コースやガイドについてアドバイスを求めるとFacebookに書き込むと、すぐに友人たちから反応があった。
数時間後にはコースもガイドも決まっていた。流れがとても良い。
9月7日の昼過ぎ、ベトナム人民新聞のみなさんとガイドの金成(かなり)さんと、久ノ浜駅前で落ち合った。

最初に向かったのは、久ノ浜にある諏訪神社。
ここで宮司さんに、震災と津波被害、そして原発災害についてお話を伺った。
ベトナム人通訳の女の子がとても優秀で、さくさくと話が進む。

宮司さんから1時間ほど話を伺って、諏訪神社をあとにした。
諏訪神社を訪問する時、ベトナム人ジャーナリストたちは鳥居の前で頭を下げていた。
感心だね、ちゃんと勉強して来たんだねと思ったが、帰りは振り返もしない。
日本人でもなかなかできないんだから、当たり前だけどね。

久ノ浜の津波被災地でバスを降りた。
家の土台だけしか残っていない地面には、雑草が生い茂っていた。
ベトナムには、地震も津波もないらしい。台風もめったに来ないという。
記者たは、災害よりも復興の方法や将来の計画に関心があるようだった。
記事にできるのは、過去のことではなくこれからのこと、ということだろうか。

再びバスに乗り、国道6号を北上した。
ぼくは、Jビレッジより先には行ったことがない。
広野や楢葉が避難指示解除準備区域に区分された今は、もう少し先まで行ける。
道路脇で除染作業をする作業員たちの様子を、みんな車窓から眺めている。

驚いたのは、山のように積み上げられたフレキシブルコンテナ(フレコン)だ。
その中には、放射性物質に汚染された土や草木が詰め込まれている。
同行した友人たちも、その光景に衝撃を受けていた。

大地を埋め尽くすフレコンの山は、ミドリ色のビニールシートで覆われていた。
放射線量が下がるまで、こうして保管されるのだろうか?
「果てしのない除染作業」の現実を見たような気がする。
友人のひとりは、その光景を「文明の墓場」と表現した。

そうこうするうちに、バスは楢葉町を抜けて富岡町に入った。
原発から近いことを知っているので、バスの中が緊張する。
富岡駅前でバスを降りると、あの日から手つかずの光景が残っていた。
なんだか、がっくりと力が抜ける。

さすがに道路上のガレキは片付けられていたが、建物は「ただちに避難しろ」と言われた時のままだ。
商店の床には、商品が散乱していた。
民家の玄関先では、放置された自転車や子どもの遊具が朽ち果てていた。

避難の時から、時間の流れが止まっていたかのようだ。
無人の町では雑草が生い茂り、無人の家を潮風が洗っている。

植物は、僅かでも根を伸ばす場所があれば、そこで成長しようとする。
その繁殖力は、もの凄い。
畑だった場所は完全に雑草に覆われて、まるで牧草地のように青々としている。
そんな植物を、緑魔(グリーン・モンスター)と呼ぶらしい。

放っておくと、緑魔(グリーン・モンスター)は家まで飲み込んでしまう。
この日同行した友人たちは、一週間前に南相馬で草刈りのボランティアをしてきたばかりだった。
ぼくも、草刈りをするよ。
できることから、やって行く。少しだけでも、お手伝いする。

富岡町では、放射能を怖がってバスから出てこないベトナム人女性が多かった。
それでも通訳さんは、果敢に自分の役割を果たしていた。
金成さん(白いTシャツ)と向き合っている女性が、通訳さん。
金成さんのインタヴュー記事が、ベトナムで配信されるだろう。

最後に金成さんは、綿花畑に案内してくれた。
いわきオーガニック・コットン・プロジェクトが管理する畑だ。
有機農法での綿花栽培、紡績、製品製造・販売、リサイクルまでのシステムを構築するという壮大なプロジェクトだ。
そんな未来に繋がるお話で、今回のツアーは締めくくられた。

今年の夏から、ワンマンバスの走向距離が一日500kmに制限されたらしい。
走向できる距離を伝えたら、金成さんは事前に予定ルートを走って距離を確認してくれた。
非常に頼もしいガイドだ。ありがとう。
今回のツアーは、NPO法人「ふよう土2100」によるスタディーツアーとして行われた。
金成さんをはじめとするスタッフの皆様、ありがとうございました。良いツアーでした。

今回の同行者の皆さん、ババ君、レイコさん、カラサワ、お疲れ様でした。
カラサワのベトナム語で、ずいぶんと空気が和やかになったよね。ありがとう。
次回は、身体を動かすボラに行くよ。綿花摘みもやってみたいね。










































