東京正生学院。
青春の吹き溜まり、梁山泊、
そして、地上天国と呼ばれていた。
病んでいる若者たちの拠り所。
それがもう消えてなくなっている。
もし今も、その学院が、そのままあそこにあったのなら・・、
自分も一応は先輩として、後輩たちにいろんな体験談を聴かせてやることが出来たかも・・。
自分が、
『坊ちゃん』
その後日談を探し求めたように・・。
浜口先生と言った。
東京正生学院の名講師にして、あの名講義。
面白くて、落語をやる先生と言われていた。
今にして思えばその名講義、時評を織り交ぜて、
味わい深い人生の名セミナ-。
ここから歩いて、3、4分。
ヒマなときに行ってみるといいよ。
都営アパートの片隅にひっそりと、石を積み重ねた多層塔があるんだけどね。まるで田舎のお地蔵さん。猫塚と呼ばれています。あまり知られてないけどね。
ここは、かって門下生が師と慕って訪ねてきた漱石の住居跡。
漱石山房と呼ばれていたところ。戦火で焼けて何も残ってないけどね・・。庭の石塔だけが残った。漱石の猫に因んで猫塚と呼ばれています。
学院を出て、早稲田通りを、そのまま直進で横切り路地に入って行き止まりをすぐ左折して・・、すぐ近いから・・。
漱石さんの次男が書いた『猫の墓』って随筆が、今すごく売れているから・・。
もし今も、あの東京正生学院があったのなら、私財をすべて投げ入れて、あの学院の赤茶けた畳の上で、
後輩たちを相手に、人生、その後日談、そのすべてを語り明かしてみたい。