1.13 Project -4ページ目

1.13 Project

私たち「1.13 Project」では、2013.1.13「起源節」について一つの結論を導きだしています。そして、その結論を「1.13憲章」として掲げています。ここでは、そんな「1.13憲章」に関連するテーマをいくつか取り上げ、様々な観点から考察した内容を投稿致します。

 震災からおよそ2週間が経とうとしています。

 この間「未曾有」という言葉を何度聞いたことでしょうか。災害の実態が明確になりつつある今、それに伴う苦しみと悲しみ、紆余曲折が否応なしに訪れます・・・感情を持つ我々人間としては実に耐え難く、計り知れない試練の時と言えます。

 さて今日は、皆様に「神山は本当に原理が分かっていない!やっぱり、一般人だ!こいつは本当に統一教会を語る資格はない!」と、あえて言われるような問題提議をしてみたいと思います。

 それは、文先生の語るみ言の「復帰」と「創造」は微妙に同じ意味を持たせながら語られているという謎の様な問題提議です。

 「復帰」と「創造」は微妙に同じ意味だって?・・・。

 まず、以下のみ言を参照して下さい。

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★ 韓国・中央修練院にて 1994年10月9日

● 再創造の公式的内容とは?

 皆さん、再創造の路程を通して、復帰の路程が成されるといいました。再創造の公式的内容とは何でしょうか? 神様によって創造されたすべてのものは、必ず主体と対象があるのです。これが公式ですが、それを摂理史に適用したのが、カイン・アベルです。

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 このみ言は、平均的な統一教会信徒である皆様だとするならば、多分、ギョッとする内容なのではないかと思います。決して、プリントミスや翻訳ミスではありません。事実、この類のみ言は探すと少なくありません。

 今一度よく読んでみて下さい。

 このみ言では「アダムが堕落したのでアベルとカインに分立した」と仰っているのではなく、

 「神様によって創造されたすべてのものは、必ず主体と対象があるのです。これが公式ですが、それを摂理史に適用したのが、カイン・アベルです。」と仰っているのです。

 これをもっと踏み込んで推察してみますと以下の様に言う事が出来ます。

 実は「アダムが堕落したのでアベルとカインに分立した」というのは本当ではない!

 「神の創造原理が正分合作用の四位基台原理なので、その正分合の≪分≫の部分、つまり、創造する時の主体と対象の分立を聖書の伝統に沿ってアベルカインと喩えているのである」と仰っているのです。

 つまり、聖書のアダム家庭の物語(ストーリー)そのものが、ある意味で喩えであり比喩であり暗示なのであり、とどのつまりは本当の原理は原理講論には記載していないという事なのであります。

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(1993・5・9)

 新しく再創造するということは、盲目的になさるものではありません。原則的にするのです。創造世界を再創造するという問題になるので、ここには根本的な公式があるのです。それでは、その根本的な公式とは何でしょうか。存在するすべてのものは、主体と対象が一つにならなければなりません。このような主体と対象を中心として、世界のすべてのものが引っ掛かっているというのです。存在するそれ自体も引っ掛かりますが、存在するものが行く生涯とその路程も、すべてここに関係を持って横的に拡大されるのです。ですから、神様の復帰摂理は再創造摂理なのです。

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 神の摂理とは、復帰の摂理であり再創造の摂理であります。従って再創造の摂理は創造原理による摂理であります。つまり、再創造は闇雲に成されるのではなく創造原理に沿ってなされるものだという事を我々は知っています。これは元々原理講論で定義されている概念です。

 このような認識から言えることは、再創造を司るメカニズムとしての原理、すなわち「復帰原理」とは、実のところ「創造原理」そのものであるということであります。

 言い換えて表現するならば、全ての事象は、創造原理による再創造摂理的事象であり、すなわち創造原理による創造摂理的事象として起きているものであるということになります。

 にもかかわらず、原理講論では、復帰原理として「アダムが堕落したからアベルとカインに分立せざるを得なかった」「堕落故のアベルカインの分立摂理」という理論構築になっている訳なのです。

 これは徹頭徹尾「創造原理の正分合作用=四位基台原理」に当てはめてもう一度、アダム家庭からの全聖書史を解き直してみないといけないという事を物語っているのです。

 事実、権進様も私くし神山も全て創造原理に当てはめて解き直す事をして来たのです。それで、このような事を説明させて頂いているのです。

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(真の御父母様の生涯路程④ P371 原理の完成本の執筆課題)

 いまだに発表できない相当な部門の真理が残っています。私は既にそのような啓示を受けていますが、未来に公表しようとわざと保留しています。

 原理(原理講論)はイエス様までを説明しているため、イエス様以後、先生に関することを皆さんは知りません。それゆえ皆さんはこれから本当に勉強すべきことが残っているのです。統一教会の文先生は原理(原理講論)の中に現れる先生ですか。原理(原理講論)にはイエス様までが入っているのです。イエス様を中心として話したものです。それなのに原理(原理講論)だけ重要視すれば完了すると思いますか。


(祝福家庭と理想天国Ⅰ P802 祝福の意義と価値))

 皆さんは先生が分かりますか。先生が分かりますか、分かりませんか。どう分かりますか。先生の何が分かりますか。顔だけ分かるでしょう。皆さんが分かる原理を教えるその程度の先生だと思いますか。皆さんが分かる原理は、イエス様までの原理(原理講論)です。先生の時の原理(本当の原理)ではありません。先生の歴史が分かりますか。「分かりません」。分からないなら、何をしにこの場に来ましたか。皆さんは孝子になりましたか、なれませんでしたか。「なれませんでした」。孝子にもなれなかった者が、ここに来て座る資格がありますか。


(大母様の生涯と信仰)

 原理(原理講論)は外的な世界、キリスト教世界とユダヤ教世界を収拾するためのものです。それゆえ、内的心情世界に対する内容は一つもありません。ですから、統一教会の食口である皆さんも、統一教会のみ旨の3分の1の立場にも立てないでいるという事実を知るべきなのです。


★ 原理大修練会、堕落論講義途中における御言 1967年6月18日

 だから本部の方で、行って原理講義をしてやらないといけない。そう考えて今、劉協会長も連れてきた。それをはっきりとしておかないと困るんだね。だから蕩減できない。わかる?(「はい」)。

 だから、今まで創造原理と、ま、「創造原理といえば適当に先生が考えた」、そうじゃないよ。これがわからないとね、堕落論とか、復帰路程すべてがこの創造原理を適用して解いていくんだよ。だから創造原理が、堕落論にも復帰路程にもみんなあてはまる。だから、創造原理が真理であるという確認ができるわけなんだ。

それによって歴史が、歴史の背後に動いた神が、神の歴史を通過してきたあらゆる事件がみんなあてはまる。みんなそれが創造原理がなければ解決できない。だから、復帰の路程は再創造の路程であるという、その結論になっちゃうわけなんだ。だから、創造原理を中心としてみんなそれを解いて、そして戻って来るような作用をさせるから、創造原理は絶対的に必要であるというんだね。わかる?(「はい」)。

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 ここまで私が述べている事が、本当だとすると大変な事ではないでしょうか?如何でしょうか?

 冒頭にありましたように、今日は、皆様に「神山は本当に原理が分かっていない!やっぱり、一般人だ!こいつは本当に統一教会を語る資格はない!」と、あえて言われるような問題提議をしているのです。

 それは、文先生の語るみ言の「復帰」と「創造」は微妙に同じ意味を持たせながら語られているという謎の様な問題提議です。

 文先生はみ言を語る時、その大半は原理講論をフォローする様に語られます。つまり、殆どを我々が慣れ親しんでいる原理講論に沿って語られるのです。

 なので、文脈の前後に「本当の原理」をちりばめて語ってはいるのですが、それは、よくよく注意深く、あるいはマニアックに「本当の原理」はどこに・・・「原理講論の原理」はどれだ・・・という感じで、意識的に分別しながら読まないとついつい見落してしまうのです。

 「本当の原理」の部分だけがスゥーッと、通り過ぎて行ってしまうとうのが実感です。

 これは、我々の思考が原理講論通りの思考になっていればいるほどその作用は絶大です。

 「あ~!今語られているのは、あの事だ!この部分だ!講論でいうこの部分なのだなぁ・・・。」という感じで皆様は納得するのです。そして「お父様は原理のお方だ」「原理を解いただけでなく実践してこられた原理の実体なのだ。あーっ!原理だ原理だ!あーっ原理は素晴らしい!」と。

 皆様はアベルカインといえば、堕落故の分立摂理である。これこそが、復帰原理(復帰公式)であると、かたくなに信じています。違いますでしょうか?

 まさかアベルカインが、創造原理「正分合作用=四位基台」の≪分≫の部分の主体と対象のことだとは夢にも思っていないということです。

 皆様は「アダムが堕落したからアベルとカインに分立したのだ!」「分立摂理は堕落したので致し方なく・・・堕落が無ければ分立摂理は必要ではなかった筈だ!」と、信じ切っていらっしゃる筈なのです。如何でしょうか?

 これは、原理講論を良くも悪くも熱心に信じて来たからに他ありません。当然、致し方ないことでありますし、神様と文先生が敢えてそうさせて来たことなのですから必然といえば必然なのです。

 何度も言及して参りましたが、文先生一代圏の40年でキリスト教を世界化し再現しなければならないが故に「現代版キリスト教原理」である「原理講論」を与え、これを絶対視させて来たのです。

 原理講論の主人は神様と文先生であり、それはそれは本当に厳密に組まれているのです。特に原理講論の堕落論と復帰原理緒論のアベルカイン分立のストーリーはものの見事に構築されています。

 そして、その原理講論を理解し信じ実践すると、見事に聖書史(ユダヤ史とキリスト教史)が再現するようになっています。事実、統一教会運動内にユダヤ史とキリスト教史は厳密に再現しているのです。

 信じられないかもしれませんが、本当にそうなのです。

 神様と文先生は、まずもって使い物になる世界的なキリスト教が必要だったのです。

 世界的な一つのキリスト教が再現出来なければ失敗だったのです。統一教会が、歴史時代のキリスト教に本質的に似通った内容を持って再現出来なければ困るのです。

 この間、なるべくなら、原理講論の微妙な間違いに気付いてもらっても困るし、例え一部の教学者にその微妙な間違いを指摘されたとしても「これに触れてはいけない!付け足してもいけない!差っ引いてもいけない!これを是正する事の出来る権限は私(文先生)にしかない!」と完全否定せざるを得なかったという事なのです。

 皆様!原理講論の教学者の方々が文先生にその様に厳しく言われた過去があると思いますか?

 教学者の方々に直接語られたかどうかは分かりませんが、み言にはあるのです。

 「私の生涯中の課題中の課題として、もう一度、原理講論を是正し書き換えて世に出す必要があるのです。・・・これを是正する事の出来る権限は私(文先生)にしかありません。・・・誰も手を付けることはできません。」と。

 文先生にこう言われれば、従うしかないですよね?

 この様なみ言に従順に従ったのは、かかる40年期間中の取るべき態度としては正しかったのです。

 原理講論の微妙な間違いに気付きつつも、文先生の仰る事に結果として従ったのですから、これは本当に「天晴れ!」なのです。原理講論を信じ、こよなく愛した人々は大いに摂理的貢献をしたのです。

 さて、1960年から2000年までの40年は、見事にキリスト教化させるための摂理だったので、我々が見事にキリスト教化したという事実は、見事に原理講論を絶対視し、見事に原理講論的摂理観に従い、見事に実践して来たという証なのです。

 それで、キリスト教の様になるとはどの様になる事かといいますと、統一教会が現代のアメリカの様になるという事なのです。キリスト教文化圏の結実がアメリカである事は、皆様、ご承知の通りなのですが、統一教会はそんなアメリカの特徴に似通った様相を呈しているのです。

 そこにはフーバーダムがあり、グランドキャニオンがあり、ロサンゼルスにラスベガスがあるのです。これらは皆、統一教会の中にあるある何かを喩えて暗示的に話されているのです。これは、機会を見てお話したいと思います。

 ところで、アメリカという国家の背景はキリスト教であります。従ってアメリカとは、聖書を背景に造られた国とも言えましょう。勿論、そんな単純なものではないのですが・・・。

 聖書では初めに神ありきです。唯一、絶対、永遠、不変です。神は最初から完全であり、最初から唯一、絶対、永遠、不変の神であると単純にして明快な神観を提示しています。

 神が神になった紆余曲折や、神に成長期間があった。神も自己を克服してから天地創造の神様になったというような神の本当の事情については触れられていません。

 以下のみ言をお読みください。

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● み旨と世界 P262 人間に対する神の希望
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▼ 自己中心・自己中心の動機の発祥・・・とは!?
★ 自己中心を克服され利他的に生きる様に成長された神様!?
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 ここでは、人間のつくり上げた善悪の定義は関係ありません。善悪の永遠なる基準は神によって定義づけれられるものであります。はっきりした善悪の定義は、エデンの園に悪が入り込んでくるよりずっと以前、神の創造の時に既に存在していました。神の善悪観は決して変わることがないでしょう。神は永遠であり、神の法則は永遠であり、神の善悪の定義は永遠であり、時の流れにかかわらず不変であります。

 我々人間のすべての特質は、神から来ているのであります。我々は、人間には利己的な傾向があるということを知っています。これはある一時期、神御自身が自己中心的であられたので自然なことなのです。

この事実はあなたを驚かすかもしれませんが、しかし、神は人間と宇宙とを創造される前は、たった一人で、御自身以外の何ものをも意識することなく存在しておられたということを理解しなければなりません。しかしながら、神が創造に着手されたその瞬間に、神の中の生命という概念が完全にかたちとして現れてきたのです。神は、今や、御自身のためではなく、その対象物のために生きるようになったのです。

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 このみ言が本当の真理だとするならば、原理講論の堕落論の根底を揺るがす大問題だと思いませんか?如何でしょうか?

 堕落の誘因となった天使長の自己中心の動機、また、その天使長と相対基準を結んでしまったエバの自己中心の動機。そのエバに相対してしまったアダムの自己中心の動機。

 そういった自己中心の動機が人間にあるのは、そもそも神が自己中心的な時期があったので、極自然な事なのだ。人間の成長期間に見られる利己的な傾向性は神がそうであったのでその特質として我々人間に元々あったのだ。堕落したから発生したというものではなさそうだ。

 これは、成長過程における動機の成長と転換について問題視しなければならないという説明になっているのではないか・・・。

 どうやら、堕落の本質は、成長の時間軸に大きく関わりを持っている様だ。

 人生全般に亘り、元々ある自己中心の動機を段階的に克服・転換して、より高く成長させなければならない人格の創造原理的な基準に対し、留まって凝り固まってしまったり、逆に下がってしまうといった事も含めて堕落というのではないか?

 とにかく、堕落の本質は、人生全般に及ぶ非常に複雑で深遠なものだと思われる。

 先のみ言によれば、自己中心の動機を神自らが克服され、宇宙創造に着手されるようになっていったということが理解できる。

 そんな神ご自身の成長期間が人間にそのまま投影されている、という事が本当の真理であるとすれば、これは、一般的に全ての人々に当てはまる素晴らしいお話です。

 堕落の本質は、成長期間のプロセスのどこかで凝り固まったり落ち込んで行くという事なのかも知れません。ここまでの説明を受けて皆様はどの様に理性が刺激されましたか?

 人間として、オギャーと生まれ、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙、神と、神に至る成長期間全般を歩まない事こそが本当に深刻な堕落の本質であり、どこかで凝り固まったり、逆に動機がどんどん下がって落ち込んでいったりしてしまう事を「本当の意味で堕落している」と言っているのではないかと思えてなりません。

 心が成長せず、つまり動機が成長せず、未熟で無知であれば男女問題も起こすし、盗みもするし、殺人もするし、果ては合法的だと言って戦争までも起こすのではないでしょうか?

 勿論、人格が未成熟な段階で「取って食べるな、盗んではならない、殺人はしてはならない、戦争はいけない」と戒められる事はとても重要です。

 自己中心的な傾向性が比較的強い個人としての成長段階には、戒めはとても重要だということです。何故なら自己中心的傾向性が強い期間なのですから、原理が理性で捉えられず、情的にも未成熟なのですから、より自己中心的な振舞いに陥りやすいのです。

 しかしながら、戒めだけを守っていれば良い!というのも愚の骨頂です。

 家庭を持つ前の個人の段階で宇宙創造の神の動機に触れ、神が本当の親であるという尊い真理を掴み、理性的にも情的にも一定の人格に到達しておかなければなりません。

 つまり、個人的段階としての人格成長の原理的プログラムを履修しておかなければ問題が起きるということです。

 万一、個人的段階としての人格成長の原理的プログラムを履修せず、家庭編成をした場合、果たして、家庭編成の原理的なプログラムに立ち向かえるのでしょうか?

 自己中心の動機に凝り固まる・・・。これは何も個人的段階だけではありません。

 家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙、と神に至るまで各段階に各々設定されています。祝福を受けた統一教会の信徒の皆様は、果たしてどうでしょうか?

 今現在、どの段階の自己中心に立ち向かっておられるのでしょうか?

 民族的自己中心は如何でしょうか?国家的自己中心は?世界的自己中心は?

 今、世の中には、家庭的自己中心に留まっていらっしゃる多くの家庭が存在しています。

 皆様!そもそも、これから家庭を形成する未婚の男女が惚れた脹れただけで、氏族、民族、国家、世界、天宙、神に至るまで行けるのでしょうか?

 惚れた脹れたは「氏族、民族、国家、世界、天宙、神」に至るまで、その道を行くにあたってとても重要です。むしろその道を行くためには、それを支える強烈な衝動心を持たなければならないので、神を中心とした強烈な恋愛はとても重要であると考えています。

 しかしながら、「氏族、民族、国家、世界、天宙、神に至るまで行こう!」という動機と決意を所有する事はもっと重要です。

 昨今の統一教会の祝福家庭にも、未曾有の危機が訪れています。生涯にわたって、そういったプロセスを行くという動機と決意を所有していないものが、安易に、家庭形成をしているからです。

 一般社会を見る時、これはもっと如実です、

 一般的に多くの人は「家族だけは・・・家族を大切に・・・」と言います。決して悪い事ではありません。家庭というのは、人格の成長過程の修練所であり天国の基地です。しかしながら、家庭だけはといって家庭的自己中に留まってしまっては本末転倒です。

 家庭的自己中心に留まってしまうという現実は、余りにも多く見受けられます。

 これは、神様や文先生から見れば到底納得できません。むしろ、そういうふうに我知らず「家庭的な自己中心の罠」にはまり込んで、凝り固まって成長期間内に留めてしまう。・・・一見良心的な生活・・・。

 これは、神や文先生の視点から見た時、次元の違う悩みであり苦悩だといえましょう。

 成長期間内に設定されている段階的な自己中心を如何に克服し、如何に神中心の人々を創造できるかに、未来の地球の運命がかかっています。我々はその教育プログラムを文先生のみ言の中に見出さなければなりません。

 賢明なる読者の皆様は既にお気付きの事と思います。アベルカインの分立の摂理のお話も本当は違います。アダムが堕落したから分立したのではなく、創造の原則が分立なので分けたという事が本当のところなのです。

 実は、統一教会は本当の意味では「堕落論」から始まっていると言ってもよい程、本当の創造原理がボヤーっとしています。これは、愕然とするほどボヤーっとしています。

 それは、文先生が明確に語られていないからというより、うまくぼかしながら全体のみ言を語られているからだと言えます。先ほどのみ言はまさにそれです。

 私達は文先生のみ言の中にちりばめられた「本当の原理」をいち早く発見し、天使長宗教圏を履修しなければなりません。

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● 統一教会  P9 1963・5・22  ソウル・前本部教会

 一番収集するのが難しい人は宗教者です。摂理やその道を信じる宗教者たちです。・・・

● KNSネットニュース 2008・1 第25回 「愛勝日」

 今日、統一協会の信徒たちが、宗教圏の垣根を抜け出られず、それに覆われながら生きてきた習慣的なすべてのことを、どのように清算するのかという、重要な起点に今、来ています。私たちの語っていることは、事実か、そうでなければ謎のような言葉です。事実だというならば、皆さんは、アダムとエバが堕落する前に見ることができ、推し量り得る自分自身となっていますか。

 アダムとエバの堕落以来、これまでの蕩減復帰歴史において、自分の責任がどれほど大切であったかを考えてみましたか。現在、自分が処している場所が、神様の創造の花のような本然の世界ではありません。想像もできない、自由と平和の理想圏内からは永遠に離別した、そのような場所に立っているのです。天の前に自らを何者としても誇り得ないのです。堕落の血統によって縛り付けられた世界版図を前に、どのようにこれを取り消すことができるかということを考えれば、考える余地がないほどに悲惨だというのです。

● ファミリー 2003・3 P14 「神様の真の愛と天地人の関係の回復」

 長い歴史の中で、人間は、宗教生活を卒業しなければならないという、この尊い真理を明らかにした人は、いませんでした。早くから神様のみ旨を知った私は、教派や宗教を創設しようとはしませんでした。神様の摂理の中心宗教であるキリスト教が、私の教えである天道を受け入れなかったことによって、私が初めてつくった組織が、「世界基督教統一神霊協会」 でした。

 ・・世の中が、私たちの長い公式名称に代わって 「統一教会」と呼ぶことによって、「統一教会」 になってしまったのです。しかし、私は数十年前から、私たちの教会の看板を下ろす日を望みながら、その事実を予告してきました。1996年に教会の看板を下ろし「世界平和統一家庭連合」として出しました。これは、人類史における重大事件です。

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 「石巻教会所属<16家庭>の安否不明」との記事を拝見しました。なんとか無事であって頂きたい・・・。

 被害の実態がより明確になるにつれ、多くの人々がこの国家的な犠牲の真の意味、背景を、真相を訪ね求めておられるに違いありません。この時期になんで?・・・なぜ私たちが・・・なぜあの家族が・・・なぜあの地域が・・・なぜ犠牲はこのようにもたらされるのか?・・・これからもっと犠牲が必要なのか・・・犠牲とは本当のところ必要なのか・・・。

 そんな暗澹たる気持ちで思いを巡らしている時、ある方から「ツイッターに寄せられたメッセージ」という文章をいただきました。

●都心から4時間かけて歩いて思った。歩道は溢れんばかりの人だったが、皆整然と黙々と歩いていた。コンビにはじめ各店舗も淡々と仕事をしていた。いつもと変わらぬ光景の様だが、皆が不安や悲しを表に出さずに堪えている…ネットのインフラは揺れに耐え抜き、各地では帰宅困難者を受け入れ施設が開設され、鉄道も 運転するという。凄い国だよ。GDP何位とか…関係ない。

●駅員さんに「昨日一生懸命、電車を走らせてくれてありがとう!」って言っている小さい子どもを見た。駅員さん泣いていた。俺は号泣していた。

●“Operation Tomodachi” 米軍による救援活動作戦名

●家屋に取り残され、42時間ぶりに救出された高齢の男性の映像。「チリ津波も体験してきたから、大丈夫です!また、再建しましょう」と笑顔で答えていた。恵まれた環境にあぐらをかいてきたことに直面しなきゃ…って思った。私たちがこれから何をするかが大事。

●千葉の友達から。避難所でおじいさんが「これからどうなるんだろう…」ってもらした時、横にいた高校生くらいの男の子が「大丈夫、大人になったら僕が絶対元に戻します」って背中をさすって言ったらしい。大丈夫!未来あるよ。

●暗すぎて…今までに見たことないくらい星がきれいだよ!仙台のみんな、上をむくんだ。

●ディズニーランドでは、しゃっぷのお菓子なども配給された。ちょっと派手目な女子高生たちが、必要以上に沢山もらっていて「何だ!??」って一瞬思ったけど、その子たちが避難所の子どもたちに、お菓子を配っていたところを見て感動。子ども連れは動けない状況だったから、本当にありがたい心配りだった。

●外国人から見た地震災害の反応。物が散乱しているスーパーで、落ちているものを律儀に拾い、そして黙って列に並びなおしてお金を払って買い物をする。運転再開した電車で、混んでいるのに妊婦に正規を譲るお年寄り。この光景を見て、外国人は絶句したようだ。すごいよ日本…

●国連からのコメント。「日本は今まで世界中に援助を続けた援助大国だ。今回は国連が全力で日本を援助する」

●一回の青信号で、たった1台しか進めない中…譲り合い穏やかに運転している姿に感動した。交通が5分以上完全麻痺するシーンもあったが、10時間の間、「お礼」以外のクラクションを一切耳にしなかった。日本がますます好きになった。

●ホームで待ちくたびれていたら、ホームレスの人が「寒いから敷け」ってダンボールをくれた。いつも私は横目で流しているのに…暖かいです。

 読みながら思わず嗚咽して泣きました。

 人々の思い。純粋な愛、純粋に思いやる気持ち、そういった真なる愛情。

 人々に想起される純粋な思いが自らの心の琴線に触れるとき、共鳴現象が起きます。それで、時空を超越し、人は感動し素直に泣くことができ、これまでの生き様を悔い改める事が出来るのだと思います。しかしながら、一方で、こういった犠牲がなければ悔い改められないものなのかと思うと・・・。

 被災者の犠牲。

 まさに、尊い命が何かの犠牲になったわけです。これは、今回の災害で「ある目的があってその尊い命が投入されたのだ」ともいえましょう。であるならば、犠牲の本質、つまり、命の犠牲とは、命の完全投入であり「命がけの精誠」なのだなぁ・・・と、しみじみ思うものです。

 文先生が日ごろおっしゃる「精誠」という言葉の裏返しは「犠牲」であり、またそれは「完全投入」という言葉にも置き換えられるのではないかと思います。

 精誠を捧げなさい!誠(真)を尽くしなさい!犠牲になりなさい!完全投入せよ!文先生がその様におっしゃる意味は、そうすれば、自らの心を動かすことが出来るし、それでこそ自分の心と人々の心を共鳴させ通じ合わせることが自然に出来るのであると・・・。そのような原理原則を私たちに教えられているのであろうと思います。

 この度の災害に対する「精誠条件」?。その意味を今一度考えてみる者です。


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 読者の皆様!こんにちは。神山です。

 さて、本日は、『権進様』そして私ども『1.13』が『三男顕進様の近未来』をどのように捉えているのか?その核心を述べてみたいと思います。題して『◆ 続・三男顕進様の近未来』です。宜しくお願い致します。

 ◆ まず、結論から申し上げます!

 『文先生は、近未来、あるいは2011年内、どんなに遅くても2012年4月頃までには、三男顕進様をアベルの位置にお戻しになられると思います。』

 これが『権進様』そして私ども『1.13Project』が予想する『三男顕進様の近未来』です。

 これは、当然のことですが、顕進様と同時に郭先生も戻ってこられるという事を意味し、かつ、郭先生もまたアベルの位置に立たれるだろう事を予測するものです。

 読者の皆様の中にも、その様に予想しておられる方が少なからずいらっしゃるのではないでしょうか?

 これは、何を言いたいのかと申しますと、現在『4男国進様・7男亨進様』をアベルの位置に一旦立てられたのは『文先生ならではの御計画』故の事であると申し上げたいのです。

 さて、一方で、こんな事を聞けば烈火のごとく

 『そんなことはあり得ない!』『文先生自ら三男の事を爆破者だ!』と言って堕落アダム扱いを公式的に表明されたのだし、郭先生に至っては『サタンになった!堕落した天使長になり下がった!と仰られたのではないか。』

 『悔い改めて戻って来られる事は良いことだし、是非ともそうあって欲しいが、果たして、戻ってきたからといって直ぐにアベルの位置に立てられるということは考えられない・・・。』

 『しでかした罪を悔い改め清算すべき蕩減路程があってしかるべきだ』『直ぐにアベルの位置にたてられるということはありえない!』

 というような、お声が聞こえて来そうです。(笑)

 特にこういった考えは、一部の『バリバリ(盲信的)信者さん???』にありがちですよね!

 冗談はさておき・・・。

 何度も申し上げていますが、まず、『3男 VS 4男(7男)』。この構図は、あえて神様と文先生がなさっておられる『分立と統一の役事』であると考えるべきです。その目的は、これから『2013.1.13 起源節』に向けて本格的な『歴史の清算』を成すためです。

 真のご子女様の『分立と統一の役事』で『歴史の清算』を成すのです。

 ところで、歴史的な清算を成すためには『歴史的な供え物』が最も効果的です。『歴史的な供え物』は『歴史的に清い存在』が相応しいのです。それでこそ、歴史的な清算が効果的に成されるのです。

 皆様!『歴史的な供え物』として『歴史的に清い存在』が、真のご家庭のご子女様をさておいて他にいらっしゃるでしょうか? 私達の様な不埒な信徒達で果たして成されるのでしょうか?

 ユダヤ史そしてキリスト教史。結局、失敗して来たというのは何だったのか?これは一言で言える程単純ではないのですが、あえて言うならば『いつもいいところでアベルとカインの一体化が成せなかった!』と言えませんでしょうか。

 この、アベルとカインの一体化問題・・・。この歴史的な恨みであるアベルとカインの一体化問題・・・。

 歴史の全てを真のご家庭に押し込んで僅かな人数の中で再現と清算を行うのです。決して、多人数で成すのではありません。天国を創建すべき最初の家庭で成すのです。それは、真のご家庭以外にないのです。

 アベルカインの蕩減法則を歴史に適用し全てを当てはめて解いてきたのです。私達は今、神様と文先生が計画し設定して来られた歴史的アベルとカインを目の当たりにしているのです。

 これは、2008年4月6日天一国八年四月六日、米国、ハワイ・キング・ガーデンで執り行われた第四十九回「真の父母の日」の記念式典でのみ言で確認する事ができます。文先生は敬礼式の途中で、真のお母様と顯進様、國進様の三人を最前列に立たせ、一時間以上にわたってその式『最後(2013.1.13起源節)を締めくくる式』を執り行われました。

 文先生をして『最後(2013.1.13起源節)を締めくくる式』と言わせしめた事の真相を私達はとらえなければなりません。逃してはなりません!この辺のところは権進様が『権進様の第一の手紙』及び『権進様の第二の手紙』で十二分に説明しておられますので、何度も精読下さいます様お願いします。

 さて、結論として申し上げます。

 『7男亨進様(4男国進様)』側をアベルの位置に一旦立てられたのは、文先生ならではの計画と設定であります。その辺の所を少しだけ述べておきます。

 三男顕進様は、実は、長男孝進様が成せなかったある使命を背負っておられます。三男顕進様は、長男孝進様が本来なすべきであった使命を負って立つように設定されています。

 これは、『権進様の第三の手紙』で必ず説明がなされます。第三の手紙のテーマは『清算』です。必ずこの核心部分に触れられる筈ですので、詳細は『権進様の第三の手紙』に期待したいと思います。

 ここでは、結論だけを述べさせて頂きます。

 三男顕進様は、長男孝進様が成せなかったある使命を背負っておられるのです。三男顕進様は、長男孝進様が本来なすべきであった使命を負って立つように設定されているのです。

 これは、皆様の知る由もないことですが、長男孝進様に託されたある使命があったということであり、孝進様はその使命を成す事が出来ずに逝かれたということを意味するのです。

 その使命は、三男の顕進様に託されているのです。

 それで、長男孝進様の本来の長子の立場(アベルの位置)を得るために、一旦悪く言われる様に仕向けられているのです。UC的な表現でいうならば『孝進様の蕩減復帰』の為に一旦悪く言われる立場にあえて立てられているのです。

 そのためには、一旦『7男亨進様(4男国進様)』側をアベルの位置に立てて摂理するのです。そういう意味で、『7男亨進様(4男国進様)』を教会側に敢えて立てて摂理しているのです。

 『7男亨進様(4男国進様)』は『三男顕進様と郭先生』を一旦、悪い立場にたてるにおいて、見事にその役割を果たしておられ、我知らず、神とお父様の摂理に用いられているのです。

 皆様!神様と文先生が成される業は本当に深遠です。表面的ではなく立体的です。上っ面だけを見て判断しようとすれば、その真意、つまり本当の事情とその心情に通じる事はできません。

 皆様は、本当の意味で神様と文先生の事情とそれに伴う苦悩を知らないのです。それ故、皆様が日頃よく口にする『天の心情』『お父様の心情』『心情が問題だ・・・心情!』この『心情!』という言葉ですが、まさに、全く違う次元で『心情』という言葉を使っておられるのです。

 今現在、三男顕進様を堕落したアダム、そして、郭先生を堕落した天使長と極悪人に立てて何をしようとされているのか?これは『孝進様の蕩減復帰』の為に一旦悪く言われる立場にあえて立てられている深遠なる業なのです。

 これは一時的なもので、全ては近未来、ご家庭のアベルの立場に復帰させ、もう一度長男孝進様の出来なかったミッションを遂行させるためにどうしても必要なプロセスなのであり、不可避的な過程なのです。

 既に、その予兆を文先生は示しておいでです。

 去る、2010年11月18日の訓読会での事件がそれです。これは、今のUCではその日の出来事の記録を明らかには出来ないでしょう。何故なら、UCが今現在とっている態度の正当性覆す記録だからです。この記録を明らかにするためには、それを説明できる原理的な根拠を提示出来なければ無理です。

 先回の記事でご紹介いたしました『真の家庭を愛する会』さんの添付メールにあった記事は殆ど間違いのない真相です。これは、決して『真の家庭を愛する会』さんの憶測などという類ではありません。もう一度読んでみましょう。

・・・・・・・・・

 お父様は、「お母様と国進様、亨進様に対して、『お前達が組んで私を殺そうとした。私を売り飛ばそうとした。全てを奪い取ろうとした』と非難した。そして、金孝律氏、朱東文氏らを『この詐欺師のような奴』と叱られた。そして、顕進様に『アベルUNを任せなければならない。ヨーロッパ大陸会長も』と言われた。」

 そして、「郭先生についても、『天使長ルーシェルも神様が創造されたから、神様が責任を取らなければならない。郭会長のことも私の責任だ』と言われた。」

・・・・・・・・・

 神様と文先生はキリスト教史を再現させるために、敢えて『現代版キリスト教原理』である『原理講論』を皆様に絶対視させてこられました。何度も申し上げまして恐縮ですが、これは、権進様と私ども1.13の主張するとても重要なエッセンスなのです。

 再度強調させて頂きます。皆様に『原理講論』を絶対視させてきたのです。

 その目的は、もう一度文先生一代圏40年でキリスト教を再現させ、そのキリスト教末期に『大動揺』を起こし『キリスト教が成せなかった天宙的な課題を清算』をさせる為です。まず、歴史を再現させるのです。再現させるのは清算するのが目的なのです。

 ところで、歴史の究極的な課題はアベルとカインの争いの火種を打ち消し、逆に一体化させることであります。これが『兄が弟になり弟が兄になる』という事象なのであります。

 ここに至る為には、どうしても『再現』というプロセスが必要なのであり、殺人ギリギリの限界的境遇を体験しなければなりません。憎くて憎くて、我れ知らず『そもそも、あいつが存在しなければいいのに・・・』というような、殺意を持つほどの絶頂を経験すべきなのです。

 そして肝心なのは、過去の歴史の様に殺害に及んではならないのです。むしろ、絶頂で思いとどまり、気付き、悟り、より高くより深い次元の心情圏に越えてゆかなければなりません。

 そして、結果としては『お互いが、お互いの未熟さと足らなさを残していたが故に喧嘩していたのだ。』と、悔い改め、お互いが見事に、残された成長期間を満たす事が出来た!というような勝利感と喜びを経験しなければなりません。

 そして最終的には『全ては愛なのだな・・・』と。

 全てを予め知って、全て予め分かって、敢えて摂理して下さった深遠なる父の事情と心情に対し、より早く悟る事が出来なかったが故に、心よりの心配をかけて来たのだなぁと・・・。尊い時間ではあったが、同時に、時間をもう少し縮める事が出来たかもしれない・・・心配をかけて心から申し訳なかったという心情圏に到達してゆくのです。

 このような成熟が2者の間に成される必要があるのです。

 これこそが天が設定しておられる『大動揺を越えた瞬間』なのであり、すなわち『歴史が清算』された瞬間なのです。

 皆様、少し考えてみてみましょう。

 2008年4月6日。天一国八年四月六日、米国、ハワイ・キング・ガーデンで執り行われた第四十九回「真の父母の日」の記念式典当時、この時点までのアベルは皆様の原理観ではどなただったでしょうか?

 お父様の後継者という観点で、また、摂理的な公職者という観点でどなただったでしょうか?当時2008年4月6日に遡ってこの質問をすれば、皆様の答えは、ほぼ同一に『3男顕進様』だったのではないでしょか?

 いいや、この時点で既に7男の亨進様だった!もともと予定通り7男の亨進様だ!最初から後継者は7男の亨進様だったのだ!と、果たして言えるでしょうか?

 むしろこの時点では、『三男顕進様が後継者だ!三男がアベルだ!』と考えていませんでしたでしょうか? いいえ、百歩譲ったとしても、少なくとも、『三男顕進様が後継者だ!三男がアベルだ!』と思って来た期間があった筈です。

 しかしながら、文先生はこの時点の何年も前から、皆様に7男亨進様(4男国進様側)をアベルとして受け入れさせて行くべき伏線をしっかり準備しておかれます。突然ではないのです。皆様に受け入れられる様、それなりに準備して来られています。

 7男の亨進様は頭を剃り仏教徒の装いといでたちで修養期間を過ごされました。学問に至っては最終的にハーバードで比較宗教学を専攻し見事に成績優秀者として履修されたのです。そして日本の祝福家庭を訪ねながら、自ら率先して牧会者の模範としての王道を歩まれ、心からの尊敬と屈服を勝ち取って頭角を顕わされたのです。

 また、その頃、文先生はみ言で『孫が重要だ。三代圏が整わなければならない』と強調されだします。それで、事ある度に亨進様のお子様を膝に乗せ『本物が顕れた!』とまで言われながら、周囲に『孫といえば、何故、顕進様の息子ではないのか?・・・』『何故、亨進様の息子なのか?・・・』『これは、ひょっとすると7男の亨進様が後継者になるのでは?・・・。』と憶測を漏らす人々があえて出てくるようにパフォーマンスし続けてこられています。

そして、紆余曲折を経て2008年4月18日付けで亨進様の世界会長就任式がなされたのです。
  ↓  ↓  ↓
http://jp.cheongpyeong.org/news/view.asp?idx=948&notice_id=news

 長男の孝進様が2008年3月17日に昇華され、約20日後の2008年4月6日に特別な式『最後(2013.1.13起源節)を締めくくる式』を執り行われました。その直後『2008年4月18日付けで亨進様の世界会長就任式』を用意周到に執り行われたのです。

 これによって、UC信徒の皆様に教育してこられたアベルカイン観(原理講論観)から、アベルは7男(4男側)という理解を引き出します。

 天が立てたアベルの位置を通さなければ(天の許可を得なければ)悪側、サタン側という善悪論によって思想教育を徹底しているのが原理講論観ですから、教会の指示系統に立たれている皆様は自動的に7男(4男)側に立つようになります。

 一方、三男顕進様を全ての公職から退かせます。

 まず、顕進様は文先生の真の二世として、そして、真の子女を代表する長子としてどれほど修養し熟慮し実践してこられたでしょうか?

 結果としてUCの全てを背負って敢然と立ち上がったのです。この間、2001年から2009年公職を解かれるまで、どれほどの仕事をこなして来られたでしょうか?

 世界の名だたるリーダー達を渉外し、感化し、次の約束を取り付け、UC運動を発展させ勝利させるべきその実践プログラムを一つ一つ積み上げて来られたのです。

 文先生はそんな顕進様の全てを分かって、あえて全ての公職から退かせたのです。

 顕進様の忠孝をよくよく知って、あえて全ての公職から退かせたのです。

 その結果どうなるのか良く分かってされているのです。

 三男顕進様は本当に天晴れ!なのです。表面的には、父の指示にことごとく背いたとしても、我が成すべき事を成す!と決然と立ち上がって行かれたのです。父の許可をもって良しとする次元ではないのです。

 汚名を着される事はなんでもない!弟達の4男も7男も今は言っても分からない。今は、分からないなら分からないでそれで良い!やがて、分かる日が来る・・・。

 この様に素晴らしい動機で敢然と立ち上がって下さったのです。また、そんな三男顕進様を完全に支えるべき悪名を一心に受け、完全に潔く、綺麗に打たれる立場に徹する郭先生である事を知る必要があります。郭先生が何故一切を弁明されないのかを知らなければなりません。

 そんな顕進様や郭先生をどれだけ頼もしく誇りに思っておられる文先生でしょうか?

 さて一方で、7男亨進様(4男国進様側)はどうなのでしょうか?

 亨進様は、文先生の真意を知って世界会長に立たれた訳ではありません。我々と比較するのは愚の骨頂ですが、文先生が求める基準からすれば、少なからず成長過程を残しておられるのです。

 何はともあれ、結果として、重い重い『UCの現在』を背負ったのです。

 皆様!今のUC。このUCを背負えるのならば背負ってみて下さい。

 これは、父の願いにかけて背負われたのです。父が苦労して成して来られた統一運動・・・統一教会・・・。これを何とか歴史的な宗教として発展軌道に乗せなくては・・・。

 これも天晴れ!なのです。

 問題は、2000年までに宗教圏を乗り越えられなかったUCを背負ったという事なのです。この歴史的な現代版キリスト教である『統一教会』を背負ったのです。

 そして、その統一教会では『立てられた位置に許可をもらわなければサタン!』という頑強な組織的原理観を持っています。そんな宗教圏に立ったのです。

 一般の世の中にも徹底した組織はあり、当然、日常で報告・連絡・相談(ホウレンソウ)は当たり前です。しかし『それをしなければサタンだ!憑依されている!悪霊に主管されている!』とまでは言いません。宗教圏故にサタンまで扱うのです。これは、一面で良い事ですが悪い面もあります。何故なら、素晴らしい人までもサタンと同等に扱ってしまうからです。

 何はともあれ、天が立てたアベルの位置を通さなければ(天の許可を得なければ)悪側、サタン側という善悪論によって思想教育を徹底しているのが原理講論観ですから、教会の指示系統に立たれている皆様は自動的に7男(4男)側に立つようになります。

 それでこそ、3男(お付きになっている郭先生や信徒)側を悪だ、サタンに主管されている!という思考が生まれる訳です。これは、現在の原理講論観から来る非常にレベルの低い宗教的な思考なのです。

 先日の記事で記載したみ言とコメントをそのまま引用させて頂きます。

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● 統一教会  P9 1963・5・22  ソウル・前本部教会

 一番収集するのが難しい人は宗教者です。摂理やその道を信じる宗教者たちです。・・・

● KNSネットニュース 2008・1 第25回 「愛勝日」

 今日、統一協会の信徒たちが、宗教圏の垣根を抜け出られず、それに覆われながら生きてきた習慣的なすべてのことを、どのように清算するのかという、重要な起点に今、来ています。私たちの語っていることは、事実か、そうでなければ謎のような言葉です。事実だというならば、皆さんは、アダムとエバが堕落する前に見ることができ、推し量り得る自分自身となっていますか。

 アダムとエバの堕落以来、これまでの蕩減復帰歴史において、自分の責任がどれほど大切であったかを考えてみましたか。現在、自分が処している場所が、神様の創造の花のような本然の世界ではありません。想像もできない、自由と平和の理想圏内からは永遠に離別した、そのような場所に立っているのです。天の前に自らを何者としても誇り得ないのです。堕落の血統によって縛り付けられた世界版図を前に、どのようにこれを取り消すことができるかということを考えれば、考える余地がないほどに悲惨だというのです。

● ファミリー 2003・3 P14 「神様の真の愛と天地人の関係の回復」

 長い歴史の中で、人間は、宗教生活を卒業しなければならないという、この尊い真理を明らかにした人は、いませんでした。早くから神様のみ旨を知った私は、教派や宗教を創設しようとはしませんでした。神様の摂理の中心宗教であるキリスト教が、私の教えである天道を受け入れなかったことによって、私が初めてつくった組織が、「世界基督教統一神霊協会」 でした。

 ・・世の中が、私たちの長い公式名称に代わって 「統一教会」と呼ぶことによって、「統一教会」 になってしまったのです。しかし、私は数十年前から、私たちの教会の看板を下ろす日を望みながら、その事実を予告してきました。1996年に教会の看板を下ろし「世界平和統一家庭連合」として出しました。これは、人類史における重大事件です。

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 このように、一方で、本当の原理をポツリポツリと成約聖書の中に降ろし、驚愕の事実を浮かび上がらせて必然的に『大動揺』が起きる様にあらかじめ配慮されているのです。

 全てを知って断腸の思いで身悶えしつつ、神が全聖書史を司ってそれ成された如くお父様もまたそれを成してこられたのです。神様の悩みを知り神様の苦悩を悟ったお父様は、そんな神様を解放する為に立ちあがられたのです。

 ならば、お父様一代圏で、まず神様の担当された聖書史を再現しなければなりません。ユダヤ史とキリスト教史4000年をお父様一代圏40年で再現し清算し解放するということがどれほど苦労であったかということは背負ってみなければ分かりません。

 皆様! 以下のように考えてはいけません!

 お父様のみ言には矛盾すべき内容がある。なので、お父様はメシヤではないのではないか?信じるに値しないのではないか?真理は唯一、絶対、永遠、不変である筈だ!文先生がメシヤで実体の神様だというなら語られるみ言が矛盾していて整合性がないというのはおかしい!

 やはり、偽メシヤなのだ!

 このように考えるのは浅はかです。このように考えて許されるのは、精々、統一教会の反対派のみです。統一教会の皆様はこの様に考えてはなりません。

 お父様の『直接の説教』、あるいはテキスト化された『み言』はいつも二重的な言葉の相対を前提に2つの観点を混合させながら語られています。

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● ファミリー2004/10 P23

 いつでも、二重的な言葉の相対を見つけ出さなければなりません。対応語は何かということです。対応語を見つけ出すのは、私がチャンピオンです。原理世界の正しいことを教えるために、私がすべてつくったのです。

● ファミリー2001年6月号 14ページ

 適当にはできません。公式によって解いていかなければなりません。数学を解いていくように解いていかなければならないのです。わかりますか?「はい。」

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 権進様は次の様に仰っています。これは、第三の手紙に書いてある内容です。未だ、正式なリリース時期ではありませんが、余りにも今回の記事に合いますので、一部分ということで特別に掲載しておきましょう!

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≪ ▼ 権進様の第三の手紙より抜粋 ≫

 もうひとつ、重要な事を知っておいて下さい。

 私達は常に以下のように振舞いやすいのです。

 『原理講論に沿っていない解釈はおかしい!』あるいは『原理講論には無いみ言がある!こちらが本当の原理であり原理講論は間違いなのでそれを信じているUCは間違いだ!』

 このように、いずれの『どちらかだ!』と言って振舞うのです。

 これは、一言で言って『幼い』のです。

 お父様のみ言はどちらも混合させながら語られているのです。

 お父様の説教、み言はいつも二重的な言葉の相対を前提に2つの観点を混合させて語られているのですから、次の様に考えなければならないのです。

 『お父様は、キリスト教史を再現させるために投入して来られた。なので、原理講論を与えて下さり絶対視するように指導して下さった。そのおかげで私達は、まず、歴史時代のクリスチャン以上のクリスチャンになる事が出来た。そして、お父様の生命のみ言を人類に先駆けて訓読させて頂ける機会を頂き、その真の生命と真の愛と真の血統に通ずるお父様直接のみ言を読むことで、本当の原理を知る事が出来る様になった。今こうして、大動揺はしたものの、お父様の本当の事情に触れる事が出来たので、その心情に通じる事が出来た。UCに動員された意義と価値を改めて理解する事ができた!神様とお父様の苦悩の歴史に同参出来た素晴らしい価値ある人生であった!これから、多くの人々とこの喜びを分かち合って行きたい!』

 と・・・このように考えて頂きたいのです。

 訓読会を12年も続けて来たのです。そろそろ、本当の意味で、お父様の事を理解して差し上げて下さい。

 お父様の語るみ言や指示は、とくに最近矛盾が多くみられる。メシヤも年にはかなわないようだ。いよいよボケが・・・。皆様!お父様はボケていません!ますます冴えわたっておられます。見事に皆様に気付かれない様にみ言を語り続けておられ、また、摂理的な指示を出されています。

 私が知るお父様は、どこまでも神そのものであります。神と一体となるという事はこういう事なのだ!神と一体になった人間というのはここまで生きる事ができるのだ!本当に希望だ!というものであります・・・。

≪ ▲ 権進様の第三の手紙より抜粋 ≫

・・・・・・・・・・

 さて、本題に戻します。

 もうお分かりの事でしょう・・・。

 7男亨進様と4男国進様(教会側)とで、今どんな政策と対策に明け暮れているでしょうか?

 予定通り、三男顕進様と郭先生を悪者扱いしているでしょう?

 さて、神様と文先生はこんな状況に導きながら

・・・・・・・・・

 お父様は、「お母様と国進様、亨進様に対して、『お前達が組んで私を殺そうとした。私を売り飛ばそうとした。全てを奪い取ろうとした』と非難した。そして、金孝律氏、朱東文氏らを『この詐欺師のような奴』と叱られた。そして、顕進様に『アベルUNを任せなければならない。ヨーロッパ大陸会長も』と言われた。」

 そして、「郭先生についても、『天使長ルーシェルも神様が創造されたから、神様が責任を取らなければならない。郭会長のことも私の責任だ』と言われた。」

・・・・・・・・・

 と振舞われるのです。一方で、4男7男側をよくやった!と褒めつつ、一方でそれを全否定されるのです。このような文先生の真逆とも捉えられる振舞いに直面したお母様と国進様、亨進様、仁進様、そして取り巻きの幹部達にはどんな思いが巡るでしょうか?

 皆様!今回の記事を通して皆様と分かち合っておきたい『三男顕進様の近未来』の結論です。

 現在の神様と文先生は、三男顕進様と郭先生を4男国進様と7男亨進様を通して悪者に仕立て上げて『孝進様の蕩減復帰』の為に歩ませておられます。そして、その蕩減が満たされれば、間違いなく三男顕進様と郭先生をアベルの位置にお戻しになられます。

 その目的は、近未来、長男孝進様が成せなかったある使命を『蕩減復帰』させる為なのです。

 それが、本当の意味で真のご家庭に隠されたミッションなのであり、再現と清算の中身なのです。私達はこれらの事をはっきりと知り、期限日までに何をどうすべきかを知って行わなければなりません。

 今しばらく『権進様の第三の手紙』を待ちましょう!


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