約半年ぶりに勉強しました。


といっても3時間くらいですけど。


フランス語と美術検定。


やらなきゃやらなきゃ…と思いながらだらだら眠りこけて暮らしてきましたが、今日やっと、机に向かえました。


復学まで半年を切った10月から、やらなきゃやらなきゃ…と思っていたので、丸2ヶ月踏み出せないでいたわけです。


もう本当に、今日が2011年中に勉強を再開する最後のチャンスだと思ったのです。


でもそれだけじゃありません。


「乙女のポリシー」に、背中を押されました(笑)


知っている方も多いと思いますが、美少女戦士セーラームーンのエンディングテーマだった歌です。


私も幼少の頃は、他の同世代の女の子と同じようにセーラームーンが大好きでした。


特に好きだったのはセーラーマーズとセーラーネプチューンで、ごっこ遊びではいつもどちらかの役をやっていました(笑)


セーラームーンを見なくなって10年以上たった今も、なぜか「乙女のポリシー」という曲がずっと心に残っていて、ついに先日、中川翔子さんカバーで着うたフルをとってしまいました!


「乙女のポリシー」って、歌詞がホントにすばらしい。


前向きすぎる。
若々しすぎる。


1日は出掛けていたので、帰り道の電車でも聴いていました。


そしてあるフレーズでハッとさせられたわけです。


"みんな 本気のときが
とっても きれいだから"


泣きそうになりました。感動というよりは、自分が恥ずかしくて。


私も「きれい」になりたくてなりたくて仕方なかったけど、なんか間違ってたなって。


最近、去年の今頃と比べて10㎏くらい痩せたけど
最近、自分の夢に対して本気になったことなんて全然なかったな、と。


私が「乙女のポリシー」で、最も好きなフレーズは


"なりたいものに なるよね

頑張る人が いいよね"


っていうところなんですけど、


最近の自分は外見の「綺麗」のためには頑張ってたけど、


学芸員も教師も、半ばどうでも良くなっていました。


そんなんじゃ、本当に「きれい」な人にはなれない。


なんで今まで外見にばかり力入れてきたんだろうって正気に戻ったような気持ちになりました。


今日勉強してみて、やっぱり美術好きだなって確信しました。


また以前のようなローテーションを組んだので、家にいるときはこなしていきたいです。


明日は、イタリア語と世界遺産検定の予定です。


改めて、「なりたいものになるよね」って自分に言い聞かせました。


私はもう乙女なんて歳じゃないかもしれないけれど、


小さい頃に憧れていたヒロインが、大人になった今も背中を押してくれてるんだと思うと、懐かしいような有り難いような不思議な気持ちになります。


不思議でも、暖かい気持ちです。


最近の私は不機嫌になってばかりだったけど、今日はようやく勉強ができて、少しホッとしました。
最近、ずっと御無沙汰だった『源氏物語』(瀬戸内寂聴訳)の続きをまた読み始めました。
多分まだ半分にも満たない「玉鬘」の帖まで来ましたが、源氏物語を読んでいて毎回思うのが、女性の容姿の批評がまぁ多いこと多いこと。
美人の描写だけでなく、不器量な人の描写までゾッとするほど容赦なく書いてあります。


そこで今日は私も、容姿について話そうかと思います。


自らの学力に対するコンプレックスについてはもう何度も書きましたが、学力にコンプレックスを抱くようになったのは大学に入ってからのこと。


それよりもっともっと前、まさに物心ついたときから私が抱えていたのが、容姿に対するコンプレックスです。


私の母方の家系は皆、美形で、事実私の母も美人です。


自分の母を臆面なく美人だと言ってしまうのはかなりおこがましい話ですが、むしろ私が母の長所として認められるのはその外見だけなのです。


とにかく、母方に美形の血筋を持ちながら、私は80%以上が父親似。つまり、悲しいことに美人家系の出がらしに産まれてしまったわけです。


唯一母に似たと思われる目元でさえ、父の遺伝で少々つり目になってしまいました。


また更なる不幸は、母方の親族一番の美女が、よりによって私と同い年に産まれてしまったことです。


彼女は幼少の頃はそれはもう、うちだゆきを2頭身デフォルメしたかのような可愛らしさで、もちろん長じてからはモテモテ。
中学に入れば浮いた話は耐えませんでした。


一方の私は強烈すぎる天然パーマも手伝って一切の浮いた話もなく、容姿や恋の話でお正月の集まりの話題をさらう彼女に対してまさに日陰の存在。


たいして良くもない通信票や、唯一の取り柄だった作文をサラッと褒められるだけのお正月を重ねました。


また、親族に美女揃いというだけならまだしも、小学校低学年で出会った幼馴染みも、大層な美女でした。


幼馴染みは美女の上に優等生。一緒にいる私は学校でも日陰の存在だったわけです。


美女の多い生涯でした。


って感じです(笑)


比べられることに敏感な私は、親戚の子や幼馴染みと容姿のことで比べられることが怖くてたまりませんでした。


自分の取り柄は容姿にはない。じゃあ他の面で勝てるところが欲しい。
そういう思いが私を学問や作文に傾倒させたといっても過言ではありません。


容姿という産まれながらの強味が私にはない。だから他で頑張ろう。


そう思ったときに初めて容姿コンプレックスが"味方に着いた"と私は思います。


(そうして身に付けた学力も今では風前の灯ですが)

要するに、私が今生きるステージにしたいと思ってる学問や文学に出会えたのは、容姿にコンプレックスがあったお陰だということで、よく言う「コンプレックスが人を伸ばす」っていうのは嘘じゃない気がします。


あと、化粧が物凄く楽しいです(笑)


初めてファンデーションからチークまでのフルメイクをしたとき、私は化粧詐欺の力に内心狂喜乱舞しました。


今はニートなのでやってませんが、一時期は化粧品集めがマイブームになったくらいです。


今でも、洋服選びよりアイシャドウ選びの方がウキウキします。


こんな風に趣味も増えて、不器量でも不器量なりに楽しくやっています。


容姿コンプレックスは、あって良かったプラスのコンプレックスだったと思っています。


さて。容姿の話はここまで。


なかぬんさん、前回のコメントありがとう。面と向かっては素直に言えないけど励みになったよ。


また、これは先述の幼馴染みに言われたことですが、


自分の価値は自分で決めるものではない。


らしいです。


確かに、もし自分の大事な人が、「私は価値のない人間なんだ。」って言い始めたら、私は全力でその人の価値を、それはそれはムキになって肯定します。


こんなふうに、人間の価値は、お互いで認め合うもので、独断できないものなんだ、と思いました。


自分の価値はいまだわかりませんが、周りの友人などの価値なら昔から痛いくらいわかっています。


それでいいんですね。
たったそれだけでもう充分。


ぐちゃぐちゃ考える必要なかったんだと反省しました。
早く寝たので妙な時間に起きました。
久しぶりに、明日が来るのが面倒臭いです。
半分は起き抜けのダイエットのせいで、半分はいつもの機嫌の悪さのせい。


最近の私は幸せです。


友達と猫と恋人。
そして読書。後、お菓子


これだけあれば私は
"望月の欠けたることも無し"と思うのです。


でも周りが欠けてないから、私の中身はどんどん空っぽになっていくみたいです。


だから、従弟の八つ当たりに近い悪態に傷付いてしまう。
傷付いていることを悟られまいと、飄々とした自信過剰発言で返してしまう。
自信なんてないのに。


たかだか高1の若者に、ハタチにもなってヒリヒリさせられるなんて情けない。


どうしてこの世にお前という無価値なものが存在しているのかわからないね。


……美辞麗句?に酔ったオタクの戯言にいつまでも引っ掛かっているのは、


彼がわからないことが私にもわからなかったから。


いい大人が、自分の存在価値を考えてシュンとするなんて、目も当てられないほど恥ずかしい話ですが、


お金がないくせに闇雲に本を買いたくなるのは強い不安を感じてる証拠です。


私にとって読書は、善行や読経のようなもので、一心に続けていればいつか報われると信じられる行為です。


文学崇拝っていうか。
書物崇拝っていうか。


生涯黒髪を通すつもりでいた自分の髪の毛が、橙がかかった不純な金髪だからこんなに落ち着かないのか。


大好きな赤色にしたら、本が欲しくなくなるのかな。


お金がないけどヘミングウェイの本がほしいです。


サリンジャーやカポーティに好感を持ったからって、アメリカ人作家の本がもっと欲しくなるなんて実に単純な話ですが。


サリンジャーやカポーティの作品の中の人物は本当にちゃんとしていなくて好きです。


私が今まで読んできた、日本の純文学に出てくる主人公たちは、中身がちゃんとしていなくても、金持ちだったり秀才だったり、権威ある"殻"があった。
ステータスっていうんでしょうか。


でもサリンジャーが描いたホールデンや、カポーティが描いたホリーはそういうちゃんと守ってくれそうな"殻"も持たずに奔放に、どうしようもなく生きてる。


だから励まされます。


ヒリヒリするものが、同じだなぁって。
自分の傷口に他人の傷口をあてがうと痛くなくなるのでしょうか。
そんなわけないだろうけどそんな気持ちです。


幸せなのに、ときどきこんなにヒリヒリするのは、


私の"望月"が虫食いだらけだからでしょうか。


私の積んでる"善行"が、いつかそれを埋めてくれますように。