おはようございます🌅
 
今日は、水路タラーについてです。
最後までお付き合い頂けると幸いですm(_ _)m
 
新磯地区の西側には、相模川🏞️が流れています。
 
相模川沿いの低地は、住宅地と、ひろい田園地帯ですが、
水路もあちこち見かけます。
 
この記事を写真を撮った順に編集していたのですが、
いろいろ調べているうちに、なんと、全部同じ水路だということがわかりましたひらめき電球
 
それで、上流から順番に並べ替えます。
 
 
スタート地点は、
磯部頭首工です。
(写真はアップしませんので、こちらの クリックしてね!▷▶磯部頭首工付近 9月 記事をみてください)
 
この磯部頭首工ですが、何回も見ているのに、どんな役割をしているのかよくわかっていませんでした。
相模川河岸の農地灌漑のために設けられた堰です。(農業のためにというのはなんとなくわかっていたんですが・・)
 
 
磯部取水門です。
石碑には、「磯部堰成り 相模野潤う」と書いてあります。
 
●川側から取水門の写真を撮りました!
 
 
 
 
ここから取られた水は、
「相模川岸・岸幹線用水路」になります。
 
いつも目にしていた水路は、「相模川岸幹線用水路」だったのです。頭首工から取水されていることもはっきりとわかっていませんでした。
 
 
⬇️ 磯部頭首工公園近くの「相模川岸幹線用水路」です。フェンスが続いているところです。
この用水路は、相模原市から座間市、海老名市、寒川町、茅ヶ崎市にかけて約20km流れて、流域の農業用水として使われています。
 
この小屋なんでしょう?(謎)🕐️
それと、もぐら塚のようにみえますが・・・、もぐらがいるのでしょうか??
 
 
⬇️なにを撮ろうとしているのかさっぱりわかりませんもやもや
削除しようとしましたが、やっぱりやめました・・・・。
上の写真のなぞの時計台の下部分ですね。あと、赤い旗には「キケン」と書いてあります。
用水路は危ないですよね~注意
  
⤵︎ ︎説明板です。
 
 
拡大します⤵︎ ︎
・・・、かなり年季が入っている様子。
 
書き起こします(太字加工は筆者)⤵︎ ︎
 
相模川左岸幹線用水路について】
この水路は、相模原市磯部から茅ヶ崎市室田までの20㌔に及ぶ農業用水路で、昭和の初期に先人たちが築き上げた歴史のある水路です。
 この水は、田植えの時期の4月から9月まで相模川の磯部頭首工から取水して、田んぼを潤すため水を送っています。
 また、かんがい用水としての目的以外にも、地下水の涵養地域用水として、私たちの生活環境を守ってくれる重要な働きをしています。
 
⤵︎ ︎赤い印が、上の写真の場所です。
 
 
 
 
⬇️ 少し下流の相模川沿いに、こんな建造物があります。
相模川伏越」は、「相模川岸幹線用水路」に関する設備です。
この碑はこの設備の一部を切り出したものだそうです。
頭首工の取水口から、一部の水が「相模川伏越」という設備により、相模川の下を潜って西側に渡り、地上に湧き上がります。サイフォンの原理を使った仕組みです。
 
その水汗「相模川岸幹線用水路」として厚木市、伊勢原市、平塚市の流域の農業用水として使われています。

 

 

 

・・・さて、

岸幹線用水路」に戻りましょう。

先ほどの、“なぞの時計台”の付近の流れは、田園地帯につづきます。

 

 
⤵︎ ︎水色の線が、「相模川岸幹線用水路」です。(まっすぐなのですが、手がぶれてこうなりました・・・m(_ _)m)
 
 

⬇️こちらの写真をトリミング✂️した写真は

クリックしてね!▷▶12月の丹沢山系の眺め の記事に上げていますが、

今度は全体を撮った写真を上げます⤵︎ ︎

 
 
用水路沿いの道は、相武台下駅や、相武台に行くときに使っていました🚲️が、
「相模川岸幹線用水路」という名前があったのですね??
知らなかった・・・びっくり
 
(こちらの写真は初めて上げます)
★「通水式」が行われたあとの、農期は水量💧がぐっと増えます。
その写真は、クリックしてね!▷▶ 雨のあらいそ の記事をご覧下さいませ。(2023/5/23 追記)
 
 
 
・・そして、
相模線の線路をくぐり、相武台下駅🚞付近を流れます。
 
これが⬇️の写真です。「田園地帯」のあの用水路と同じ流れで、それも名前があったとは。
再び・・「知らなかった・・・」びっくり
 

この写真も2回目✌️の登場です。
前回は⤵︎ ︎
クリックしてね!▷▶ 11月の「里」 
の記事に出ています

 

 

 

 

勉強になりました。。。照れ
 
 
 🔚
 
☆彡 追記:相武台下駅から、さらに下流にいきました!「鳩川」が登場します。(2023/10/9追記)