。

  ↓  ↓  ↓  ↓  ↓

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 これまでにこのブログで掲載して参りました『1.13憲章』『権進様の第一・第二の手紙』そして昨日の私くし神山の記事『今日は「D-Day」の元々の意味から』等で、一貫して説明させて頂いているメッセージの核心は何かといいますと『再現』と『清算』だということが言えます。

 これまでの記事全文に目を通して頂きました読者の皆様におかれましては、既に御理解いただけたのではないかと存じます。

 私どもの今のところの考えでは、文先生は、文先生一代圏(1960年~2000年まで)の都合40年で、ユダヤ史とキリスト教史の都合4000年を『再現・清算』するために壮絶で凄惨な路程を計画設定して歩まれてこられているという結論を得ているのです。

 それで、事実、西暦2000年までの『歴史の再現』というミッションは勝利されたということなのですが・・・『再現』は、なんとか勝利して来たのです。これは、本当に歴史的な奇跡でありそういう意味において大勝利!であります。

 問題は、昨日の記事の後半に書き記しました通りです。

 2000年までの『再現』をさせる為だけでも本当に壮絶で凄惨でした。これは『摂理のD-Day』の95%が勝利的に完結したといってよいのではないか、と思います。まさに『ノルマンディー上陸作戦』の成功でした。

 しかしながら『ノルマンディー上陸作戦』の成功であって『上陸作戦に続くノルマンディー地方の制圧にはドイツ軍の必死の抵抗により2ヶ月以上要した。』という史実が示すように、未だ、ノルマンディー地方全域に侵攻すべく『ナチス・ドイツの制圧』が残っているという事を理解しなければなりません。

 つまり、『再現』の成功の土台に成すべきもう一つの歴史的な仕事が残っているという事なのです。すなわち、『清算』は未だ成されていないという事なのです。昨日書いた記事の表現を引用致しますと・・・。

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 問題は、ようやく『再現』させた歴史を『清算』する為に設定しておられる2001年から2012年までの昨今を含めたこの12年です。実のところは、今、本格的な『清算』をしている真っ最中なのです。そしてあと2年残っている訳です。これから来年にかけて絶頂を迎えるのです。

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 と、いう事なのです。

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 ということで、今、真のご家庭を摂理の最頂上に設定し本格的な『清算』をしている真っ最中なのです。そしてあと2年残っている訳です。これから来年にかけて絶頂を迎えるのです。

 権進様の云う『2013.1.13 起源節』とは『真のご家庭三代圏統一の日』であります。

 読者の皆様は既にお気付きの事と存じます。この権進様の云う『2013.1.13 起源節』=『真のご家庭三代圏統一の日』こそが『清算』の本体・中身そのものだということなのです。

 皆様!多分、権進様は第三の手紙で『清算』の詳細を説明して下さる事と思います。『清算』の意味やそのプロセスを語って下さるものと思います。

 なので、本来、私くし神山が云うまでもないことなのですが、第三の手紙が配布されるまでの勝手な推測として、また一考察として踏まえておいて下されば幸いです。

 文先生は2013.1.13をあえて『起源節』と表現して下さっています。『紀元節』ではなく『起源節』なのですね。これは、私にとりましては大変推測しやすい文言でした。

 皆様が愛すべきUC運動はこの地上に天国を創建するというものです。そして、天上にも天国をもたらすというものです。

 それで、天国創建とは神の国創建なのですが、その国の基礎は何かというとそれは『真の家庭=三代圏が完成した家庭』だということであります。これは、大変重要かつシンプルな真理であろうかと思います。

 つまり、神の国の基礎である神の家庭『四位基台理想を成就した真の家庭三代圏』がなければ神の国を創建出来ないという単純明快なプロセスをこの心理は明示しているのであります。

 なので、真の御家庭三代圏が統一され、創造原理を満たした四位基台理想が完成してこなければ、聖書で云うところの1000年王国への理想は出発出来ないという事が言えます。神の国創建の基礎として真の御家庭三代圏が統一されることは是が非でも必要だということであります。

 では、真の御家庭三代圏が天国創建の基礎だという事はどういうことでしょうか?これは、皆様の家庭ではないということです。文先生のご家庭が天国創建の基礎家庭であるということです。

 『起源節』の起源とは文先生のご家庭三代圏をこれから構築してゆく神の国創建の『源』として『起こす』という意味を閉じ込めて『起源』と仰っているのだと思います。

 まさに『1.13 憲章』の通りであります。

 これは勿論、権進様のお考えであり、また私くし神山の推察でもあります。

 皆様、2000年までに聖書史の再現が終了したと申し上げました。聖書史の再現という一大プロジェクトは完結したのですが、これは、清算する舞台が整ったという事だと理解しています。

 聖書史6000年の再現が終了したのです。あとは、2001年から2012年内までの圧縮された期間を中心に、見事に清算さえ成し遂げられれば、理想的な1000年王国創建時代に突入出来るのです。

 清算出来ずに突入する事になればかつてのイスラエル史と同じ路程を余儀なく辿る事になろうかと・・・。そうなれば、歴史はさらなる混迷を極め世界戦争時代を越え神の覇権奪取は宇宙時代でしか取り戻せないという気の遠くなるような事態が展開されます。

 皆様!先進国が何故宇宙開発に乗り出して行くのかその動機と本質を考えてみて下さい。彼らの開発動機は創造原理に立脚しているでしょうか?国家を挙げて覇権を巡って開発を行っているのです。

 創造原理を知って行わないものは、それなりの動機でしかありません。どんなに崇高に見えてもそれなりの動機でしかありません。それ以上でも以下でもありません。撒いた種はその実で刈り取るしかありません。

 我々は創造の原理による創造の動機を文先生によって知らされたものです。我々は、創造原理的な動機を人類に先駆けて知らされた者たちだという事が言えます。

 その、創造の原理的動機を保有した特別な人種なのですから、その創造の原理でもって実を刈り取る事が出来る人々なのです。

 さて、もう一度下記のみ言を確認しましょう!

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● 蕩減復帰の峠を越えましょう (摂理的総決算) 1993・12・20 済州島

(P118) ・・一つにならなかったから、これが段々と民族的になって、北朝十支派を中心にして、南朝の二支派に分かれて争ったのです。家庭で統一できなければ、民族的に戦うのです。

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 家庭で統一出来なければ骨肉を争う民族史へと展開されて参ります。これは、原理です。

 何としてでも、歴史的清算を成し遂げて、恒久理想平和の礎である『真のご家庭三代圏の統一』を完結しなければ神様と文先生の御苦労、そして、皆様UC信徒の歴史的な犠牲と苦労は報われません。

 権進様の成そうとされるプロセスには、全てを好転させる天の叡智があると私は思います。

 皆様の思いと力を結集して、何とか『2013.1.13 起源節』を乗り越えましょう!


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 読者の皆様、こんにちは!事務局の神山です。

 今日は、本来ならば『なんで「紀元節」ではなくて「起源節」なのか?』を掲載する予定だったのですが、昨日UPしました『今日は「D-Day」の元々の意味から』の続きとして下記のみ言を掲載させて頂きます。

 これは、昨日の記事に対して根拠になるみ言を幾つか紹介してほしいとのご要望を頂いた事によります。何卒、ご了承頂けます様お願い申し上げます。

 記事としましては全文を掲載したかったのですが量が倍近くになってしまいますので、今回のエントリーを通して分かち合いたい核心部分だけにフォーカスして掲載致します。

 その核心部分とは『一代で清算!』です。

 これまでにこのブログで掲載して参りました『1.13憲章』『権進様の第一・第二の手紙』そして昨日の私くし神山の記事『今日は「D-Day」の元々の意味から』等で、一貫して説明させて頂いているメッセージの核心は何かといいますと『再現』と『清算』だということが言えます。

 これまでの記事全文に目を通して頂きました読者の皆様におかれましては、既に御理解いただけたのではないかと存じます。

 私どもの今のところの考えでは、文先生は、文先生一代圏(1960年~2000年まで)の都合40年で、ユダヤ史とキリスト教史の都合4000年を『再現・清算』するために壮絶で凄惨な路程を計画設定して歩まれたてこられているという結論を得ているのです。

 それで、事実、西暦2000年までの『歴史の再現』というミッションは勝利されたということなのですが・・・『再現』は、なんとか勝利して来たのです。これは、本当に歴史的な奇跡でありそういう意味において大勝利!であります。

 問題は、昨日の記事の後半に書き記しました通りです。

 2000年までの『再現』をさせる為だけでも本当に壮絶で凄惨でした。これは『摂理のD-Day』の95%が勝利的に完結したといってよいのではないか、と思います。まさに『ノルマンディー上陸作戦』の成功でした。

 しかしながら『ノルマンディー上陸作戦』の成功であって『上陸作戦に続くノルマンディー地方の制圧にはドイツ軍の必死の抵抗により2ヶ月以上要した。』という史実が示すように、未だ、ノルマンディー地方全域に侵攻すべく『ナチス・ドイツの制圧』が残っているという事を理解しなければなりません。

 つまり、『再現』の成功の土台に成すべきもう一つの歴史的な仕事が残っているという事なのです。すなわち、『清算』は未だ成されていないという事なのです。昨日書いた記事の表現を引用致しますと・・・。

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 問題は、ようやく『再現』させた歴史を『清算』する為に設定しておられる2001年から2012年までの昨今を含めたこの12年です。実のところは、今、本格的な『清算』をしている真っ最中なのです。そしてあと2年残っている訳です。これから来年にかけて絶頂を迎えるのです。

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 と、いう事なのです。

 さて、今からご紹介致しますみ言を通しまして、権進様が私ども1.13Projectを通して伝えしたい核心的なメッセージ『再現』と『清算』をより深く分かち合っておきましょう!

 それでは、ここからです。割愛部分には『・・・』が入れてあります。長文ですが何卒宜しくお願いします。

  ↓  ↓  ↓  ↓  ↓

●「米国五十州巡回講演」祝勝会における御言
▼ 2001年4月18日 ニューヨーク州 イーストガーデン
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 真のご父母様による「米国五十州巡回講演」の祝勝会で語られたもの。
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 それは、修理すべき責任を持った“真の父母”という人が来て、神様のように数千年間かけて役事するのではありません。アダムが一代で完成することができなかったので、一代で解決しなければなりません。

 ですから、それは、どれほど途方もないことでしょか? それは、皆さんには分かりません。摂理をよく知り、み旨に対する代表として立った先生は、そのことをよく知っているのです。それは、話したくありません。話したくないのです。それは、わたしよりもかわいそうなかたが神様であられる、ということを知っているからです。

 不孝息子が、自らの立つ場を見いだせないほどに恥ずかしい歴史である、ということをよく知っているので、話すことができないのです。分かりますか?

 そして、このすべてのことを、宗教圏を中心として、ユダヤ教を中心として、キリスト教を通して、一時にこれが。

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 このような歴史を一代で解決しなければなりません。一代でするのです。分かりますか? 何代ではありません。先生一代で解決しなければなりません。

 アダム家庭が、一代で勝利できなかったことを歴史的に総蕩減して、先生一代で整備しなければならないのですから、それが、どれほど途方もないことであるかということを考えてみてください。だからといって、(助けを求めて)手を出す所は、四方を見回してみても、どこにもありません。神様しかいらっしゃいません。

 その神様も、わたしが神様のことを同情したのであって、神様がわたしを協助してくださるようにはなっていません。協助できないようになっているのです。協助すれば、サタンが黙っているでしょうか?

 キリスト教の基盤を中心として、イスラエルのユダヤ教とキリスト教が責任を果たすことができずに、基盤を失ってしまったので、神様がお独りで、レバレンド・ムーンが独りで立たなければなりません。その立場で四十年間です。お母様を中心として四十年です。

 アダム家庭の一代において、理想的夫婦として立つことができずに堕落した夫婦となって世界を滅ぼし、それ以降、四千年の歴史を経て、また再臨の時まで引き続いてきたものを、その四十年間で先生夫婦が……。

 お母様が、原理を知っているでしょうか? 原理を知らないのです。何も知らないのです。それを教育しながら引っ張ってきて、先生は、夫の役割も果たさなければならず、家長の役割も果たさなければならず、氏族長の役割も果たし、宗教圏の代表、天の全権を中心とした代表責任者の役割も果たさなければなりませんでした。そのような立場として立っているというとき、どれほど深刻か分かりません。

 荷物があるとすれば、宇宙のすべての存在世界が肩にのしかかり、自分が水の中に落ちたような気分です。そのような立場を経てきたということを、皆さんは知らなければなりません。分かりますか? (「はい。」)

 アダム家庭からノア時代、アブラハム時代、モーセ時代、イエス時代、そしてキリスト教の二千年歴史を経て、流れていたすべての主流思想を、銃弾が撃ち込まれるように自らの一身で受け止めなければなりません。

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 先生が、皆さんのような中途半端な心を持っていたならば、今ごろ、どのようになっていたでしょうか? すべて、めちゃくちゃにしてしまっていたことでしょう。

 しかし、わたしが責任者なので、死ぬまで、倒れるまでは責任を持つのです。「やめなさい。」という言葉は、わたしは言えません。そのようにしながら引っ張っていくのです。

 それでも、先生がひとりで機関車に乗って出発して、簡単に行けば、どれほどよいでしょうか?しかし、世の中の重荷をすべて載せたのです。四千年、六千年歴史の重荷をすべて背負って引いていかなければなりません。何のことか、分かりますか?

 そうして、それを一代で終えなければなりません。数千年の歴史、数千万年の歴史を、一代で整備しなければならないのです。

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 摂理史を知らなければなりません。それは、必要とする人、牧師たちが読んでみれば、分かるのです。小学校、中・高等学校を出た人が、それをいくら覚えたとしても、何の役に立つでしょうか?

 理解できる人が、知らなければならないでしょう?

 ですから、一代でこれを合わせなければなりません。皆さん。今から十二年残っています。皆さんの国を復帰しなければなりません。深刻に考えてみてください。神様を王権即位させなければならない歴史時代を、先生独りですべて踏み越えていくということは、夢のような話です。死んだとしてもできません。

 “生きん”とする心を持っては、行くことができませんでした。忠臣になるとしても、それは一生涯、忠臣でなければなりません。そうすれば、神様も同情なさるというのです。

 ですから、先生は八十歳になるときまで、どれほど忙しかったでしょうか? 統一教会は、九七、八年から上がり始めたのです。三年以内にすべての峠を越えなければなりません。どれほど忙しかったでしょうか? 皆さんは、知らなかったでしょう?

 皆さんは、自分の生涯路程において、毎日、訪れる日々が、そのまま継続すると思っていたかもしれませんが、そうではありません。何のことか分かりますか? 一代で終えなければなりません。皆さんも、そうです。今から一代で終えなければなりません。九十二歳までです。そのようにしてこそ、先生がその上で……。

 九十二歳とは何かというと、八十歳から十二年です。二〇一二年までです。そのときは、先生が生きているか、霊界に行っているか分かりませんが、希望を持っているのです。先生がいる間に、このことをしなければならないということを知らなければなりません。分かりますか? (「はい。」)

 今、私が何と言いましたか? (「先生がいらっしゃる間に、このことをしなければならない、とおっしゃいました。」)先生が行くときに、不孝な息子、娘になって、地獄に追い出される人がいてはいけません。少なくとも、その国を代身して、「天の国の孝子」という名でも残すか、「忠臣」の名を残さなければなりません。“聖人”までは行かずとも、死んでも「忠臣」の名を残さなければなりません。

 “聖人”たちは、宗教圏を超えることができるので、国家を超えて、糾合して暮らしているのです。分かりますか?

 ですから、少なくとも天の国の孝子となり、孝子家庭とならなければならず、天の国の忠臣家庭にならなければならない、というのが、統一教会の皆さんが立っている現在の立場です。そして、神様の即位式をしたうえで、国家を即位させなければならないというのが、祝福を受けた家庭の立場なのです。

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 祝福家庭は、今、そこに首を懸けている時であるということを知らなければなりません。それをしますか、できませんか? (「やります。」)執着するものが、どこにありますか? 執着するものが、どこにあるというのですか? 家が何であり、土地が何であり、自分の妻が何であり、子供が何ですか? 自分の国が、失われていくのです。先生は、そのように考えました。

 先生の家庭の子供をすべてほうり出して、振り返ったことがありますか? ですから、國進は、わたしたち父母を座らせて、このように詰め寄ったのです。

 「あなたがたおふたりは、わたしたちの父母ですか? それとも、見たくもない三十六家庭や、わたしたちににらまれた、あの人たちの父母なのですか?」

 それで、何と言ったのでしょうか? 先生は、「あなたの父である前に、あの人たちの父にならなければならない。」ということは、言いませんでした。そのように言えば、終わってしまうのではないでしょうか?

 わたしは、すでに皆さんに対しては、役目を終えたのです。それでもだめならば、身ぐるみはがして、皮をもう一度つくりなおしてでも、改造しようと思っているのです。皆さんの世話にはなりません。わたしは、そのように考えています。

 そして、時が満ちたので、皆、悔い改めるようになり、外的なサタン世界が、自然屈伏するのです。九十度を超えれば、すべて元に戻って終点に着きます。分かりますか? アルパとオメガです。

 ですから、すでに時が近づいているので、“わあ、すでに世界は、このようになったのだなあ。”と、自分たちで、すべて分かるのです。

 父は、自分たちが批判していた父ではなく、また、世界はどのようになるのか、ということを知るようになるのです。しかし、その時になって分かっても、だめです。あらかじめ分かって、そのようにしてこそ、相続を受けることができるのです。分かりますね? (「はい。」)

 わたしが今、話しているのは、摂理を一代で終結することができるように、神様は完成したアダムを捜し求めてこられたということです。そのことを思うとき、神様は、旧約時代、新約時代、成約時代の三時代を、一代で終結しなければならないということをご存じなので、どれほど急がれたか分かりません。

 しかし、それでも歴史は六千年間かかったのです。それを四十年間で蕩減しなければなりません。一代でするのです。四十年間以上、時間をかけてはいけません。このようにして、千辛万苦してそれを蕩減し……。

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 皆さん一代で終えなければなりません。先生が四十年を中心として成したのですから、これから二〇一二年までです。

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 総結論は、そうです。数千万年の歴史を一代で蕩減して、片付けてしまわなければなりません。ですから、お釈迦様のような人は、知っています。統一教会を見てみると、水辺で戯れる小さな魚の世界のようであり、まるでめだかのようになって、先生に侍っているというのです。

 エベレスト山の高さ以上に深い、一万メートル以上の深い大海で暮らしている魚もいるのに、皆、批判しているではないですか? そのことを知らなければなりません。何のことか分かりますか?

 自分で仕事をしてみれば、分かるのです。

 国のために山を越え、野を越え、自分が計画したとおりに行くためには、夜の十二時を過ぎても続け、計画したことを明け方までに終えてから、帰って昼寝をし、そのように時間を短縮させてでも埋めていかなければなりません。

 自分の計画があれば、計画したとおりにしなければならないのではないでしょうか? 八十歳を中心として、先生が計画もなく、ただやみくもにしてきたでしょうか? 分かりますか、分かりませんか? (「分かります。」)

 皆さん一代で、孝子になるか忠臣にならなければなりません。一代でしなければなりません。そのようにしなければなりませんか、してはなりませんか?(「そのようにしなければなりません。」)さあ、“自分は間違いなく、そのようにします。”という人は、手を挙げてください。

 “やるならやり、やらないならやらない”という人は、先生と関係ありません。真のご父母様は、国を建てるために責任を持っているのです。

 ですから、皆さんは、そのための闘いにおいては、“生きるか死ぬか”ということよりも、勝利を持ってこなければなりません。死んだとしても、“勝利の功臣”にならなければなりません。分かりますか?(「はい。」)分かりますね? はっきりと分かったでしょう? (「はい。」)

 一代だけではありません。一代で、そのことだけをするのですか? 死ぬ前に、その国の歓迎を受けなければならないでしょう? そうではないですか? そうですか、そうではないですか?(「そうです。」)“そのようにする”という人は、手を下ろしてください。

 一代で終えなければなりません。それが、先生の宿命的な課題なのですから、どこに休む暇があるでしょうか? 山を越えても、足が痛ければ、転がって雪の塊のようになってでも、降りていかなければなりません。考えてみてください。そのような責任を持っているということを考えてみなさい、というのです。

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 そのことを知らなければなりません。分かりますね? (「はい。」)先生が、一代でこれを終結するために、どのようにするかを考えたとき、どれほどぼう然としたことでしょうか? 何を食べて、何を着て、何をどうしようということは、考えません。

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 一生涯、一生をかけて全歴史を蕩減する責任を持った人は、真のお父様以外にはいません。それを成しえましたか、成しえませんでしたか? (「成しえました。」)死なないで、よくも生き残って、よくも闘い切って……。

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 さあ、一代ですべてのことを終えましょう。さあ、一代清算。(「一代清算。」)一代清算。(「一代清算。」)一代清算。(「一代清算。」)

 清算できなければ、休んではいけません。ご飯を食べることに忙しいのではありません。働くのに忙しいのです。眠るのに忙しいのではありません。働くのに忙しいのです。そのようなことを優先させていては、すべて失敗します。

 先生は、朝なのか夜なのか分からず、昼夜が入れ替わってしまうときが、何度もあります。夕方に座りながら寝てしまい、ふと目が覚めると、まだ夜なのに、“朝だ。”と思って、“ああ、太陽が昇ってくるなあ。”と思うのです。

 そして、夕食を食べる時間なのに、先生が「朝食を食べる。」と言うので、「先生が狂った。」という話をたくさん聞きました。「なぜ先生は、あのように言うのか?」と言うのです。

 先生は、そのように生きてきました。背後がどのようになっているのか、蕩減復帰というものに、どれほど厳しい曲折の道が絡まっているのかということを知って、その道をすべて整理しておいたのです。

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● なんで「紀元節」ではなくて「起源節」なのか? へつづく

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