私には2つ上の姉がいます。


物心ついた頃には、「優等生でしっかり者の優しい姉と出来損ないの妹」でした。


なんでも出来る姉に対して、

上手くできなかった私はずっと「お姉ちゃんはできるのに、なんであんたは…」と比較されて来ました。


多分、それなりに頑張った時もあったんだと思います。


でも、褒められることもなくため息つかれて比較されてて、

気がついたら「頑張ることは無意味」「頑張らなければ傷つかない」そんな私になっていました。


そこから、正直本気で頑張ったことないです。

成績もそこそこで、

受験も就職もそこそこ、

自分磨きも恋愛も婚活もたぶんそこそこだったんだと思う。


本気で頑張る意味が理解できなくて、やり方もわからないそんな風に成長しました。


今も本気で頑張るとか分からないし、

躊躇してしまいます。



比較されて、駄目と言われ続けた事もあって

何しても「どうせ私は上手くいかない」

「やっぱりダメじゃん」と感じることばかりです。


自己受容とか潜在意識でいろいろやって、

完全に潜在意識になってるじゃんー!ってなりました。

なにやってもここにたどり着く事が多い事にびっくりです。



比較した母の気持ちもわかる反面、

何度も刷り込まれて、呪いのように染み付いてしまってる苦しさが辛いです。


姉のことは大好きだし、尊敬してる。

けど、妬み嫉みがぐつぐつに煮込まれてドロドロした感情も持っています。



比較さてれ、悲しかった

否定されて、傷ついた

期待されなくて、苦しかった

傷つきなくて、見ないふりして、今も苦しい


感情を見つめると泣くどころじゃなくて、

お腹の奥から、痛くて痛くて過呼吸になりそうになる。

ヤバいって思って、止めてしまいます。

なかなか進めなくて、もどかしい。



今も母も姉も関係ないところでも

自分と人を比べて傷ついて「やっぱり私はダメなんだ」って自己嫌悪して、自己否定してしまう


母のせいでこうなった!

姉のせいでこうなった!

こんなにも生きづらい!!


そう思いたくなる。



そうじゃないのもわかるってる。

母親やってるもん、子育ての難しさも、思う通りにいかないのもわかる。



それでも苦しくって、生きづらくって、しんどい。


それでも変わりたいし、

変わっていかなくちゃいけないと思う

育児にも影響するんだから、変わりたい。



まだまだ時間がかかりそうです。







母親としての直感を信じてよかったですー!




火曜日に子供が喉が痛い!と言ってたので

早めに休ませて


水曜日は卒業式で在校生はお休みでした

熱が37.0℃で、もともと予約してあった病院へ

花粉症の薬の予定でしたが、

溶連菌の検査もしてもらい陰性でした。



帰宅して38-38.8℃まで熱がどんどん上がり

喉と頭と首のリンパが痛いと💦

 


念の為違う病院で明日の予約




普段なら2-3日様子見るのですが、

土曜日にピアノの発表会があり

クラスで溶連菌感染症が流行ってる

溶連菌感染症は抗生剤を飲んで24時間は自宅療養が必要


子供の症状と様子と溶連菌の症状を考えると

陰性だったけど、熱の出始めでウイルスがまだ少なかった可能性がある

明後日病院で溶連菌が出たら間に合わない

明日なら発表会に間に合う


心配性だ過保護だって言われても、可能性が捨てきれないならと

最善を選ぶ方が良いと思いました



木曜日も熱が下がらず、喉と首が痛いと言うので、

予約していた病院へ


「昨日検査してるんですよね?陰性だったんですよね?」


めっちゃ言われて、

後ろの看護師さんも苦笑いしてました


でも!とお願いして、

再度、溶連菌の検査


お待ちくださいーのあと

めっちゃ笑い声聞こえてました。


過保護でめんどくさい心配性な親って思われたんだろうなと思います

「え、まじでこの母親もう一度検査とか言ってんの?」みたいに先生も看護師も苦笑いだったし




結果は、


溶連菌感染症   陽性




やっぱりー!!!!!!


先生が昨日陰性だった考察をいろいろ言っていましたが、無事に抗生剤を処方してもらいました。


溶連菌は抗生剤飲むとスっと治るし、

24時間で感染の可能性がぐっと下がる


土曜日の発表会には、先月癌の手術したばかりの免疫の落ちている父も来るので、少しでも可能性は低くしたかったの


まぁ、私が保菌してる可能性が出てるので、

それは伝えてできる限りの対策はしましょう。


何より、術後1か月なのに発表会に絶対に見に行くんだ!!と言う父の気持ちも大切にしたい。

娘にそう思ってくれて、ありがたいです。



今回は、母親としての直感というか、なんかいつもと違うを信じてよかったです。


陰性だったから、でいたら

たぶんもう2-3日熱が下がらなかったり、

下がっても父に感染の危険が高くなったり、

最悪、頑張ってきたのに発表会出られなかったりになっていたでしょう


先生や看護師さんに笑われたけど、

心配性で過保護で良かったです。


いちばん近くで、長くみてるからこそ、

なんか違うとか

なんか引っかかるとか

違和感をちゃんと大切にしたいです。


もし、問題なかったとしても、

私が心配性と笑われて、安心材料がひとつ増えればいいだけ

そんなことより、可能性を切り捨ててなにかあった時の方が怖い


すごくそう思います。




でも、先生と看護師は笑わないで欲しいよね。

そこは寄り添ってよ、と思いました。




無事に発表会にいけますよーにっ


年明けからいろいろ自分の中でありすぎて、気持ちがめちゃくちゃでした。

今はだいぶ落ち着いて、やっと本来のペースに戻ってきました。



年始に義実家での娘の振る舞いを見て、私の育児に絶望してバーンアウトしてしまって、

自己受容とかして少し落ち着いたと思ったら、知らせが来ました



「父に癌が見つかった、ステージは3か4」



頭が真っ白になって、

意味がわからなかった


だって、まだ私の祖母が89歳で元気で、

義両親の方が両親より年上で

そんな可能性全く考えたことも無かったから


凄く、衝撃的でした



そんなタイミングで、

旦那は外せない飲み会だ、

翌日はインフルになったで、

一切話す事なく、

一人で抱え込みました



「タイミングが悪かった」

それだけだけど、それだけで済ませられない程、傷つきました。

父のこと伝えたのに、自分でいっぱいいっぱいになってる旦那に失望すらしました。



検索魔になって、癌のこと調べて、

最悪まで考えて、

もしステージ4だったら…

ステージ3でもあと5年持つか…



この時すごく思い知りました。



父が私にとって無条件で頼りにして、

無条件で甘えられる存在だって


普段はそんな事思ってなかったのに

喪うかもしれないって思った時の恐怖がすごかったです

ふ

頭が固くて、少し昔ながらの父

思春期に単身赴任でいなかったからか、仲は悪くないけど、ちょっとめんどくさい父


だけど、ずっと守ってもらって、

ずっと甘えさせてくれてた


子供産んで母になった今でさえ「お前はしょうがないなぁー」って言いながら

助けて、甘えさせてくれてた


今更ながら、思い知った

母とはまた違う、大きな存在だと。



父の再検査の結果がわかるまで、

毎日泣いてた


子供がいる時間は、母親としての私だったけど、

他の時間は娘として、泣いていた


怖くて、悲しくて、不安で

何か出来ることがないか、

何をしたらいいのか

父と母にどう寄り添えばいいのか

調べて、姉と連絡とって、ずっとずっとそんな風に過ごしていました。




再検査の結果で

「他臓器に移転はなし

リンパ節に移転は手術してみないと分からないが、ステージ2かステージ3だろう」

連絡が来ました。


とにかく、ステージ4では無かったことに心底ほっとして、

手術前に父に会いに行ってきました。



久しぶりに会った父はケロッと元気そうで、

自覚症状が無かった為に、手術前に食べたいもの食べるんだ!!と食欲が凄かったです


久しぶりに子供たちはなしの、家族4人で過ごしました。

今回の経緯や病状、手術のスケジュールや退院した後の過ごし方、様々な事を共有しました、

とりあえず、うちは両親どっちも癌家系なので、検査はしておくように!!と言われました。


父も心配でしたが、

サポートする母も大変で心配でした。

姉とできるサポートはしようと

退院後にちょこちょこ実家にサポート行けるように日程組んだり、

重くなりすぎないようにお互い家族LINEに子どもの写真を送ったり、連絡するようにしようと決めました。




旦那とはインフルが治ってから、少し話しました。

今までだったら、私は多分泣いて感情をぶつけていた。

年始の時にノートやAIに書き込んで自分の感情を整理してたので、今回も旦那がインフルの間にやりました。


寄り添ってくれなかったことが悲しかった事

大切に扱われてないと、蔑ろにされたような気持があったこと、私はそれがとても傷ついた事

自分の中で折り合いをつけました。


話した時には、タイミングが悪かったのは分かるから怒ってはいないと、仕方ないと

父と母のサポートしたいから、しばらく協力して欲しいと話しました。


旦那的にもタイミングが悪かったのに罪悪感があったみたいだし、責めても変わらない

「寂しかった、傷ついた」まで、言えたら良かったのだけど、なんとなくそれは言えなかったです。


ちょっと心を閉じちゃったからなのかな?

今なら言っても大丈夫だろうと思うけど、この時はこれ以上傷つきたくなかったんだと思う。




手術前後は会いたくないと言う父の希望通り、だいぶ回復した退院の前の日曜に会いに行きました。


絶食してたので、ちょっと頬の辺りかスッキリしたけど、元気そうに振舞ってました。


退院した後も母が仕事の日に実家にサポートに行ったけど、体力もメンタルも落ち着いてるかな?


子供に弱いところを見せたくない人だから、本当の所はわからないけど、

心配してると、サポートしたいというこちらの気持ちは伝わってるといいな、と思います。





今は癌のステージは1か2と言われています。


最初の情報がステージ4の可能性と言われたので、本当にホッとした、

今は病理検査の結果待ちで今後が決まります。


とりあえず、検査を続けながら半年も経てば今まで通りの日常に戻れそうなので良かったです。

あとはリンパ節への転移が無いことを祈ってます。




今回の事で、

あとどのくらい一緒にいられるのか

孫の成長を見せてあげられるのか

そう長くない事を思い知りました。


自分の年齢すら上がってる、

そんな父と母はもう本当に年配になるのだろう


甘えるだけでなく、

これからはサポートするように、もっと意識しないとなぁって、

一緒にいられるあいだに、たくさん感謝を伝えたいなぁと改めて思いました。



親というのは、

めんどくさくて、わだかまりもあったり、

良い感情にも、悪い感情にも対象です


それでも、

自分にとって、とても大きな存在で、

無条件に甘えられる程、たくさんの愛をもらっていたのだなって

本当に思い知りました。


された事は、忘れられない

子供の頃の感情は残っている


だけど、


してもらった事、忘れないように

心が感じる感情も大切にしたいです。