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あらきまさきのブログ

東京の会社に勤める普通の会社員です。
日々の生活で感じる「違和感」をブログにしたためます。

ガス・ヴァン・サントは僕の大好きな映画監督の一人だ。

「マイ・プライベート・アイダホ」「ラスト・デイズ」「永遠の僕たち」は今まで何度も繰り返し観た映画である。

その監督の最新作はアメリカの田舎町でシェールガスの採掘を目指す採掘会社の社員(マット・デイモン)が町に住む人々を説得する過程で感じる心の葛藤を描いている。
(強引に分類すると)ガス・ヴァン・サントの作品群の中で「エレファント」や「ミルク」といったいわゆる「社会派」映画に属する。

実は僕はガス・ヴァン・サントの映画の中で「社会派」映画は好きではない。

もちろん「社会派」の素材を扱っていたとしても、ガス・ヴァン・サントが描けば一人の個人が感じる違和感のようなものに強くスポットを当てる作品になるので純粋な「社会派」映画ではないのはわかっているのだが、できればガス・ヴァン・サントにはもっと個人の身近な素材をつかって映画を撮ってほしいと感じる。

個人の身近な素材を使って映画を作ると何が違うのか・・・?
ざっくり言うと心の葛藤に普遍性がより強く出ることであろう。

特に今回の作品を観て率直に感じたのは「アメリカ人が観たら感じるところがあるんだろうな・・・日本人の僕にとってはなんかわかんないな・・」という感想だ。

それは単純にシェールガスが日本に存在しないからではない。
組織の論理より個人の正義の大切さを描きたいのならばより多くの人が実感できる素材を扱うべきじゃないか?といった簡単な理屈からだ。

「社会派」映画はオリバー・ストーン監督にまかせておけば・・ってことである。





溝口健二監督の作品は男の視点で一方的に描かれた作品が多いが、特に本作は偏った解釈で撮られた映画である。

祇園の芸者姉妹がパトロンの男たちに振り回されながらも、強く生きていこうとするが、結局、最後に悲しい結末を迎えて涙ながらに自分の境遇を嘆く・・・

見方によっては男の身勝手さとその被害者としての芸者の悲しみを描くことによって、女性の味方を表明しているようにも受け取ることができるが、結局のところ女ってそんなもんだよ、男がいないとダメなんだよと切り捨てるようなところがあって僕は違和感を感じる。

そんなに男って強いかな?
僕にはその当時の祇園の芸者も今の銀座や六本木で働く女性も決して弱い存在ではないように思える。

溝口健二監督の作品はとにかく画が美しいので、それだけで作品として高い評価を与えてしまいがちだが、描かれた人物描写が古い点が馴染めない。

でも、1936年の作品だから仕方がないか・・・







いまさらだけど「アバター」である。


2009年の同時、僕は「アバター」を公開初日に映画館で観た。
当然「3D」で観た。
その時は全く良い映画とは思わなかった。

まず、3Dが気にいらなかった。
これは、僕個人の問題だが3D映画を観るとなぜか気持ちが悪くなってしまう。
俗に言う(?)「3D酔い」である。
その時のトラウマから、僕はそれ以降3D映画を観ていない。

その上、3Dの映画は3Dであることを前提にしたシーンが多くて興ざめしてしまう。
何かが必要以上に接近してきたり、大きな建物の俯瞰シーンが多用されたりすると「邪魔なシーンだな・・・」と感じる。

今回、自宅のブルーレイで「アバター」を観た。
我が家のテレビは3D対応では無いため、当然2Dである。
「あれ?良い映画じゃん・・・」と言うのが今回の僕の感想だ。

ジェームズ・キャメロン監督だから画が良いのは最初から分かっていたけど、カメラワークがとても美しい。
惑星パンドラのシーンはほとんどCGだと思うけど、ずっと揺れ動く映像がその世界の不安定さと儚さを表現している。
軍隊が駐留する硬質な基地のシーンとの対比がそれを一層際だたせる。

映画館で観たときに感じたストーリーの幼稚さも、アバターの世界のプリミティブな価値観を表現するには適していると感じた。

皮肉なことに3Dより2Dの方が、映像をリアルに感じることができた。

たぶんこの先「3D映画」は少なくなると思うけど、これに懲りて小手先のテクニックと目先の収益で撮る映画は無くなって欲しい。