不完全な日常 -4ページ目

不完全な日常

音楽、舞台、読書、散歩、放射線

開口一番 柳家小はぜ 「たらちね」


前座二年目だけど、そつがない(でも、途中から記憶が無い)。


二番手は、お馴染みの三三。


前に聞いたのと、同じまくらを使っている。

前回三三を聞いたのは、「柳の家の三人会」だったから、ちょうど一ヶ月前か。ま、いいけどね。


「笠碁」、これは好きだ。


碁の好きなふたりが、「待った」「待てない」で大げんか。意地の張り合いの後に、最後に碁を打ちながら仲直りする・・・・・というだけの話なのだが、気持ちが良い。







中入りの後、柳家そのじの三味線と歌。


東京音頭、さのさ、さのさ本音バージョン、三下がりさわぎ、名古屋名物・・・・・と続くのだが、これも実に気持ちが良い。


舞台袖で太鼓を叩いているのは、三三。


これが上手い。小三治師匠も、「三三は太鼓を本業にしても良い」と言っていた。


そしてトリは、もちろん小三治師匠。


師匠が登場すると、「人間国宝!」の声がかかる。


小さん、米朝に続く、落語界では三人目の人間国宝だ(正式には9月の告示から)。


ダルベッコが言っていたのだと思うけど、「自分がノーベル賞を取るよりも、弟子にノーベル賞を取らせる方が難しい」。


弟子も人間国宝になるんだから、小さん師匠もさぞお慶びでしょう。


演目は、「死神」。


嬉しいなあ。とても嬉しい。


小三治の「死神」を聞くのは何十年ぶりだろう。


当時から、「死神」は小さんよりも小三治と思っていた。


さすがに、大したもんです。実に良い死神だった。


堪能いたしました。

師匠、これからも変わらぬご活躍をお祈りしております。






今年3回目の山下洋輔。


前回は、4月のソロ・コンサートだった。


そのときから、今回のコンサートを楽しみにしていた。



今年はどういうわけか、ビッグバンドを聞く機会が多い。


1月7日 BLUE NOTE TOKYO ALL☆ JAZZ ORCHESTRA


2月19日、ロイ・ハーグローヴ・ビッグ・バンド


2月27日、マンハッタン・ジャズ・オーケストラ


(6月にはフロント・ページ・オーケストラも予定していたのだが、急な仕事で行けなくなってしまった)


そして今回の山下洋輔スペシャル・ビッグバンド。







前半は、「展覧会の絵」。


これが、意外と面白くない。


エリック・ミヤシロが、最初のテーマをトランペットで歌い上げた瞬間は、おおっ!と思った。


そこらから先は、フリージャズのリングの中に引きずり込んで、好き勝手に演奏する。


もちろん、フリーは嫌いじゃない。こうして山下洋輔のライブにも通っている。


ただ、元曲から離れすぎてしまって、戻ってこれないのが不満だ。


組曲という素材自体が扱いにくいのかも知れない。


着地点が、どんどん変わって行く。


なんだか、未消化な感じが残ったまま40分ほどの演奏が終わった。


後半は、ドヴォルザークの「新世界から」。


こちらは、良かった。


構成のしっかりした交響曲だし、誰でも知っている馴染みやすいテーマもある。


フリーの世界でこねくり回しても、ちゃんとテーマに戻って来る。


楽章構成もそのまんま。


土台(原曲)がしっかりしているだけに、ジャズの世界で自由に飛び跳ねるのが一層面白く感じられる。


アレンジャー兼コンポーザーの松本治の腕が冴え渡っていた。


ジャズとクラシックが互いに打ち消し合ってしまっては意味がないが、それぞれの「キラメキ感」を持ったまま融合しようとしていた。


このメンバーで、ベートーベンの5番(運命)をやってくれないかなあ・・・。


そう思いながらオーチャード・ホールを出たのでした。


以下、メンバー覚え書き。



山下洋輔(p)、


金子健(b)→代演・水谷浩章


高橋信之介(ds)


エリック宮城、佐々木史郎、木幡光邦、高瀬龍一(tp)


松本治、中川英二郎、片岡雄三、山城純子(tb)


池田篤、米田裕也、川嶋哲郎、竹野昌邦、小池修(sax)



*****





ベートーヴェン:交響曲第5番 ハ短調作品67「運命」


ショスタコーヴィチ:交響曲第8番 ハ短調作品65






指揮は、ルトムート・ヘンヒェン。1943年生まれのドイツ人。


読響を指揮するのは、今回が初めて。


ベートーベンの5番は、妙にあっさりとした演奏だった。


木管も金管も頑張っているし、悪い演奏じゃない。


でも薄味な感じで、ドイツっぽくない。


ところが後半のショスタコーヴィチで印象が一変した。


そうかそうか、これを演奏したかったのか。


そのために、あえてベートーヴェンを前菜にしたわけだな。


ショスタコーヴィチの8番は異様な曲で、最初から最後まで張り詰めた緊張が解けない。


柔らかいフレーズや明るいフレーズがポツリポツリと姿を見せても、何の解決もないまま消えてゆく。


曲の最後も、緊張を保ったままごにょごにょと溶けるように終わる。


良い指揮だった。


素晴らしい演奏だった。




プロフィールを見ると、巨匠はドレスデン生まれだそうだ。


ということは、15万人が死んだという「ドレスデン大空襲」の生き残りのひとりなのだろうか。


フライヤーには、こんなキャッチコピーが書かれている。


「地面に響く 死者の叫び。 これは運命か、 紅空に舞う 青い鳥か」


なるほど、軸が通っている。


今夜も素敵な演奏会に満足した。


柳家喬太郎、柳家三三、柳家花緑の三人会。


独演会、二人会よりもこの三人会の方がお客が入る、と花緑が言っていた。


個性と芸風が異なる三人の組み合わせは面白いし、お得感がある。


今回は、Sさんのお招き(接待か?)で行かせていただきました。ありがとうございます。







開口一番は、柳家花ん謝の「粗忽長屋」。


花ん謝は、花緑のところの二つ目。ということは、人間国宝(小さん)の孫弟子。


人間国宝の「粗忽長屋」と比べたらそりゃあ気の毒だけど、ぼくは寝てました。


こっちだって連日のサッカー観戦で疲れているんだから、つまらないハナシは止めてもらいたい、以上。


喬太郎は、「抜け雀」。


相変わらず座布団からはみ出しながらのドタバタ落語だけど、喬太郎の落語は好きだ。


三三、「青菜」。


花緑、「井戸の茶碗」。


花緑は、ヘタだね。ヘタだけど、面白い。


「井戸の茶碗」は、善人しか登場しない噺だ。


花緑がやると、善人とバカ(バカ正直のバカです)の区別がなくなってしまう。


もちろんそこが味わいどころで、いかにも落語界のヘタウマ王子にふさわしいネタだ。







終演後、「都立大学」駅前の居酒屋で一杯。


なぜか落語会の後のビールは、さわやかで美味しい。


心のデトックス効果だろうか。


同行のKさんに、すっかりごちそうになった(接待か?)。ありがたい、ありがたい。





マイク・スターン (g)


ランディ・ブレッカー(tp)


ビル・エヴァンス(sax)


クリス・ミン・ドーキー(b)


デニス・チェンバース(ds)




ランディ・ブレッカーは、年をとった。目に輝きがない。


それ以上に驚いたのが、マイク・スターンだ。


完全なメタボ腹。ポリネシア系のタイコ腹のようだ。


顔が細いだけに、そのギャップが凄い。




このメンバーは、みんな腕がある。


腕だけで、「聞かせる」ことができる。


それなりに演奏をまとめ上げているけれど、音楽のスリルは無い。


ランディ・ブレッカーは、完全に手抜き。


それでも、上手い。きれいなハイノートを聞かせてくれる。


ビル・エバンスのサックスは、バンドの中核を作っていた。


マイク・スターンのころころとしたギターと良くからんで、音楽を前に進める力を生んでいた。


逆に言うと、マイクのギターだけでは推進力が足りないのかも知れない。


ビルをセンターに置いているのは、多分そういうことなのだろう。


リズム・セクションの達人たちは、さすがだった。


自分たちの仕事を、見事にこなしている。


クリス・ミン・ドーキーのサイレント・ベースは、良く鳴っていて格好良かった。


全体に、それなりの演奏で、それなりの楽しさ。


でも、感動は無い。


どんな名手でも、「腕」だけでは感動は生まれない。


そこに演奏者の「魂」が無ければ、音楽さえも生まれない。


終演後に、ロビーでサイン会をやっていた。


こんなことなら、ビル・エヴァンス(sax)のCDを持ってくれば良かった・・・と後悔しても、もう遅い。


ランディ・ブレッカーの前には、誰も並んでいなかった。


みんな結構分かっているんだよ。


いつでも全力で演奏しろとは言わないけど、手抜きはダメだ。



 ← 眠りそうなネコ



それでも一緒に行ったメンバーが良かったから、楽しく過ごせた。

演奏よりも、ネコの話で盛り上がった夜でした。


久々の室内楽コンサート。


石田泰尚(Vn)、関野直樹(Pf)+NHK交響楽団メンバーの弦楽合奏団。


取り上げるのは、バロック期を代表するバッハとヴィヴァルディ。



J. S. バッハ


  ヴァイオリンソナタ ト単調 BWV1020


  ピアノ協奏曲 ニ単調 BWV1052


ヴィヴァルディ


  ヴァイオリン協奏曲集「和声と創意の試み」より「四季」




1977年に打ち上げられた惑星探査機ボイジャーは、今では太陽系を離れてさらに遠くに向かっている。


地球に帰ってくることのないボイジャーは、一枚のレコード盤を積んでいる。


レコード盤には、バッハの平均律クラヴィーア集とブランデンブルク協奏曲が収録されている。


異星人に聞かせたい地球の音楽と言えば、やはりバッハだろう。


ベートーベンとかモーツァルト、ストラビンスキーなどの楽曲や民族音楽(邦楽も)なども収録されているけれど、やっぱりバッハだよなと思う。根拠はないけれど。


そしてボイジャーは、異星人に拾われる日を夢見ながら今日も宇宙を漂っている。




さて、コンサートホールだ。


客席は、9割ほど埋まっている感じ。石田泰尚と関野直樹の人気のほどが伺える。


ふたりの共演による「ヴァイオリンソナタ ト単調」は、とてもバッハ的だった。


力強くて、繊細。ひとつひとつの音を大切にしていることが伝わる。


何も足さない、何も引かない、異星人にも教えてあげたい心地よさ。


この1曲だけで、十分に満足した。




休憩を挟んで、後半はヴィヴァルディの「四季」。


バッハと同じ時代だから、300年も前に書かれた曲だ。


それが石田泰尚のヴァイオリンから流れ出すと、すごく今日的に聞こえる。


「四季って、こんなにモダンな曲だったっけ?」と思う。


バッハはきちんとバッハらしかったのに、どこをいじっているんだろう。


不思議だ。




アンコール曲は、ヴィヴァルディ 「2台のヴァイオリンのための協奏曲 イ短調」 これは、良い曲だ。


石田泰尚がステージを去った後、弦楽合奏団だけでグリーグの「ホルベアの時代から」を演奏。


NHKの「らららクラシック」のオープニングに使われている曲だ。


我々はN響メンバーですよ、という挨拶のようでもあるし、バロック音楽に対するオマージュのようでもある。


気がつくと、時計は9時をまわっていた。


今夜も楽しいコンサートでした。

土曜日の午後の落語会。


明け方にスペイン対オランダという大一番があったので、眠くって仕方がない。


会場は、日経ホール。2009年に完成した日経新聞社本社ビルの中にある。


地下鉄の大手町駅と直結しているから、とても便利だ。


毎度のことながら高齢者が多いのだが、場所が良いからか若衆も少なくなかった。




神田松之丞 「雷電の土俵入り」


柳亭市馬 「かぼちゃ屋」


林家正雀 「牡丹灯籠~お札はがし」


隅田川馬石 「真景累ヶ淵」


柳家さん喬 「船徳」




「雷電の土俵入り」は、講談。


前座もなしにいきなり講談をやるのはなかなかキツイと、松之丞はぼやいていた。


怪談噺二席というのも珍しい。


「怪談噺を演ってくれと言われたが、時間は30分しかない。


『真景累ヶ淵』は、どこを取り上げても中途半端になる。


よって冒頭の部分を30分にまとめて来た」


という馬石は見事でした。




芸達者を揃えたプログラムなのに、落ち着いて噺を楽しむことができなかった。


原因は、隣の席の人の臭い。


口臭がものすごい。


スメル・ハラスメントだ。


人間の身体が出す臭いの不快感は、独特なものがある。生理現象とはいえ、本当に気分が悪くなる。


マスクを出そうかハンカチを出そうか、後方の空席に移ろうか、などと悩んでいては落語なんか聞いてられない。


しばしばホールに行くけれど、こんな経験は初めてだ。


人生、決して油断はできない。良く分かった。




「船徳」は夏の定番だ。


さん喬師匠の演じる船頭の徳さんは、アホっぽくて大受けだった。


そしてぼくは、鼻を押さえながらピクピクと笑った。


船に酔ったお客が「おえっ」と声を出す場面で、ぼくも同じようにしていた。


次回からは、すぐにマスクを取り出せるように準備をして行くことにしよう。


それよりも、最初からマスクをして行く方が良さそうだな。うん、そうしよう。


次回は6月24日、「柳の家の三人会」にマスクを準備して出撃予定です。

NHK交響楽団の演奏を聴くのは去年の6月以来だから、ちょうど1年ぶりになる。


ご無沙汰したね、N響。帰って来たよ。




グラズノフ/交響詩「ステンカ・ラージン」


プロコフィエフ/ヴァイオリン協奏曲 第2番 ト短調


チャイコフスキー/バレエ音楽「くるみ割り人形」から第2幕 「トレパーク」「あし笛の踊り」「花のワルツ」ほか


指揮は、ウラディミール・アシュケナージ。




この日のお目当ては、プロコフィエフの「ヴァイオリン協奏曲 第2番 ト短調」。


ソリストは、パトリツィア・コパチンスカヤ。


モルドバ(ウクライナとルーマニアに挟まれた小国)出身の女性バイオリニストだ。


白いドレスを着たコパチンスカヤが、バイオリンを頭の上に掲げるようにして登場した。


ドレスの裾から見える足は、靴をはいていない。


裸足が彼女の演奏スタイルなのだ。


簡単に音を合わせて、すぐに演奏に入る。


最初の音を聞いて、ゾクリとした。弱音なのだが、惹きつけられる。


確かにお行儀が良い演奏ではない。


低く身構えたネコのよう姿勢で楽譜をガン見しながら演奏しているかと思いきや、次の瞬間にはジャンプしている(彼女には、ネコ科の血が少し混ざっている)。


その野性的な演奏スタイルと多彩な音色は、魅力的だ。


オーケストラに向かって「付いてこい!」と言わんばかりの演奏は、圧巻だった。


プロコフィエフのコンチェルトが、新しい音楽のように聞こえた。実際に、新しい音楽が生まれていたのだろう。


アンコール曲では、演奏しながら歌っていた。可愛らしい。そして素晴らしかった。


コパチンスカヤの演奏には、中毒性があるみたいだ。


もう一回聞きたい。そう思う。




休憩の後は、「くるみ割り人形」。


プログラムには、「年末の子ども向けバレエと思われがちな《くるみ割り人形》だが、これは紛れもなくチャイコフスキーの傑作である・・・」と書かれている。


その通りだと思う。


子ども向けの演奏会ではよく取り上げられるけど、こうして聞く機会はなかなかないので、嬉しい。


良い演奏だった。アシュケナージも、満足そうに指揮台を降りていった。


楽しい定期演奏会だった。


ありがとう、N響。また来るよ。

「中国の至宝」、「踊る精霊」と称されるヤン・リーピン。


彼女が作り出した舞踏劇「孔雀」は、驚きが連続する舞台だった。


ヤン・リーピンは、天性の舞踏家だ。


子どもの頃から踊ることが大好きで、舞踏に関する教育はまったく受けたことがないという。


現在55歳。


その年齢は、にわかには信じがたい。彼女の美しい容姿は、30歳そこそことしか思えない。


そしてその舞は、超絶的だ。


孔雀の群舞のシーンでは、彼女だけが羽ばたいていて、他のダンサー達(ヤン・リーピン・ダンス・カンパニー)は腕を振っているだけにしか見えない。


ひとりだけ、レベルが違う。違い過ぎる。







物語は、春夏秋冬の4幕で構成される。


季節の移ろいに合わせて、孔雀の誕生から死までの物語が進行する。


巡る季節と過ぎて行く「時」を象徴して踊る少女がいる。


ツァイー・チー、15歳。


舞台左袖に作られた小さなステージの上で、くるくると回り続ける。


1分間におよ30回転。


ひたすら回る。回り続ける。







「時」であるから、20分間の舞台休憩の間も休まずに回り続ける。


開演からおよそ140分間、一度も止まることなく回り続ける。


「ステージが回っているんじゃないの?」と言っている人がいたが、そんなことはない。


自分の足で回っている。


1回の公演で4,000回以上も回る、驚異の舞踏だ。


ヤン・リーピンの姪っ子というこの少女が、カーテンコールで一番大きな拍手を受けていた。







「時」の反対側、舞台の右袖には「神」がいる。


「神」は物語を見つめ続け、最後に死んだ孔雀の魂を天に導いて行く。


「神」と「時」の衣装は、こんな感じだ。







美術と衣装は、全体に素晴らしい。


孔雀の華麗で豪華な衣装だけではなく、「神」と「時」のようなそぎ落とされた衣装も美しい。


ダイナミックな舞台装置が、ストーリーを動かして行く。


鮮やかに展開する照明も、効果的だ。


強いていえば、音楽は少し残念だった。


いろいろなスタイルがごちゃ混ぜになっていて、印象が薄い。もう少し整理が必要だ。


うっとおしかったのは、演出とは関係の無い電光掲示の字幕。


ステージを見ていれば分かるのだから、物語の解説を表示する必要はない。


関係者には、再考を願いたい。







28日から30日までは、まだチケットが手に入るようだ。


もう一回見たいなあ。





ルー・ドナルドソンは御年87歳、現役最年長のサキソフォン・プレーヤだ。


セロニアス・モンクやホレス・シルヴァー、アート・ブレイキー等のビッグ・ネームと、たくさんのレコードを作って来た。


ブルーノート・レーベルの重鎮のひとりだ。


さすがに足腰の衰えは隠せない。ステージに登場する足取りは、ひどくゆっくりとしたものだった。


ところが、1曲目(ブルース・ウォーク)の演奏が始まった途端に、オオッという歓声が客席から湧き起こった。


サックスの音は力強く、野太く豊かな響きの中で、スイングしていた。




ルー・ドナルドソン(サックス)


敦賀 明子(ハモンドオルガン)


ランディ・ジィンストン(Eギター)


田中井 福司(ドラムス)




ちょっと変わったクインテットのフォーマットだが、ルー・ドナルドソンが40年以上拘り続けたものだ。


低音部は、ハモンドオルガンが支える。


動きだしが軽く、ルー・ドナルドソンのスタイルに良く合っている。


軽やかな演奏を聴きながら、国立演芸場で聞いた三遊亭金馬師匠の落語を思い出していた。


金馬師匠は、85歳。芸歴は、なんと73年にも及ぶ。


もはや存在そのものが落語になっている。落語が着物を着て高座に座っているようなものだ。


そしてルー・ドナルドソンも、スイングそのものだった。




仕立ての良いスーツの裾をちょっと持ち上げて、おどけた仕草で客席に挨拶をする。


自分が演奏しない時は、ステージ上の椅子に座って休んでいる。


時にはサックスをレスリー・スピーカの上に置いて、眠るように休んでいる。


歯(入歯だろう)の具合が気になるのか、口のあたりをもそもそとしている。


バンド・リーダーのルー・ドナルドソンは、演奏しない時間の方がずっと多い。それでもバンドを軽やかにスイングさせ続けている。


音をたてずにそっと進む、ネコ足のスイングだ。




「ウィスキー・ドリンキング・ウーマン」を、渋い声で歌ってくれた。


「ワンダフル・ワールド」では、サッチモの真似をして楽しんでいた。


「アリゲーター・ブーガルー」では、50年演奏しても色あせないハッピーなスイングというものを見せてくれた。


楽しい演奏だった。


敦賀明子のオルガンが、とりわけ素晴らしかった。


彼女が日本でツアーをする機会があれば、聴きに行きたいと思った(バンド・メンバーは、全員NY在住だ)。




この夜の演奏は、もちろんアンコール無しだ。


アンコールを要求する方が無茶だろう。


この先もお元気で活躍されることを、心からお祈りしています。


ありがとう、ドナルドソン翁。