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あらきまさきのブログ

東京の会社に勤める普通の会社員です。
日々の生活で感じる「違和感」をブログにしたためます。

僕が「七人の侍」を観たのは、今回で3回目くらいだろう。

実は僕の一番好きな黒澤映画は「羅生門」なのだが、「七人の侍」を見るたびに、あの時代(1954年)にあんなに完成度の高い映画を撮ることができた黒澤明監督は本当に日本が誇る名監督だったんだと感動してしまう。

とにかく脚本が素晴らしい。黒澤明、橋本忍、小国英雄の共同の本だが、映画史上最高レベルの脚本だとおもう。
ずっと昔、黒澤監督が存命だったときに僕が読んだ雑誌に「映画は脚本で決まる」と監督が言っていたことを思い出す。

もちろん、絵も素晴らしい。侍たちが走り回る時の疾走感、望遠レンズで撮影した深みのある構図、志村喬が背中を向けて矢を居る時の美しさ。
全くの素人の僕でも、映像だけでぐいぐい引き込まれてしまう。

その後の、黒澤監督は日本の映画会社が見放してしまったせいで、不遇の時代を迎えることになる。それを救ったのは、当時のソ連の国立映画協会であったり、ハリウッドのスティーブン・スピルバーグ、ジョージ・ルーカス、フランシス・コッポラだったりする。

また、愚痴になってしまうが、日本の映画会社はもう一度、この映画を観てあなたたちが若い頃に心に点っていた映画にかける熱い情熱を思い出して欲しい。

年頃の娘を持つ父親として、この映画は客観的に観ることが難しい。

小津監督の映画は同様のテーマを扱った作品が多いが「晩春」がもっとも父親の悲哀と嫁ぐ娘の躊躇する気持ちをシンプルに描いている。

いろんな評論で述べられているように父と娘の愛情「エレクトラコンプレックス」を暗示しているとも取れる。
小津監督も意識的にそのようなカット(たとえば、父と娘が枕を並べて床につくときに唐突に入る「壺」のカット)を紛れ込ませているとも言われている。

でも、僕には小津監督が世間を少しだけ混乱させるためにそのカットを撮ったと思えて仕方がない。

父と嫁ぎゆく娘にはエロチックな気持ちよりも、ずっと長年一緒に過ごしてきた娘がある日突然、自分の人生から離れて、他人の家族になることの寂しさの方が心に深く染み渡る気がする。

まだ、僕の娘は他人の家族になってはいないが、その時が来たとき笠智衆のように明るく毅然と見送れるか?

やはり僕は、この映画を客観的に観ることが出来ない。
とにかく画が美しい。

京都六波羅の屋敷の渡り廊下の静寂な立体感。

アカデミー衣装デザイン賞を受賞した平安時代の衣装の色彩感。

日本人の美的感覚の粋を極めた映像美だ。

特に主人公の長谷川一夫や京マチ子が行き来する渡り廊下は、今年の夏に僕が訪問した仁和寺の「御殿」を思い出させる。

そこで僕が感じた「静かではあるが」で「どこか不安にさせる」な日本建築の美しさの一面を忠実に再現している。

だけど、カンヌ映画祭でグランプリを受賞したのは映像美よりも日本人の貞淑さと厳粛な文化が西洋の美徳に類していることに敬意を表してくれたのだと思う。

日本が誇る映像美と日本人が先祖代々継承した文化や道徳観。

日本映画はこの縦軸と横軸を絡めて創り続けるべきだと思う。