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1.13 Project

私たち「1.13 Project」では、2013.1.13「起源節」について一つの結論を導きだしています。そして、その結論を「1.13憲章」として掲げています。ここでは、そんな「1.13憲章」に関連するテーマをいくつか取り上げ、様々な観点から考察した内容を投稿致します。

 今日は「D-Day」の元々の意味から少し思いを巡らしてみます。

 まず、一般的に「D-Day」とは何か?「Wikipedia」から索引してみました。

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 D-デイ(D-Day)は、戦略上重要な攻撃もしくは作戦開始日時を表す際にしばしば用いられたアメリカの軍事用語。語頭のDの由来については諸説あるが、一例として漠然とした日付を表すDayの頭文字という解釈がある。

 歴史上最も有名なD-デイは1944年6月6日であり、これは第二次世界大戦中にナチス・ドイツ占領下のヨーロッパに連合国軍が侵攻を開始した「オペレーション・オーバーロード」の決行日である。詳しくはノルマンディー上陸作戦を参照のこと。

 ノルマンディー上陸作戦のD-デイは当初1944年6月5日に設定されたが、悪天候により連合軍最高司令官ドワイト・D・アイゼンハワー元帥は翌6月6日に作戦を延期した。それ以来、1944年6月6日は一般的に「D-デイ」(フランス語では Jour-J もしくは Le Chocと呼ばれる)と呼称されるようになった。

 これが一般に広く知れ渡ったため、その後の軍事作戦立案担当者は作戦開始の日付を「D-デイ」と呼称するのを避けるようになった。例えば、ダグラス・マッカーサー元帥指揮によるレイテ島への侵攻作戦は「A-デイ」と呼称され、沖縄上陸作戦は「L デイ」と呼ばれた。マッカーサーは日本本土侵攻作戦の開始日を「X-デイ」(九州、1945年11月に予定)「Y-デイ」(関東、1946年3月に予定)と提案していた。

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 ▼ ところで、「ノルマンディー上陸作戦」について更に詳細を調べてみますと・・・。

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 ノルマンディー上陸作戦(ノルマンディーじょうりくさくせん)は、第二次世界大戦中の1944年6月6日に行われたオーバーロード(大君主)作戦を指す(Operation Overlord)。ナチス・ドイツによって占領された西ヨーロッパへの侵攻作戦。最終的に、300万人近い兵員がドーバー海峡を渡ってフランス・コタンタン半島のノルマンディーに上陸した。史上最大の上陸作戦であり、その後これを超える規模の上陸作戦は行われていない。

 本作戦は夜間の落下傘部隊の降下から始まり、続いて上陸予定地への空襲と艦砲射撃、早朝からの上陸用舟艇による敵前上陸が行われた。上陸作戦に続くノルマンディー地方の制圧にはドイツ軍の必死の抵抗により2ヶ月以上要した。

 ノルマンディー上陸作戦は今日まで第二次世界大戦中の最もよく知られる戦いの一つとして数えられる。「D-DAY」は作戦決行日を表し、現在では作戦開始当日の1944年6月6日を意味する用語として使われる。

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 ということで、第二次世界大戦中の最大の作戦と知られているようです。

 映画では『プライベート・ライアン』が代表的な作品として知られています。

 ちなみに、私は、この映画をTVの日本語吹き替え版で2回見ました。

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 Saving Private Ryan(1998年、アメリカ映画):『戦場にかける橋』を観て映画監督を志し、8mmカメラで最初に作った映画が第二次大戦ものだったスティーブン・スピルバーグが念願かなって作った第二次大戦映画。トム・ハンクス主演。行方不明になったライアン二等兵を救助すべく派遣された8人の兵士を描いている。作品の冒頭20分間では、オマハ・ビーチでのリアルなシーンが話題を呼んだ。

 リアルな映像をものにするため、撮影には三脚を使わずハンディカメラが多用された。敵の攻撃を受け手足が吹き飛ぶ、内臓が飛び出る、炎に包まれて爆死するなど、戦場の現実を生々しく描き、これまでになかった戦争映画として高い評価を受けた。特に、冒頭から始まり約20分間にも及ぶオマハ・ビーチにおけるノルマンディー上陸作戦を描く戦闘シーンは、映画史に残る20分間として知られる。アカデミー賞では11部門にノミネートされ、興行面でも全世界で大きな成功を収めた。

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 それは これはもう、本当にリアルで凄惨な映像でした。過去、いろんな戦争映画を見ましたが本当にショックでした。

 私はこの映画を最初に見た時こう思ったものです。この作戦を決行し成功を収め勝利の旗を立てるということに対して、果たしてここまで犠牲が伴っていたのか・・・ここまで、犠牲なくして掴めなかったものなのか・・・。こういう歴史の積み重ねの上に第二次世界大戦でのアメリカの勝利があったのだ・・・。余りにも悲しく辛く苦しく・・・戦争とはいえなんという・・・戦争の本質であるアベルカインとは・・・こういった歴史を清算するということはどういうことなのか・・・。

 とにかく、フィクション・ノンフィクションは別として、映画ではありましたが本当にショックでした。未だ見たことが無い方には是非ともお勧め致します。というよりも、これは、文先生が「2013.1.13=起源節」を「摂理のD-Day」と表現されている訳ですから、是が非でも見るべき映画であると私は思います。

 ところで、文先生は何故「2013.1.13=起源節」を「摂理のD-Day」と表現されるのでしょうか?

 文先生が「2013.1.13=起源節=摂理のD-Day」を本当に「ノルマンディー上陸作戦」として重ねてイメージされているとするならば・・・。

 私は「権進様の第二の手紙」に記されていることはとても現実味がある内容だと思います。

 神様と文先生が計画し設定してこられた統一教会史40年、つまり西暦2000年までに起こした『ユダヤ史とキリスト教史の再現』。都合4000年の選民史の失敗を文先生の一代圏であるわずか40年に閉じ込めて再現されたという事実。

 これは、ある意味で奇跡的な勝利ともいえますが、やはり、凄惨な歴史であったと思います。余りにも無理があり難題であったが為、それを遂行し成果を得るためには余りにも酷い犠牲が伴ったのではないかと思います。

 『再現』させる為だけでも凄惨でした。

 問題は、ようやく『再現』させた歴史を『清算』する為に設定しておられる2001年から2012年までの昨今を含めたこの12年です。実のところは、今、本格的な『清算』をしている真っ最中なのです。そしてあと2年残っている訳です。これから来年にかけて絶頂を迎えるのです。

 私は、文先生はきっとこれを「摂理のD-Day」=「ノルマンディー上陸作戦」に重ねて表現されていると思うのです・・・これはいったいどういうことなのだろうか・・・。

 統一運動に動員された皆様はノルマンディー上陸作戦に動員された兵士さながらなのではないかと思うのです。

 ならば、この作戦の本当の指揮官である神様と文先生の気持ちは如何なるものか?

 何としてもこの作戦を勝利に導き頂上を取らなくてはならない・・・。しかしながら、頂上を取るために伴う個々の犠牲とその痛みを考える時・・・これは絶句です。絶句する以外に有りません。


● なんで「紀元節」ではなくて「起源節」なのか? へつづく

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皆様、こんにちは。神山です。

こうして『1.13 Project ブログ』を開設して、10日余りが経過しました。

「1.13 憲章」「権進様の第一の手紙」「権進様の第二の手紙」とリリースして参りまして、多くの反響を頂いております。心からの賛同を下さった方。又、疑義を投げ掛けて下さった方、様々いらっしゃいますが、まずもってこの場をお借りし御礼申し上げます。

評価、批評等様々有って本当に感謝致しております。2013.1.13 D-Dayまで泣いても笑ってもあと2年!このブログが皆様にとって、有意義なものになれる様これからも、頑張って運営して参ります。何卒、宜しくお願いします。

ところで、「権進様の第三の手紙」のリリースまで今しばらくの間ですが、「1.13 憲章」に対する私くし神山の所見を綴って参りたいと思います。

今の所、確定したわけではないのですが、テーマとしては以下の様なものを設定しています。

1.「D-Day」の元々の意味
2. なんで「紀元節」ではなくて「起源節」なのか?
3. 文先生が語られるラスベガス・フーバーダム等の真の意味は?

という感じです。

乞うご期待!です。


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  権進様の第二の手紙-3 からのつづきです。最初に私くし神山の主観を入れさせて頂きます。

 今回の「第二の手紙-4」は、「権進様の第二の手紙」の最終回です。権進様は、「統一教会史40年(1960-2000)は、神様とお父様があえて計画し設定して厳密なまでにユダヤ史とキリスト教史の都合4000年を再現してきた」ということを説明しておられます。

 読者の皆様!ぜひともこの機会に皆様の想像力をフル動員して下さい。

 これが本当であれば、2000年までは『歴史の再現』に費やされて来た!ということが言えますし、2001年からは本格的に『歴史の清算』が始まっており、それは早い段階のどこかで完了しなければなりません。それこそが『2013.1.13 起源節 = 真のご家庭三代圏統一の日』なのではないでしょうか?

 以下の様なみ言(お祈り)があります。参考までに記載させて頂きます。

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◆ ファミリー2001 2月号 2001年1月1日 第34回「真の神の日」午前零時の祈祷

 <P6> 愛する天のお父様。たった今、キリスト教歴史2000年を終え3000年に向かって出発する2001年の新しい時代を迎えました。・・・<P12> み旨を成就しなければならないということです。分かりますか?それで創造理想として願われた、一つの信条であると同時に主流思想であったということを、この一千年間にきれいに解決するのです。昨日までの2000年間は、第2イスラエル圏を中心として、世界的な蕩減路程を歩んできた時なのです。今からはそのような時代が過ぎて、黎明が訪れ、新しい朝の成約時代を迎えて、祝福の理想が天宙化される時代となったのです。

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--- 文責 神山武士 でした。ここからが権進様の手紙本文です。 ---

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(み言選集55巻 1972年4月23日 東京教会 P39メシヤと我々)

 しかし、素晴らしいお方であっても、それは人間に違いない。・・・メシヤは人に違いない。人は人だけれど、その内容が違う。その内容は何かというと、立体的内容を持っている。それが違う。堕落した人間は、堕落圏の平面的内容しか持っていないが、メシヤは立体的内容を持っている。

 お父様の語られるみ言『成約聖書』は立体的に語られています。

 さて、そろそろ結論に向かいたいと思います。

 イエス様は「私は新郎である。あなた方は新婦である。」と言われた訳です。キリスト教徒の全てが女性ならいざ知らず、教会の神父や組織の責任者は殆ど男性です。新婦だからと言って女性ではないのです。これは、アダム(地上)の相対圏である天使長(霊界)という、もともとの霊肉の原理的な位置関係を、地上の男性と女性という男女の相対関係に当てはめて喩えで語られているものです。

 もともと霊界の天使が果たすべき責任を地上に展開し第一、第二、第三イスラエルと歴史を編んでこられたのですが、イスラエルが責任を果たさなければならないという意味を女が問題である!エバが問題である!女性が責任を持たなければならない!と表現してきたのです。

 ここでほんの少し余談を入れさせて頂きます。

 元々地上の完成を待つ意外に完成できない『霊界の無念』というものがあります。これは、創造原理です。待てない気持ちと地上が遅々として悟らない様相を見る時、様々なレベルで苛立ちを覚えるのです。

 これは丁度、地上の男女の創造原理的現実を象徴しています。

 女性は男性よりも肉体的にも情緒的にも少し早く成熟します。かといって男性の成熟と完成を待つべき位置にあります。そして、女性としての完成は、どこまでも男性を男性として立派に完成させ成熟させ完熟させてはじめて得られるのです。

 これは、霊界と地上の関係性と同じなのです。地上はアダム圏であり霊界はエバ圏だという事が言えるのです。

 霊界の成熟は時空が甘く考えた事や思い描いたイメージが瞬時に形骸化してしまいます。早いのです。そして、また、あまり苦労なく形が出来てしまうので実感が伴う様で伴わないのです。

 一年が千年、万年の如しと表現される所以です。

 その点、地上は時空がはっきりしています。何をしても創造原理的な基準を通化しなければ形をなせません。つまり、時空が基準なのです。これが、霊的理想は地上の基準に左右されるという創造の原理なのです。

 霊界と地上の関係はまさに男女の成熟と完成のプロセスを象徴しています。余談でした。少しでも参考にして頂ければと思い記しました。

 さて、何度も脱線して申し訳ありません。再度本題にもどります。

 イエス様は「私はもう一度来る」と残して再臨を示唆されました。これはイエス様の再臨の時であるお父様のことであります。お父様こそがイエス様が云われた新郎そのものであった訳です。ということで、お父様が来られる1920年から1945年までのキリスト教は間違いなく新婦圏=天使長宗教圏だったということであります。

 キリスト教は元を正せばユダヤ教の失敗を再現精算する為のものでした。ではユダヤ教はと言えばこれはイエス様をアダムとして迎えるための新婦圏宗教圏だったといえましょう。つまり、ユダヤ教とイスラエル民族はアダムの相対圏であるエバを喩えた新婦圏宗教圏だったという事に他ありません。

 お父様のみ言は成約時代の聖書です。なので、イエス様が残されたこの聖句を根拠に聖書の伝統に沿って喩えで暗示的に語らざるを得ないのです。全てを明らかに語っておられるという事は決してございません。

 全てを明らかに語ってしまうということは、本当の原理を説明することになります。本当の原理を説明し語ってしまえばユダヤ教やキリスト教をお父様一代圏に再現できません。

 『こうしてお母様を選んだ後、統一教会に女性の時代が来たのです。女性時代は艱難時代です。』と語られたみ言の真意を私が代弁させて頂きます。

 『統一教会を一代40年で造ったのはユダヤ教とキリスト教の再現精算の為につくったのだよ。ユダヤ教の末期やキリスト教の末期には何があったか?思い出しなさい!いよいよ本当に終わりの日キリスト教末期(2000年)が近づいている。予定通り、艱難(大動揺)を起こすので準備せよ!』

 とおっしゃっていたわけです。

 にもかかわらず、現実の統一教会の信徒である私達が『全てを勝利したらしいので2000年を境に嬉しいことばかり楽しい事ばかりでこれからはただただ理想的に生きられる天国が始まる!』という観念にはまっていたとしたら・・・つまり、現状のキリスト教のような性質をもったUC信徒たちだとすれば・・・。

 一方で『原理講論』を与え生命視させ程良くキリスト教化しつつ、やがて『本当の原理』を何らかの方法で知らせる。それが、大動揺を起こさせる仕掛けなのです。私達はこの『原理講論』と『本当の原理』のギャップに気が付いた時どうなるでしょうか?

 仰天し本当の意味で大動揺が起きるとは思いませんか?事実、今皆様の心に動揺が起き始めていませんでしょうか?

 ちなみに、動揺とは、ある観念を抱き思い込んでいた事が真逆だったり、想定外の事実に気が付いたときに経験する心理状態を説明する言葉です。

 問題は『動揺』ではありません。『大動揺』です・・・。ここで私が述べている内容は、大動揺に導く序章にすぎません。

 さて、これまでの私の解説を元に少し考えてみましょう。

 「十字架による救い。洗礼はしっかり受けたしこれで良い筈だ!」「あ~安心!安心!」「私達が先のものだ!」「あとは全ての人々を自分と同じように洗礼を受けさせてあげたい!」というような救済観をキリスト教信徒は持っていますよね。

 原理講論を学んで統一教会運動に参加し伝道活動をして行く中で、そういったキリスト教信徒に出会い、あるいはその救済観の実体に触れてみて残念に思った事はないですか?

 実のところは、そのキリスト教の末期の様な状況が、統一教会史40年の末期に起きてこなければ嘘なのです。神様とお父様が成してこられた業の証にはならないというのです。つまり2000年頃までにはキリスト教末期の状況が再現するように神様とお父様が全て計画し設定しその通りに摂理して来られているというのです。

 すなわち、統一教会史40年路程の末期である2000年頃というのは、かつてのキリスト教そのものが再現していなければ神様とお父様の証にならないという事なのです。これは、現在の一般的なUC価値観からすれば真逆なのです。

 統一教会信徒の様子を見た時、程良く、キリスト教徒に仕上がっていなければならないという事なのです。

 程良くクリスチャンのように仕上がっていなければ、再現を成功し勝利したとは到底言えないのです。お父様が勝利した勝利したと仰っている事の真相は、単一の世界的キリスト教を一世一代で再現することに大勝利されたという事なのです。本当に大勝利だったのです!

 さて、今回の手紙でお伝えしたかった結論を述べさせて頂きます。

 まず、私達、統一教会の信徒が艱難だと実感するような出来事や、大動揺するような出来事を起こすべく仕掛けを誰にも気付かれない様に計画し設定し歴史を編んでいらっしゃったのが神様とお父様だという事なのです。本当に恐るべき方なのです。

 お父様が公生涯を出発され現実的に勝利しなければならなかった課題の一つは、まずもって失った4000年を一代40年で2000年までに再現させなければならなかったという事なのです。

 つまり、私達はユダヤ史とキリスト教史の都合4000年の失敗の当事者の誰かを間違いなく担当しているのです。再現するということは非常に似通った性質を持った者たちにしか請け負えません。何を言いたいのかと申しますと、選ばれたといって喜んでいる場合ではない!という事なのです。再度申し上げます。これは現在のUC内の一般的説明では理解できません。

 しかしながら、現実にUC内に起きている現象を説明するには余りにも的を得た説明だと思いませんか? 皆様は現状のUCの摂理解説とこれまでの私の摂理解説のどちらがピン!と来ますか?

 今回の手紙では『1.13 憲章』をベースに、歴史の『再現』という観点にフォーカス致しました。次回の第三の手紙では『清算』にフォーカスして参りたいと思います。

 『清算』は本当に希望です。まさに解放と釈放の天国への入り口にさしかかっていると言えましょう。

 今回の第二の手紙は第一の手紙と合わせて何度も何度も読み返して下さい。第二はいつも肝心です。試練です。いつも、この『二』が問題になり歴史の峠となりました。私は、あえて、峠になるように書き記しています。何度も何度も読み返して下さいます様重ねてお願い申し上げます。

 では、皆様! お体にはくれぐれも気を付けて日々精進下さいますよう。

2011年2月15日   文 権進



 権進様の第二の手紙-1 権進様の第二の手紙-2 権進様の第二の手紙-3

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