そのタイトルは、
『富嶽百景』
つまり、富士の景観、その見所を愛でる、という意味であろうか。
しかるに、太宰治の書く富士は、
それは確かに絶妙なタイミングで、登場してくるのだけど、
それが、曲者で、一筋縄ではいかない。
ある晴れた午後、私たちは三ッ峠へ登った。三ッ峠、海抜千七百米。御坂峠より、少し高い。 ー とかくして頂上に付いたのであるが、急に濃い霧が吹き流れてきて、何も見えない。
と、出て来ない富士に、
ある種の失望か、あるいは諦観でも書くのかと思ったら、
太宰治という異能、
その人は、出て来ない富士を書いて、少し違った。
茶店の老婆は気の毒がり、店の奥から富士の大きな写真を持ち出し ー 崖の端に立ってその写真を両手で高く掲示して、 ー ちょうどこの辺りに、このとおりに、こんなに大きく、こんなにはっきり、このとおりに見えます、と懸命に注釈するのである。私たちは番茶をすすりながら、その富士を眺めて、笑った。いい富士を見た。霧の深いのを、残念にも思わなかった。
出て来ない富士。
それは、分かる。
東海道本線を、あるいは新幹線を幾度か往復してみたけれど、
およそ、夢とか、人生は、そのようなもので、
叶わぬ恋、
思い通りにならない恋人にも似て、
いい富士、その景観に、この歳になっても、まだ一度も出会ったことがない。(笑)
だけど、
古来より、日本三景、近江八景、富嶽三十六景、
とあるように、景観は愛でるのが、本道である。
しかるに、
出て来ない富士を書いて、
これが太宰の言う、
『富嶽百景』の、一コマなのか?
すべからく、太宰のいう富士には、意表を衝かされる。
太宰の書く『富嶽百景』は、
とかく人物、人間模様を前面に押し出してきて、
あくまでも、人間模様、人間百態を主体として、書くふりをする。
富士は、あくまでも人物の背後にあって、それを支え、補完するという位置付けなのだ。
人物を配して、背景に富士。
その構図、
その位置づけ、
その間合い、
そこから見えてくる背景、借景、叙景としての、富士。
これこそが、この作品の真骨頂で、
そして、そこに控えている『富嶽百景』
これこそが、この名作の素晴らしさであり、その生命力は、これに尽きる。
およそ八十年ほど前に書かれた、この作品。
会ったこともなければ、その実像すら知らない作者。
時を経て、時空を越えて、
なお読ませる名作とは、このようなものなのかも。
この作品が書かれてから、九年後、
不遇、と言っていい、不慮、と言っていい。
作者は若くして、もうこの世にいなかった。
抗しがたい時勢に棹さし、時空を越え、
身を挺して、作品の生命力を守り抜いた、太宰治。
河口局からバスにゆれれて30分、
と、太宰は書く。
自分は、今、その河口湖畔にいる。
もう、ほぼ射程圏内。
でも、
相方もいる。
時間的制約もある。
自分はいきなり、その目的地御坂峠の天下茶屋に、突入したりはしない。
これからレンタカーを借りて、先ずは河口湖周辺。
もうしばらく、越えてきた時空の正体を楽しみ、
もうしばらく、
周辺から、
太宰の書く、その富士、その正体、
『富嶽百景』
を、眺めてみたい