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1.13 Project

私たち「1.13 Project」では、2013.1.13「起源節」について一つの結論を導きだしています。そして、その結論を「1.13憲章」として掲げています。ここでは、そんな「1.13憲章」に関連するテーマをいくつか取り上げ、様々な観点から考察した内容を投稿致します。

 では、ここからは「直系の長子(実子圏代表の位置)。孝進様の位置を蕩減復帰すべき立場に一旦立てられた、3男顕進兄さん。」という観点から、少し説明しておきたいと思います。

 まず、大前提として理解しておかなければならない事があります。

 それは、直系(実子圏)創造と傍系(庶子圏)創造を司ったお父様の立場です。これは、間違いなく歴史時代の「ザカリヤ」の立場なのです。お父様は「ザカリヤ」の立場をも歩まれなければならなかったのです。

 こんなことを唐突に言えば、お父様はアダムなのに何で「ザカリヤ」なの?と、疑問に思われたのではないかと思います。当然です。これは、UCの原理観と摂理観には無い説明だからです。

 今から説明する内容は、勿論、原理講論には無いことです。

 しかしながら、原理講論に無いからと言っていちいち引っかかって頂いてもいけません。そろそろ皆様も、お父様の語られるみ言には「原理講論によるイエス様までの原理」と「本当の原理であるお父様の時代の原理」の、両方があるという現実に慣れて頂かなくてはと思います。

 両方を混在させながら、敢えて分かり辛く語るのは、一方では再現の為、そしてもう一方では清算の為であるという致し方ない事情からだ、という事を御理解頂きたいのです。

 何度も何度も本当に恐縮です。しかし、あまりにも重要な事ですので再度申し上げます。

 神様とお父様はキリスト教史を再現させるために、敢えて『現代版キリスト教原理』である『原理講論』を皆様に与え、そして絶対視させてこられた、という事を御理解頂きたいと思います。

 その目的は、もう一度お父様一代圏40年で、キリスト教を再現させ、そのキリスト教末期に『大動揺』を起こし『キリスト教が成せなかった天宙的な課題を清算』させる為です。まず、歴史を再現させるのです。再現させるのは『大動揺』を越えさせて『清算』するのが目的だったという事なのです。

 これこそが、本当の神様とお父様の御事情なのです。どれほど、辛く悲しく、やるせない御事情でしょうか?再現させる過程に生じる犠牲は一体、如何程になるのでしょうか・・・。それを知って成すということが、どれほど苦痛でしょうか?

 皆様、お父様の本当の御事情を知らない限りは、本当の心情に通じることは不可能です。原理的な心情圏とは、原理的な事情を知ってのみ到達できる境地なのです。

 私は、我々が通常口にする「心情」という言葉については、本当の意味で「心情」と呼べるものなのかどうか、今一度、定義し直す必要があるのではないかと思います。

 まず、本当の神様と本当のお父様の事情を知る事です。本当の事情を知り、その事情に通じたとするならば、はじめて本当の気持ち、つまり「本当の心情」に通じる事が出来ます。それで、その境地に至ってこそ、はじめて「私の父である」と呼べる様になるのです。

 その様に、心情に通じて行く為の順序が原理的に段階的にあるのだと思います。事情も知らないのに心情に通じるという原理はないのだと思うのです。

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訓教経・上 ( P215・69 )

そのような心情にまで至るには、私たちは知らなければなりません。私の父はこのような理念をもって人間を創造され、堕落した人間ゆえにこのようにご苦労され、イエス様をこの地に送られながら今まで2千年間このような歴史的な心情をもってこられた、ということを知らなければなりません。そのような神様であることを知り、その神様は時代的な私を中心として何を成し遂げるために心情を傾けているのか、ということを知らなければなりせん。

 これから私たちは、神様の事情を知らなければなりません。その事情を知って何をしなければならないのでしょうか。神様の心情を知らなければなりません。神様の心情を知って「私の父である」と言わなければなりません

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 さて、お父様は、まず、アダムからヤコブまで。そして、ヤコブからザカリヤまで。そして、イエス、再臨主と。全聖書史を一代で再現清算する路程を歩んでこられたのです。当然のことながら、ユダヤ史とキリスト教史を再現させるのですから、かかるお父様一代圏の統一教会40年史には、ユダヤ史が内在し、キリスト教史も内在するのです。

 これは何を意味するのでしょうか?

 これは、ユダヤ史の絶頂でイエスと洗礼ヨハネが一つになれなかったが故に、イエスが殺され、致し方なくキリスト教を立てていかなくてはならなかったという、凄惨かつ悲惨な歴史が、既に、統一教会史40年の中で再現されたということを意味するのです。

 お父様は、何故、イエス様当時の事をあれほどリアリティをもってお話しされるのでしょうか?

 これは、聖書史を統一教会内に再現させてゆくので「くれぐれも注意を払って、悲しい同時性に陥らない様に!」という警告を含めて語られているものだという事を理解しなければなりません。

 皆様!実のところは、聖書史は、既に統一教会史40年内に再現されたのです。既に過去のものになりつつあるのです。

 まず、お父様は「ザカリヤ」の立場に立ち、正妻との間に直系(実子圏)の子女を創造されました。これは、言うなれば「洗礼ヨハネ圏:カイン圏」なのです。

 そして、第一のお母様をはじめとする幾人かの女性信徒を妾の位置に立て、その方々との間に傍系(庶子圏)の子女を創造されたのです。これは先の「洗礼ヨハネ圏:カイン圏」との相対圏に位置するので、いわば「イエス圏:アベル圏」と言う事ができるのです。

 孝進様をはじめとする私達実子圏の子女達は「洗礼ヨハネ圏」と言うべきであり、聖進様をはじめとする庶子圏のご子女様達は「イエス圏」と呼ぶべきであります。

 そして、実子圏の代表が直系の長男である孝進様だということは、孝進様こそが洗礼ヨハネ圏の長子だったという事を知らなければならないのです。それに対し、庶子圏の代表が傍系の長男である聖進様だったということは、聖進様こそがイエス圏の長子だったという事なのであります。

 皆様、なんと、お父様は「ザカリヤ」。孝進様は「洗礼ヨハネ圏の長子」。聖進様は「イエス圏の長子」ということになります。

 あれ?これはおかしいではないか?洗礼ヨハネはイエスに対し兄である。だから、その同時性だというならば、孝進様が年齢的に兄でなければおかしいのではないか?

 「原理講論」による摂理観を絶対視する時、その同時性が起きているのだという観点から、この様な思考が直ぐに頭をもたげるのです。

 私は、既に「原理講論」には無い、「原理講論」では到底説明できないお父様のみ言から推察しているのです。従って、私どもが主張する事も絶対だとは言えませんが、かといって間違いだとは到底言えないのです。お父様のみ言に根拠を置いて推測しているからなのです。

 私どもがみ言の研究を行う時は、「原理講論」は勿論の事、「原理講論」では到底説明できないお父様のみ言にちりばめられている「本当の原理」からも推察しつつ、尚且つ、それが現実に如何に合っているかという観点から綜合的に推測しなければなりません。

 今、私に言える間違いのない事実と言えば、お父様には数名からなる庶子圏の子女様方がいらっしゃるということです。そして、それは、実子圏とは言えないので、二千年前のザカリヤ家庭に重ね合わせる時、実子圏を「洗礼ヨハネ圏」、庶子圏を「イエス圏」と言うほかないという事なのです。

 今のところ、「その様に言うより他は無い!」ということなのです。

 年齢からみて、単純に実質の兄か弟なのかで、実子圏あるいは庶子圏という訳にはいかないのです。少なくともこの問題は、年齢だけで片付ける訳にはいかない問題だという事なのです。

 実際問題としては、庶子圏の子女様方にはアダムの立場の方、イエスの立場の方、再臨主の様な立場に立たれた方が各々いらっしゃいます。少なくとも私は、その可能性を突き止めています。

 これが、誰なのかと言う事は未だ述べたくはありません。

 皆様。まだ、ここ最近の事ですが、「顕進様はアダム、国進様はイエス、亨進様は再臨主である」と、お父様が仰られたという事を知っておられますでしょうか?

 このみ言は、当然、文字通り受け止めてはなりません。文字通り受け止めれば受け止めるほど混乱を招く様になっています。何故か。大動揺をさせるために語られた、この終末の時期に相応しいみ言だからです。

 これは、庶子圏の子女様方には、アダムの立場の方、イエスの立場の方、再臨主の様な立場に立つ方が各々いらっしゃいますので、その相対圏である実子圏の子女達になぞらえて「顕進様はアダム、国進様はイエス、亨進様は再臨主である」と仰っているのです。

 皆様!

 お父様のみ言は、何時でも二重の相対の言葉を前提に語られているのです。

 本当に大動揺と混乱を敢えて作り出すために語られているのです。聖書を文字通り信じて来るべき方を殺害してしまった歴史を清算するという事が、如何に混沌を極める事なのか、という事なのです。

 さて、問題は、今となってはユダヤ史も過ぎ去り、厳密にはキリスト教史の末期も過ぎ去っているのです。つまり、西暦2000年を越えているのです。今は、2001年~2012年の最後なのです。本来、2000年までに再現と清算全てを成し遂げておくべきだったのですが、その事実を知って、悟って、実行する事が出来ませんでした。

 直系(実子圏)の代表の長子である、孝進様がその責任を果たす事ができなかったのです。

 今日、只中の摂理は、つまり「3男 VS 4男(7男)」の分立と統一の摂理は、いよいよ過去のアベル(庶子圏:イエス圏)とカイン(実子圏:洗礼ヨハネ圏)の不一致を、全部一度に圧縮して越えさせようとする最後の摂理なのです。

 「3男 VS 4男(7男)」問題は、本質的には『庶子圏:イエス圏』と『実子圏:洗礼ヨハネ圏』の問題として展開されているのです。これは、相似的関係として展開されている事象なのです。

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 八十歳でカナン復帰して天下統一をしなければならなかったのですが、それができませんでした。ですから、まだアベル・カインが残っていたので、第二次の祝福を受け、アベル・カインの撤廃を宣布したのです。そして、今から百二十年になる時までに、すべてを終えなければなりません。ですから、それを管掌する先生は、最初の四十年、八十歳までの四十年、今の四十年をそれぞれ四年として、九十二歳を中心とする二〇一二年までに、すべてを終えるのです。(二〇〇四・七・八)

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 お父様が成された復帰の業の中でも、直系(実子圏)の「洗礼ヨハネ圏」と傍系(庶子圏)の「イエス圏」を創造する業、これこそが原理として理解されていない聖書の奥義中の奥義と言えます。

 皆様!そういえば、もう、お分かりの事でしょう。

 実子圏の長子であった孝進様は、洗礼ヨハネ圏を代表して、庶子圏の長子である聖進様をはじめとするイエス圏の子女様方の原理的な位置と使命について、全てを解き、全てを分かって歴史時代のアベルカインの失敗の全てを清算しなければならなかったのです。

 孝進様は洗礼ヨハネ中の洗礼ヨハネだったのです。

 その立場を蕩減復帰し、近々、洗礼ヨハネとしての大仕事を背負って立たれる予定の方が、皆様が愛する3男の顕進兄なのです。

 なので、顕進兄さんは、言われもなき罪を着せられ一方的に悪者に立てられているのです。お父様が敢えてその立場に立てられているのです。そのためには4男と7男を一旦役者として敢えて神側だと思わせて立てるのです。

 4男国進兄と7男亨進弟を使うのです。皆様、信じられますか?

 私くし権進と、私と心を共にするメンバーは下記のみ言をこよなく愛しています。本当に尊く貴重な事が語られているみ言です。

 これまでに説明させて頂きました内容を念頭に置きながら一読下さい。割愛部分は・・・・・で表示させて頂きます。

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●「米国五十州巡回講演」祝勝会における御言
▼ 2001年4月18日 ニューヨーク州 イーストガーデン
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 真のご父母様による「米国五十州巡回講演」の祝勝会で語られたもの。
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 このような歴史を一代で解決しなければなりません。一代でするのです。分かりますか? 何代ではありません。先生一代で解決しなければなりません。

 アダム家庭が、一代で勝利できなかったことを歴史的に総蕩減して、先生一代で整備しなければならないのですから、それが、どれほど途方もないことであるかということを考えてみてください。だからといって、(助けを求めて)手を出す所は、四方を見回してみても、どこにもありません。神様しかいらっしゃいません。

 その神様も、わたしが神様のことを同情したのであって、神様がわたしを協助してくださるようにはなっていません。協助できないようになっているのです。協助すれば、サタンが黙っているでしょうか?

 キリスト教の基盤を中心として、イスラエルのユダヤ教とキリスト教が責任を果たすことができずに、基盤を失ってしまったので、神様がお独りで、レバレンド・ムーンが独りで立たなければなりません。その立場で四十年間です。お母様を中心として四十年です。

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 アダム家庭からノア時代、アブラハム時代、モーセ時代、イエス時代、そしてキリスト教の二千年歴史を経て、流れていたすべての主流思想を、銃弾が撃ち込まれるように自らの一身で受け止めなければなりません。

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 先生が、皆さんのような中途半端な心を持っていたならば、今ごろ、どのようになっていたでしょうか? すべて、めちゃくちゃにしてしまっていたことでしょう。

 しかし、わたしが責任者なので、死ぬまで、倒れるまでは責任を持つのです。「やめなさい。」という言葉は、わたしは言えません。そのようにしながら引っ張っていくのです。

 それでも、先生がひとりで機関車に乗って出発して、簡単に行けば、どれほどよいでしょうか?しかし、世の中の重荷をすべて載せたのです。四千年、六千年歴史の重荷をすべて背負って引いていかなければなりません。何のことか、分かりますか?

 そうして、それを一代で終えなければなりません。数千年の歴史、数千万年の歴史を、一代で整備しなければならないのです。

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 ですから、先生は八十歳になるときまで、どれほど忙しかったでしょうか? 統一教会は、九七、八年から上がり始めたのです。三年以内にすべての峠を越えなければなりません。どれほど忙しかったでしょうか? 皆さんは、知らなかったでしょう?

 皆さんは、自分の生涯路程において、毎日、訪れる日々が、そのまま継続すると思っていたかもしれませんが、そうではありません。何のことか分かりますか? 一代で終えなければなりません。皆さんも、そうです。今から一代で終えなければなりません。九十二歳までです。そのようにしてこそ、先生がその上で……。

 九十二歳とは何かというと、八十歳から十二年です。二〇一二年までです。そのときは、先生が生きているか、霊界に行っているか分かりませんが、希望を持っているのです。先生がいる間に、このことをしなければならないということを知らなければなりません。分かりますか? (「はい。」)

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 祝福家庭は、今、そこに首を懸けている時であるということを知らなければなりません。それをしますか、できませんか? (「やります。」)執着するものが、どこにありますか? 執着するものが、どこにあるというのですか? 家が何であり、土地が何であり、自分の妻が何であり、子供が何ですか? 自分の国が、失われていくのです。先生は、そのように考えました。

 先生の家庭の子供をすべてほうり出して、振り返ったことがありますか? ですから、國進は、わたしたち父母を座らせて、このように詰め寄ったのです。

 「あなたがたおふたりは、わたしたちの父母ですか? それとも、見たくもない三十六家庭や、わたしたちににらまれた、あの人たちの父母なのですか?」

 それで、何と言ったのでしょうか? 先生は、「あなたの父である前に、あの人たちの父にならなければならない。」ということは、言いませんでした。そのように言えば、終わってしまうのではないでしょうか?

・・・・・・・・・・・・

 ですから、すでに時が近づいているので、“わあ、すでに世界は、このようになったのだなあ。”と、自分たちで、すべて分かるのです。

 父は、自分たちが批判していた父ではなく、また、世界はどのようになるのか、ということを知るようになるのです。しかし、その時になって分かっても、だめです。あらかじめ分かって、そのようにしてこそ、相続を受けることができるのです。分かりますね? (「はい。」)

 わたしが今、話しているのは、摂理を一代で終結することができるように、神様は完成したアダムを捜し求めてこられたということです。そのことを思うとき、神様は、旧約時代、新約時代、成約時代の三時代を、一代で終結しなければならないということをご存じなので、どれほど急がれたか分かりません。

 しかし、それでも歴史は六千年間かかったのです。それを四十年間で蕩減しなければなりません。一代でするのです。四十年間以上、時間をかけてはいけません。このようにして、千辛万苦してそれを蕩減し……。

・・・・・・・・・・・

 皆さん一代で終えなければなりません。先生が四十年を中心として成したのですから、これから二〇一二年までです。

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 自分の計画があれば、計画したとおりにしなければならないのではないでしょうか? 八十歳を中心として、先生が計画もなく、ただやみくもにしてきたでしょうか? 分かりますか、分かりませんか? (「分かります。」)

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 一代で終えなければなりません。それが、先生の宿命的な課題なのですから、どこに休む暇があるでしょうか? 山を越えても、足が痛ければ、転がって雪の塊のようになってでも、降りていかなければなりません。考えてみてください。そのような責任を持っているということを考えてみなさい、というのです。

・・・・・・・・・・

 そのことを知らなければなりません。分かりますね? (「はい。」)先生が、一代でこれを終結するために、どのようにするかを考えたとき、どれほどぼう然としたことでしょうか? 何を食べて、何を着て、何をどうしようということは、考えません。

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 一生涯、一生をかけて全歴史を蕩減する責任を持った人は、真のお父様以外にはいません。それを成しえましたか、成しえませんでしたか? (「成しえました。」)死なないで、よくも生き残って、よくも闘い切って……。

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 さあ、一代ですべてのことを終えましょう。さあ、一代清算。(「一代清算。」)一代清算。(「一代清算。」)一代清算。(「一代清算。」)

 清算できなければ、休んではいけません。ご飯を食べることに忙しいのではありません。働くのに忙しいのです。眠るのに忙しいのではありません。働くのに忙しいのです。そのようなことを優先させていては、すべて失敗します。

 先生は、朝なのか夜なのか分からず、昼夜が入れ替わってしまうときが、何度もあります。夕方に座りながら寝てしまい、ふと目が覚めると、まだ夜なのに、“朝だ。”と思って、“ああ、太陽が昇ってくるなあ。”と思うのです。

 そして、夕食を食べる時間なのに、先生が「朝食を食べる。」と言うので、「先生が狂った。」という話をたくさん聞きました。「なぜ先生は、あのように言うのか?」と言うのです。

 先生は、そのように生きてきました。背後がどのようになっているのか、蕩減復帰というものに、どれほど厳しい曲折の道が絡まっているのかということを知って、その道をすべて整理しておいたのです。

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 ▼ この時語られたみ言の中に、下記の部分があったかと思います。

 『 先生の家庭の子供をすべてほうり出して、振り返ったことがありますか? ですから、國進は、わたしたち父母を座らせて、このように詰め寄ったのです。

 「あなたがたおふたりは、わたしたちの父母ですか? それとも、見たくもない三十六家庭や、わたしたちににらまれた、あの人たちの父母なのですか?」

 それで、何と言ったのでしょうか? 先生は、「あなたの父である前に、あの人たちの父にならなければならない。」ということは、言いませんでした。そのように言えば、終わってしまうのではないでしょうか?

・・・・・・・・・・・・

 ですから、すでに時が近づいているので、“わあ、すでに世界は、このようになったのだなあ。”と、自分たちで、すべて分かるのです。

 父は、自分たちが批判していた父ではなく、また、世界はどのようになるのか、ということを知るようになるのです。しかし、その時になって分かっても、だめです。あらかじめ分かって、そのようにしてこそ、相続を受けることができるのです。分かりますね? (「はい。」)』

・・・・・・・・・・・・

 皆様、国進兄さんの問い詰めに対して、本当の事を何一つ言えなかったお父様の御事情を察して下さい。ここでお父様が言いたかったことは、本当の事をいえば終わってしまうほどのことなのです。

 これは、単純に「カインの子女を愛さなければアベルの子女を愛せない」といったお話ではないのです。お父様は、そんなことは良く説教で語られます。

 「あなたの父である前に、あの人たちの父にならなければならない。」ということは、お父様が直接言わずとも、私達、実子圏の子女達は良く理解しています。確かに、感情で納得できない悲しみ寂しさはありましたが、いつも周りの先輩食口や兄弟に教育を受けて来たのです。理性ではいつも納得しているのです。

 なので、このみ言で言うところの「あなたの父である前に、あの人たちの父にならなければならない。」とは、庶子圏の子女様達を指して仰られているという事なのです。

 これは総じて私達実子圏の子女達は、まさか、夢にだに思っていないのです。

 本当のアベルは庶子圏であり「イエス圏」なのです。「イエス圏」は、「洗礼ヨハネ圏」が使命を果たさない限り表に出られないのです。

 兄が弟になり弟が兄になるという、天地開闢、交叉交代祝福が成されない限り浮ばれないのです。

 そして、お父様にとってはイエス様こそが、最終的に長子に立たなければならないので「あなた(実子圏)の父である前に、あの人たち(庶子圏)の父にならなければならない。」と仰られているのです。

 そもそも、実子圏の長子である孝進様が「洗礼ヨハネ圏」としての使命を果たしているならば、3男以降の私達子女にこういった蕩減問題は一切ありません。

 洗礼ヨハネ圏である実子圏とは、つまるところ洗礼ヨハネの失敗を歴史的に背負っているのです。

 これは、イエス様を殺害した歴史を背負っているという事なのです。本当に深刻なのです。

 実子圏の長子として立たれた長男孝進様。この方が背負われた歴史は、今、誰かがその蕩減を背負って清算しなければなりません。

 既に、2男の興進兄も逝かれました。これはもう、誕生された序列からして3男の顕進兄さんしかいらっしゃりません。

 先ほどのみ言には下記の様にあります。

 『・・・・・ですから、すでに時が近づいているので、“わあ、すでに世界は、このようになったのだなあ。”と、自分たちで、すべて分かるのです。父は、自分たちが批判していた父ではなく、また、世界はどのようになるのか、ということを知るようになるのです。しかし、その時になって分かっても、だめです。あらかじめ分かって、そのようにしてこそ、相続を受けることができるのです。分かりますね?・・・・・ 』

 ここで重要なのは、

 『その時になって分かっても、だめです。あらかじめ分かって、そのようにしてこそ、相続を受けることができるのです。分かりますね?・・・・・』

 ということなのです。予め全てを知って、分かって、そのようにしてこそ事が清算されたと言い得るのです。

 これは、私くし権進が実子圏を代表して解いていますが、最終的には3男の顕進兄さんに捧げる内容なのです。そして、3男の顕進様を中心にもう一度「洗礼ヨハネ圏」が一体化して、「イエス圏」の子女様方に侍り、全ての栄光を捧げる様にするためのプロセスなのです。

【 権進様の第三の手紙 - 3 】へつづく


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 読者の皆様!お待たせいたしました!

 本日より、いよいよ「権進様の第三の手紙」をリリース致します。

 以前、ある記事でも紹介させて頂きました様に、本日より4月18日までには掲載UP完了を予定しています。少なくともその期間中に数回、多ければ10回ぐらいまでに分けて掲載完了をしたいというスケジュールを組んでいます。

 尚、この「第三の手紙」最終稿は、2011年3月8日付けのものです。

 それでは、早速、一読下さいませ。 --- 神山武士 ---


【 権進様の第三の手紙 - 1 】

 ↓ ↓ ↓ ↓ ↓

 愛する日本食口の皆様! 権進です。

 いよいよ今回で第三回目の手紙となります。第一、第二と回を重ねて参りまして、大なり小なり物議を醸し出し、お騒がせする事に相成りました。

 第二回目の公文も発布されたということですが、少し遅かったというのが私の印象です。また、近いうちに第三回目の公文が発布されるかもしれません。

 ところで、皆様は第二回目の公文は読まれましたか?公文によれば、4男の国進兄さんに本部担当者が直接報告し確認した、ということですね。そして国進兄さんは「この手紙は権進が書いたものではない」と明確にされたということでした。

 少し遅かったぐらいです。私はもう少し早く報告が上がると思っていました。

 国進兄さんに報告して頂くのがもう少し遅かったらと思うと、冷や汗ものでした。国進兄さんに、正規ルートで報告して頂くのが一つの目標でありましたので、本当に良かったと胸を撫で下ろしているところです。

 これも一重に、皆様が熱心にこの手紙を多くの食口に積極的に流布して下さったお陰です。この紙面をお借りして厚くお礼申しあげます。第一の目標は見事にクリアしたのです。本当に感謝申し上げます。

 ところで、それ以降、国進兄さんはこの件について私に尋ねたのでしょうか?それとも、未だ私に尋ねていないのでしょうか?また、仮に、国進兄さんが私に尋ねたとしたらなら、それに対して私は何と答えたのでしょうか?

 そういったやり取りは、果たしてあったのだろうか?あったとすれば、いつどこでどの様なシュチェーションでなされたのか?ひょっとして、未だなされていないのだろうか?皆様にとりましては、内心、興味深々のことでしょう。

 これは、御想像にお任せしたいと思います。

 ひょっとすると第三回目の公文で、その辺りを具体的に発布して頂けるかもしれません。「国進様はこう言った!」あるいは「皆様!ついに権進様ご本人が明確に否定されました!」。あるいは、「肝心の権進様ご本人は未だ明言されません・・・この件については態度を明確にされていません!」という感じでしょうか。

 少なくとも「間違いありません!これは私が書きました!」という文言は掲載されないかと推察致しております。

 第一の手紙及び第二の手紙に記しましたように、この手紙の趣旨は「バアルに屈しない7000名」の定義、及び「1.13憲章」に基づいて流布しています。私がどんな態度を表すか表さないかは、今の段階では全く意味を持ちません。当然の事ですが、私自らは言うに及びません。

 書かれている中身に対し、その真理性を追求し、自らの理性で判断し、自律的に賛同できる心ある食口がどの程度いらっしゃるかが問題です。宗教的な依存心を越えて、成長し成熟した食口がどれだけ統一運動に育っているかが問題だと思います。

 くれぐれも私の取る態度に惑わされない様、再度、お願い申し上げます。この問題に、どれほど歴史をかけた蕩減がかかっているかをお察し下さい。

 実に怪しく、疑わしく、惑わす要素を多分に孕みながらの展開です。手紙を読みながら様々な気持ちを持たれておられるのだろうと推察致しております。今のところ弁明、釈明の余地はありませんが、今しばらくこの様な手段方法を取らせて頂く我儘をお許し下さいます様、改めてお願い申し上げます。

 ただ、この様な方法手段が今の時を得た「最良の方法だったのだ・・・」と。こうして、私の主張、及び原理的見解が活字として流布されたという事が、どのような歴史的意味を持つのかという事は、近未来にかけて、否が応にもそれなりに判断される事でしょう。

 これは、とにもかくにも私の責任と一存で成して行く事であります。全ての責は私が負っていますので、あまり心配なさらなくても結構です。というより、厳密には、私くし権進を含む真の家庭の男子子女一同に深くその責任があります。皆様には、厳密には一切責任のない事であります。

 今の段階で本当に私くし「権進」が書いたのか「いいや、誰かが偽って書いたものだ。」等、そういった詮索を皆様がしてもしなくても、プログラムは粛々と進んでおります。

 ただ、ここで一つだけ強調しておきたい事があります。日本はエバ国であり、母国です。

 そんな日本エバ国家の日本食口の皆様に、敢えて日本語で、私の主張及び原理的見解を最初に伝える事はとても重要なことなのです。そして、伝える事と同時に、活字として残す事がもっと重要です。これは、歴史に残す案件なのです。

 これは、当然の事でありますが、現在、組織に属しておられる方々に、直ぐに理解して頂ける内容だとは思っていません。何せ「原理講論」に書いていない事や、組織が公認し組織の正規ルートから発せられる公式のメッセージではありません。

 第一の手紙の流布以降、あっという間に分派扱いを受けてしかるべきです。そして、予定通り、分派扱いを受けました。ある意味では、予定通りなのです。お父様が公認したから善。公認していないものは悪。という組織的な原理観を立てて判断する方々には、土台、難しいお話です。これは、最初から、本部より分派扱いを受ける前提で成して来たものです。

 しかし、その目的として公文に記録される事が重要でした。活字として記録に残る事がとても重要なのです。そして、一旦、サタン視されてしかるべきであります。

 皆様!あの三男の顕進兄さんや郭先生ですら「堕落したアダム、堕落した天使長」と非難中傷されるのです。私のこの手のやり方や主張がどうして即座に神側のものとして受け入れられるでしょうか?あり得ません!

 さて、前置きが長くなりまして恐縮です。

 何はともあれ、今回は第三回目ということで、蘇生・長成・完成の三段階目の「3」です。今までの内容を踏まえ一定の完結を成すべき段階です。私くし権進が、今この時期に、活字に残すべき最低限の内容です。この内容をお伝えする為、そして、活字に残すためにこの様にやって来たと言えます。

 今回の「第三の手紙」は予告して参りました様に「清算」がテーマです。今までのお話の完結ということもあり、第一の手紙、第二の手紙と比較して多少長くなるかと思いますが、よくよく精査下さいます様お願い申し上げます。

 それでは、早速、本題に入りたいと思います。

 私はこれまでに、お父様一代圏の統一教会40年史(1960年から2000年まで)は、キリスト教の再現の為に費やされて来たものであるという事を、懇切に訴えて参りました。

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(ファミリー95/1 P10 第35回 真の万物の日)

 キリスト教の歴史は新婦圏復帰の歴史です。連合国とはキリスト教文化圏を中心とした世界です。新婦圏の世界が先生に反対したので、ヤコブ家庭から始まった4000年歴史を400年に蕩減しなければなりません。しかし、先生は400年は生きられないので、40年の一代期間にしなければなりません。4000年歴史を40年に蕩減復帰するのです。

(牧会者の道 P1095. 第6章 霊的役事と摂理的主要行事 2 先生の聖婚式)

 1960年度から40年間、2000年までそうであろうに、なぜ大動揺が起こるのかというのです。それは清算をする期間です。P1096 こうしてお母様を選んだ後、統一教会に女性の時代が来たのです。女性時代は艱難時代です。

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 そして、2001年から2012年までの12年とは、多くの犠牲と苦節を乗り越え、ようやく再現する事が出来たその歴史の「完全なる清算」にあてられているという事を述べて参りました。

 現在、あと僅か・・・残すところ2年です。厳密にはあと1年と10カ月となっています。

 まず、下記のお父様のみ言を一読下さい。

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●「米国五十州巡回講演」祝勝会における御言
▼ 2001年4月18日 ニューヨーク州 イーストガーデン

 ですから、一代でこれを合わせなければなりません。皆さん。今から十二年残っています。皆さんの国を復帰しなければなりません。深刻に考えてみてください。神様を王権即位させなければならない歴史時代を、先生独りですべて踏み越えていくということは、夢のような話です。死んだとしてもできません。

 “生きん”とする心を持っては、行くことができませんでした。忠臣になるとしても、それは一生涯、忠臣でなければなりません。そうすれば、神様も同情なさるというのです。ですから、先生は八十歳になるときまで、どれほど忙しかったでしょうか? 統一教会は、九七、八年から上がり始めたのです。三年以内にすべての峠を越えなければなりません。どれほど忙しかったでしょうか? 皆さんは、知らなかったでしょう?

 皆さんは、自分の生涯路程において、毎日、訪れる日々が、そのまま継続すると思っていたかもしれませんが、そうではありません。何のことか分かりますか? 一代で終えなければなりません。皆さんも、そうです。今から一代で終えなければなりません。九十二歳までです。そのようにしてこそ、先生がその上で……。

 九十二歳とは何かというと、八十歳から十二年です。二〇一二年までです。そのときは、先生が生きているか、霊界に行っているか分かりませんが、希望を持っているのです。先生がいる間に、このことをしなければならないということを知らなければなりません。分かりますか? (「はい。」)

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 皆さん一代で終えなければなりません。先生が四十年を中心として成したのですから、これから二〇一二年までです。

・・・・・・・・・・

 さあ、一代ですべてのことを終えましょう。さあ、一代清算。(「一代清算。」)一代清算。(「一代清算。」)一代清算。(「一代清算。」)

 清算できなければ、休んではいけません。ご飯を食べることに忙しいのではありません。働くのに忙しいのです。眠るのに忙しいのではありません。働くのに忙しいのです。そのようなことを優先させていては、すべて失敗します。

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 「3男 VS 4男(7男)」という真の家庭に表面化した事象は、2013年1月13日の起源節に向かって、歴史の総清算を成すべき摂理の最頂上のアベルカインの分立と統一の役事であり、この摂理の最頂上のアベルカインが勝利的に成されれば「神の国の起源」が確定出来るのではないかと訴えて参りました。

 これこそが、お父様が生涯をかけて来られた「神の国の原理的な起源」であり「神の国の礎」であり、これこそが「神の国を復帰せよ!」という意味ではないかと説明して来た訳です。

 日本エバ国家の食口の皆様!

 お父様の苦節90年の生涯が本当に、私が云うところの「起源節=真の家庭三代圏統一の日」であったとしたら・・・真の家庭の分立と統一の役事「3男 VS 4男(7男)」をそのために設定されていたとするなら、どうされますか?

 皆様が考える「起源節」は、一体何がどのようになる日なのでしょうか?お父様は、具体的に何をどうされる日だとお考えなのでしょうか?アメリカとソ連が交叉交体祝福を受ける?南北朝鮮や南北米が交叉交体する?仏教とキリスト教が交叉交体する?「交叉祝福」あるいは「交体祝福」とは本当のところは一体何なのでしょうか?

 私はこれらのみ言は、現実的には、真の家庭のアベルカインの一体化について訴えておられるのではないかと理解しています。つまり、交叉祝福あるいは交体祝福とは「真の家庭三代圏の統一」の事であろうと・・・。

 お父様は、大きな二つの国家、二つの宗教、二つの文化等、いつも対峙するアベルとカインを引き合いに出してみ言を語られるのですが、それは殆ど、真の家庭の中に内在するアベルカインについて喩えておられるのです。

 下記の訓読会のみ言は、まさにそうです。これは、とても分かりやすい喩えです。

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《2009年5月9日 天情苑訓読会》

 エデンの園で理想世界の出発がされる為には、理想家庭が壊れていったのを探して立てなければならないんだね。ワシントンとモスクワが一つにならなければならない。中国とモスクワも一つにならなければならない。地上の天国と地上地獄が一つになり、唯物論と唯心世界が一つにならなければならない。仏教とキリスト教が怨讐だから交叉結婚をしなければならないんだね。

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 何度も申し上げて来ましたが、お父様の語るみ言はいつも二重の相対の言葉を前提に語られています。くれぐれも、文字通りに捉えてはなりません。語られる言葉の二重の相対を予測しながら読み取るべきです。

 このみ言では、「エデンの園で理想世界の出発がされる為には、理想家庭が壊れていったのを探して立てなければならないんだね。」と前置きしてから、「ワシントンとモスクワが一つにならなければならない。中国とモスクワも一つにならなければならない。地上の天国と地上地獄が一つになり、唯物論と唯心世界が一つにならなければならない。仏教とキリスト教が怨讐だから交叉結婚をしなければならないんだね。」と、語られています。

 理想家庭とは天国の基礎となるべき真の家庭です。真の家庭とは、祖父母と父母と孫の三代圏が各々創造原理的基準を満たした家庭であるべきです。

 そこには、成長過程のアベルとカインが存在した筈です。そのアベルとカインの2者を「ワシントンとモスクワが一つにならなければならない。中国とモスクワも一つにならなければならない。地上の天国と地上地獄が一つになり、唯物論と唯心世界が一つにならなければならない。仏教とキリスト教が怨讐だから交叉結婚をしなければならないんだね。」と喩えられているのです。

 ここでいう交叉結婚、いわば交叉交体祝福とは「真の家庭三代圏の統一」の事なのです。

 お父様は、大きな二つの国家、二つの宗教、二つの文化等、いつも対峙するアベルとカインを引き合いに出してみ言を語られるのですが、それは殆ど、真のご家庭の中に内在するアベルカインについて喩えておられるのです。

 ところで、下記のみ言は、2001年から2012年までの意味を知る上で、重要なみ言の一つかと思います。私が、かかる統一教会史40年(1960年~2000年)は、聖書史の「再現」と「清算」の為に設定されてきたと主張する意味が良く理解できるみ言だと思います。

 是非とも、一字一句、注意深くお読みください。

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▼ 神様の祖国と双合七八禧年祝福を勝利しよう

第一章 双合七八禧年と天一国摂理
第二節 天一国摂理 22P

● 天一国摂理

 今から神様の国が開かれます。堕落していない真の父母が先に入っていくようになっているのであって、天国は、堕落した子孫が入っていけるようにはなっていません。原理がそうであり、原則がそのようになっています。ですから、先生は、この時に対して知っているので、今日までどれほど急いできたか分かりません。数千年の歴史を十二年(二〇〇一年~二〇一二年)に短縮して清算しなければならないのです。(二〇〇八・二・三)

 八十歳でカナン復帰して天下統一をしなければならなかったのですが、それができませんでした。ですから、まだアベル・カインが残っていたので、第二次の祝福を受け、アベル・カインの撤廃を宣布したのです。そして、今から百二十年になる時までに、すべてを終えなければなりません。ですから、それを管掌する先生は、最初の四十年、八十歳までの四十年、今の四十年をそれぞれ四年として、九十二歳を中心とする二〇一二年までに、すべてを終えるのです。(二〇〇四・七・八)

 今から二〇一二年までにどのようにして世界的に王権を完成するのかという、忙しい、区切られた計画圏内に入ってきたので、休む間がありません。戦争の中で、これ以上の戦争はありません。ですから、戦場に出た以上、勝利して忠孝の道理、間違いない忠臣と、間違いない聖子の道理を完成しなければなりません。このような天の国の使命を受けた神様の代役者、またアダムとエバが失敗したことを復帰する代役者として、間違いなく勝利の覇権をお返しする道を行かなければなりません。(二〇〇一・一一・一五)

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 私はこう考えています。

 真の家庭の真の子女達が一体化するなら、天国はすぐにでも出発出来るのではないか・・・。

 ワシントンとモスクワ、中国とモスクワも・・・地上の天国と地上地獄が一つに・・・唯物論と唯心世界が一つにならなければならない・・・仏教とキリスト教・・・。

 これらは、きっと、2013.1.13日までには一つにはなれません。今の段階では、とても現実的ではありません。また、来る2012年の国際情勢を考えてみる時、間違いなく現実的ではありません。

 でも、私ども真の子女達なら、未だ一つになれます。私達が一つになって真の家庭三代圏が統一される事が神の国の起源だというなら、これは、この期間中に実現可能ではないのか!?!

 愛する日本エバ国家の食口の皆様!

 これから、私が説明する事はとても重要です。是非とも、心して一読下さいませ。そして、できることなら必要に応じていつもこの手紙を手元に置き、必要に応じて反復してお読みください。

 まず、2001年から2012年までの12年についてですが、この2001年から2012年までの12年は、1960年~2000年までの統一教会史40年の延長を含めた清算路程と考えて良いと思います。

 本来ならば、統一教会史1960年~2000年までの40年で『歴史の再現』のみならず同時に『清算』までなされるべきであったと思われます。現実的にはその清算期間として、1994年から2000年までの7年(キリスト教史を清算すべき艱難の7年)が組まれたのですが、人間の5%が果たされずこの期間中に清算がなされなかったということなのです。

 先ほど引用したみ言にある通りです。もう一度読んでみましょう。

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 八十歳でカナン復帰して天下統一をしなければならなかったのですが、それができませんでした。ですから、まだアベル・カインが残っていたので、第二次の祝福を受け、アベル・カインの撤廃を宣布したのです。そして、今から百二十年になる時までに、すべてを終えなければなりません。ですから、それを管掌する先生は、最初の四十年、八十歳までの四十年、今の四十年をそれぞれ四年として、九十二歳を中心とする二〇一二年までに、すべてを終えるのです。(二〇〇四・七・八)

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 1994年から2000年までの7年(キリスト教史を清算すべき艱難の7年)の詳細については、とても重要なことですから、何れ、機会を設定して説明させて頂きたいと思います。

 話を戻しますが、かつてお父様は、何度となく『本来、先生が生きる120年生涯を40年づつ3次に、さらにこれを4年4年4年と3つに分けたものが、2001年~2004年までの一次の4年、2005年~2008年までの二次の4年、そして2009年~2012年までの三次、最後の4年である。』と語られたことがあります。先のみ言葉もその一つです。

 1920年から1960年まで、お父様がお生まれになってから40歳(御成婚)までの40年は、2001年~2004年までの教会史に投影されているという事のようです。40年を4年に圧縮されて投影してこられたのです。そして、次の1960年から2000年までの40年の統一教会史は2005年~2008年までの教会史に投影してこられたのです。

 お父様にとっての40歳~80歳、つまり、1960年から2000年までの40年の統一教会史は、ヤコブからキリスト教までの都合4000年を一代圏40年に閉じ込めたものであるということは既に承知の事実です。お父様にとっての40歳~80歳の40年間は、まさにユダヤ史とキリスト教史を再現清算する期間だったのです。

 ところで先に述べた通りなのですが、この40年を2005年~2008年の4年間に閉じ込めて摂理されていたという観点からすると、4年間の後半である2007年~2008年の2年間はキリスト教史の再現清算に費やされたものと考えられます。

 そういう意味で2008年の12月31日は、まさに、西暦2000年を終了し2001年に跨いで行く大みそかを意味していたのだと理解する事が出来るのです。

 2007年と2008年といえば『禧年(ヒニョン)』『七八(チッパル)禧年(ヒニョン)』としてそれぞれの年頭をスタートしたことは記憶に新しいのではないでしょうか。

 しかしながら、2007年と2008年は統一教会史40年の最終課題であるキリスト教史を再現清算する期間に相当していた訳です。事実としては『禧年(七八禧年)』という言葉の本来の意味とは裏腹に、UC歴史にとって重大な事件が重なった年でありました。

 長男孝進様の昇華、ヘリコプター墜落事故・・・。

 ところで、今現在は既に2011年3月であります。これは2009年~2012年までの最後の4年にさしかかり、しかも、その半分である2009年と2010年は既に過ぎ去ったという事であります。

 2009年と2010年の2年とはどの様な年であったかと申しますと『3男 VS 4男(7男)』という真の家庭の男子に決定的な分裂事象が起き、表面化した期間でした。

 皆様!ここに来て、何故『3男 VS 4男(7男)』という真の家庭の男子に決定的な分裂が起きるのでしょうか?驚かないで頂きたいのですが、まず、結論から申し上げます。

 実のところ、これは、お父様の直系(実子圏)の子女様と傍系(庶子圏)の子女様の一体化が成されなかったが故に起きている現象なのです。

 お父様の直系(実子圏)の長子は御承知の通り孝進様です。この孝進様と傍系(庶子圏)の子女様(聖進様を代表とする数名の庶子の子女様方)が一つになるべきタイミングがあったのです。

 しかしながら、孝進様が実子圏を代表し直系の長男としての責任を全う出来なかったのです。孝進様に課せられていた、本当の意味での中心的な課題。それは、傍系である庶子圏の子女様(聖進様を代表とする数名の庶子の子女様方)との一体化だったのです。

 もう一度、結論から申し上げます。

 『3男 VS 4男(7男)』という真の家庭の男子に決定的な分裂が起き、表面化したのは、孝進様が実子圏を代表し直系の長男としての責任を全う出来なかったからなのです。

 そして、孝進様に課せられていた、本当の意味での中心的な課題。それは、庶子圏の子女様(聖進様を代表とする数名の庶子の子女様方)との一体化だったのです。

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● 来るべき時に備えよ  1999/02/01

 では、統一教会の孝進、顕進は来ていませんか? 行ったのですか? 孝進はまだ何の功績もありません。「孝進兄さん」と、そのように私も言うことができればよいですね。

・・・ですから、私が父親の役目をきちんとできなかったので、孝子になれなかったのです。それは間違いありません。

 お父様は浮気しようと、考えませんでした。サタン世界のカインの兄(孝進様の喩え)を正し、地獄にいる人たちを解放させるために、息子・娘(聖進様を代表とする数名の庶子の子女様方)がどこで寝ようと、たとえ死んでしまっても……。私が基盤を築いたならば、すべてを復帰してくることができるのです。

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 さて、これまでに述べてきました内容をお父様のみ言から確認して参りましょう。この確認作業の如何によって、この結論の是非が問われると思います。私くし権進がこの手紙でお伝えしなければならない核心部分です。

 この為に全てを準備して来たと言っても過言ではありません。出来るだけ純粋にみ言に向き合って下さいます様お願い致します。

 それでは、下記のみ言に注目して下さい。

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● ファミリー1996/6 P35

 もし、第二次世界大戦後に、アメリカ(キリスト教)がメシアを受け入れ、一つになっていたならば、アメリカ人の女性が、真の母の位置に選ばれていました。真の母の観点からするならば、カインの花嫁の立場になります。アベルの花嫁とカインの花嫁が一体化したところに、真の母の基盤ができます。

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 これは、UC信徒の皆様が驚愕するみ言の一つであろうと私は思います。まさに、大動揺を起こすべく衝撃的なみ言だと思いませんか?何度も読み返してみて下さい。

 み言によるならば、『アメリカ(キリスト教)が文先生を受け入れたらアメリカ人の女性が真の母に選ばれていた。』とあります。これだけでも腰を抜かすようなお話です。如何でしょうか?

 問題はそのアメリカ人の女性が『真の母』の位置だったというところです。

 そして、さらに『真の母の観点からするならば、カインの花嫁の立場になります。アベルの花嫁とカインの花嫁が一体化したところに、真の母の基盤ができます。』とあります。真の母の位置に選ばれるアメリカ人の女性が真の母で『カインの花嫁』となっています。というならば、それに対して『アベルの花嫁』がいなければならないとあるのです。

 この当時、既に結婚されていた第一のお母様(聖進様のお母様)と、その後に立てられるアメリカ人の女性(真の母)の関係性について語られているのです。み言の表現で言うならば「アベルの花嫁とカインの花嫁」が必要であったことが示されているわけです。

 つまり、第一のお母様(聖進様のお母様)の立たれていた原理的な位置は『アベルの花嫁』であり『妾』の位置だったということであります。つまり、第一のお母様も第二のお母様も同じく『アベルの花嫁』の位置であり『妾』の位置に立てられた方々だったという事なのです。

 何故なら、現在の『韓鶴子お母様』が正妻の位置だということですので、このみ言の主旨からして『韓鶴子お母様』こそが『カインの花嫁』の位置であり、それに対して第一のお母様や第二のお母様は『妾の位置』であり『アベルの花嫁』の位置に立てられていたという事が言えるからです。

 この観点は、当然、現下のUCの説明にはありません。こうして、このみ言が公式の月刊誌(ファミリー)に掲載されたということは奇跡です。編集や稿正を担当した方は、こんなみ言をはたして載せてもよいものか!?と、思いつつこのみ言に向き合ったのではないでしょうか。それほど貴重なみ言です。

 現在UCでは、第一のお母様が失敗したので第二のお母様が必要であった。そして第二のお母様も失敗したので現在の第三のお母様『韓 鶴子お母様』が立てられたのだと信じています。致し方ありません。その様に説明を受けて来たのですし、また現実にそう見えるからです。

 つまり正妻の位置で、第一、第二と失敗があったのだと理解している訳なのです。そして、第三の正妻の位置で現在のお母様が見事に勝利を成されたので『真の母』なのだと。

 とても、シンプルで分かりやすいのですが、先のみ言が本当だとすれば、UCでの説明は実のところはそうではないということになるのです。

 これが本当であれば、まさに『大動揺』ではないでしょうか?

 何度も申し上げますが、統一教会史2000年までの40年はキリスト教を再現させる期間です。原理講論という『現代版キリスト教原理』を与えこれを絶対視させ、UC信徒の性状を程良くクリスチャンに仕上げなければならなかったのです。

 キリスト教(アメリカ:自由民主主義圏)末期であるクリスチャンは洗礼を受けてイエス様の十字架による贖罪を信ずれば救われるという救済観に至っている訳なのですが、これに非常に似かよった状態が、統一教会の救済観の大半を占めてこなければ再現した事にはならないのです。

 現状のUCの救済観はとても似ていると思いませんか?

 再臨主であるお父様の祝福を受ければ原罪が清算され、霊界では特別なポジションが得られる。まずもって原罪を清算し信徒として信仰生活をすべきである。あとは、二代三代と代数を重ねて行けば自然に血筋がどんどん良くなるということのようだ・・・。

 という感じで、本当のところは良くわからないけど、とにかくそういったUCの救済観を信じて行こう!となっているのです。これは、お父様が、現代に程良くクリスチャン化した、いわば、使い物になるキリスト教を再現させなければならないが故になされた事なのです。全部、お父様が指示し教育してこられた内容なのです。

 クリスチャン化してしまった皆様に責任がある訳ではありません。お父様が責任を持って成されたことなのですから・・・。しかしながら、何故、事の次第を明らかに説明せず敢えてキリスト教化するように仕向けられたのかといえば、それはその目的が過去の清算をさせるためなのです。

 そこに目的と動機があったという事を、今、知るべきなのです。今こそ知るべきなのです。このタイミングを逃してはいけません。

 これは、『再現』と『清算』なのです。今まで熱心に信仰して来たのは宗教史を卒業し乗り越えて行き、過去の信仰者たちが留まって落ち込んでいった歴史を踏み越えて行くところにその目的が設定されているという事なのです。

 お父様は、キリスト教史の再現に心血を注いで来られました。細心の注意を払いながら、もうこれ以上、成すすべがないという基準を打ち立てて下さいました。その結果が今の皆様の信仰観なのです。再現は成功し、本当に大勝利だったのです!

 何度も言いますが、問題は『清算』なのです。何をどうすべきかが分からずに『清算』がどうして成せるでしょうか?知らなければ同時性を歩むことしか出来ないのです。

 ということで、再現をする為に与えた『原理講論』を絶対視させる一方で、過去の信仰者たちが留まって落ち込んでいった歴史を踏み越えて行く事が出来る様に、最大限ヒントを残しておいて下さっているのです。

 下記の様なみ言は『原理講論』を絶対視して、熱心な宗教の信仰者になって来た皆様にとって、本当の意味で理解に苦しむものではないでしょうか?つまり『原理講論』を信じて信仰者に仕上がったメンバーであればある程そのギャップに驚くのです。

 すなわち、『大動揺』が起きるのです。

 この『大動揺』が起きなければ、これは熱心な信者様でないか、もしくは中途半端な信者様です。あるいは、既に宗教圏を踏み越えた、悟りの域に達したメンバーだという事が言えるのです。

 以下に記載するみ言は、統一信徒が天使長宗教圏(新婦圏宗教圏)を踏み越えられない現実にある事を説明する際、よく引用するみ言です。これは私と心を共にし、真の家庭の一体化の為ならといって共に歩んで下さる数少ないメンバー等が共有し、事の他、貴重視している代表的なみ言でもあります。

 この機会に、皆様もしっかりと頭に留め共有して下さる様、お願い致します。

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● 統一教会  P9 1963・5・22  ソウル・前本部教会

 一番収集するのが難しい人は宗教者です。摂理やその道を信じる宗教者たちです。・・・

● KNSネットニュース 2008・1 第25回 「愛勝日」

 今日、統一協会の信徒たちが、宗教圏の垣根を抜け出られず、それに覆われながら生きてきた習慣的なすべてのことを、どのように清算するのかという、重要な起点に今、来ています。私たちの語っていることは、事実か、そうでなければ謎のような言葉です。事実だというならば、皆さんは、アダムとエバが堕落する前に見ることができ、推し量り得る自分自身となっていますか。

 アダムとエバの堕落以来、これまでの蕩減復帰歴史において、自分の責任がどれほど大切であったかを考えてみましたか。現在、自分が処している場所が、神様の創造の花のような本然の世界ではありません。想像もできない、自由と平和の理想圏内からは永遠に離別した、そのような場所に立っているのです。天の前に自らを何者としても誇り得ないのです。堕落の血統によって縛り付けられた世界版図を前に、どのようにこれを取り消すことができるかということを考えれば、考える余地がないほどに悲惨だというのです。

● ファミリー 2003・3 P14 「神様の真の愛と天地人の関係の回復」

 長い歴史の中で、人間は、宗教生活を卒業しなければならないという、この尊い真理を明らかにした人は、いませんでした。早くから神様のみ旨を知った私は、教派や宗教を創設しようとはしませんでした。神様の摂理の中心宗教であるキリスト教が、私の教えである天道を受け入れなかったことによって、私が初めてつくった組織が、「世界基督教統一神霊協会」 でした。

 ・・世の中が、私たちの長い公式名称に代わって 「統一教会」と呼ぶことによって、「統一教会」 になってしまったのです。しかし、私は数十年前から、私たちの教会の看板を下ろす日を望みながら、その事実を予告してきました。1996年に教会の看板を下ろし「世界平和統一家庭連合」として出しました。これは、人類史における重大事件です。

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 皆様!私達は常に、以下のように振舞いやすいのです。

 『原理講論に沿っていない解釈はおかしい!』あるいは『原理講論には無いみ言がある!こちらが本当の原理であり原理講論は間違いなのでそれを信じているUCは間違いだ!』

 このように、いずれの『どちらかだ!』と言って振舞うのです。これは、一言で言って『幼い』のです。お父様のみ言はどちらも混合させながら語られているのです。

 お父様の説教、み言はいつも二重的な言葉の相対を前提に2つの観点を混合させて語られているのですから、次の様に考えなければならないのです。

 『お父様は、キリスト教史を再現させるために投入して来られた。なので、原理講論を与えて下さり絶対視するように指導して下さった。そのおかげで私達は、まず、歴史時代のクリスチャン以上のクリスチャンになる事が出来た。そして、お父様の生命のみ言を人類に先駆けて訓読させて頂ける機会を頂き、その真の生命と真の愛と真の血統に通ずるお父様直接のみ言を読むことで、本当の原理を知る事が出来る様になった。今こうして、大動揺はしたものの、お父様の本当の事情に触れる事が出来たので、その心情に通じる事が出来た。UCに動員された意義と価値を改めて理解する事ができた!神様とお父様の苦悩の歴史に同参出来た素晴らしい価値ある人生であった!これから、多くの人々とこの喜びを分かち合って行きたい!』

 と・・・このように考えて頂きたいのです。

 訓読会を12年も続けて来たのです。そろそろ、本当の意味で、お父様の事を理解して差し上げて下さい。お父様の語るみ言や指示は、とくに最近矛盾が多くみられる。メシヤも年にはかなわないようだ。いよいよボケが・・・。

 皆様!お父様はボケていません!ますます冴えわたっておられます。見事に皆様に気付かれない様にみ言を語り続けておられ、また、摂理的な指示を出されています。私が知るお父様は、どこまでも神そのものであります。神と一体となるという事はこういう事なのだ!神と一体になった人間というのはここまで生きる事ができるのだ!本当に希望だ!というものであります・・・。

 さて、こうして、隠されていた真実が少しづつ解き明かされてきました。これまでに説明させて頂きました内容を前提に言えることはこういうことです。

 お父様には正妻との元に直系(実子圏)のご子女様がいっらっしゃり、かつ、妾の立場にある方々との間に傍系(庶子圏)のご子女様がいらっしゃるという事なのです。

 『6マリア』は実在している等、様々な論議が飛び交いある事無い事を含めて多くの憶測が流布されています。それも、真実がより明確になり最終的には原理的に説明される時が近づいている一つの兆候だということが言えるのです。

 正妻と妾としてのレアとラケル。そして、直系(実子圏)の子女様と傍系(庶子圏)の子女様のカイン圏とアベル圏。この男性のアベルカインと女性版のアベルカインともいうべくレアとラケルの一体化が成されるべきなのです。

 それが『真の家庭三代圏の統一の日』である『2013.1.13 起源節』の本体であり内容だということなのです。

 真の家庭の三代圏とは直系(実子圏)のみならず傍系(庶子圏)を含め、さらにジェネレーションとしての三代圏が神を中心に一つになった家庭を言うのです。これは、UC信徒としての一般の祝福家庭を指して言うのではありません。お父様を中心とする私達真の家庭三代圏の家庭を指しているのです。

 実のところは、真の家庭とは、直系(実子圏)のみならず傍系(庶子圏)を含め、さらにジェネレーションとしての三代が神を中心に一つになった家庭を言うのです。

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◆ 祝福家庭11 P42

 神様の御旨を成し遂げるためには、地上世界で神様の代身者として、離婚してでも真の愛の関係をつくり、離婚を三回してでも真の愛の関係をつくらなければならないのです。

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 皆様!お父様が3回離婚されたということです。2回ならわかりますよね。ここにも、お父様が隠された尊い原理的な事実があるのです・・・。ここでは説明は致しません。

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 それゆえ、地上の摂理の中で、ヤコプのような人は女性をたくさん迎えました。宗教界にも女性をたくさん迎える人がいるし、あのイスラムのような所もみなそのような意義を中心として、そのようになったのです。

 ヤコブにおいては、十二人の息子を生むために女性が四人いましたが、結局はレアとラケルの問題であったということを知らなければなりません。このラケル一人だけだったならば、復帰ができないのです。支流で反対の妾であるとか、傍系的な道で復帰がなされるのです。

 これを、だれが解決してくれますか? そこにピュア・ラブを主張して、それをどのように解決しますか? それゆえ、先生が地獄よりももっと恐ろしい道、苦痛を受けながら、その道を開拓したのです。愛の十字架の王者の道を歩いて来たということを知らなければなりません。それは、女性を救うためなのです。

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 お父様は、一方で、創造理想である「ピュア・ラブ」を主張されながら、他方で「傍系的な道」や「支流で反対の妾」でなければ復帰が成されないという蕩減の只中に立たれ、摂理の御旨の道を開拓せざるをえなかった路程を歩まれたのです。まさに、家庭的な茨の道、愛の十字架の道とならざるを得なかったのです。これは、不可避的な路程でありました。

 お父様は、複雑に絡み合った本妻と妾とその二組の母子を中心とする『直系(実子圏)創造』と『傍系(庶子圏)の創造』に絡み合う心情と実体の蕩減を背負ってこられたという事を知らなければなりません。

 私達は、本然のアダムとして歩まざるを得なかったお父様の本妻と妾を中心とする摂理の御旨を、そしてそのもたらす意義を、本当の原理に照らし更に検証していく必要があると言えるでしょう。

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◆ 2004年12月21日 訓読会でのみ言

 カイン・アベルの蕩減原則を経て世界を得ていくべき。堕落したものを上がらせて、接木しなければならない。直系家族がそれをするようになっている。カインはアベルに従うようになっている。

 庶子が出世する時が来た。祝福家庭は盟誓文8節を暗記するべき。途方もない意味が入っている。

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 「庶子が出世する時が来た。」とお父様は語られています。直系家族としての実子と、傍系としての庶子においては、庶子が「アベル」的立場であり「実子」がカイン的立場でした。ですから「カインはアベルに従うようになっている」とは、すなわち「実子」は「庶子」に従うようになっているということだといえます。

 もちろん、ここでいう「庶子」とは、天の公認を受けた「庶子」なのであって、「庶子」ならばだれでも該当するというのではありません。

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◆ ファミリー1997/4 P32

 終末になれば、天が認める妾と庶子の系統の立場の人たちが、世界の中心となることを知らなければなりません。

◆ ファミリー1997/4 P26

 復帰は正妻を通してなされるのではなく、妾や庶子の血統を通して反対に上がっていかなければならないのです。

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 先に引用した「庶子が出世する時が来た」というお父様の表現は、この御言から見るならば、復帰摂理歴史において今日が「終末」に該当するので、「庶子が出世する=世界の中心となる」時が来たのだと理解する事ができます。

 去る2010年、1945年当時の摂理的状況が蕩減復帰された今日、私達は本当の意味で終末を迎えているのであり、それは「天が認める」庶子が「反対に上がり」復帰がなされ、「出世」し「世界の中心となる」ときになったと、上述の通り言うことが可能でしょう。

 ということで、皆様!

 直系圏と庶子圏の子女様方が一つにならなければ、お父様は浮ばれないですし、そもそも『真の家庭』とは聖進様をはじめとする、庶子圏の子女様方全員を含めて言う言葉だったという事を御理解下さい。

 今一度、申し上げます。『真の家庭』とは聖進様をはじめとする、庶子圏の子女様方全員を含めて言う言葉だったという事を御理解下さい。

 UCでは、今まで庶子圏の子女様の存在を隠さざるを得ませんでした。

 知らなかったのではく、知っていたとしてもその存在の原理的な理由を説明できませんでしたし、また説明する時ではなかったと思います。これは、UC本体には責任はありません。

 これは、どこまでも、直系圏の長男としての孝進様にそれを解き説明すべきその責任と使命があったからです。しかしながら、ここに来てようやく全てを知り、原理的にその存在理由をも理解できる時が来たという事が言えるのです。

 何故なら、長男の孝進様はその責任を取って昇華されたからです。これは、本当に無念であり、凄惨な事実です。まさに、真の家庭の直系圏の代表としての犠牲に他ありませんでした。

 さて、ここで、話を一旦結んでおきましょう。

 『3男 VS 4男(7男)』という真の家庭の男子に決定的な分裂が起き、表面化したのは、孝進様が実子圏を代表し長男としての責任を全う出来なかった事に、本当の原因があるのです。

 そして、孝進様に課せられていた、本当の意味での中心的な課題。それは、庶子圏の子女様(聖進様を代表とする数名の庶子の子女様方)との一体化だったのです。

 傍系の庶子圏と直系の実子圏の一体化。これこそが、真の家庭の本当のアベルカインなのです。まさに、本丸中の本丸なのです。

 ということで、『3男 VS 4男(7男)』という実子圏のアベルカインの分立は、長男孝進様が成せなかった摂理のみ旨を取り戻すべく、実子圏の長子の位置を再び庶子圏に相対させるための蕩減復帰摂理なのです。

 現在の『3男 VS 4男(7男)』という実子圏のアベルカインは、庶子圏と実子圏というアベルカインに相似的に関係しているのです。これは、本来、長男の孝進様がその責任を果たしておられれば、少なくとも、お父様にとりましては敢えて起こす必要はない、事象でありました。

 お父様が敢えて成されることは全て何かを再現させそれを清算させるためです。間違いなく蕩減復帰の為です。徹頭徹尾、真の愛と原理のお方なのです。

 だとすれば、もう皆様も簡単に推測出来ますでしょう。

 今、お父様が、三男の顕進様を、敢えて一旦悪者に仕立てておられるその意味です。

 これから、その辺りを説明して参りましょう。

【 権進様の第三の手紙 - 2 】へつづく


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 先回のエントリーでは「神様は自己中心だった!」と題して、自己中心の発祥が神様にあったというみ言のご紹介とそれに伴う諸々の解説をさせて頂きました。

 今日は、その続きとして「原罪の根」「原罪の根源」について言及しておきたいと思います。

 統一教会でいう「原罪」とは罪の根であります。これ以上の根源はないという意味であえて「罪の根」と定義付けられて来た筈です。統一教会員の皆様にとってこの事に異論はなかろうと思います。

 ところが、文先生の御言には、原理講論で「罪の根」とされ、すべての罪の根本原因とされている「原罪」よりも、もっと恐ろしい問題について言及されているみ言があります。

 それは、「原罪の根」「原罪の根源」です。

 あれっ?原罪以上ってありましたっけ?・・・。間違いありません!統一教会の罪観には原罪以上のものはありません。原罪と言ってきたのは、これが全ての罪の根源だという意味で、そう言って来たのです。それ以上のものは無かった筈なのです。

 にもかかわらず文先生は・・・。

 初めに断っておきたいと思います。これからこの記事で取り上げます「原罪の根」「原罪の根源」は、「原罪」よりも、もっと本質的で恐ろしい問題だということです。文先生のみ言にはそれがあるのです。

 なにせ「原罪」を発生させた「根」だというのです。文字通り「原罪の根」「原罪の根源」なのです。むしろこの根、「原罪の根を解決しない限りまた原罪はいつでも侵入してくる!」と仰っておられます。

 さて、統一教会と既成のキリスト教を比較する時、統一教会の信徒の皆様は「キリスト教はサタンの正体がぼやかされている!」「何故なら、失楽園の物語での善悪の実を取って食べたという真意が隠されて来たからだ!」と言われます。

 「失楽園の物語のボヤーっとしたストーリー・・・これでは駄目だ!」「蛇の正体は天使長ルーシェルであり、善悪知る木の実とはエバであり、ルーシェルとエバとの間に霊的ながらも実体的な不倫の性関係が起こったのであり、悲しいかな、そのエバがアダムまでも誘惑して堕落させてしまったのだ!」

 「最も恐れるべき問題は人類始祖の間に起きてしまったアダムエバ問題である!」こう言って神中心ではない男女関係をサタン視して来た訳です。

 ルーシェル→エバ→アダムという流れで起きた「人間始祖が犯した霊的堕落と肉的堕落による血統的な罪」この「原罪」を明確にしたということは、「サタンの正体を暴いたのだ!」「統一教会の統一教会らしさとは、悪の根源であるサタンの正体を歴史に明らかにした事だ。」というように言って来たのではなかったでしょうか?

 しかしながら、今から解説致します内容は、そんな統一教会の皆様が誇る「原罪」よりも、もっと本質的で、もっと恐ろしい問題だということです。

 これを先駆けて知った私達は「あ~!本当に文先生は現代版のキリスト教を再現されたのだ・・・統一教会員の皆様は、まさか、そんなこと思いもよらない・・・しかしながら、統一教会はよくも再現されたものだ・・・本当にキリスト教そのものだなぁ・・・。」と、思えるのです。これは、冗談でもなんでもありません。

 皆様は本当にかつてのキリスト教信徒の様であり、まさに歴史的に再現された「別次元のクリスチャン」なのです。

 つまり、文先生の語られる「原罪の根:原罪の根源」について知ってみると、統一教会がかつてのキリスト教に対して「彼らはサタンの本当の正体について知らない!」と考えた様に、私たちもまた、統一教会の信徒様に「あ~!UC信徒の皆様は本当の意味でまだサタンの正体について、サタンの本質について知らないのだ!」と思えるのです。

 さて、本題の解説に入る前に、これまでの記事で何度か述べさせて頂きました内容を今一度分かち合っておきたいと思います。

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(祝福家庭と理想天国Ⅰ P802 祝福の意義と価値))

 皆さんは先生が分かりますか。先生が分かりますか、分かりませんか。どう分かりますか。先生の何が分かりますか。顔だけ分かるでしょう。皆さんが分かる原理を教えるその程度の先生だと思いますか。皆さんが分かる原理は、イエス様までの原理(原理講論)です。先生の時の原理(本当の原理)ではありません。先生の歴史が分かりますか。「分かりません」。分からないなら、何をしにこの場に来ましたか。皆さんは孝子になりましたか、なれませんでしたか。「なれませんでした」。孝子にもなれなかった者が、ここに来て座る資格がありますか。

(大母様の生涯と信仰)

 原理(原理講論)は外的な世界、キリスト教世界とユダヤ教世界を収拾するためのものです。それゆえ、内的心情世界に対する内容は一つもありません。ですから、統一教会の食口である皆さんも、統一教会のみ旨の3分の1の立場にも立てないでいるという事実を知るべきなのです。

(第1回7.8節)

 世界基督教統一神霊協会は、天使長宗教圏です。結婚できませんでした。イエス様も結婚することができなかったのです。天使長の使命しかできないというのです。息子の使命が果たせないというのです。分かりましたか?

(ファミリー95/1 P10 第35回 真の万物の日)

 キリスト教の歴史は新婦圏復帰の歴史です。連合国とはキリスト教文化圏を中心とした世界です。新婦圏の世界が先生に反対したので、ヤコブ家庭から始まった4000年歴史を400年に蕩減しなければなりません。しかし、先生は400年は生きられないので、40年の一代期間にしなければなりません。4000年歴史を40年に蕩減復帰するのです。

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 本当に何度も掲載して恐縮です。

 文先生は、ご自身の人生一代圏40年でキリスト教を世界化し再現しなければならないが故に「現代版キリスト教原理」である「原理講論」を与え、これを絶対視させて来たのです。

 原理講論の主人は神様と文先生であり、それはそれは本当に厳密に組まれているのです。特に原理講論の堕落論と復帰原理緒論のアベルカイン分立のストーリーはものの見事に構築されています。

 先回(3月24日)のエントリーで申し上げた通りです。

 そして、その原理講論を理解し信じ実践すると、見事に聖書史(ユダヤ史とキリスト教史)が再現するようになっています。事実、統一教会運動内にユダヤ史とキリスト教史は厳密に再現しているのです。

 上記のみ言にある通り、皆様が今のところ絶対視しておられる「原理講論」は「イエス様までの原理」とあるようにこれを信じ実践して参りますと現在のUCが構築されるのです。つまり「現代版キリスト教としての統一教会」が出来上がるのです。

 それに対し「先生の時の原理」。これは、未だ全ては明らかにはされていません。しかしながら文先生の成約聖書には大変分かりづらく、ポツリポツリと語られています。今後、多くの真理探究者によってより明確にされ、また抽出され、確実に体系化されて行くことでしょう。本当に楽しみです。

 文先生は「皆さんが分かる原理を教えるその程度の先生だと思いますか。」と大変な事を仰っているのです。皆様が「原理講論」を絶対視してくれる様にご自身で仕向けておきながら、一方で「本当の原理」がある事を示唆されているのです。

 この事をくれぐれも念頭に置きながら以下の内容を一読下さい。

 さて、今日取り扱うテーマは「原罪の根」「原罪の根源」です。

 とりあえず「原罪」のさらにその「根」、すなわち「原罪の根」「原罪の根源」について語られている文先生のみ言をいくつか紹介して参ります。

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● 世界女性時代解放宣布 1992年5月10日

 キリスト教は、堕落したということについて完全に分かっていないのです。堕落したということが何のことか分からないのです。

 原罪についても、「原罪の根っこ」は「原罪の根っこ」だと言うんですが、そんな答えは通じません。

 また善悪の実は何ですかと言えば、善悪の実だと言うのですが、そうですか? 世迷いごともいいかげんにしなければなりません。これはもう、年中、狂いっぱなしです。このまま天国に行こうとしても行けないのです。

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● 私の国の主人は私だ 1991年1月6日

 私の原罪をどのように清算するのかというのです。「原罪の根」を抜き取る前に、「原罪の根」をそのままにしておいて社会説がありえますか。そういうことは全部、共産党の戦略戦術によってほらを吹いているのですから全部、共産党の手先なのです。

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● 真の家庭 1982年7月1日

 では、「原罪の根源」は何でしたか。愛の誤用、不倫の愛、利己的愛、偽りの愛でしたね。皆さんも分かるように、原罪は世代を通して受け継がれているに違いありません。

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● 祝福34号 P70

 なぜ為に生きようとするかと言えば、そうすることによって私たちは神のようになるからです。神に似るのです。私たちは神の似姿なのです。それゆえ、私たちはより神に近い核となり原罪を脱ぐことができ、自己完成できるのです。だからこういう生き方を私たちは選んだのです。真の愛を通して、「原罪の根」を引き抜くことが私たちの究極の目標です。

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 さて、如何でしたでしょうか?

 他にも結構あるのですが、とりあえず代表的で分かり易いみ言を引用させて頂きました。
 
 文先生は、間違いなく「原罪の根」「原罪の根源」という言葉を使っていらっしゃるという事が確認頂けたのではないかと思います。

 統一教会の原理の教えである「原理講論」によるならば、「罪」は4種類に、すなわち「原罪」「遺伝的罪」「連帯罪」「自犯罪」に分類する事ができ、さらにこの4種類の罪の中で、「人間始祖が犯した霊的堕落と肉的堕落による血統的な罪」と定義される「原罪」が、すべての罪の根源すなわち「罪の根」であるとされています。

 全ての罪の根源という定義こそが「原罪」にもかかわらず、文先生のみ言には「原罪の根」「原罪の根源」があると解説されているのです。これが、本当だとすれば大変な事だとは思いませんか?

 さて、「原罪の根」「原罪の根源」とは一体何だったのでしょうか?

 上記のみ言にありましたように、文先生は原理講論において「罪の根」とされている「原罪」について言及されながら、その「原罪の根」「原罪の根源」こそが問題であると、訴えておられる訳です。

 そしてこれらのみ言によれば「原罪の根」とは「利己的な愛」、あるいは「偽りの愛」であり、この「原罪の根」を引き抜くには、「利己的な愛」「偽りの愛」とは反対の、為に生きるという「真の愛」を通す必要があるとされています。

 さらに御言を引用してみましょう。

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◆ 歴史的父母の日  1977年4月18日

 では、この「愛の病気」は、どのようにして始まったのでしょうか。この病気の始まりは、そもそも自己中心の思いによってもたらされました。自己中心こそが堕落の動機となったのであります。自分を中心として考え、自分を中心として愛を求めようとしたことによって、堕落がもたらされたのです。

 自己中心の愛が堕落をもたらしたのですから、復帰するためには、神を中心とした愛、すなわち自己中心でない愛を求めなければなりません。

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◆ 人間に対する神の希望 1973年10月20日

 サタンは、堕落した天使長であり、神と人間に対する忠実な僕としての立場を離れて、神に挑戦し、神と競争したのです。彼の動機は利己心でありました。彼の利己心から悪と罪の源が出てきたのです。

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 「原罪の根」とは「利己的な愛」「偽りの愛」のことでしたが、このような病気といえる愛、すなわち「愛の病気」の始まりは、み言によれば「自己中心の思い」によってもたらされたとあります。この「自己中心の思い」言い換えれば「利己心」こそが、悪と罪の源だということなのです。

 このように文先生のみ言を見てくると、「罪の根」とは「原罪」なのですが、さらにその「原罪の根」を探るならば、それは「利己的な愛」「偽りの愛」なのであり、さらに「利己的な愛」「偽りの愛」とは「自己中心の思い」「自己中心の動機」「利己心」なのだと整理できるのです。

 さて、このような論述からして「原罪の根=自己中心の動機(自己中心の思い)」「利己心」が克服され清算されていないのにもかかわらず、「原罪が清算された」などという主張は、果たして通じるのでしょうか。

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祝福34 1982年夏季号

 全ての重要な鍵は真の愛にあります。真の愛によってこれを進めるべきです。もし偽りの愛が関わってくれば、そこから原罪がまた侵入してくるかもしれません。なぜなら皆さんの芽は移植されたばかりで、か弱くまだ完成していないことを自覚しておくべきです。

 単純に言うと、自己中心的な愛によって原罪が起こりましたので、逆に私たちはどういう愛を求めるべきですか。(無私の愛です)。それは無私の愛、他に与える犠牲的な愛です。それによって原罪を打ち砕くことができるのです。そして皆さんは真の愛の種を播くことができるのです。(拍手)。

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 このみ言を真に受けるなら、少なくとも、統一教会の信徒になって晴れて祝福を受け、一旦、原罪が清算されたとは言っても油断してはいけないということになります。

 何故なら、文先生の表現によれば「祝福によって真の愛の木の小さなか弱い芽を受けただけ」なのであり、油断するならば利己的愛が勢力を張り、原罪がまた侵入してくるというのです。自己中心の動機や自己中心の思いである「原罪の根」がしっかりと残存している以上、「原罪」はいくらでも侵入してくるのということなのです。

 では、そんな「罪の根の根」にあたる「原罪の根」を清算するにはどうしたらよいのでしょうか。

 み言によれば、また理論的に考えてみても、それは「真の愛」の実践、「自己中心ではない愛」を求めるという地道な努力が必要だということです。

 「原罪の根」を清算するためには、「真の愛」を対恤することが必要なのであり、自己中心の動機から発生する堕落性に満ち溢れていては、原罪の完全な清算など夢のまた夢と考えるべきではないでしょうか。

 私たちは、人生全般に設定されている個人、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙、神に至る八段階の各段階の自己中心を克服し、それぞれの段階で「真の愛」を対恤し、それぞれの段階で「自己中心的な動機や思い」を克服すべきなのです。

 「原罪の根=自己中心の動機と思い」とは、生涯向き合って闘い克服すべき課題なのだと思います。当たり前の事ですが、人格完成は生涯をかけた目標です。

 イエス様は、当時の信徒に対し、将来当面するであろう過酷なローマ帝国の迫害に耐えられるようにと、すぐに再臨するという「嘘」を与えて霊界に行かれました。文先生は、それは「本当の愛」であったと評価されています。(文鮮明先生の日本語による御言集1 P116)
 
 文先生も、苦難の蕩減路程を歩む教会員に希望を与えるため、祝福を受ければ「原罪が完全に清算できる」「原罪のない子女が生まれる」という幻想を、あえて明確に否定されずに来られたのだと思います。たしかに、完全ではありませんが、条件的・象徴的には、原罪が清算されると見ることもできるからです。

 また、かかる40年の統一教会史の本当の意味については、語る事はできなかったのです。成長期間は原理結果主管圏であり間接主管圏です。この期間は神は全てを教えてあげる訳にはいきません。神の立場に立たれる文先生は人間の責任分担に関わる部分については、厳格に比喩や喩えや暗示で教えてゆくしかなかったのだと思います。

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(祝福66号 P172 七七七双聖酒式後の御言)

 先生の話す話は、聖書によると皆こうなっています。・・・今、統一教会がそこまで完成して、勝利した基準があるから教えるのです。・・それは暗示や比喩をもってなす。表示や合図をもって教えるのです。それは真理を愛する子女関係を結べばわかるのです。

(牧会者の道 第六章 霊的役事と霊界協助 P1034)

 第3イスラエル建設路程の出発に臨んでいる皆さん! 皆さんはどのようにしなければならないのですか?霊界の法度を知ってこそ抜け出せるのです。その使命系統がどうなっているのか知らなければなりません。その国の軍隊は味方の軍隊で使っている暗号を知ってこそ、戦争をするときに味方から攻撃されません。この時は天の国の暗号が聞こえる時代です。今は暗号通信時代です。

(ファミリー2001年6月号 14ページ)

 適当にはできません。公式によって解いていかなければなりません。数学を解いていくように解いていかなければならないのです。わかりますか?「はい。」

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 でなければ、どうして、最初から明確に教えられないのでしょうか?明確でなければ、間違う可能性が大きいのです。間違う事が予め分かっていながら、それを干渉できないという事ほど辛いことはないのではないでしょうか?

 神様と文先生の真の親としての悩み、そしてその苦悩。これは別次元の辛さであり、計りしれないものだと思います。私達は、比喩や喩えや暗示でしか真理を伝えられないという事がどういうことなのかを察しなければなりません。

 さて、3月24日。先回のエントリー「神は自己中心だった!」は、読んで頂いたでしょうか?その際、掲載させて頂きましたみ言をもう一度お読みください。

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● み旨と世界 P262 人間に対する神の希望
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▼ 自己中心・自己中心の動機の発祥・・・とは!?
★ 自己中心を克服され利他的に生きる様に成長された神様!?
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 ここでは、人間のつくり上げた善悪の定義は関係ありません。善悪の永遠なる基準は神によって定義づけれられるものであります。はっきりした善悪の定義は、エデンの園に悪が入り込んでくるよりずっと以前、神の創造の時に既に存在していました。神の善悪観は決して変わることがないでしょう。神は永遠であり、神の法則は永遠であり、神の善悪の定義は永遠であり、時の流れにかかわらず不変であります。

 我々人間のすべての特質は、神から来ているのであります。我々は、人間には利己的な傾向があるということを知っています。これはある一時期、神御自身が自己中心的であられたので自然なことなのです。

この事実はあなたを驚かすかもしれませんが、しかし、神は人間と宇宙とを創造される前は、たった一人で、御自身以外の何ものをも意識することなく存在しておられたということを理解しなければなりません。しかしながら、神が創造に着手されたその瞬間に、神の中の生命という概念が完全にかたちとして現れてきたのです。神は、今や、御自身のためではなく、その対象物のために生きるようになったのです。

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 今日は「原罪の根」について述べて来ました。

 結果としてそれは「自己中心の動機」あるいは「自己中心の思い」であると確認して参りました。

 では、上記のみ言で語られている

 「我々人間のすべての特質は、神から来ているのであります。我々は、人間には利己的な傾向があるということを知っています。これはある一時期、神御自身が自己中心的であられたので自然なことなのです。」

 「神が自己中心であられたので・・・。」という部分。

 先回のエントリーでご紹介致しました、この衝撃的なみ言「神が自己中心であられたので・・・。」と、今日の記事の「原罪の根=自己中心の動機・自己中心の思い」・・・。

 もう皆様お分かりの事でしょう!

 「原罪の根」とは「自己中心の動機・思い」なのですが、実は、この「原罪の根」とは、神様が神様に成長し完成し、さらに成熟される過程で神様ご自身が克服されて来たものなのです。

 「原罪の根(自己中心の動機)」は、なんと、神様に起源があった!ということなのです。

 読者の皆様!先回の3月24日のエントリー「神様は自己中心だった!」を今一度精査下さい。

 さて最後に、文先生が「統一教会はキリスト教である、果ては共産党の手先である」と喩えで仰っておられるみ言を紹介致しましょう。

 と、いうより、実は、皆様は既にそのみ言葉を知っています。

 今日の記事の途中にありました。賢明な皆様は既に気付かれた事でしょう。そうですこのみ言です。

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● 世界女性時代解放宣布 1992年5月10日

 キリスト教は、堕落したということについて完全に分かっていないのです。堕落したということが何のことか分からないのです。

 原罪についても、「原罪の根っこ」は「原罪の根っこ」だと言うんですが、そんな答えは通じません。

 また善悪の実は何ですかと言えば、善悪の実だと言うのですが、そうですか? 世迷いごともいいかげんにしなければなりません。これはもう、年中、狂いっぱなしです。このまま天国に行こうとしても行けないのです。

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● 私の国の主人は私だ 1991年1月6日

 私の原罪をどのように清算するのかというのです。「原罪の根」を抜き取る前に、「原罪の根」をそのままにしておいて社会説がありえますか。そういうことは全部、共産党の戦略戦術によってほらを吹いているのですから全部、共産党の手先なのです。

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 如何でしたか?何をどのように暗示的に語られているのか、読み取れましたでしょうか?

 これは、文先生一流の語り方であり、喩え方のとっても分かりやすい例です。

 先のみ言では「原罪の根っこ」が分かってないのは「キリスト教だ!」と、仰っているのです。

 よく読んでみて下さい。うまく既成のキリスト教のお話に聞こえる様にカモフラージュしながら、突然「原罪の根っこ」と話を持ってくるのです。統一教会員は「原罪」は良く分かるのです。しかしながら、「原罪の根っこ」と突然言われても分からないのです。素通りするのです。

 一事が万事、いつもこんな調子で「原理講論」に沿って語りつつ「本当の原理」を散りばめながら不意打ちの様に語られるのです。

 ここでは、皮肉にも「世迷いごともいい加減にしなければなりません。これはもう、年中、狂いっぱなしです。このまま天国に行こうとしても行けないのです。」と締めくくっておられます。

 皆様!「原罪の根」が分からないというのは「世迷いごともいい加減にしなければなりません。これはもう、年中、狂いっぱなしです。このまま天国に行こうとしても行けないのです。」ということなのです。

 後のみ言では、

 「原罪の根」を抜き取る前に、「原罪の根」をそのままにしておいて社会説がありえますか。そういうことは全部、共産党の戦略戦術によってほらを吹いているのですから全部、共産党の手先なのです。

 と、仰っておられます。「原罪の根」の重大さに気が付かず、「原罪の根」をそのままにして社会説(天国創建運動=理想社会実現運動)を展開している統一教会は、再現された現代版キリスト教です。

 共産党はキリスト教の腐敗を温床に産声を上げましたので、同じ穴のムジナということで、神様と文先生からすれば厳密にはキリスト教は共産党なのです。

 ここでは、「原罪の根」が本当の意味で問題であるという観点が分からないものを「共産党の手先」と、つまり、「原罪の根」が分からないものを辛辣な表現で「サタンの手先」と仰っているのです。

 ということで、現下の統一教会の信徒様は当然「原罪に根っこ」があるなどと知る由もなく呈良くキリスト教化しつつ、本当の堕落の根源が分からないまま「共産党の戦略戦術によってほらを吹いているのですから全部、共産党の手先なのだ」と、言うことなのです。

 そう言えば、1990年代~2000年。そしてここ最近2010年ぐらいまでに、統一教会は何故か共産主義体制の様な体質に刻々と変化して来てませんか?

 情報統制を強いられていたり、告白させられたり、密告させられたり・・・なんかとても似ていませんか?

 統一教会の熱心な信徒の皆様!特に信徒の命に対して責任を預かる皆様!本当に深刻です。文先生の別次元の悩みと苦悩を知って、私どもが主張する「2013.1.13 起源節」の意味について考察下さい。

 今なら、未だ余裕で間に合います!

 今日は最後に以下のみ言を紹介させて頂きます。敢えて解説は致しません。じっくりと読んで頂き思うところをよく吟味して頂ければ幸いです。

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◆ 祝福72号 P86

 来られる主の苦衷は何でしょうか。霊界と肉界をどこから 繋げなければならないかというと、それは世界からするのではなく、逆に個人からしていかなければなりません。

 それでは、来られる主も体と心を持って来られるのに、その方の体と心は絶対的に一つになっているのかというのです。そのようになっていれば、堕落圏に属していない立場で、神様の主管圏にいるかもしれませんが、その方も、サタン世界の血肉を通して出て来られるので、すべてがそうではないということです。

 その作用は皆様と同じように、起こるのです。心を中心として、体を屈伏させる業をしなければならないのです。そのようにして、どの基準まで上らなければならないかというと、堕落前のアダム・エバよりも低い基準ではいけません。その基準を越えなければならないのです。神様に尽くすためには、体と心が一体とならなければなりません。アダムとエバ以上の立場を発見しなければ、霊肉を中心としてアダムの失敗した世界を復帰できる新しい出発の基点を探すことはできないのです。

 それでは、一つになるのに、最も難しい内容は何ですか。それは堕落性本性です。神様と同じ立場に立つことができないのです。心は神様と同じ立場に立とうとしますが、体は神様と同じ立場に立てないのです。従って、私の体は神様が望むとおりに感じ、望むことができるかというのです。体の欲するままにすべきではなく、神様がなされようとするとおりに、体が行わなければならないのです。今まで、この闘いをしてきました。そうしなければ、復帰ができません。


◆ 2003年4月4日 East Gardenでの聖日のみ言

 救世主もサタンの血統をもってきた。ザカリヤ家庭においてイエスが生まれたのは、堕落した人の子だから、蕩減路程を歩まなければならなかった。受難を受けて、国を屈服させて、宗教・歴史にそういう事実があったことを誰が知っていたか。神様の心情の世界を知ることにより、それを知るようになった。


◆ 2003年10月1日 訓読会でのみ言

 お母様はどうだろう。お母様も、堕落した天使長の血筋を受けた者だ。先生もそうだ。だから、絶対信仰、絶対愛、絶対再創造していくのだよ。


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