富嶽百景 (6) | 10go9

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太宰治は、富士山がお好きじゃないようだ。

あまりご執心じゃないようだ。

 

 

「どうも俗だね、お富士さん、という感じじゃないか。」

「見ているほうで、かえって、てれるね。」

 

そこを発端として、書かれた『富嶽百景』

 

 

その立ち位置に、

この一寸した隔たりに、

この、かすかな違和感というか、

情念、心象風景と言おうか、

夢とか、動機、

物の見方、考え方と言おうか、

 

 

太宰治って、

一体、その正体は、何者?

時空を越え、作者を離れ、名作と言われている、

その作品には、一寸惹き付けてくるものがある。

 

 

写生大会で、港に連れて行かれた小学生。

皆が、皆、水平線の上に船を描いた。

一人だけ、船の上に水平線を引いた子がいる。

その子の、言い分。

「だって、このように見えるもの!」

有名な、エピソードである。

その小学生の名は、後の、漫画の神様、手塚治虫、その人だった。

 

 

先入観というか、小学生にして、すでに出来上がってしまった固定観念。

その人の固定観念が、その人の人生を支配する。

その人の人生を決定するのは、

運、不運、でもない。

生い立ちや、育った環境でもなければ、

貧富、家柄、学歴の差でもない。

その人の持つ、人間としての、物の見方、考える力にあるのだと思う。

 

 

自分は、今、レンタカーを借りて、河口湖、山中湖周辺、

忍野八海、二十曲峠、長池親水公園など、

富士見スポットに、車を走らせている。

絶景、富士は、出て来ても、

まだ、太宰のいう、『富嶽百景』が、出て来ない。

 

 

「おや、あの僧形のものは、なんだね?」

 黒染めの破れたころもを身にまとい、長い杖を引きずり、富士を振り仰ぎ振り仰ぎ、峠をのぼって来る五十歳くらいの小男がある。

「富士見西行、といったところだね。かたちが、できている。  ー  いずれ、名のある聖僧かも知れないね」

「馬鹿いうなよ。乞食だよ」 友人は冷淡だった。

「いや、いや、脱俗しているところがあるよ。歩き方なんか、なかなか、出来ているじゃないか。むかし、能因法師が、この峠で富士をほめた歌を作ったそうだが、  ー  」

 私が言っているうちに友人は、笑い出した。

「おい、見給え、できてないよ」

 能因法師は、店のハチという飼犬に吠えられて、周章狼狽であった。その有様は、いやになるほど、みっともなかった。

「だめだねぇ、やっぱり」 私は、がっかりした。

 

 

絶妙のタイミングで、

能因法師をもってきて、

背後に控えている富士が、可笑しかった。

太宰は、すごい。

太宰治には、やっぱり、敵わないと思った。(笑)