まず、一般的に「D-Day」とは何か?「Wikipedia」から索引してみました。
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D-デイ(D-Day)は、戦略上重要な攻撃もしくは作戦開始日時を表す際にしばしば用いられたアメリカの軍事用語。語頭のDの由来については諸説あるが、一例として漠然とした日付を表すDayの頭文字という解釈がある。
歴史上最も有名なD-デイは1944年6月6日であり、これは第二次世界大戦中にナチス・ドイツ占領下のヨーロッパに連合国軍が侵攻を開始した「オペレーション・オーバーロード」の決行日である。詳しくはノルマンディー上陸作戦を参照のこと。
ノルマンディー上陸作戦のD-デイは当初1944年6月5日に設定されたが、悪天候により連合軍最高司令官ドワイト・D・アイゼンハワー元帥は翌6月6日に作戦を延期した。それ以来、1944年6月6日は一般的に「D-デイ」(フランス語では Jour-J もしくは Le Chocと呼ばれる)と呼称されるようになった。
これが一般に広く知れ渡ったため、その後の軍事作戦立案担当者は作戦開始の日付を「D-デイ」と呼称するのを避けるようになった。例えば、ダグラス・マッカーサー元帥指揮によるレイテ島への侵攻作戦は「A-デイ」と呼称され、沖縄上陸作戦は「L デイ」と呼ばれた。マッカーサーは日本本土侵攻作戦の開始日を「X-デイ」(九州、1945年11月に予定)「Y-デイ」(関東、1946年3月に予定)と提案していた。
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▼ ところで、「ノルマンディー上陸作戦」について更に詳細を調べてみますと・・・。
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ノルマンディー上陸作戦(ノルマンディーじょうりくさくせん)は、第二次世界大戦中の1944年6月6日に行われたオーバーロード(大君主)作戦を指す(Operation Overlord)。ナチス・ドイツによって占領された西ヨーロッパへの侵攻作戦。最終的に、300万人近い兵員がドーバー海峡を渡ってフランス・コタンタン半島のノルマンディーに上陸した。史上最大の上陸作戦であり、その後これを超える規模の上陸作戦は行われていない。
本作戦は夜間の落下傘部隊の降下から始まり、続いて上陸予定地への空襲と艦砲射撃、早朝からの上陸用舟艇による敵前上陸が行われた。上陸作戦に続くノルマンディー地方の制圧にはドイツ軍の必死の抵抗により2ヶ月以上要した。
ノルマンディー上陸作戦は今日まで第二次世界大戦中の最もよく知られる戦いの一つとして数えられる。「D-DAY」は作戦決行日を表し、現在では作戦開始当日の1944年6月6日を意味する用語として使われる。
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ということで、第二次世界大戦中の最大の作戦と知られているようです。
映画では『プライベート・ライアン』が代表的な作品として知られています。
ちなみに、私は、この映画をTVの日本語吹き替え版で2回見ました。
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Saving Private Ryan(1998年、アメリカ映画):『戦場にかける橋』を観て映画監督を志し、8mmカメラで最初に作った映画が第二次大戦ものだったスティーブン・スピルバーグが念願かなって作った第二次大戦映画。トム・ハンクス主演。行方不明になったライアン二等兵を救助すべく派遣された8人の兵士を描いている。作品の冒頭20分間では、オマハ・ビーチでのリアルなシーンが話題を呼んだ。
リアルな映像をものにするため、撮影には三脚を使わずハンディカメラが多用された。敵の攻撃を受け手足が吹き飛ぶ、内臓が飛び出る、炎に包まれて爆死するなど、戦場の現実を生々しく描き、これまでになかった戦争映画として高い評価を受けた。特に、冒頭から始まり約20分間にも及ぶオマハ・ビーチにおけるノルマンディー上陸作戦を描く戦闘シーンは、映画史に残る20分間として知られる。アカデミー賞では11部門にノミネートされ、興行面でも全世界で大きな成功を収めた。
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それは これはもう、本当にリアルで凄惨な映像でした。過去、いろんな戦争映画を見ましたが本当にショックでした。
私はこの映画を最初に見た時こう思ったものです。この作戦を決行し成功を収め勝利の旗を立てるということに対して、果たしてここまで犠牲が伴っていたのか・・・ここまで、犠牲なくして掴めなかったものなのか・・・。こういう歴史の積み重ねの上に第二次世界大戦でのアメリカの勝利があったのだ・・・。余りにも悲しく辛く苦しく・・・戦争とはいえなんという・・・戦争の本質であるアベルカインとは・・・こういった歴史を清算するということはどういうことなのか・・・。
とにかく、フィクション・ノンフィクションは別として、映画ではありましたが本当にショックでした。未だ見たことが無い方には是非ともお勧め致します。というよりも、これは、文先生が「2013.1.13=起源節」を「摂理のD-Day」と表現されている訳ですから、是が非でも見るべき映画であると私は思います。
ところで、文先生は何故「2013.1.13=起源節」を「摂理のD-Day」と表現されるのでしょうか?
文先生が「2013.1.13=起源節=摂理のD-Day」を本当に「ノルマンディー上陸作戦」として重ねてイメージされているとするならば・・・。
私は「権進様の第二の手紙」に記されていることはとても現実味がある内容だと思います。
神様と文先生が計画し設定してこられた統一教会史40年、つまり西暦2000年までに起こした『ユダヤ史とキリスト教史の再現』。都合4000年の選民史の失敗を文先生の一代圏であるわずか40年に閉じ込めて再現されたという事実。
これは、ある意味で奇跡的な勝利ともいえますが、やはり、凄惨な歴史であったと思います。余りにも無理があり難題であったが為、それを遂行し成果を得るためには余りにも酷い犠牲が伴ったのではないかと思います。
『再現』させる為だけでも凄惨でした。
問題は、ようやく『再現』させた歴史を『清算』する為に設定しておられる2001年から2012年までの昨今を含めたこの12年です。実のところは、今、本格的な『清算』をしている真っ最中なのです。そしてあと2年残っている訳です。これから来年にかけて絶頂を迎えるのです。
私は、文先生はきっとこれを「摂理のD-Day」=「ノルマンディー上陸作戦」に重ねて表現されていると思うのです・・・これはいったいどういうことなのだろうか・・・。
統一運動に動員された皆様はノルマンディー上陸作戦に動員された兵士さながらなのではないかと思うのです。
ならば、この作戦の本当の指揮官である神様と文先生の気持ちは如何なるものか?
何としてもこの作戦を勝利に導き頂上を取らなくてはならない・・・。しかしながら、頂上を取るために伴う個々の犠牲とその痛みを考える時・・・これは絶句です。絶句する以外に有りません。
● なんで「紀元節」ではなくて「起源節」なのか? へつづく
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