まず、大前提として理解しておかなければならない事があります。
それは、直系(実子圏)創造と傍系(庶子圏)創造を司ったお父様の立場です。これは、間違いなく歴史時代の「ザカリヤ」の立場なのです。お父様は「ザカリヤ」の立場をも歩まれなければならなかったのです。
こんなことを唐突に言えば、お父様はアダムなのに何で「ザカリヤ」なの?と、疑問に思われたのではないかと思います。当然です。これは、UCの原理観と摂理観には無い説明だからです。
今から説明する内容は、勿論、原理講論には無いことです。
しかしながら、原理講論に無いからと言っていちいち引っかかって頂いてもいけません。そろそろ皆様も、お父様の語られるみ言には「原理講論によるイエス様までの原理」と「本当の原理であるお父様の時代の原理」の、両方があるという現実に慣れて頂かなくてはと思います。
両方を混在させながら、敢えて分かり辛く語るのは、一方では再現の為、そしてもう一方では清算の為であるという致し方ない事情からだ、という事を御理解頂きたいのです。
何度も何度も本当に恐縮です。しかし、あまりにも重要な事ですので再度申し上げます。
神様とお父様はキリスト教史を再現させるために、敢えて『現代版キリスト教原理』である『原理講論』を皆様に与え、そして絶対視させてこられた、という事を御理解頂きたいと思います。
その目的は、もう一度お父様一代圏40年で、キリスト教を再現させ、そのキリスト教末期に『大動揺』を起こし『キリスト教が成せなかった天宙的な課題を清算』させる為です。まず、歴史を再現させるのです。再現させるのは『大動揺』を越えさせて『清算』するのが目的だったという事なのです。
これこそが、本当の神様とお父様の御事情なのです。どれほど、辛く悲しく、やるせない御事情でしょうか?再現させる過程に生じる犠牲は一体、如何程になるのでしょうか・・・。それを知って成すということが、どれほど苦痛でしょうか?
皆様、お父様の本当の御事情を知らない限りは、本当の心情に通じることは不可能です。原理的な心情圏とは、原理的な事情を知ってのみ到達できる境地なのです。
私は、我々が通常口にする「心情」という言葉については、本当の意味で「心情」と呼べるものなのかどうか、今一度、定義し直す必要があるのではないかと思います。
まず、本当の神様と本当のお父様の事情を知る事です。本当の事情を知り、その事情に通じたとするならば、はじめて本当の気持ち、つまり「本当の心情」に通じる事が出来ます。それで、その境地に至ってこそ、はじめて「私の父である」と呼べる様になるのです。
その様に、心情に通じて行く為の順序が原理的に段階的にあるのだと思います。事情も知らないのに心情に通じるという原理はないのだと思うのです。
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訓教経・上 ( P215・69 )
そのような心情にまで至るには、私たちは知らなければなりません。私の父はこのような理念をもって人間を創造され、堕落した人間ゆえにこのようにご苦労され、イエス様をこの地に送られながら今まで2千年間このような歴史的な心情をもってこられた、ということを知らなければなりません。そのような神様であることを知り、その神様は時代的な私を中心として何を成し遂げるために心情を傾けているのか、ということを知らなければなりせん。
これから私たちは、神様の事情を知らなければなりません。その事情を知って何をしなければならないのでしょうか。神様の心情を知らなければなりません。神様の心情を知って「私の父である」と言わなければなりません
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さて、お父様は、まず、アダムからヤコブまで。そして、ヤコブからザカリヤまで。そして、イエス、再臨主と。全聖書史を一代で再現清算する路程を歩んでこられたのです。当然のことながら、ユダヤ史とキリスト教史を再現させるのですから、かかるお父様一代圏の統一教会40年史には、ユダヤ史が内在し、キリスト教史も内在するのです。
これは何を意味するのでしょうか?
これは、ユダヤ史の絶頂でイエスと洗礼ヨハネが一つになれなかったが故に、イエスが殺され、致し方なくキリスト教を立てていかなくてはならなかったという、凄惨かつ悲惨な歴史が、既に、統一教会史40年の中で再現されたということを意味するのです。
お父様は、何故、イエス様当時の事をあれほどリアリティをもってお話しされるのでしょうか?
これは、聖書史を統一教会内に再現させてゆくので「くれぐれも注意を払って、悲しい同時性に陥らない様に!」という警告を含めて語られているものだという事を理解しなければなりません。
皆様!実のところは、聖書史は、既に統一教会史40年内に再現されたのです。既に過去のものになりつつあるのです。
まず、お父様は「ザカリヤ」の立場に立ち、正妻との間に直系(実子圏)の子女を創造されました。これは、言うなれば「洗礼ヨハネ圏:カイン圏」なのです。
そして、第一のお母様をはじめとする幾人かの女性信徒を妾の位置に立て、その方々との間に傍系(庶子圏)の子女を創造されたのです。これは先の「洗礼ヨハネ圏:カイン圏」との相対圏に位置するので、いわば「イエス圏:アベル圏」と言う事ができるのです。
孝進様をはじめとする私達実子圏の子女達は「洗礼ヨハネ圏」と言うべきであり、聖進様をはじめとする庶子圏のご子女様達は「イエス圏」と呼ぶべきであります。
そして、実子圏の代表が直系の長男である孝進様だということは、孝進様こそが洗礼ヨハネ圏の長子だったという事を知らなければならないのです。それに対し、庶子圏の代表が傍系の長男である聖進様だったということは、聖進様こそがイエス圏の長子だったという事なのであります。
皆様、なんと、お父様は「ザカリヤ」。孝進様は「洗礼ヨハネ圏の長子」。聖進様は「イエス圏の長子」ということになります。
あれ?これはおかしいではないか?洗礼ヨハネはイエスに対し兄である。だから、その同時性だというならば、孝進様が年齢的に兄でなければおかしいのではないか?
「原理講論」による摂理観を絶対視する時、その同時性が起きているのだという観点から、この様な思考が直ぐに頭をもたげるのです。
私は、既に「原理講論」には無い、「原理講論」では到底説明できないお父様のみ言から推察しているのです。従って、私どもが主張する事も絶対だとは言えませんが、かといって間違いだとは到底言えないのです。お父様のみ言に根拠を置いて推測しているからなのです。
私どもがみ言の研究を行う時は、「原理講論」は勿論の事、「原理講論」では到底説明できないお父様のみ言にちりばめられている「本当の原理」からも推察しつつ、尚且つ、それが現実に如何に合っているかという観点から綜合的に推測しなければなりません。
今、私に言える間違いのない事実と言えば、お父様には数名からなる庶子圏の子女様方がいらっしゃるということです。そして、それは、実子圏とは言えないので、二千年前のザカリヤ家庭に重ね合わせる時、実子圏を「洗礼ヨハネ圏」、庶子圏を「イエス圏」と言うほかないという事なのです。
今のところ、「その様に言うより他は無い!」ということなのです。
年齢からみて、単純に実質の兄か弟なのかで、実子圏あるいは庶子圏という訳にはいかないのです。少なくともこの問題は、年齢だけで片付ける訳にはいかない問題だという事なのです。
実際問題としては、庶子圏の子女様方にはアダムの立場の方、イエスの立場の方、再臨主の様な立場に立たれた方が各々いらっしゃいます。少なくとも私は、その可能性を突き止めています。
これが、誰なのかと言う事は未だ述べたくはありません。
皆様。まだ、ここ最近の事ですが、「顕進様はアダム、国進様はイエス、亨進様は再臨主である」と、お父様が仰られたという事を知っておられますでしょうか?
このみ言は、当然、文字通り受け止めてはなりません。文字通り受け止めれば受け止めるほど混乱を招く様になっています。何故か。大動揺をさせるために語られた、この終末の時期に相応しいみ言だからです。
これは、庶子圏の子女様方には、アダムの立場の方、イエスの立場の方、再臨主の様な立場に立つ方が各々いらっしゃいますので、その相対圏である実子圏の子女達になぞらえて「顕進様はアダム、国進様はイエス、亨進様は再臨主である」と仰っているのです。
皆様!
お父様のみ言は、何時でも二重の相対の言葉を前提に語られているのです。
本当に大動揺と混乱を敢えて作り出すために語られているのです。聖書を文字通り信じて来るべき方を殺害してしまった歴史を清算するという事が、如何に混沌を極める事なのか、という事なのです。
さて、問題は、今となってはユダヤ史も過ぎ去り、厳密にはキリスト教史の末期も過ぎ去っているのです。つまり、西暦2000年を越えているのです。今は、2001年~2012年の最後なのです。本来、2000年までに再現と清算全てを成し遂げておくべきだったのですが、その事実を知って、悟って、実行する事が出来ませんでした。
直系(実子圏)の代表の長子である、孝進様がその責任を果たす事ができなかったのです。
今日、只中の摂理は、つまり「3男 VS 4男(7男)」の分立と統一の摂理は、いよいよ過去のアベル(庶子圏:イエス圏)とカイン(実子圏:洗礼ヨハネ圏)の不一致を、全部一度に圧縮して越えさせようとする最後の摂理なのです。
「3男 VS 4男(7男)」問題は、本質的には『庶子圏:イエス圏』と『実子圏:洗礼ヨハネ圏』の問題として展開されているのです。これは、相似的関係として展開されている事象なのです。
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八十歳でカナン復帰して天下統一をしなければならなかったのですが、それができませんでした。ですから、まだアベル・カインが残っていたので、第二次の祝福を受け、アベル・カインの撤廃を宣布したのです。そして、今から百二十年になる時までに、すべてを終えなければなりません。ですから、それを管掌する先生は、最初の四十年、八十歳までの四十年、今の四十年をそれぞれ四年として、九十二歳を中心とする二〇一二年までに、すべてを終えるのです。(二〇〇四・七・八)
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お父様が成された復帰の業の中でも、直系(実子圏)の「洗礼ヨハネ圏」と傍系(庶子圏)の「イエス圏」を創造する業、これこそが原理として理解されていない聖書の奥義中の奥義と言えます。
皆様!そういえば、もう、お分かりの事でしょう。
実子圏の長子であった孝進様は、洗礼ヨハネ圏を代表して、庶子圏の長子である聖進様をはじめとするイエス圏の子女様方の原理的な位置と使命について、全てを解き、全てを分かって歴史時代のアベルカインの失敗の全てを清算しなければならなかったのです。
孝進様は洗礼ヨハネ中の洗礼ヨハネだったのです。
その立場を蕩減復帰し、近々、洗礼ヨハネとしての大仕事を背負って立たれる予定の方が、皆様が愛する3男の顕進兄なのです。
なので、顕進兄さんは、言われもなき罪を着せられ一方的に悪者に立てられているのです。お父様が敢えてその立場に立てられているのです。そのためには4男と7男を一旦役者として敢えて神側だと思わせて立てるのです。
4男国進兄と7男亨進弟を使うのです。皆様、信じられますか?
私くし権進と、私と心を共にするメンバーは下記のみ言をこよなく愛しています。本当に尊く貴重な事が語られているみ言です。
これまでに説明させて頂きました内容を念頭に置きながら一読下さい。割愛部分は・・・・・で表示させて頂きます。
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●「米国五十州巡回講演」祝勝会における御言
▼ 2001年4月18日 ニューヨーク州 イーストガーデン
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真のご父母様による「米国五十州巡回講演」の祝勝会で語られたもの。
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このような歴史を一代で解決しなければなりません。一代でするのです。分かりますか? 何代ではありません。先生一代で解決しなければなりません。
アダム家庭が、一代で勝利できなかったことを歴史的に総蕩減して、先生一代で整備しなければならないのですから、それが、どれほど途方もないことであるかということを考えてみてください。だからといって、(助けを求めて)手を出す所は、四方を見回してみても、どこにもありません。神様しかいらっしゃいません。
その神様も、わたしが神様のことを同情したのであって、神様がわたしを協助してくださるようにはなっていません。協助できないようになっているのです。協助すれば、サタンが黙っているでしょうか?
キリスト教の基盤を中心として、イスラエルのユダヤ教とキリスト教が責任を果たすことができずに、基盤を失ってしまったので、神様がお独りで、レバレンド・ムーンが独りで立たなければなりません。その立場で四十年間です。お母様を中心として四十年です。
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アダム家庭からノア時代、アブラハム時代、モーセ時代、イエス時代、そしてキリスト教の二千年歴史を経て、流れていたすべての主流思想を、銃弾が撃ち込まれるように自らの一身で受け止めなければなりません。
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先生が、皆さんのような中途半端な心を持っていたならば、今ごろ、どのようになっていたでしょうか? すべて、めちゃくちゃにしてしまっていたことでしょう。
しかし、わたしが責任者なので、死ぬまで、倒れるまでは責任を持つのです。「やめなさい。」という言葉は、わたしは言えません。そのようにしながら引っ張っていくのです。
それでも、先生がひとりで機関車に乗って出発して、簡単に行けば、どれほどよいでしょうか?しかし、世の中の重荷をすべて載せたのです。四千年、六千年歴史の重荷をすべて背負って引いていかなければなりません。何のことか、分かりますか?
そうして、それを一代で終えなければなりません。数千年の歴史、数千万年の歴史を、一代で整備しなければならないのです。
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ですから、先生は八十歳になるときまで、どれほど忙しかったでしょうか? 統一教会は、九七、八年から上がり始めたのです。三年以内にすべての峠を越えなければなりません。どれほど忙しかったでしょうか? 皆さんは、知らなかったでしょう?
皆さんは、自分の生涯路程において、毎日、訪れる日々が、そのまま継続すると思っていたかもしれませんが、そうではありません。何のことか分かりますか? 一代で終えなければなりません。皆さんも、そうです。今から一代で終えなければなりません。九十二歳までです。そのようにしてこそ、先生がその上で……。
九十二歳とは何かというと、八十歳から十二年です。二〇一二年までです。そのときは、先生が生きているか、霊界に行っているか分かりませんが、希望を持っているのです。先生がいる間に、このことをしなければならないということを知らなければなりません。分かりますか? (「はい。」)
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祝福家庭は、今、そこに首を懸けている時であるということを知らなければなりません。それをしますか、できませんか? (「やります。」)執着するものが、どこにありますか? 執着するものが、どこにあるというのですか? 家が何であり、土地が何であり、自分の妻が何であり、子供が何ですか? 自分の国が、失われていくのです。先生は、そのように考えました。
先生の家庭の子供をすべてほうり出して、振り返ったことがありますか? ですから、國進は、わたしたち父母を座らせて、このように詰め寄ったのです。
「あなたがたおふたりは、わたしたちの父母ですか? それとも、見たくもない三十六家庭や、わたしたちににらまれた、あの人たちの父母なのですか?」
それで、何と言ったのでしょうか? 先生は、「あなたの父である前に、あの人たちの父にならなければならない。」ということは、言いませんでした。そのように言えば、終わってしまうのではないでしょうか?
・・・・・・・・・・・・
ですから、すでに時が近づいているので、“わあ、すでに世界は、このようになったのだなあ。”と、自分たちで、すべて分かるのです。
父は、自分たちが批判していた父ではなく、また、世界はどのようになるのか、ということを知るようになるのです。しかし、その時になって分かっても、だめです。あらかじめ分かって、そのようにしてこそ、相続を受けることができるのです。分かりますね? (「はい。」)
わたしが今、話しているのは、摂理を一代で終結することができるように、神様は完成したアダムを捜し求めてこられたということです。そのことを思うとき、神様は、旧約時代、新約時代、成約時代の三時代を、一代で終結しなければならないということをご存じなので、どれほど急がれたか分かりません。
しかし、それでも歴史は六千年間かかったのです。それを四十年間で蕩減しなければなりません。一代でするのです。四十年間以上、時間をかけてはいけません。このようにして、千辛万苦してそれを蕩減し……。
・・・・・・・・・・・
皆さん一代で終えなければなりません。先生が四十年を中心として成したのですから、これから二〇一二年までです。
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自分の計画があれば、計画したとおりにしなければならないのではないでしょうか? 八十歳を中心として、先生が計画もなく、ただやみくもにしてきたでしょうか? 分かりますか、分かりませんか? (「分かります。」)
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一代で終えなければなりません。それが、先生の宿命的な課題なのですから、どこに休む暇があるでしょうか? 山を越えても、足が痛ければ、転がって雪の塊のようになってでも、降りていかなければなりません。考えてみてください。そのような責任を持っているということを考えてみなさい、というのです。
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そのことを知らなければなりません。分かりますね? (「はい。」)先生が、一代でこれを終結するために、どのようにするかを考えたとき、どれほどぼう然としたことでしょうか? 何を食べて、何を着て、何をどうしようということは、考えません。
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一生涯、一生をかけて全歴史を蕩減する責任を持った人は、真のお父様以外にはいません。それを成しえましたか、成しえませんでしたか? (「成しえました。」)死なないで、よくも生き残って、よくも闘い切って……。
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さあ、一代ですべてのことを終えましょう。さあ、一代清算。(「一代清算。」)一代清算。(「一代清算。」)一代清算。(「一代清算。」)
清算できなければ、休んではいけません。ご飯を食べることに忙しいのではありません。働くのに忙しいのです。眠るのに忙しいのではありません。働くのに忙しいのです。そのようなことを優先させていては、すべて失敗します。
先生は、朝なのか夜なのか分からず、昼夜が入れ替わってしまうときが、何度もあります。夕方に座りながら寝てしまい、ふと目が覚めると、まだ夜なのに、“朝だ。”と思って、“ああ、太陽が昇ってくるなあ。”と思うのです。
そして、夕食を食べる時間なのに、先生が「朝食を食べる。」と言うので、「先生が狂った。」という話をたくさん聞きました。「なぜ先生は、あのように言うのか?」と言うのです。
先生は、そのように生きてきました。背後がどのようになっているのか、蕩減復帰というものに、どれほど厳しい曲折の道が絡まっているのかということを知って、その道をすべて整理しておいたのです。
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▼ この時語られたみ言の中に、下記の部分があったかと思います。
『 先生の家庭の子供をすべてほうり出して、振り返ったことがありますか? ですから、國進は、わたしたち父母を座らせて、このように詰め寄ったのです。
「あなたがたおふたりは、わたしたちの父母ですか? それとも、見たくもない三十六家庭や、わたしたちににらまれた、あの人たちの父母なのですか?」
それで、何と言ったのでしょうか? 先生は、「あなたの父である前に、あの人たちの父にならなければならない。」ということは、言いませんでした。そのように言えば、終わってしまうのではないでしょうか?
・・・・・・・・・・・・
ですから、すでに時が近づいているので、“わあ、すでに世界は、このようになったのだなあ。”と、自分たちで、すべて分かるのです。
父は、自分たちが批判していた父ではなく、また、世界はどのようになるのか、ということを知るようになるのです。しかし、その時になって分かっても、だめです。あらかじめ分かって、そのようにしてこそ、相続を受けることができるのです。分かりますね? (「はい。」)』
・・・・・・・・・・・・
皆様、国進兄さんの問い詰めに対して、本当の事を何一つ言えなかったお父様の御事情を察して下さい。ここでお父様が言いたかったことは、本当の事をいえば終わってしまうほどのことなのです。
これは、単純に「カインの子女を愛さなければアベルの子女を愛せない」といったお話ではないのです。お父様は、そんなことは良く説教で語られます。
「あなたの父である前に、あの人たちの父にならなければならない。」ということは、お父様が直接言わずとも、私達、実子圏の子女達は良く理解しています。確かに、感情で納得できない悲しみ寂しさはありましたが、いつも周りの先輩食口や兄弟に教育を受けて来たのです。理性ではいつも納得しているのです。
なので、このみ言で言うところの「あなたの父である前に、あの人たちの父にならなければならない。」とは、庶子圏の子女様達を指して仰られているという事なのです。
これは総じて私達実子圏の子女達は、まさか、夢にだに思っていないのです。
本当のアベルは庶子圏であり「イエス圏」なのです。「イエス圏」は、「洗礼ヨハネ圏」が使命を果たさない限り表に出られないのです。
兄が弟になり弟が兄になるという、天地開闢、交叉交代祝福が成されない限り浮ばれないのです。
そして、お父様にとってはイエス様こそが、最終的に長子に立たなければならないので「あなた(実子圏)の父である前に、あの人たち(庶子圏)の父にならなければならない。」と仰られているのです。
そもそも、実子圏の長子である孝進様が「洗礼ヨハネ圏」としての使命を果たしているならば、3男以降の私達子女にこういった蕩減問題は一切ありません。
洗礼ヨハネ圏である実子圏とは、つまるところ洗礼ヨハネの失敗を歴史的に背負っているのです。
これは、イエス様を殺害した歴史を背負っているという事なのです。本当に深刻なのです。
実子圏の長子として立たれた長男孝進様。この方が背負われた歴史は、今、誰かがその蕩減を背負って清算しなければなりません。
既に、2男の興進兄も逝かれました。これはもう、誕生された序列からして3男の顕進兄さんしかいらっしゃりません。
先ほどのみ言には下記の様にあります。
『・・・・・ですから、すでに時が近づいているので、“わあ、すでに世界は、このようになったのだなあ。”と、自分たちで、すべて分かるのです。父は、自分たちが批判していた父ではなく、また、世界はどのようになるのか、ということを知るようになるのです。しかし、その時になって分かっても、だめです。あらかじめ分かって、そのようにしてこそ、相続を受けることができるのです。分かりますね?・・・・・ 』
ここで重要なのは、
『その時になって分かっても、だめです。あらかじめ分かって、そのようにしてこそ、相続を受けることができるのです。分かりますね?・・・・・』
ということなのです。予め全てを知って、分かって、そのようにしてこそ事が清算されたと言い得るのです。
これは、私くし権進が実子圏を代表して解いていますが、最終的には3男の顕進兄さんに捧げる内容なのです。そして、3男の顕進様を中心にもう一度「洗礼ヨハネ圏」が一体化して、「イエス圏」の子女様方に侍り、全ての栄光を捧げる様にするためのプロセスなのです。
【 権進様の第三の手紙 - 3 】へつづく
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