大好きな高校時代の古典の先生が、2年間の大学院修士課程を修了し、また私の母校に戻られることが昨日わかりました。
私は幸せいっぱいで、卒業アルバムを見返しながら、当時の先生の授業風景や語ってくださった言葉たちを思い出してはニヤニヤしていました。
また、近い将来私が教育実習を受けに母校に戻るとき、先生から直々にご指導いただけたらどんなに嬉しいだろう、と舞い上がっていました。
お風呂で歌を歌ったのも久しぶりです。
先生を"好き"になって、かれこれ5年が経とうとしています。
この場合の"好き"は、もちろん恋愛感情ではなくて、もっと欲のない、崇拝に近い感情です。
私のこの、崇拝に近い"好き"…もしくは崇拝と入り交じった"好き"は、何に対しても一度感じたら変わることはありません。
物心ついたときから好きなイルカ。
15年間好きなピカチュウ。
6年間好きなフレディ・マーキュリー
そして5年間好きな先生。
大学で出会った三島由紀夫。
これらは、私がこの先何歳になっても、"好き"なものとして私のプロフィールに記録されるものです。
そしてこれらに共通するのは、それがどれも"手が届かないもの"だということ。
触れることのできないものだったり、架空のものだったり、もう死んでしまっているものや、決して敵わないもの。
手が届かないから、
自分が汚すことはないから、
いつまでも好きでいられる。
始めから手に入れてないから、失うこともなくて
だから安心して好きでいられるのです。
胸張って、溺愛してると言えたって、
安全だから言えるだけ。
手に入るもの、移り行くものを好く怖さを知ってしまった者の、臆病な主張なのです。
近くのものほど好きと言えない。
想えない。
届かないとわかっているものに焦がれることがどんなに楽なのか私は知ってしまった。
手に入れる気のない"好き"は、傷付かなくて、甘いだけ。
だからこそ時々、本当はこの"好き"は虚構なんじゃないかと思う時もあって…
それでも、古典の先生だけは、私が唯一言葉を交わせる方だから。
また会えたらいいな。
私は幸せいっぱいで、卒業アルバムを見返しながら、当時の先生の授業風景や語ってくださった言葉たちを思い出してはニヤニヤしていました。
また、近い将来私が教育実習を受けに母校に戻るとき、先生から直々にご指導いただけたらどんなに嬉しいだろう、と舞い上がっていました。
お風呂で歌を歌ったのも久しぶりです。
先生を"好き"になって、かれこれ5年が経とうとしています。
この場合の"好き"は、もちろん恋愛感情ではなくて、もっと欲のない、崇拝に近い感情です。
私のこの、崇拝に近い"好き"…もしくは崇拝と入り交じった"好き"は、何に対しても一度感じたら変わることはありません。
物心ついたときから好きなイルカ。
15年間好きなピカチュウ。
6年間好きなフレディ・マーキュリー
そして5年間好きな先生。
大学で出会った三島由紀夫。
これらは、私がこの先何歳になっても、"好き"なものとして私のプロフィールに記録されるものです。
そしてこれらに共通するのは、それがどれも"手が届かないもの"だということ。
触れることのできないものだったり、架空のものだったり、もう死んでしまっているものや、決して敵わないもの。
手が届かないから、
自分が汚すことはないから、
いつまでも好きでいられる。
始めから手に入れてないから、失うこともなくて
だから安心して好きでいられるのです。
胸張って、溺愛してると言えたって、
安全だから言えるだけ。
手に入るもの、移り行くものを好く怖さを知ってしまった者の、臆病な主張なのです。
近くのものほど好きと言えない。
想えない。
届かないとわかっているものに焦がれることがどんなに楽なのか私は知ってしまった。
手に入れる気のない"好き"は、傷付かなくて、甘いだけ。
だからこそ時々、本当はこの"好き"は虚構なんじゃないかと思う時もあって…
それでも、古典の先生だけは、私が唯一言葉を交わせる方だから。
また会えたらいいな。