年齢を重ねても知らないことがあります。
しかも一つ二つとかではなく、数えきれないほど沢山あって困ってしまったりする。
今日は山歩きじゃない話で、まとまりもないです。
趣味の一個がお墓参り。
車で 20分ほどのお墓に必ず週一回、夏の暑いときには二回行くこともある。そのぐらい行かないと墓石の真ん中ぐらいにある「水鉢(すいばち)」という楕円形の窪み、家族に飲んでもらうための浄水が無くなったり汚れたりするし、落ち葉の片づけもしなければならない。
でも一番なのは、供えている花が枯れるのが嫌だからです。花の種類によってはあまり日もちもしないし、吸い上げる水の量もそれぞれ違うので、夏の最も暑いときには三日ぐらいで、枯れたり花立ての水が無くなるときもあります。
お墓に供える花は菊ぐらいしか知らなかった僕は、値段やその価値も今だによく分からないのですが、季節ごとにいろんな花を供えていたら、何となく見栄えや形、咲き具合と色どりなんかで、これがいいんじゃないかと思ったのが次の花。
菊、カーネーション、トルコキキョウ、スターチス、キンセンカ。季節によっては百合、リンドウやヒペリカム。手に入れば桜を供えることもある。
花をもたせるために知っているのは、花屋さんに教えてもらって覚えているこの四つだけです。
・バケツに入れた水の中で、空気が入らないように茎をカットすること。
・よけいな葉を取って花に水が行きやすいようにするのと、葉が水に触れて腐るのを防ぐこと。
・お参りに行くたびに傷んだ茎をちょっとだけカットして、もう一度水を吸いやすくすること。
・まめに水を替えること(夏は霊園の水道水も温かいので、家から水筒に詰めた氷水を持っていく)。
それでも真夏は花が傷みやすいので、花立ての中の後ろの1/3は、その季節だけ造花にしています。
水鉢に水を供えるのは、仏教では亡くなった人は食べることはせず、水を飲むだけという考えからきているので、そこにきれいな水を注いでくる。そしてお線香をあげるのは、自分を清めその香りで、お参りに来たことを家族に伝えるためです。
その後お墓に一人で 1時間ぐらいいるのは、眠っている大切な家族と話してるから。自分の気持ちが少し弱くなったときなんかは、仏教詩人の坂村真民さんの詩、「坐る」を思い出して手を合わせます。
「坐る」
死のうと思う日はないが
生きてゆく力が なくなることがある
そんな時 お寺を訪ね
わたしは ひとり 仏陀の前に 坐ってくる
力わき明日を思う心が 出てくるまで
坐ってくる
真民


